第25話「聖王逃亡」

 六月四日。

 神聖ロセス王国の聖都ストウロセスで大規模な暴動が起き、多くの市民が命を落とした。


 カダム連合の船に密かに潜伏していたヴァンパイアロードのアードナムは、その様子を使い魔であるカラスの目を通じて見ていた。


(これは酷い。だが、この情報は吾輩自らが陛下に報告せねばならぬな……)


 相棒であるアークデーモンのルッカーンにそのことを話す。


聖騎士パラディンたちが民を害した。この状況は陛下が望まれていたものであり、吾輩が直接報告に行くべきものと考える」


「うむ。確かにその通りだ。こちらのことは我に任せておけ。貴殿は大至急、陛下の下へ」


 アードナムは霧化のスキルを使って抜け出すと、聖都を包囲するグラント帝国軍の本陣に急ぎ向かう。


 本陣に入ると上司である諜報官、天魔女王アギーに会い、報告を行った。

 アギーは概略を聞いたところで報告を止める。


「これはあなたの言う通り、至急陛下に報告すべき案件ね。わたくしと一緒に来なさい」


 アギーはそのままラントの天幕に向かった。

 ラントはすぐに謁見を許可する。


「後ろにいるのはアードナムだな。君が来たと言うことは聖都で大きな動きがあったということか?」


 その問いにアギーが答える。


「ご明察の通りですわ。聖都で大規模な暴動が起き、多くの市民が命を落としたようです。アードナム、陛下に詳しく報告なさい」


 アードナムは「はっ!」と言って頭を下げ、すぐに報告を始めた。


「陛下のご指示通り、カダム連合軍を使い、混乱を与えましたところ、民たちが暴動を起こしました。当初は民たちだけでしたが、守備隊の一部も加わり、戦闘が激化していきました。そこで聖騎士たちが現れ、市民たちに剣を向けました」


「聖騎士で間違いないのだな」


「あの装備は聖騎士の物で間違いございません。民たちも聖騎士がなぜと言っておりました」


「うむ。それでどの程度の被害が出たのか」


「詳細は分かりかねますが、見ていた範囲では最低でも百人規模の死者が出たと思われます」


「そうか……」と言ってラントは考え始める。


 しばらく沈黙した後、ラントは早口で話し始めた。


「アードナムよ。済まぬがもう一度聖都に戻り、ある情報を流してくれ」


「御意。いかなる情報でございましょうか」


「これより天翔兵団の残りをすべて東へ移動させる。それも慌てた感じで。他にも駆逐兵団と轟雷兵団の一部も急ぎ移動させる。そこで君は、帝国軍の飛翔部隊がすべていなくなったこと、帝国で何かが起きたようだという情報を流してほしい」


 そこでアードナムは大きく頭を下げる。


「承りました。聖王が逃げ出すように誘導すると理解いたしました」


 ラントは「その通りだ」と言って笑顔で大きく頷く。


「さすがは私の最も信頼する諜報員だ。目的を理解して行動することの重要さをよく分かっている」


 ラントに褒められ、アードナムは「ありがたきお言葉」と言って青白い頬を紅潮させる。


「これが上手くいけば、神聖ロセス王国の占領とトファース教の権威失墜は成功したも同然だ」


「御意。命に換えましても成功させて見せまする」


 決意を表明するアードナムにラントは軽い口調で嗜める。


「気持ちはありがたいが、無理はするな。作戦の成功も重要だが、君たちの命の方が私にとっては大事なのだからな」


「もったいなきお言葉……」とアードナムは声にならない。


 そこでアギーが声を掛ける。


「陛下のお言葉を肝に銘じ、作戦に当たりなさい」


「はっ! ではこれにて」と言ってアードナムは天幕を出ていった。


「素晴らしい働きだな。これも君が諜報官としてしっかりやってくれるからだ。感謝するぞ」


「もったいないお言葉ですわ」とアギーは顔を赤らめる。


「では、ゴイン、タレット、カヴァランを呼んでくれ。先ほどの作戦について説明したい」


 すぐに駆逐兵団長である鬼神王ゴイン、轟雷兵団長である巨神王タレット、天翔兵団の副団長、ロック鳥のカヴァランが天幕に現れる。


 ラントは状況を簡単に説明し、作戦を伝えると、三人はすぐに理解し、部下たちに命令を出すため天幕を出ていった。


「これでこの包囲戦も終わりだな」とラントは独り言を呟いた。


■■■


 聖王マグダレーン十八世は大聖堂の窓から見える光景に、自分の出した命令を悔いていた。

 彼の眼には多くの市民の死体が映っており、負傷者の呻き声と救助者の怨嗟の声が彼の耳にも微かにだが届いていたのだ。


(怒りに任せて命じたのは失敗だった。民たちの恨みを買ってしまった。ここにいては魔族に殺される前に民に殺されてしまうだろう。かくなる上は無理をしてでも脱出するしかない……)


 そんなことを考えていると、側近である大司教レダイグが現れた。普段の礼儀正しさが消え、慌てた様子で話し始める。


「魔族軍のグリフォンたちが慌てた様子で東に向かっていきます!」


 その言葉に東の空が見える窓に向かった。

 レダイグの言う通り、数十体のグリフォンらしき魔物が猛スピードで飛び去っていく姿を目にする。


「確かに……何が起きたのだ?」


 更にフェルディ枢機卿も慌てた様子で部屋に駆け込んでくる。


「魔族軍の一部が急いで移動しております。本陣でも慌ただしく人が出入りしておるとのことです!」


「魔族の国か、東の地で何かあったようですね。これは千載一遇の機会かもしれません」


 レダイグの言葉に聖王とフェルディが同時に頷く。


「何が起きたのかは分からぬが、この機を逃すわけにはいかぬ。直ちに準備を始めよ! 日が落ちたらすぐに聖都を離れる」


 聖王の言葉に二人は頷き、慌ただしく出ていった。

 一人になった聖王は大きく息を吐き出した。


(これで生き延びることができる。護衛が天馬騎士団ペガサスナイツと勇者たちだけになるが、致し方あるまい……)


 本来の計画では高速船とペガサスを使う予定だったが、状況が逼迫しているため、ペガサスのみで空から逃げるつもりでいる。そのため、主力である聖騎士パラディンたちを置き去りにするしかなかったのだ。


(勇者がいれば、他国に対しても言い訳はできるし、向こうも無下には扱えぬはずだ。何といっても史上最悪の魔帝、ラントを倒すには勇者の力は絶対に必要なのだから……)


 バーギ王国の飛竜騎士団がもたらした情報により、聖王はラントが今までの魔帝と同等以上の戦闘力を持ち、更に千里眼のようなスキルを持っていると勘違いしていた。


 勇者だが、アストレイの戦いでユーリが死亡したことにより、勇者候補の中から次の勇者が現れていた。

 その名はバーンと言い、十九歳の若者だ。


(バーンは正義感が強く、勇者を体現したような性格だ。惜しむらくはまだオルトやロイグほどの力を持っていないことだが、これも他国で訓練に励めば解決できる……)


 バーンは剣聖のスキルを持つが、スキルが発現したのが僅か三年前ということもあり、ようやく迷宮での修行を終え、聖剣キルベガンが与えられたところだった。


 能力的には同じ剣聖であったロイグの足元にも及ばないが、半年で三人の勇者が命を落としたことで、彼程度の能力の候補しかいなかったのだ。


 聖王はバーンを呼び出す。


「魔族の包囲が弱まった。私は今晩脱出するが、君も同行するように」


 その命令に対し、バーンは唖然とした表情を浮かべた後、怒りに満ちた表情で反論する。


「陛下のお言葉とは思えません! 聖都にいる民たちを見捨て、ご自分だけ逃げ出そうとおっしゃるのですか!」


 正義感の強いバーンに正論をぶつけられ、聖王は一瞬たじろぐが、すぐに穏やかな表情で説得を試みた。


「命が惜しいから脱出するのではない。この状況で籠城を続けても民たちに犠牲を強いるだけで勝利は覚束ない。一度、態勢を立て直すために涙を呑んでここを離れるのだよ」


「それではここに残る者たちが魔族に殺されるかもしれません。それでもよいというのですか!」


 バーンはトファース教団の説明を鵜呑みにし、帝国軍が大虐殺をすると信じていた。


「私が得た情報によると、今回の魔帝は降伏した民に寛容だ。餓死者が出る前に降伏する方がよいのだ」


「では、なぜ陛下がそれを行わないのですか! 私は勇者として魔帝ラントを倒します! ですから、ここから逃げることはありません!」


 バーンはそれだけ言うと、聖王の下から立ち去った。

 残された聖王はバーンの勝手な言い分に腹を立てるが、説得できるとは思えなかった。


(無礼な奴め! まあよい。どうせ奴はすぐに死ぬ。他の候補を連れていけばよいだろう……)


 その夜、日付が変わった頃、聖王は一千騎の天馬騎士と共に聖都を密かに脱出する。

 帝国軍からの攻撃もなく、無事に聖都を離れると、聖王は安堵の息を吐き出した。


(ここまでくればもう大丈夫だろう。それにしても助かった。魔族に何か起きたのは本当だったようだな……)


 聖王たちは翌日の六月六日にカダム連合の港町、エドラスに到着した。

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