第6話  交渉

 その朝いつもより二時間早く起きた。

 顔を洗って髪をとかし、身支度を済ませ下に降りていく。


「行ってきま〜す!」


 玄関を出たところで待機する。


 ―― 来た!

 思わず身構える。


 左側の玄関から人が出てくる。


(塔ノ森さんだ!)


 学校の制服を着ていて、玄関を出ると足早に歩き始めた。


「ま、……待ってください!」


 結翔は、ゆっくりと振り向き、声の主が私だとわかると、申し訳なさそうな顔をした。


「……ごめん。プリンのお礼なら後であらためてするよ。悪いけど学校に遅れちゃうから……」


 まだ顔色が悪いけど、外出できる程度には回復したようだ。


「あ……の。そうじゃなくてお話があるんです」


「ごめん……。今朝は寝坊して、本当に時間がないんだ……」


 前に向き直ると、足早にすたすたと歩き始め、私はそれを追いかけた。


「あの! 大事な話です。急ぐんです!」


 結翔の足が止まり、しばらくそのままでいた後、もう一度振り返った。


「何?」


「あの……。外泊が続いていますよね?」


「……」


 余計なお世話かもしれない。でも、絶対に教えた方がいい。


「これ以上続いたら、塔ノ森さんのお家に相談するって母が言ってます!」


 私たちは初めて正面から向き合った。

 初めて会った時年下だと思ったけれど、こうしていると年齢相応に見える。


「それを何で俺に話すの?」


 納得がいかないようだ。


「……だって、困ると思って。この家にいたいんですよね?」


「どうしてそう思うの?」


 それは、私たちが戻ったのに、出ていかないから。理由はわからないけど、家に帰りたくないのだと思うから。


「そ……っか。心配かけちゃってるんだね。でも、いいの? 俺が家にいても」


「そ、それは……」


 返答に困り俯く。

 この人のせいで家が怪奇スポットのように扱われ、私はクラスメイトに避けられているのだから。


「君は正直だね……」


 結翔が苦笑いをする。


「忠告ありがとう。気を付けるよ。……それから、そちらにも挨拶に行く。それでいいよね?」


 置かれた状況が即座に呑み込めたようで、ひとまずは安心だ。


「じゃあ。俺、急ぐんで!」


 そう言って、結翔は足早に立ち去って行った。





「あのね。今日、塔ノ森さんが挨拶に来たわ」


 帰宅早々母が言う。


「え?」


(挨拶しに来るって言ってたけど、もう来たの? 素早い!)


「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんって、仰ったわ……。初めて話したけど、とても礼儀正しい人ね。高校生だなんて思えないくらい……」


 塔ノ森は、近くの飲食店で働いていると母が言った。


「忙し過ぎて、疲れてそのまま泊まっちゃったんですって……。夜遅くまでバイトをしているのは心配だけど、学校も休まないし、あの人なら大丈夫そうね……」


 彼は、母の信頼を得ることに成功した。

 礼儀正しく挨拶をする様を思い浮かべると、死んだように転がっていた姿とのギャップに驚かされる。


「でも、いいの? 深夜のバイトなんて。十八歳になったの?」


 十八歳未満は夜十時以降働くことは出来ないはず。

 高校三年生だから、十八歳になってもおかしくはないけれど、まだ四月になったばかりだ。もう誕生日は過ぎたのだろうか?


「ま、まぁ……それよりも、ご飯にしましょう」


 母がうろたえている。私には言えない事情があるようだ。


「そ、そうだわ! 沙羅ちゃん。パパが空中庭園の点検を日曜日にしてくれるから、大丈夫だったら入れるわよ!」


「ほんと!?」


 唐突に話が変わり、はぐらかされたような気がしたけど、やはり嬉しい。

 

 夕食後、部屋に戻った私はベランダから身を乗り出し【左側】の様子を伺った。

 明かりは付いていず、人がいないのがわかる。

 一度帰宅した後、バイトに行ったようだ。


(でも、……なんでそんなに働かなきゃいけないのかしら?)


 何故、あのときお腹を空かせて倒れていたのだろうか? 実家から仕送りがあるだろうし、お金がなければ、家賃を払って一人暮らしをさせないはずだ。


(やめよう! 楽しいことを考えるのよ!)


 空中庭園の花壇やオリーブの木、小さなガゼボを思い浮かべると、そよ風がそっと心に触れるような感覚になる。

 

 ――私流の安眠のコツ。

 

 その心地よさは、私を眠りへと誘っていった。

 

 



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