第11話「聖王たちの思惑」

 時は五年前、帝国暦五四九五年、人族が使う神聖暦では四八一五年頃にまで遡る。


 神聖ロセス王国の聖都ストウロセスにあるトファース教の大聖堂の一室に、聖王マグダレーン十八世とその腹心三人が集まっていた。


「あと五年ほどで魔帝が復活いたします。聖王猊下におかれましては、どのようなご方針でこの事態に当たられるおつもりでしょうか。そのご存念を我々にお聞かせいただけないでしょうか」


 真っ白な祭服を身に纏った三十代後半の爽やかな笑顔を見せる男性、大司教レダイグが聖王に問いかける。


 聖王マグダレーンは五十代半ばだが、髪と髭が白くなり六十代後半にも見える男だ。しかし、その目に老いの気配は一切見られず、鋭い眼光でレダイグを見つめる。


「存念のぉ……神のご意思に従うのが、我ら聖職者の務め。そうであろう? フェルディ枢機卿?」


 聖王はそう言って、五十歳くらいの太った男、フェルディに視線を向けた。


「猊下のおっしゃる通りですな。もっとも神のご意思に沿いつつ、どうするお考えなのかをレダイグ大司教は問うておるのでしょうが」


 そこで唯一の女性、聖女クーリーが口を挟んだ。彼女は二十代後半とこのメンバーの中では最も若い。


 聖女は神託を受けることができる女性神官で、教会内の階位的には大司教と同格の存在である。


「レダイグ様は性急すぎるのですよ。こういった場においても建前は必要でしょう」


 そう言ってニコリと微笑む。しかし、目つきが鋭く、痩せ気味であるため、場を和ますような笑みではなかった。


「クーリー殿のおっしゃる通りです。猊下、ご容赦を」


 そう言ってレダイグは頭を下げるが、その目は早く本題に入りたいと書いてあった。

 それを見た聖王は「では話すとしようか」と言って全員を見回していく。


「ここ数十年、各国の教会に対する敬う気持ちが減り続けておる。特に他国の者たちが。これを機にその者たちに危機感を持たせ、引き締めを図るつもりだ」


「危機感を持たせる、でございますか?」とフェルディが聞く。


「その通り。魔帝が現れたとしても、我が教会の勇者が倒してしまえば、次の召喚、つまり五百年後まで魔帝は現れぬ。よって初戦で敗北し、勇者を失うことで危機感を煽る」


「あえて負ける……なるほど、さすがは聖王猊下でございますわ。このようなことを考える者は世界に誰もいないでしょう」


 クーリーがそう言って聖王を持ち上げる。


「しかし、勇者を失うことはともかく、魔族どもが調子に乗るのではありませんか? そうなった場合、勢いに乗って我が国に侵攻してくるかもしれませんぞ。その場合、サードリン、ナイダハレルと重要な都市が大きな被害を受けることになります。ご再考を」


 サードリンは国境から最も近く、グラント帝国への侵攻拠点ともなっている城塞都市だ。

 ナイダハレルはサードリンから南東に約四十マイル(約六十五キロメートル)ほど離れた都市で、交通の要衝であるだけでなく、穀倉地帯の中心都市でもあった。

 そのため、レダイグは慎重論を展開したのだ。


「懸念は分かるが、その可能性は低いと見ておる。過去の例を見ても、魔帝として召喚された直後は魔族どもを掌握するので精一杯となる。逆侵攻などできんよ」


「おっしゃる通りですな」とフェルディが追従する。


 クーリーも大きく頷いた後、それに続いた。


「多少の犠牲は仕方ありませんわ。それで人族全体が危機感を持ってくれるのであれば、充分に見合うと思います」


 そこでレダイグも慎重論を取り下げる。


「猊下のご慧眼に感服いたしました。確かに数万の民の犠牲で数千万の人族が危機感を持つのであれば、充分に見合いましょう。それに勇者オルトは扱いづらいですからな。来るべき魔帝討伐の名誉をあのような野蛮な者に与える必要はないでしょう」


 レダイグの言葉に全員が笑っている。

 現在の勇者、オルトは言動や行動が粗野なだけでなく、見た目も勇者らしくない。そのため、信者たちも彼を敬うことなく、避けることが多いほどだ。


「そう言うことだ。次の勇者が誰になるかは、まさに神のみぞ知ることだが、今のうちから候補たちを鍛えておけば、代替わりしても戦力の低下は避けられる。あとは派遣する軍の兵士を貧しい者たちから選んでおけば、民たちも魔族をかたきと考えるはずだ」


 聖王は勇者だけでなく、兵士たちも犠牲にすることを考えていた。

 神聖ロセス王国はトファース教による宗教国家だが、貧富の差が激しく、貧しい農民の人口に占める割合は非常に大きかった。


 貧農に対しては兵役を課すことで税代わりにすることが多く、王国軍の歩兵の大半は貧農出身だった。


「魔族を掌握しきる前に魔帝を倒す必要がある。目安としては召喚から五年以内だ。そのために今から準備を怠るな……」


 聖王は既に十五年以上君臨しており、あとは名誉を得るだけだと考えていた。魔帝を倒した聖王は死後に聖人に列せられるため、確実に歴史に名が残る。彼はこれを狙っていた。


 大司教のレダイグは聖王マグダレーンの死後のことを考えていた。

 神聖ロセス王国の聖王は五十人ほどいる枢機卿による選挙によって決められるが、その候補者は五十歳以下の大司教と決まっている。


 現在三十八歳のレダイグには十二年しか残されておらず、五十七歳のマグダレーンが自然死するかは微妙な状況で、五年後に召喚される魔帝を倒すことでマグダレーンに恩を売り、禅譲という形で聖王になることを考えていた。


 そのため、枢機卿たちにも賄賂を贈り、多数派工作を行うとともに、政敵となりそうな若手の司教たちを次々と失脚させている。


 これにより優秀な聖職者たちを失っているのだが、教会はそのことに危機感を持っていなかった。


 聖女クーリーもレダイグ同様野心家だった。

 彼女は三年前、女性司祭となった直後に聖女になった。その時考えたのは女性初の聖王位を得ることで、次の聖王の座を狙うため、マグダレーンに接近している。


 野心家たちの計画通りに進んだ。

 唯一、計画と異なったのは聖堂騎士団テンプルナイツが討伐軍に多くの将兵をねじ込んできたことだけだ。


 聖王は当初渋ったものの、聖堂騎士団を主力としなければ本気ではなかったと言われかねないことに気づき、承認する。


 聖堂騎士団が加わったことで各地から集まる義勇兵が増え、更に隣国バーギ王国からも騎士団が派遣された。そのため、想定を大きく超える五万人という大軍となった。


 王国に五万人の補給計画を立てられる者がおらず、傭兵の国エルギン共和国から傭兵を雇うことになった。


 何とか準備が整ったのは召喚が近づいた帝国暦五五〇〇年、神聖暦四八二〇年の十月だった。

 聖王は魔帝討伐軍をサードリンの町に派遣すると発表した。


 まだ神託が下りていないが、聖王は神託が下りてから準備していては遅いと断じた。


「過去の神託は召喚の半月ほど前にしか下りないのです! そして、魔帝が最も弱いのは召喚した直後。先手を打って討伐軍を派遣し、魔帝が最も弱い時期に決戦を挑むことが重要なのです……」


 準備に二ヶ月ほど掛かったものの、総勢約五万の討伐軍はその年の年末にはサードリンの町に到着した。


 そして、運が良いことに討伐軍の到着直後にクーリーとは別の聖女、スコシアの下に神託が下りた。


「新たな魔帝が召喚されるのは一月十五日。直ちに魔帝を討てとの神のお告げです」


 聖王はその絶妙なタイミングにほくそ笑むが、それを押し隠して出陣を命じた。

 負けることが前提の不幸な軍は帝国暦五五二一年、神聖暦四八二一年の一月二日にサードリンの町を出発した。


 そして、一月八日に国境ブレア峠にあるネヴィス砦に攻撃を開始した。

 聖王に言い含められた勇者オルトは魔帝が来るまで決戦を行わないと宣言し、膠着状態に陥ることになる。

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