第10話  アナタヲモットシリタイ

「でも……食事はちゃんと摂ってくださいね。食べたくても食べられない人もいるんですから……」


「何それ?」


 私の言葉に、今度は結翔が首を傾げた。

 誰だって突然こんなことを言われれば驚くだろう。


「食べてください!」


 思わず言葉に力が入る。

 結翔がどう思おうと、私は自分を抑えることができなかった。


「わ、わかった!……わかったよ! それにしても、切実だね。“食べたくても食べられない人”って、誰か身近にいるの?」


 結翔が不思議そうに私を見つめる。


 私は迷った。

 この話を結翔にすべきかどうかを……。

 バレエの話は誰にもしたくなかった。

 でも、もうここまで話してしまったのだから、続けるべきだろう。


「それは……私、子供の頃からバレエを習っているの……」


「そうなんだ! やっぱりね! そんな感じがするよ。……手足がすらりとしていて、姿勢がいいもの。……でも、それが?」


「……一緒に習っているお友達の中には、無理なダイエットをしている子もいるの。……とても辛そう。拒食症になってしまった人もいるわ……」


「……そうなんだ。太りやすい体質だったんだね?」


 こくりと頷く。


「沙羅ちゃんはどうなの?」


「……私は違うみたい、パパもママも、お爺ちゃんとお祖母ちゃんも痩せているの……。背も高いし……。でも、気を使っているわ。食べ過ぎれば誰だって太るし、足りなければ踊るための力が無くなっちゃう……」


 長い間ずっと言われてきた言葉。

 “栄養価が高くて、健康にいい食事を摂りなさい”

 この習慣は身に付いて私の一部になっている。


「……だから食事を粗末にする人は嫌なんです……」


「そっかー。……そこまで考えたことなかったな。……それにしても、沙羅ちゃんの体型は日本人離れしているよね? 骨格が違う。単に手足が長いだけじゃなくて立体的なんだ……」


 再びこくりと頷く。


 体形だけじゃない。顔立ちもだ。

 たまご型の輪郭に、大きな瞳、通った鼻筋。“舞台映えするわね”とよく言われる。


「……ふーん。バレエを踊るには有利だろうね。見てみたいな沙羅ちゃんの踊り……」


 結翔は感心したように言うけれど、私は気が重い。だって、バレエは辞めるつもりだから。


「どうかした?」


「ううん。……今、お休みしているところなの。少し前に怪我をして、その後、受験があったから……」


「……じゃあ、そろそろ再開だね」


「……」


 当然のことのように言う結翔。

 言葉も無くうつむく私。

 これ以上は、まだ話したくはない。

 

 しばしの沈黙の後、結翔は私の気持ちを察したのか、さりげなく話題を変えてきた。


「そっ……か……。タイミングってあるからね……。入学したばかりだし……、今、スペイン語に泣かされているし。“え〜〜〜ん”って」


 と言って、私が泣いている真似をした。


「そ、そんな! 泣いてなんていませんよ!」


 言葉は怒っているけれど、結翔の仕草が可笑しく笑ってしまう。

 それに……なんだか、気持ちが少し楽になった。

 自分がバレエを習っていたことを話せたせいだろうか?


 結翔が話を続ける。


「バイト先は元々ワインバーなんだけど、今はテイクアウト専門……ワインに合う手作りの総菜を売っているんだ……チーズや生ハムなんかもある。……客は家呑み用に、ワインとつまみを買って帰るんだ……」


「……結翔さん……?」


 結翔を再びジト目で見る。


 結翔が働いているのは飲食店だと聞いてはいた。

 ……聞いてはいたが、呑み屋だとは知らなかった。

 深夜に働くとなれば、当然のことだろう。

 

 ……でも……。

 

「な、何? ……また怖い顔して!?」


 たじたじとなる結翔。


「……飲んでます? お酒?」


 もし、そんなことになっていたら、母に報告しなくてはならない。

 そして、母は結翔の実家に報告するのだ。

 目の前で結翔が非行に走ることを見逃すことはできない。


「のっ、飲んでないよ! それに品のいい店だよ! 信じてくれよ!」


「……」


 結翔には理解できないことが多すぎる。

 なぜ高校生が深夜まで働けるのか。

 確かに、十八歳になれば働けるが……。


「……俺、もう十八。一年留年しているんだ……」


「え?」


 驚愕の真実!

 ……でも。

 家から一歩も出ない怪人の噂を思い出す。


「ごめんなさい……」


 踏み込み過ぎてしまった。辛い話をさせた自分が後ろめたい。


「いいんだよ……。調子が悪くてね。それで学校に行けなかったんだ……。二年生の二月から、今年の初めくらいまで。……バイトを始めたのが二月からなんだ」


 私の気持ち汲んで、結翔が優しく言った。

 

「……一人暮らしは医者の勧めでもあるんだ。外出が出来なかった頃は、食事も届けて貰っていたけど、今は自炊だよ。……できることは自分でするってのも医者の勧めさ……。調子が戻っても親に頼み込んで続けさせてもらっている。沙羅ちゃん達には迷惑かけてるけど……」


「そんな! 迷惑だなんて!」


「でもなぁ……疑惑は晴らしておきたいな。……そうだ! 今度、俺のバイト先に来なよ?」


「え?」


「店が始まる少し前に来て! どんな店か分かれば安心すると思うよ……」


 突然の話だけれど、結翔のバイト先に興味がある。結翔をもっと知りたいから。


 アナタヲモットシリタイ。


 この気持ちがなんなのか?

 それを知るのは、もっと先のことだった。

 

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