第12話  予兆

 四月もあと数日で終わるという月曜日。

 木々の緑は濃さを増し、新緑の季節を迎えようとしていた。

 風は優しく爽やかに、私のミルクティの髪を金色に染め、日差しは瞳を琥珀アンバーに煌めかせる。

 私は最高の気分で歩きながら、校門の前で足を止める。

 急に足が重くなり、登校が躊躇われる。

 重いのは足だけではない、心にもどんよりとした靄(もや)がのしかかるようだ。

 こんなに美しい季節なのに。


 原因はわかっている。


 ―― 麗奈だ。


 学校では麗奈と行動を共にすることになった。


 麗奈は面倒見がいい少女だった。

 高等部から進学した私が不便だろうと、いろいろと教えてくれたり、便宜を図ってくれた。

 教室を移動するときには必ず同行して案内してくれるし、それに何よりも、クラスメイト達から避けられる私を不憫に思うのか励ましてくれる。

 

 新参者の私にあれこれと世話を焼く麗奈に、教師が労いの言葉をかけると、麗奈は「はい!」と礼儀正しく返事をした。


 かなり気恥ずかしいが、私は入学したばかりだ。

 一人で過ごすには心細いし、人目も気になる。

 

 昼食も共にする。

 

 ―― 麗奈はよく喋った。


 物知りで話題が豊富だ。

 流行に敏感かと思えば、古典の絵画や音楽にも精通していて話も面白い。

 それに、お喋りと言っても自分一人で話しているわけではない。

 適度に人に話を振るという高等技術も駆使する。


「有宮さんは何か趣味はあるの?」


「あ、……あの……」


 バレエのことを話題にされたくはない。


(……なっ、なんでもいいから答えるのよ! 読書とか音楽鑑賞とか……!!)


 思わずあたふたとする。


「無趣味なの? いけないわ! せめて読書ぐらいしないと! そうだ! 本を貸してあげる! 『君のスライムが食べたい』! 私のお気に入りよ!」


 聞いたことはないが、タイトルが流行っているっぽい。

 流石麗奈。守備範囲が広い。


 ……それにしても……。


 バレエの話題は避けられたけど、有無を言わさず無趣味認定されたことが面白くない。


 心にもやもやが湧き上がる。


 気晴らしに教室を見渡すと、ある人物が欠けていることに私は気づいた。


 ―― 絵美だ。


 私は絵美のことを麗奈に尋ねた。


「ああ! 雨洞うどうさん!? ……あの人、いつも一人で屋上に行って食べているのよ! 気の毒だから、前に一度“一緒に食べましょう!”って、屋上まで声をかけに行ったら“どうも!”って、言ったきり無視するのよ! ……変わっているのよね? 可哀そうだけど放って置くことにしたわ!」


 と、深い憐憫の情を表情(かお)に滲ませながら麗奈は言った。


(……わざわさ屋上まで声をかけに行ったんだ……)


 その光景を思うと心寒くさえあるのはなぜだろう?

 麗奈は善意でやったのだ。

 悪く言うことは出来ないと、自分に言い聞かせる。


 私は四月に入学したばかりで、絵美のことを深く知っているわけではない。

 幼稚園時代から彼女を見ている麗奈の方が、よほど理解しているのだろう。

 だが、私が知る限り、絵美が不自由を感じているようには見えなかった。

 『余計なお世話』と思ったのかもしれない。


 窓から晴れた空を見ると、屋上で一人昼食をとる絵美の姿が目に浮かぶ。

 心地の良い風に吹かれ、昼食を食べる絵美の姿が……。


「どうしたの? 有宮さん! 元気ないわ?」


「……あっ、……あの……大丈夫よ……あはは……」


 私はごまかし笑いをしながら、言い訳を考えるのに必死だ。

 

 空想さえままならない自分の現状を思うと、絵美を羨ましくさえ思う。

 麗奈といると息苦しいのだ。

 理由はわからない。

 自分に気遣ってくれる彼女を有難く思いながらも、この気持ちを払拭できずにいる。


(松坂さんは親切な人なのよ……。人の善意を信じられないなんていけないわ……)


 後ろめたさで心がずしりと重くなる。


 一方、紬のことを心配する必要がないことに私は気付いた。

 控えめながらも泰然と構え、一人静かに過ごしている。

 楚々とした佇まいからは品格さえ漂う。

 彼女のことは放っておいても大丈夫だと私は判断を下した。


 だから、私は自分のすべきことに専念することにした。

 学校に慣れること、スペイン語の授業に着いていけるように努力することだ。

 麗奈にせよ、紬にせよ、私には人にかまけている時間はないはずだ。

 

 だが、課題が順調に果たされると、新しい何かを求める気持ちが芽生え始める。

 バレエを休んでいるせいもあり、単調な生活に退屈さを感じるようになっていった。


(何か新しいことが起こりそうな気がする……)


 木の芽が伸び枝に茂るように、思いが私の心を覆っていった。

 

 その週の日曜日。

 私は、いつものように結翔からスペイン語のレッスンを受けていた。


「……ねぇ。沙羅ちゃん……。スペイン語には慣れた?」


 結翔に尋ねられる。


「はい!」


「……俺、恩返しできたかな……?」


「はい! 十分過ぎるくらいです。お釣りがくるくらい……!」


「そっかー。……じゃあさ。お釣りの分、俺のお願い聞いてくれると助かるんだけどなぁ〜」


「……私に出来ることですか?」


「もちろん! 沙羅ちゃんだからこそ頼んでいるんだよ! ……明日一緒に行って欲しいところがあるんだ」


 と、天使の笑顔を見せる。


「……で、でも……」


 結翔が何を頼みたいのか気になるけれど、この笑顔の前では断れない。

 結果、私は内容も聞かずに二つ返事で承諾した。


 翌日の放課後、結翔に連れられてangeへ行くと、細身の男性がカウンターに座っていた。

 彼は頭の天辺から爪先まで私を見て、


「ぴったりだわ! 姿勢とか、仕草とか、体のバランスとか……」

 

 と、いきなり品定めをしてきた。


(……なっ! なに!? この人!!)


 突然のことに焦る私。

 いくら何でもこの態度は失礼過ぎる。

 こんな人に結翔は私を紹介するつもりなのだろうか?


 苛立つ心を抑え、目の前の人物を観察する。

 まずは相手を知らなくてはならない。

 

 男性はシャツに紺のジャケットを羽織っていた。

 一見、父より少し若い普通の人に見える。

 だが、何かが違う。父のような勤め人ではなさそうだ。

 

 仕事はフリーランス。


 例えば……。


「貴女バレエやっているわよね?」


 ……そう。


 ―― ダンサー。

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