第26話「聖都陥落:前篇」

 六月五日。

 日付が変わった頃、就寝していたラントを側近であるフェンリルのキースが起こす。


「お休み中のところ申し訳ございません。斥候隊より、天馬騎士団ペガサスナイツと思しき集団が聖都より飛び立ちました。確認はできておりませんが、聖王とその家族らしき者の姿があったとのことです」


 ラントはその言葉で眠気が一気に飛んだ。


「ようやく動いてくれたか……よろしい。では、天馬騎士たちがどこに向かったか、引き続き探ってほしい。それから潜入しているアードナムに聖王が逃げたという噂を流すよう指示してくれ」


 キースは「御意」と言ってラントの天幕から出ていく。


(これで聖都は陥落する。あとはトファース教をどうするかだな……)


 ラントは簡易寝台に横になりながら、今後の計画を立てていった。


 朝になり、鬼神王ゴイン、巨神王タレット、天魔女王アギーを呼び出す。


「聖王が逃げ出したようだ。今日は忙しくなるぞ」


 ラントは笑顔でそう言うと、三人も笑みを浮かべる。


「これでようやく終わりだな」とゴインが言うと、タレットも静かに頷く。


「まだ終わりではありませんわ。後始末もありますし、トファース教をどうするかが残っておりますもの」


「天魔女王の言う通りだ。聖王のお陰でトファース教の信用は大きく損なわれたが、主力である聖騎士パラディンたちが残っている。彼らが市街戦を仕掛けてくると面倒だ。それに市民たちの教団に対する忠誠心がどの程度残っているかで対応が変わる。その辺りも調べなければならないだろうな」


「具体的にはどのように?」とタレットが質問する。


「既に聖王が逃げ出したことが噂になるよう指示してある。市民たちが騒ぎ出す頃を見計らって降伏を促すつもりだ。今回は責任者がいないから、すぐには決まらないだろうが、既に食料が尽きている。向こうもいたずらに引き延ばすわけにもいかないだろう」


わたくしも陛下のお考えに賛同いたします。恐らく今日の午後には降伏を申し出てくると思いますわ」


 アギーの言葉にラントが頷く。


「恐らくそうなるだろう。城門が開かれたら王国軍とカダム連合軍の武装解除を行う。先ほども言ったが、聖騎士たちが抵抗する可能性がある。駆逐兵団には細心の注意をもって当たってほしい」


「承知」とゴインは頷く。


「恐らく勇者は聖王と一緒に脱出していると思うが、最初にその確認を頼む。轟雷兵団は各城門で待機し、聖騎士たちが脱出しようとしたら阻止してくれ……降伏したら市民たちに食糧を与えなければならない。その準備も頼む……」


 ラントはゴインたちに具体的な指示を出していった。


 朝食後、ラントは城門の前に行き、拡声の魔法を使って降伏勧告を行った。


「既に食料が尽きていることは知っている。これ以上無駄に籠城することは市民たちの命に関わる! 聖王マグダレーンは自らの責任を放棄し、民を見捨てて逃げ出した! これ以上無駄な抵抗する必要はない! 直ちに門を開き、降伏することを勧告する!」


 ラントが放った聖王逃亡の言葉に、聖都守備隊の兵士たちは諦めに似た表情を浮かべている。


「陛下が逃げ出したか……まあそうだろうな」


「昨日の虐殺のこともある。逃げ出してもおかしくはないだろう」


「聖者様のお陰であれ以上の死者は出なかったが、陛下は怪我人に手を差し伸べなかった。この町を見捨てても不思議じゃない」


 大聖堂前の虐殺事件では、市民五百人以上が死亡し、三千人近い負傷者を出している。負傷者たちは聖者クラガンが手配した治癒師によって治療を受けていたが、聖王と教団上層部は積極的に救済の手を差し伸べていない。


 被害者の家族を中心に噂が広がっており、下級兵士や市民たちの間に大聖堂に対する不信感が強まっていた。



 カダム連合の増援軍を指揮するミクターの耳にも聖王が逃げ出したという情報が入った。

 カダム連合軍は昨日、自分たちだけで降伏しようとしたが、聖騎士隊が出動したという連絡を受け、投降を諦めている。


(聖王が逃げたのなら、俺たちの仕事は完全になくなったな。あとは聖騎士たちがどう動くかだが、奴らの中には狂信者がいるから何をするか分からん……こっちとしては既に食料も尽きていることもあるし、すぐにでも降伏したいんだがな……)


 ミクターは大聖堂に部下を派遣し、王国の動向について情報収集を行うよう命じた。

 すぐに部下が戻ってきた。


「大聖堂は大混乱です。聖王に見捨てられた枢機卿や大司教たちが魔族に降伏したら自分たちはどうなるのかと話すだけで、誰が指揮を執っているかすら、分からない状況です」


「聖騎士たちはどうしている?」とミクターは確認する。


「聖堂騎士団の本部に集まっているようですね。そちらにも顔を出してみましたが、門前払いでした」


 ミクターはその情報を聞き、考え込む。


(聖騎士たちが出てこないなら、すぐにでも魔族軍、いや、グラント帝国軍に降伏した方がいい。問題は城門を開けてもらえるかどうかだが……アードナム殿に相談してみるか……)


 ミクターはアードナムに相談するため、港に向かった。

 すぐに面会は叶い、状況を簡単に説明した後、助言を求める。


「すぐにでも降伏したいのですが、聖騎士たちの動向が掴めません。どうしたらよいでしょうか?」


「まずは聖王に面会を求めるのだ。理由は食糧の供給が滞ったことについての抗議でいいだろう」


「しかし、聖王は既に脱出したという噂ですが?」とミクターは疑問を口にする。


「無論その情報は掴んでいる」とアードナムは頷き、更に説明を加えていく。


「我が国の派遣した増援軍が危機的な状況にあるが、責任者である聖王に会うことすらできん。これは国家間の信頼関係を損なう事態であり、我が軍は勝手にさせてもらうと言って、強引に城門を開ければよい。数で脅せば、守備隊も開けざるを得ぬ」


「守備隊は数で脅せばよいですが、聖騎士たちは何をしてくるか分かりません」


「聖騎士たちが動くにしても情報が届かねば動きようがない。奴らに情報が届く前に門を開けさせるのだ。聖都の外に出てしまえば、聖騎士隊も手の出しようがない」


「なるほど。時間との勝負ということですな」とミクターは納得する。


 ミクターはアードナムの指示通り、大聖堂に赴き、聖王への謁見を求めた。

 枢機卿の一人がその対応に当たったが、当然のことながら謁見は不可という答えが返ってくる。


「では、約定通り食料の供給を願いたい。我が軍の食糧は既に尽きているのだから」


「いや、それは……我々もお渡ししたいのは山々なのだが……」


「言い訳は聞きたくない。陛下にお会いすることもできぬ。国家間の約定を破る。このような状況で貴国に協力することはできない。我々はこの町から出ていかせていただく」


 ミクターはそう宣言すると、大聖堂を出ていった。

 カダム連合軍はミクターの命令を受け、すぐに城門に向かう。


 門には聖都守備隊の一個中隊が警備に当たっていた。


「我々はこの町を出ていく。門を開けてもらおう」


「お待ちください! 門を守れという命令に背くことはできません!」


「その命令を出した聖王陛下がおられぬのだ。逃げ出したとは思いたくないが、許可をいただこうにもお会いすることすらできん。だから勝手に出ていかせてもらう」


 彼の後ろには完全武装の兵士一万人がおり、中隊長はその迫力に負け、城門を開いた。

 町の外には帝国軍が展開しており、カダム連合軍の兵士たちは予め言われていた通り、武器を捨てた。


 ミクターも自ら武装を解除し、投降する旨を伝える。


「カダム連合軍は魔帝ラント陛下に降伏する! 寛大なる処置を望むものである!」


 ミクターの声が響くと、ラントは兵士たちの間をゆっくりとした足取りで歩き、前に出ていく。


「私の指示に素直に従うなら、降伏を認めよう!」


 ミクターは即座に跪き、「陛下のご命令に従います!」と回答する。


「よろしい! 貴軍の降伏を認める! 指揮官殿はこちらに来てくれ」


 カダム連合軍が降伏したことはすぐに聖都に広まった。

 既に食料が尽き、飢えている市民たちは我先にと開かれた城門に向かう。守備隊も同じように持ち場を離れ、それに続いた。


 城門から出た市民たちはその場で跪いて頭を下げる。

 代表者の一人が声を張り上げた。


「魔帝陛下に申し上げる! 我々は抵抗いたしません! 何卒、我らにお慈悲を!」


 ラントは満足げな表情を浮かべるが、すぐに真面目な表情に切り替える。


「私に忠誠を誓うということでよいのだな!」というラントの問いに、市民たちは一斉に頭を下げ、「誓います!」と叫ぶ。


「よろしい。では、食事が用意してある。十分な量があるから、慌てずに配給を……」


「「おお!!」」


 ラントの言葉が終わる前に市民たちは歓声を上げた。

 その姿にラントは苦笑する。


 この話もすぐに聖都中に広がった。食糧を与えてもらえると聞き、市民たちは城門を出て、ラントに忠誠を誓っていく。


(これで聖都は陥落したな。市民たちの忠誠度はまだ三十ほどだが、一応帝国の支配地域になった。しかし、まだトファース教の上層部と聖騎士たちが降伏していない。どうしたものか……)


 ラントが危惧しているのはトファース教団上層部の暴走だった。

 聖騎士隊は僅か七百名ほどで、帝国軍の敵ではないが、教団が暴走し市民を攻撃すると、大惨事になりかねない。


 ラントは延々と続く市民の列を見ながら、最後の仕上げをどうするか考えていた。

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