第19話「安堵」
傭兵隊長ダフ・ジェムソンを配下に加えた後、更に他の捕虜の尋問を行ったが、一介の兵士ばかりで役に立つ情報は得られなかった。
ラントは捕虜たちを一ヶ所にまとめた後、帝国軍に野営の準備を命じ、王国軍の指揮官が使っていた天幕に入っていく。
彼の後ろには魔獣族のフェンリルで執事兼護衛のキースとエンシェントエルフのメイドであるエレン、そして古龍族のローズがおり、一緒に天幕に入った。
ローズは正式な護衛ではなく、帝都からただ付いてきただけだが、最初こそ疑問を感じたラントも丸一日以上一緒にいるため、特に違和感を持つことなく、護衛として認めている。
ラントは後ろに控えるキースに対して声を掛けた。
「明日の朝、ブレア城に帰還するが、ダフも一緒に連れていく。その手配を頼む」
「御意」と言ってキースは頭を下げるが、彼にしては珍しくやや不満げな表情だ。
ラントは同じ魔獣族のグリフォンに人族を乗せることが不満なのだろうと考えた。
「ダフを乗せる者には私から直接話をする。あの男はこの先の帝国の戦略に大きな影響を与えるだろう。不満はあろうが、私のために背中を貸してやってほしいと頼むつもりだ」
「ありがとうございます。ですが、それには及びません。私から陛下のお言葉を伝えておきますので」
「そうか……」とラントは答えるが、出発の時に声を掛けようと心に決める。
そして、話題を変えた。
「全員が帰還した後、祝宴を行うつもりだ。その旨をブルックに連絡しておいてくれ。あと明後日に長たちを集めて会議を行う。内容は今後の防衛体制についてだ。そのことを各部族に伝えてくれ」
「はっ!」とキースは答え、その場を離れた。
ラントは折り畳み椅子に深く座ると、後ろに控えるエンシェントエルフのメイド、エレンに声を掛けた。
「戦士たちに声を掛けてくる。ラディに護衛のため付いてくるよう伝えてくれ」
「承りました」とエレンは答えるものの、「お疲れではございませんか?」と遠慮気味に聞く。
ラントは朝から慣れない戦場にいたため、顔色が悪かったのだ。
「疲れてはいるが、私はロバートに乗って移動しただけだ。山道を進み、戦った戦士たちの方が疲れているはずだ。私が声を掛けることで彼らの疲れが少しでも和らぐのならどうということはない」
彼は帝国の戦士たちが魔帝に対して異常なほど敬意を抱いており、自分が声を掛けるだけで忠誠度が跳ね上がることに気づいた。早期に帝国を掌握するためには多少の無理は仕方ないと考えたのだ。
簡単な食事を摂った後、野営している各部族の戦士たちに声を掛けていった。勝利と合わせて、戦士たちの忠誠度は七十を超え、ラントは安堵する。
(これで当面は大丈夫だ。あとは早急に防衛体制を考えないと……)
王国軍の指揮官が使っていたテーブルに両肘をつくと、目を瞑って国境防衛体制の案を考えていく。
(ネヴィス砦で迎え撃つのはいいが、偵察と連絡の体制をきちんとしないといけないな。そのためには飛行部隊を砦に常駐させて定期的に偵察を行うことと、敵発見の時の連絡体制を整えるべきだ。連絡の手段は飛行部隊と妖魔族の転移魔法以外にないんだろうか……)
妖魔族の長アギーを呼び出した。
「魔法について聞きたい。まず、時空魔法についてだ。妖魔族は転移魔法が得意と聞いたが、どの程度の距離の移動が可能なのだろうか」
その問いにアギーが恭しく一礼した後、答える。
「
「凄いな。ちなみにその移動を行うのに、どれくらいの時間が掛かるんだろうか?」
「座標の調整などがございますが、十分もあれば終わりますわ」
「十分で五百キロ弱……本当に凄いな」
ラントが称賛すると、アギーは妖艶な笑みを浮かべる。
「まあ、君は別格なんだろうが、一般的な妖魔族の魔導師ならどの程度だろうか?」
「そうですわね。序列百位程度の者でしたら、私の半分ほどの距離でしょうか?」
「それでも二百四十キロか……転移と飛行を組み合わせたら、ここから帝都までどのくらいの時間で到着できるか、調べておいてほしい」
「承知いたしました」と言って、アギーは優雅に頭を下げる。
「ちなみに遠く離れた場所に情報を送る方法はないだろうか。例えば、転移魔法の応用で手紙のようなものを送るとか、使い魔のようなものを使うとか」
「転移魔法の応用ですか? 今はございません。使い魔の召喚も可能ですが、魔獣族の飛翔可能な者の方が速いと思います」
「私の世界には音や映像を遠方に送る機械があったが、それに似たものはないだろうか」
「それはどのような物なのでしょうか?」
そう言いながらアギーは前かがみになる。深い胸の谷間が見え、ラントは一瞬気後れするが、すぐに気を取り直す。
「電波という目に見えない光のような物を使って情報送るんだが、私は技術者じゃなかったから、詳しい説明はできない……念話が近いかもしれないが、距離は数万キロ離れていても送ることができたな」
そう言いながら、端末と基地局、ネットワークセンターのイメージを紙に描いて説明していく。
「オードが興味を持ちそうですわ。彼は新たな魔法の研究のために存在を続けているようなものですから」
死霊族の長、ノーライフキングのオードは元々古代の魔法研究者で、研究を続けるために自らアンデッドになった。
彼の部下たちの多くも同じように研究に従事しており、そのことをアギーは指摘する。
「そうだな。戻ったらオードにも話してみよう」
アギーは微笑みながら頷くと、話題を変えた。
「お休みにはなられませんか?
その言葉にラントは「な、何を言っている……」と絶句する。
「サキュバスは殿方を癒すことも得意なのですよ」と言って立ち上がり、ラントの後ろに回る。
ラントが慌てていると、後ろに控えていたローズが「はしたない。やめろ!」と声を上げる。
「あら、陛下を認めなかったあなたに、そのようなことを言う権利はあるのかしら?」
「な、何を言っている! わ、私は……」と言葉にならない。
「では陛下、寝台に参りましょう。天に昇るような癒しを差し上げますわ」
そう言ってラントの腕を取った。何とも言えない甘い香りが彼の鼻腔をくすぐり、思考が停止する。
「陛下がお困りです、アギー様。これ以上のお戯れはおやめください」
キースが毅然とした態度で言った。
その言葉でラントもようやく我に返ることができた。
「い、いや、今はやめておく。天幕もなく野営している戦士たちに悪いからな」
ラントの言葉にアギーは意外そうな表情を一瞬浮かべるが、すぐに元の妖艶な笑みを浮かべる。
「それは残念ですわ。では、帝都に戻りましたら」
そう言って天幕を出ていった。
ラントは大きく溜息を吐く。
(今のはヤバかった。サキュバスの種族特性なのかもしれないけど、一瞬何も考えられなくなった……)
その様子を見ていたローズが「鼻の下を伸ばしているんじゃないわよ」と文句を言い、エレンが「陛下に対して失礼ですよ、ローズさん」と注意する。
気疲れしたラントはそのまま寝台に向かった。
翌朝、ラントは捕虜たちを解放すると、アークグリフォンのロバートに乗り、飛行部隊と共にブレア城に帰還した。
城に到着すると、残っていた戦士たちが熱烈に祝福する。
「「ラント陛下、万歳!」」
「「帝国軍、万歳!」」
そんな声に片手を上げて応えながら、城代のブルックと握手をする。
「鬼人族の働きによって帝国は救われた。感謝する」
その言葉にブルックが「ありがたき幸せ」と声を震わせる。
これまでの魔帝はほとんど部下を労ったことがなかったため、言葉を掛けられるだけでも涙が出るほどうれしかったのだ。
「戦勝の式典は予定通り今夜行うが、準備は大丈夫か? もちろんできる範囲で構わないが」
「ご懸念には及びません。大した料理は準備できませんでしたが、夕方には滞りなく準備は終わる予定です」
ブレア城ではラントの命令を受けた後、ほぼ全員が準備に志願していた。
午後になると、足の速い魔獣族部隊が続々と帰還してくる。
ラントは最後の鬼人族部隊が帰還するまで、城門で戦士たちを出迎え続けた。
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