第24話「虐殺事件」
六月二日。
カダム連合の増援部隊を指揮する傭兵ミクターは、神聖ロセス王国とカダム連合の対応の拙さに苛立っていた。
(魔族軍が来ることは分かっていたはずだ。王国は何も手を打たないし、連合もさっさと見切りを付ければいいものをダラダラと撤退を延ばした。そのお陰でこの町は包囲され、逃げられなくなっちまった……)
彼は一万人の増援部隊を預かっており、今の状況が危機的であり、すぐに撤退すべきだと連合の責任者に訴えていたが、認められなかったのだ。
(手持ちの食糧はあと五日分ほどしかない。王国軍も同じくらいだろう。それより先に民衆の食糧が明日にでも尽きるはずだ。飢えた民衆が暴動を起こしたらどうするつもりなんだろうな。まあ、俺たちは一切関与するつもりはないが……)
ミクターが不安に感じていたのは、グラント帝国の諜報員アードナムが流した情報のためだ。
アードナムはカダム連合の外交官の一人になりすまし、彼に情報を流していた。
(しかし外交官のアードナム殿だが、奴は優秀だな。アストレイの戦いで王国軍が戦う前から大敗北すると予想していたし、今回のことも意外には思っていなかった……)
二日前の五月三十一日の夜、ミクターはアードナムに呼び出された。
「貴殿は捕虜になった聖トマーティン兵団の兵士について聞いているか?」
「いえ、聞いておりませんが」
ミクターは何のことか分からず首を傾げる。
「先ほど捕虜の返還の話があったらしい。だが、聖王は受け入れなかった。いや、それどころか、命懸けで戦った兵士に矢を射かけたと聞く」
「そんなことが……」と何も知らなかったミクターは驚きを隠せない。
「聞いた話では捕虜たちは聖都の城壁を見ながら涙を流し、家に帰りたいと何度も訴えたそうだ。それでも聖王は認めず、捕虜たちは町から離れていったというのだ」
ミクターは疑問を感じた。
「今は一兵でも欲しい時なのに、なぜなんでしょうか?」
「王国は捕虜たちが魔族に操られていると言っているが、実際には違う。どうやら食糧が足りなくなることを恐れたらしいのだ。私が調べたところでは、あと三日もしないうちにここ聖都から食糧がなくなる」
一万人の兵士を預かるミクターは途方に暮れた表情になる。
「あと三日ですか! 我々はどうすれば……」
「増援の食糧や消耗品は王国が用意することになっている。その約束を盾に取り、王国軍から充分な量の食糧を確保するのだ」
ミクターはその指示に従って、王国軍の補給部門に掛け合い、七日分の食糧を確保し、自分たちに与えられた兵舎に運び込んだ。
このことは多くの王国軍兵士や市民たちが見ており、食糧に不安があることが知れ渡った。
ミクターはアードナムが情報を持ち、指示も的確であることから、頻繁に会うようになる。
その都度、王国に関する情報を得ることができ、聖都が危機的な状況にあることが分かった。
(アードナム殿は魔族軍に一切抵抗せず、降伏することが一番だと言っていたな。確かに噂を聞く限り、魔族軍に降伏すれば死ぬことはないだろう。それに王国軍の捕虜ですら解放されたんだから、俺たちもすぐに解放される。ならば、彼の言う通りにするのが吉だな……)
アードナムは民衆の暴動が近いこと、それを機に聖王がこの町から脱出することなどを伝えていく。
ミクターはその話の裏を取るため、聖都の守備隊の指揮官に話を聞いた。
さすがに明確に認めることはなかったが、守備隊も近日中に暴動が起きることは確実で、その際、どちらに立つかを迷っているように見えていた。
(守備隊が民衆に付けば、聖王は逃げ出そうとするはずだ。既に龍たちの姿はない。
ミクターは城壁の防御に立ったことはないが、上空に龍の姿がなく、グリフォンの数も大きく減っていることには気づいていた。
ミクターは部下である隊長たちに密かに指示を出した。
「この町でもうすぐ暴動が起きる。その時、大聖堂から暴動鎮圧の指示が来るが無視しろ」
一人の隊長が疑問の声を上げた。
「よろしいので? 国からは王国の指示に従えと言われていますが」
「構わん。我々の任務は王国軍と共に魔族軍を倒すことだ。王国の治安維持は任務にない。それに民に剣を向ければ恨みを買う。本国も現場の判断を支持してくれるはずだ」
このこともアードナムを通じたラントの指示だった。
六月三日、アードナムの予想通り、食糧が乏しくなった市民の一部が大聖堂に集まった。
まだその時は食べ物を分けてほしいと緩やかな依頼だったが、トファース教団はそれを拒否し、市民を追い払った。
その翌日の四日には、一万人を超える市民が大聖堂や王国軍本部の前で食料を要求する。
「子供や年寄りが弱っていくんだ! 何とかしてくれ!」
「大聖堂には食糧があるって聞いたぞ! それに大司教以上が毎日宴会を開いているっていう噂もある! そんな余裕があるなら俺たちに分けてくれ!」
宴会の話はアードナムが流したデマで、市民たちは飢えへの不安と教団への不信感から、そのデマを信じた。
カダム連合軍にも鎮圧の要請が来たが、ミクターは断った。逆に食糧があと一日分しか残っていないことから、自ら大聖堂に赴き、聖王に直談判する。
「我らは貴国の要請に従い兵を派遣しました。その際の条件には貴国が食糧や消耗品を支給するとあったはず。約束通り、食糧を支給していただきたい」
聖王は苦虫を噛み潰したような表情で彼の言葉を聞いていた。
聖王に代わり、枢機卿のフェルディがミクターを宥める。
「確かに貴殿の言う通りだが、我々にも充分な食料がないのだよ。申し訳ないが、手持ちの分で凌いでいただけまいか」
「凌ぐとおっしゃるが、いつまで待てばよいのですかな? 貴国に打つ手があるようには思えんのですが」
痛いところを突かれ、フェルディは言葉を失う。
「お答えいただけないようだ。我々は貴国の民に剣を向けるような事態は望んでいない。よって、我が軍は魔族軍、いや、グラント帝国軍に降伏させていただく」
「ま、魔族に降るとおっしゃられるのか!」とフェルディが声を張り上げる。
「他の選択肢があるなら提示していただきたい」
ミクターがそう迫るが、フェルディは再び言葉を失う。
聖王はミクターを睨み付けるが、何も言えずに黙っている。
ミクターは聖王に軽く頭を下げると、踵を返して謁見の間から出ていくため歩き始める。しかし、数歩歩いたところで立ち止まり、振り返った。
「老婆心ながら言わせていただくが、貴国も早く決断されることだ。市民たちの怒りの炎が消せぬほど大きくなる前に。既に手遅れかもしれませんが」
それだけ言うと、そのまま出ていった。
残された聖王は怒りに打ち震え、豪華な椅子のひじ掛けを叩く。
「無礼な奴め!」
しかし、具体的な指示を出すことはなかった。
大聖堂から退出したミクターはすぐにカダム連合の外交責任者のところに向かい、帝国軍に降伏する旨を宣言する。
責任者が降伏を認めないと言ったが、ミクターは軍に関することは自分の責任であると突っぱねた。
カダム連合軍はすぐに兵舎を出発し、城門に向かった。
城門では命令もなく開けられないと言われるが、力ずくでも通ると脅し、一触即発の状態になる。
その様子を市民たちが見ていた。
「カダム連合の連中は降伏するためにここから出ていこうとしているらしい」
「大聖堂の連中は彼らに俺たちの鎮圧を命じたそうだが、それを拒否したら食い物が届かなくなったんだそうだ」
「ってことは大聖堂や兵舎には食い物があるって言うことか?」
これもアードナムが流した噂だった。市民たちはその情報に踊らされ、大聖堂に詰めかけた。その数は一万人を優に超え、大聖堂前の大通りは埋め尽くされ、更に周囲の路地にまで人で溢れかえっていた。
その数に力を得た市民の一部が投石をしながら叫び始める。
「自分たちの分は確保しているんだろ!」
「俺たちにも食い物を分けろ!」
そして、本格的な暴動にまでエスカレートしていった。
鎮圧に向かった守備隊の兵士の中には市民に武器を向けることができず、暴動に加わる者まで出始める。彼らも情報に惑わされ、聖王が贅沢三昧をしていると思っていたためだ。
大聖堂の前では兵士同士が戦う内乱の様相を呈していた。
その様子を上から見ていた聖王は守備隊では埒が明かないと考え、
「あの無礼な者たちを排除せよ! 少々手荒であっても構わぬ」
「陛下! それでは火に油を注ぐことになりますぞ!」
フェルディがそう言って止めるが、聖王は「うるさい!」と言って命令を撤回しなかった。
この時聖王は怒りで周りが見えなくなっていた。
聖騎士たちは聖王の命令に忠実に従い、市民たちを斬り殺していく。
数こそ少ないが、圧倒的な戦闘力を誇る聖騎士たちが容赦なく剣を振るい始めたため、市民たちは逃げ出そうとした。しかし、人数の多さが災いし、多くの市民が転倒し、逃げる人々に踏まれて死亡する。
これが後に“大聖堂前の虐殺”あるいは“六月四日の虐殺”と呼ばれ、トファース教最大の汚点と言われることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます