第7話 天使が庭に舞い降りた
入学から一週間が経った。
クラスメイト達は変わらずよそよそしかったけれど、それでも何人かは挨拶を返してくれるようになった。間借り人が私とは無関係の人間で、むしろ私達の家族が被害者であるという認識が浸透してきたせいかもしれない。
結翔の誤解は解いておきたいと、絵美に相談すると、「皆が落ち着き所を見つけようとしているのだから、そのままにしておいた方がいい」と言われた。
確かに、ここで「実はね」なんて具合に話をすれば、皆を混乱させてしまうのかもしれない。
だから、相手からその話をしない限り、こちらからもしないことにした。
彼とは、あれから一度も会っていない。時々、左側の明かりが点いているのを見ることがある。でも大抵は、私の方が先に寝てしまうので、会うどころか存在確認することさえできずにいた。
そんなある日曜日のことだった。
「沙羅ちゃん……。空中庭園に入ってもいいわよ。パパの点検が終わったわ。もう大丈夫……」
と、ママが言った。
「やったー!」
私は部屋へ戻ると、お気に入りの本と飲み物を持って空中庭園へ向かった。
空は晴れて、風がオリーブの枝を揺らしている。花壇の花も瑞々しくて、最高に気分がいい。きっと楽しい読書タイムになるはずだ。
ワクワクしながら戸口に立つと、先客がいるのがわかった。
白いシャツを着た結翔だった。遠目からだけど、顔色がいいのがわかる。
まずは挨拶をしようと心に決めて、扉を開けてガセボに向かう。
私に気づいた結翔が、こちらに顔を向ける。
その時、私は初めて結翔の笑顔を見た。
警戒心など微塵もない、無邪気な子供のような笑顔。
初夏の風の中、花が揺れ、オリーブの枝がそよぐ。
光を弾くシャツが眩しくて、それが白い羽のようで、思わずはっと息を呑んだ。
――空中庭園に天使が舞い降りたみたい……。
一瞬見とれたけど、我に返って話し始める
「……こんにちは。お加減はいかがですか?」
「おかげさまで! それにしてもここは気持ちがいいね。僕の方からも出られたのに、……なんで今まで来なかったのかと思うよ!」
結翔が笑う。まるで天使のように。
そして、私を見つめた後、
「沙羅ちゃんの目……。初めて見たときから明るい色だと思ったけど、金茶だったんだね。それに髪も……」
「はい! ……父方の曾祖父がフランス人だったんです」
「でも、今日は、髪は金色に見えるし、目の色も明るくて宝石みたいだ……」
「光の加減で違って見えるんですよ」
「……綺麗だよ。……すごく……」
と言って、結翔が眩しそうに私を見つめた。
「そ……そんな……」
どうしよう! どうすればいいの?
突然見つめられ、術もなく黙り込む。
「……あ……そうだ!」
結翔は何かを思い出したようだ。
「もう一つ頼みごとがあるんだ。……忘れるところだったよ」
「頼み事?」
「ああ。その……腹空かせて倒れていたこと黙っていて欲しいんだ。まだ、ご両親に話してないみたいだから……」
「どうして?」
「どうしてって……」
結翔が困っている。やはり、実家に戻されるのが嫌なのだ。
「……わかりました。でも、きちんとご飯は食べてくださいね」
母が仕送りはされていると言っていたから、食べるのに不自由はないはずだ。
「わかったよ。……でもなぁ。出費が増えるなぁ。せっかく、ここのところ節約できていたのに……。これから毎日家に戻ると、水道光熱費もかかるし……」
「食事を抜いたり、外泊していたのは、節約のためだったんですか?」
「ああ……」
「夜遅くまで働いているのは、お金が必要だからですか?」
「まあね……。ちょっと必要なんだよ。またバイト探さないと。そうだ。お礼がしたいんだよ。口止め料も兼ねて……」
「お、お礼なんていりません! 口止め料なら尚更です!」
カチンときた!
彼を心配しているのに、口止め料などと、失礼な言い回しをする結翔に腹が立つ。
「塔ノ森さんがまた無理をするなら、両親に報告しますからね!」
「わ、わかった! ……わかったよ! でもね。困ったことがあったら相談に乗るからね。これが俺のお礼だよ……」
「困ったこと?」
「うん。いずれね……」
意味深な言い方が気になるけれど、全然心当たりがないし、結翔が助けになるとも思えない。
「それよりさ、“塔ノ森さん”って、呼び方じゃなくて下の名前で呼んでよ。結翔って呼んでくれないかな?」
「あの……呼び捨ては……結翔さんでいいですか?」
「OK! じゃあ俺は沙羅ちゃんって呼んでいいかな?」
「はい!」
こうして、天使のような結翔と私は、名前で呼び合うことになった。
でも、何故家を出たのか、何故こうまでしてお金が必要なのか?
それは分からずじまいだった。
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