第3話 自宅が怪奇スポット化していた件について
部屋中の段ボールが片付かないうちに、入学式が終わり、今日が本格的な登校日だ。
朝七時に目が覚め、制服に着替え鏡に全身を映す。
丈はぴったりだし、皴もない。
髪もきちんと整っている。
制服は緑の縁取りの入った紺のブレザーに、チェックのプリーツスカート、リボンタイ。
もう一度鏡を見る。
ミルクティー色の髪に金茶の瞳。
腰まで伸びた髪は、風に乗って金色にたなびき、瞳は光を弾いて
たまご型の面立ちに、白い肌、大きな瞳を縁取る長いまつ毛。
自分で言うのもなんだけど、綺麗な方だと思う。
鏡から目を離し、部屋を見渡す。
懐かしい私の部屋。
やっぱり帰って来られてよかった。
心がふっと軽くなる。
「行ってきま〜す!」
空は晴れていて、気分よく門を出ようとしたとき、
(あ……れ……?)
誰かが門の向う側からこちらを伺っている。
ランドセルに黄色い帽子。幼稚園児だ。まるでひよこの軍団のように、ぴよぴよと囀る声が聞こえてきそう。
彼らは好奇心に満ちた目で、ひそひそ話をしながら息を殺して立っていた。
「今度は外人の女でしゅ。ユルチュキジュチャイジェしゅ!」
“忌々しき事態”と言いたいのだろうが、回らない舌で難しい言葉を使うのはどうかと思う。しかも、人の家を覗くなんてとんでもないことだ。
でも、相手は小さな子供なのだ。
苛立つ心を抑え、優しく声をかけようと近寄ると、
「ぎゃぁっ〜〜!!! 逃げろぉ〜〜〜!!!」
悲鳴のような声をあげながら、ひよこたちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
中には、“ママァ〜”と、本気で怖がって泣いている子もいる。
子供たちの視線の先を見る。
―― 左……側?……?
ひよこたちは【左側】を、怪奇スポットのように見張っていたのだ。
カーテンを閉め切った窓を見上げる。
祖父母のために、採光のよい間取りにしてあるのに、もったいないと思う。
だが、今、何より腹立たしいのは、あのひよこ達だ!
(“外人の女”って! 私は
子供たちの目には、外人のように見えるのかもしれない。
でも、“沙羅ちゃんはかわいい”って言ってくれる人もいる。
あんな風に扱われる言われはないはずだ。
「やだ! いっけなぁ〜い! もうこんな時間!」
慌てて門を出ると、息を切らせながら、駅へと急ぎ足で歩いた。
学校に到着すれば、さらに悩ましい事態が私を待っている。
クラスメイトのほとんどが、附属の中学から進学してきた生徒ばかりで、すでに仲間の輪が出来上がっているのだ。
昼休みに机を向かい合わせて、難なくグループを作る様を見ると、取り残されたような焦りを覚えた。
とりあえず、隣席のおさげの生徒に声をかけることにした。
「あの……一緒にいいかしら?」
「……あ……あの……」
もじもじと言葉を濁している。
(嫌なのかしら? 突然距離を縮めて引かれちゃった?)
それでもめげずに話しかける。
「お名前聞いていいかしら? 私、有宮沙羅というの」
「き、桐谷……桐谷紬(きりたにつむぎ)……」
消え入りそうな紬の声。
気のせいか、自分を避けているような気がする。
無理強いをするのは嫌なので、他の人を誘うことにした。
――でも、私と距離を置こうとするのは、紬だけではなかった。
誰に話しかけても視線を外され、取り付く島もない。
(おかしいわ……)
自分は人に嫌われるタイプではない。
今までも上手くやってきたつもりだ。
……それなのに……。
クラスメイトが楽しそうにお喋りをする中、私は初めて一人で昼食を食べた。
ばふん!!
「あーん! もう!」
家に戻ると一日の疲れがどっと出て、すぐにベッドにダイブした。
「ふみゅー! あの学校でやっていけるのかしら?」
前の学校も女子高だったから、なんとなく様子はわかっている。
自分が何かやらかしたとは思えない。
まだ初日なのだ。
焦らず様子を見ることにした。
翌日になっても皆よそよそしかった。
でも、嫌われてはいない気がする。
むしろ怖がられているようだ。恐る恐るこちらを伺っているのが分かる。
でも……なぜ? 自分が何をしたというのか?
昼食を一人で食べているのは、私一人ではなかった。
静かに食べる紬をチラ見する。
紬は可愛らしい少女だった。
色白の肌に苺のような唇。
静かな夜の湖のような瞳。
小柄で華奢な体つきに細い指。
おさげにして置くのが惜しいほどの艶やかな黒髪。
まるで、精緻に組み立てられた人形のようだ。
「桐谷さん。あだ名ってある?」
「……いいえ……」
紬が小さく首を横に振る。
「じゃあ、紬ちゃんって呼んでもいい? 私のことは、沙羅って呼んで欲しいな?」
「……そ、そんな……そんなことしたら、貴女まで……」
(私まで?)
彼女に話しかけると、自分に何が起こるというのだろうか?
放課後、再び紬に話しかける。
他のクラスメイトは視線も合わせてくれないけど、彼女は返事をしてくれるから。
「紬ちゃんの家は学校の近く?」
紬がこくりと頷いた。
「一緒に帰らない?」
「……ぇ……ぇぇ?」
相変わらず引き気味。
だが、放って置いてはいけない。
理由は分からないがそんな気がした。
「それにね。今度、家に遊びに来てね」
「い、いいの!?」
突如身を乗り出す紬。表情に力が入り、語気も強い。
「……え!?」
今度はこっちが引いてしまった。何が起こったのだろう?
アップダウンが激しすぎる。落ち着いた子だと思っていたのに。
「……ごめんなさい……」
いつもの囁くような声。
「ううん。本当に遊びに来てね。でも、少し先かな? 引っ越しの片づけが終わっていないの」
「ありがとう……」
紬が嬉しそうに言いかけた時だった。
「有宮さん! 一緒に帰らない!?」
甲高い声に振り返ると、三人くらいに囲まれた、綺麗だけど気が強そうな子が立っていた。
「自己紹介がまだだったわね。私、松坂麗奈(まつざかれな)! よろしくね!」
「ごめんなさい。今日は紬ちゃんと帰るわ」
強引過ぎる誘いを、やんわりと断る。
私は紬と話しているのだ。断りもなく入ってくるのは失礼だと思う。
だが、
「さ、さようなら!」
紬が逃げるように教室から出て行った。
顔は青ざめ、苺のような唇をきゅっと噛みしめている。
何が起こっているのか?
唖然とする私の手を麗奈が強引に掴んだ。
「さあ! 一緒に帰りましょう! あんな人放って置けばいいのよ!」
「で、でも……」
断る理由が見つからないまま、私は麗奈に手を引かれて教室を出た。
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