第10話「飛行」

 全軍に出発を命じたラントはアークグリフォンのロバートに騎乗することが決まった。

 装備を整えている間にロバートが少し離れた場所に移動する。


「では、人化を解きます」


 その言葉の直後、一瞬にして巨大なグリフォンが姿を見せた。


 体長は尾を除いて五メートルほど。鋭いくちばしにしなやかで強靭そうな獅子の体躯。四本の脚は力強く、鋭い爪が印象的だ。それ以上に目立つのは翼の先が深紅の羽根になっていることだ。


 驚いたことに背にはラントが乗るための鞍があった。それは鞍というより椅子に近く、背もたれと落下防止用の安全索まで取り付けてある。


「いつの間に……」とラントが驚いていると、ロバートが念話を使って律儀に説明する。


『人化を解く際にそれまでの装備を外し、獣形態用の装備を付けることが可能です。もちろん、その逆も可能です』


「人の形になっても裸のままということはないということか……」


『その通りですが、皆ができるわけではございません』


「私だってできるわよ」と、まだ残っていたエンシェントドラゴンのローズが呟く。


 グリフォン形態のロバートは四つ足を折り、腹を地面に付けた状態だが、それでも体高は一メートルを大きく超えている。


 ラントはどうやって乗ったらいいのかと一瞬悩むが、鞍に掴まることで何とかよじ登ることに成功した。


「私とエレンも別のアークグリフォンに乗って同行します」


 側近のキースの言葉に「エレンもか?」と、ラントは疑問を口にする。


 いつもの燕尾服から鎧に着替えているキースは問題ないが、エレンはいつも通りのクラシックなメイド服姿のままだ。


「問題ございません。彼女は神聖魔法の使い手ですので、陛下のお側に常に置いておくよう、エスク様より命じられております」


 エレンは身体能力と魔力に優れたエンシェントエルフだが、柔らかい雰囲気の見た目のため、ラントには戦いの場に相応しいとは思えなかった。


 しかし、既にロバートの後ろに二頭のグリフォンが控えており、エレンは既にそのうちの一頭に乗っていた。


(椅子に近いとはいえ、ロングスカートでよく乗れるな……本人が気にしないのなら別にいいんだが……)


 更にキースももう一頭に乗った。


『陛下、落下防止用の安全索を腰に巻き終えましたら、手綱をしっかりと握ってください』


「了解」と言いながら、丈夫そうなロープを腰に回して留め金で固定する。


「我々の準備も終わっておりますので、いつでも出発できます」


 キースの言葉を聞き、周囲を見回すと、既に飛行部隊の多くも空に飛び出しており、残っているのは魔獣族のグリフォンやロック鳥、コカトリスらだけだった。


 ラントは心の中で気合を入れる。


「出発する! ロバート、頼んだぞ」


『御意』とロバートの念話が届くと、巨大な翼が広げられた。


 バサッという音が響くが、加速感はほとんどなく、ふわりという感じで浮き上がった。


『問題ございませんか?』というロバートの念話が届く。


 獣の背に乗って空を飛ぶという未知の体験に呆けていたラントは一瞬答えが遅れるが、すぐに安全索などの状態を確認し、問題ないことを伝える。


「大丈夫だ。出発してくれ」


『御意』


 その後、駆け上がるように高度を上げていく。

 揺れはほとんどなく、加速の割には風圧を感じなかった。


(風属性魔法で守られていると言っていたが、これのことだったんだな……どれくらいのスピードで飛んでいるのかは分からないけど、宮殿があれほど小さくなっているのに自転車で感じるより風圧が少ない……)


 比較物が地上にしかなく、体感的な速度も分からなかったが、一般道を走る自動車より速いのではないかとラントは感じていた。


 出発してすぐに飛行にも慣れ、周囲を見回す余裕ができた。

 彼の周りには魔獣族の飛行部隊が護衛するかのように編隊を組み、前方には人型の妖魔族がやや低い高度を飛んでいる。


 後ろには巨大な龍たちが悠然と飛んでおり、ラントはここが異世界であることを強く感じていた。


 彼の横にはキースとエレンの乗ったグリフォンがいる。更に真後ろには美しいコバルトブルーの鱗を持つエンシェントドラゴンがいた。


(あれはローズなのか? 古龍族に合流するのかと思ったのだが……)


 その時、ラントの頭に女性の声が響いた。


『乗せる気はないけど、あんたの護衛はしてあげるわ。感謝しなさい』


 その勝気そうな声に、ラントは“ツンデレか”と笑いが込み上げそうになる。


『何がおかしいのよ』


「いや、何でもない! 護衛をよろしく頼む!」


 ラントは笑みを浮かべながら振り向き、大声でそう答えた。


(声が届くんだろうか? 風音でかき消されそうな気がするんだが……)


 その疑念を感じたのか、ロバートが答える。


『空では念話をお使いいただく方がよろしいかと。対象を思い浮かべて強く念じていただければ、陛下の声を聞き取ることができますので』


「声に出さなくても大丈夫なのか? 考えが駄々洩れになることは?」


『慣れるまでは声に出した方がよいかもしれません。お考えについては、向ける相手を強くイメージしなければ聞こえることはございません。今も陛下の心の声が聞こえたわけではなく、不安に思われていることを感じただけでございます』


 その説明に安堵する。


(よかった……無理やり魔帝を演じていることがバレたら、幻滅されるからな……)


 振り返ると帝都があった。

 上空から見た帝都は全体が森と湖に囲まれていた。宮殿が中央部にあり、その周囲にきれいに区画された市街地が広がっている。


 しかし、城壁などはなく、町自体も帝都というほどの大きさはないように思えた。


(人口三万人ほどの都市だからな。日本の大都市とは比べ物にならない)


 すぐに帝都から離れ、森の上空を飛んでいく。

 ところどころに集落があるが、大規模な畑などはほとんどなかった。


(それほどの大都市でないとはいえ、畑の数が少ない気がするな。こっちじゃない方にあるんだろうか?)


 その後、順調に飛行していくが、森が続くだけで特に見るべきものはなかった。

 ラントは慣れたこともあって、望遠鏡を試すことにした。


 魔法のカバンから取り出した望遠鏡は伸縮式のもので、縮めた状態では二十五センチほどとコンパクトだが、引き伸ばすと五十センチほどになる。

 覗いてみると、想像以上に高倍率で、歪みのようなものも感じない。


 一時間ほど進むと森が切れ、草原に変わった。

 更に点々と農地があり、農民らしき人影があった。その人影は上空に向かって大きく手を振っている。


『この辺りは鬼人族の支配地域になります。ハイオークなどが集落を作っております』


 興味深そうに下を覗いていたため、ロバートが解説する。


「だとすると、この先にエフドナリィの町があるのか。近くを通るのか?」


 エフドナリィは帝都フィンクランからブレア城の間にある鬼人族の町だ。


『はい。最短距離ですので、エフドナリィの上空を通過いたします。立ち寄られますか?』


「いや、今回は素通りする。一刻も早く、ブレア城に到着したい」


『御意。あと二時間ほどで到着できると思います』


 その時間からラントは飛行速度を計算する。


(直線距離だと二百五十キロほどだったから、時速八十キロ近い速度で飛んでいるのか。これだけの機動力があれば、騎兵や歩兵中心の軍隊に後れを取ることはありえないな)


 ラントは今後の計画を思い浮かべていく。


(帝都を出たのは午前九時頃。正午にはブレア城に到着できる。それからネヴィス砦に行って状況を確認する。状況が厳しくないなら、敵に見つからないルートを選んで偵察隊を出す。この速度なら三時間ほどでも充分な範囲を偵察できるはずだ……)


 予定通り、正午頃にブレア峠の麓にあるブレア城に到着した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る