第14話   Let's dance    

 ――レッスンは一番ポジションから始まる。

 

 左右の踵をつけ、膝を伸ばしてまっすぐに立つ。

 

 そして、ドゥミ・プリエ。

 膝をゆっくりと曲げる。膝は爪先と同じ方向に。踵は上げない。

 

 次にグラン・プリエ。

 今度は踵を上げる。腰は完全に落とさないように。

 

 足のポジションは五番まであり、それぞれでドゥミ・プリエとグラン・プリエを繰り返す。


 ピアニストの美和は伴奏に慣れているようで踊りやすい。

 前の教室ではピアニストはたまにしか来なかったから、生演奏ライブで練習することは滅多になかった。

 

 バットマン・タンデュ。

 五番ポジションから片方の足を床の上を滑るように動かす。

 

 ――シュッと、

 

 爪先が床をする感覚。


(久しぶりだわ!)


 瞬時に蘇る記憶。

 懐かしいなんて生易しいものではない。

 もっと力強く鮮明で、私の中で生きて息づくもの。


(もうバレエは止めようと思っていたのに……)


「はい! ドゥ・ヴァン(前)。ア・ラ・スゴンド’(横)。デリエール(後)!」


 牧嶋の発する声にハッとする。


(いけない! レッスンに集中しなくちゃ!)


 ロン・ドゥ・ジャンブ・ア・テール

 足をタン・デュし、第一ポジションを通りながら爪先で半円を描くように動かす。

 爪先は床に付けて。

 前から後ろへアン・ドゥ・オール後ろから前へアン・ドゥ・ダン


 足を自由に動かすためには、軸足でしっかり立たなくてはならない。

 体を支えるための筋肉が震え汗が噴き出す。

 

(……きつい……練習を休んでいたから筋力が弱っているんだわ……)


 でも、そんな甘えは許されない。

 ひとたびバーを握れば、私は一人のダンサーなのだ。

 最善を尽くさなくてはならない。


(背筋を伸ばすのよ!)


 腰から背中、首筋へと意識を集中する。

 雑念が消え去り、思考がクリアになっていく。

 踊りに集中する準備が整ったのだ。


(レッスン不足を取り戻せそう!)


 今私がすべきことは踊ること。

 それだけなのだ。


 練習は緩やかな動きから、徐々に激しいものへと移行していく。

 

 グランバットマン

 膝を伸ばしたまま足を空中に放り出す。

 ドゥ・ヴァン、ア・ラ・スゴンド、そしてデリエール。



 次はバーを離れてフロアレッスンだ。


 アダージョという移動の無い動きや、ジャンプの練習の後、回転(ターン)が始まる。


「次はピケターンね。やるからよく見ておいて。左足プリエ。右足の爪先で円を描くみたいに横に出して立って、その足に左足を前に寄せて爪先立ち」


 これが“シュス”。

 足は五番ポジション。二本の脚は隙間がないようにクロス。

 腕は胃の高さで籠を抱くように丸く輪を作る。


「後ろにある右足の爪先を伸ばして左足の踵につけて」


 シュル・ル・ク・ドゥ・ピエ。

 軸足の足首にもう片方の足をつける。膝は横、爪先をしっかり伸ばして。

 次のポーズへ移行するためのポジションだ。


「爪先を左足の膝まで引き上げて」


 ルティレ。 

 膝は耳の方向に開いたままにする。


「そしてターン! これを繰り返してスタジオを横切るの」


 “ピケ”は、“突き刺す”という意味で、軸足を床に刺すように立って回ることを“ピケターン”という。


 生徒達は準備のポーズプレパラシオンの後、次々と回り始める。

 スピードは無いけどフォームが綺麗。

 

(レベル高っ! 初心者クラスじゃないみたい!)


 見事な回転に見とれるも、気付けば列の先頭だった。


(やだ! 私の番だわ!)


 慌てて位置に付きプレパラシオン。

 

 左足をプリエ、出した右足に重心を素早く移し爪先立ち。

 

 そして両足を揃えてシュス。

 

 シュル・ル・ク・ドゥ・ピエした足を軸足の膝まで引き上げる。

 

 腕の動きポール・ド・ブラを利用し体を巻き込む。



 ――そしてターン!



(上手くいったわ!)


 回転が決まると気分が良い。


「沙羅ちゃん! その調子よ!」

 

 牧嶋の掛け声に合わせて私は回る。


「ほら! みんな! 沙羅ちゃんの動きをよく見るのよ!」


(……ちょ、ちょっと! お手本にしないで!)


 恥ずかしいけど私は回転に集中する。

 

 くるり。


 風が起こり、風がたなびく。


 くるり。


 心がのぼる。螺旋らせんのように。


 くるり。


 いつまでも回れる。


 くるり。


 疲れなんて感じない!


 フィニッシュでポーズをすると、ぱちぱちと手を叩く音。


 誰かが拍手をしたのだ。


 ふっ、ふみゅー!!


(ただの練習なのに! 回っただけなのに!!)


 照れくささと申し訳なさで冷汗が出そうだ。


 最後はジャンプや回転を組み合わせた“グラン・ワルツ”を踊り、クールダウンで呼吸を整える。


 締めくくりはお辞儀ルベランス

 背筋を伸ばしたまま左足を後ろにし、両足をプリエ。

 腕はプリマ・バレリーナのように優雅に。


「ありがとうございました!」


「今日もお疲れ様!」


 挨拶する生徒を牧嶋が労(ねぎら)う。


 レッスンは一時間半。

 あっという間だった。


(飛ばし過ぎかしら……?)


 久ぶりだから抑えた方が良かったかもしれない。


 だが、疲労感さえ心地よい。

 タオルで汗をぬぐい爽快感に浸れば、ブランクが嘘のようだ。

 


 着替えを終え更衣室を出ると牧嶋が待っていた。


「沙羅ちゃん……ちょっと……」


 呼び止められる。


「……えっと、……なにか……?」


 初日から何事かと思いながらも私はスタジオに残った。


 





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