ボツになった話 1

黄の王と天ヶ谷グレイが一応顔見知りだというだけの小話。

起伏がないのでボツになりました。




 黄の国、リィンスタット。風と火を組み合わせた雷魔法を得意とするその国は、国土の殆どが砂に覆われた砂漠の国だ。照りつける太陽と乾燥した空気が特徴であるが、年に二ヶ月ほどの間だけ訪れる雨季には、常とはまったく様変わりをし、轟音響かせる雷と痛いくらいの雨が降りしきるという二面性を持つ。

 そんな雨季のリィンスタットの雷鳴轟く豪雨の中、二つの影が王宮の前に舞い降りた。一つは雷色の獣で、もう一つは翼の生えた黒い騎獣に乗るフードを被った人物だ。

 突如空から降り立ち、近づいてきたそれらに、門兵が制止をかける。

「止まれ、何者だ!」

 その声に騎獣の足を止めさせたフードの人物は、雨音に負けぬよう声を張り上げて応えた。

「私はグランデル王国より遣いとして参りました、赤の国が宰相、レクシリア・グラ・ロンターの筆頭秘書官を務めております、グレイ・アマガヤと申します! 我が国の王より、来訪させて頂く旨、リィンスタット王陛下にお伝え頂いているものと存じます。リィンスタット王陛下へのお目通りをお願い申し上げる!」

「確かに国王陛下より、赤の国から使者が来る旨の通達はある。それが自身であるという証立ては?」

「こちらに我が主人の紹介状を。検めて頂きたい」

 騎獣から降りたグレイが差し出した木の筒を、門兵の一人が受け取る。深い赤で塗られたそれの中から書面を取り出して中身を検めれば、そこには赤の国の国章と、ロンター家の家紋、そしてレクシリアの署名と共に、グレイ・アマガヤが正式な使者である旨が綴られていた。

 門兵は内容に一通り目を通すと、火霊の名を呼んだ。それに応じて紹介状の上部に火が付くが、突然の暴挙にもグレイは反応せず、その様を見守る。

 火は上から段々と下っていくものの紹介状は燃える気配がなく、形を保ったままだ。水が滑るように表面を火が包んで行き、書面上の赤の国章が輝いた。呼応するように火が紙から離れ浮き上がると、一度一塊に収縮し、解けるように広がったそれが中空へグランデルの国章を描き、ふわりと掻き消える。

「……確かに、本物の紹介状であるようです。大変失礼致しました、アマガヤ様」

「いえ、当然の対応ですから」

「寛大なお言葉、ありがとうございます。ようこそ、我らがリィンスタットへ。どうぞお通り下さい」

 開門、の号令と共に開かれた王宮の門を、二頭を引き連れグレイは進んでいく。先導する兵の背を見ながら、グレイはフードの下で小さく息を吐いた。無事に王宮へ入ることができた安堵ではなく、感心からである。

(普通こうだよな。王宮の警備っつったら、これが普通なんだよな……)

 自国のザル警備と比較して、リィンスタットの警備はしっかりしてるなぁ。この国へ訪れるたびに思うそれに、感心するレベルが低すぎるんだよな……、と続けて溜め息が出るのも、毎度のことだった。




 王宮の内部まで入ると、まずタオルを差し出された。雨除けの分厚いフード付きの外套を着込んでいたとはいえ、流石にリィンスタットの豪雨が相手では焼け石に水だ。濡れ鼠より幾分マシ、程度のグレイはありがたく受け取り、簡単に身体を拭う。

 その横で、赤の国から黄の国まで、西に二つ国を跨いでグレイを運んでくれた騎獣が身体を震わせ、まとわり付く水を飛ばした。その頭にぽんと自分のタオルを乗せ、わしゃわしゃと撫でる。

「お疲れ様。ここまでありがとう、よく頑張ったな、ルーナ」

 みぉん、と愛らしい鳴き声を返した黒い獣は、グレイが所有している唯一の騎獣だ。グレイが魔術学校に入学際にレクシリアから賜り、幼獣から育てた獣である。ルーナジェーン、とグレイに名付けられたが、主人を始め周囲からはもっぱらルーナと呼ばれている。

「オマエもお疲れ様、ライガ。……つってもお前はこれからお楽しみだし、そう疲れてもねェか」

 ルーナの頭を優しく拭きながら、その背後にいる雷色の獣へも声をかける。グレイの主人であるレクシリアの騎獣、ライガである。こちらも当然に濡れみずくであるものの、ルーナと同じように水滴を飛ばすこともなく、そのまま佇んでいた。

 特に返事もせずグレイやルーナに目を向けていたライガが、不意にグレイの背後の方へと目を向ける。つられてグレイが振り返り、相手の姿を認めると同時に、陽気な男の声が周囲に響いた。

「やっほー! よく来たね!」

 畳まれたタオルらしきものを持って歩み寄ってくるのは、リィンスタットの国王、黄の王だった。

 喜びに満ちた顔で出迎える黄の王に対し、グレイの方はといえば会釈もなく一歩足を引いて下がる。国王陛下に対し無礼な振る舞いだと承知しているが、ことこの王に対してはそれが適応されないことと、二度手間は面倒臭いという思いが彼にそうさせた。

 黄の王は迷いのない足取りで来訪者の元へ辿り着くと、グレイの方へは見向きもせず、その隣にいるルーナにタオルをかけて、輝く笑顔で笑いかけた。

「こんにちはルーナちゃん、また会えて嬉しいよ! ここまでの長旅お疲れ様! こんなに濡れちゃって、寒かっただろう? 水が滴る黒い毛並みも綺麗だけど、風邪を引いたらいけないからな。タオルで全身拭き終わったら、火霊に乾かしてもらおう。ああ、そうそう、ルーナちゃんが来るって聞いてたから、ルーナちゃんの好物を用意して――」

「リィンスタット王陛下」

「ん?」

 頃合を見て、長々と続く王の言葉を遮る。そこでようやく、黄の王は顔を上げてグレイを見た。今の今まで気づいていなかったかのような顔をしている国王だが、実際に目に入っていなかったのだろうことをグレイは知っている。

 女性と区分される存在がいる状況において、男であるグレイに意識がいくような王ではないのだ。

「お久しぶりです、リィンスタット王陛下。相も変らぬご様子、ご健勝のようで何よりと存じます」

「おー、よく来たなぁ、グレイ。ロンター宰相の騎獣もな」

 ルーナに対するものに比べ至極あっさりとした挨拶を向けられるのも、今に始まったことではないのでグレイも気にしない。取りあえずの挨拶は済んだことだし、とグレイはライガを振り返った。

「ライガ、もう行って来ていいぞ」

 振り向いたグレイが言うや否や、ライガはさっと身を翻し、王宮の外へ向かい雨に呑まれて行った。その背が心なし嬉しそうに見えたのは、グレイの気のせいではないだろう。

 ライデンという種族は、本来この大陸から遠く離れた場所に生息している獣だ。雷を繰るライデンは雷に惹かれ好む性質を持っていて、元の生息地も酷い雷が頻繁に降る地であるらしい。しかしライガの主人であるレクシリアは赤の国から基本的に離れることがないし、赤の国には雷を伴う程の激しい雨は殆ど降らない。よしんば降ったとしても、ライガが満足するような雷雨にはならず、リアンジュナイルでそれを望めるのは、雨季のリインスタットだけだった。

 そんなわけで、レクシリアは黄の国が雨季に入ると、己の騎獣を向かわせることにしているのだ。最初の頃はどこかの宿を借りていたのだが、黄の国の王が当代に代わってからは、彼の好意で王宮に使者という扱いで滞在させてもらえるようになった。

 以前は遣いとして文官の誰かが同行していたが、ここ数年はグレイが自ら志願しその役目を担っている。グレイの心積もりは、主人の役に立ちたいのが六割、幼少よりライガに淡い想いを抱いている自身の騎獣が付いて行きたがったからが四割といったところだ。

「ま、今年もゆっくりしていけよ」

「毎年お心配り頂き、有難うございます」

 素直に頭を下げたグレイだが、それを無視して黄の王はルーナの方を見た。

「特にルーナちゃんは、グレイなんて捨てて、ずぅーっと黄の国うちに居てくれてもいいんだぜ? ルーナちゃんみたいな可愛い子がいてくれたら、毎日幸せの絶頂ってもんさぁ」

 対するグレイは頭を上げ、これまた素直に驚きの表情を作る。

「驚きです、こんなにはきはきと軽快に寝ていらっしゃる方は初めて見ました」

「お前ね……」




 黄の国はテーブルの類があまり無い。あっても脚の低いものばかりで、よって椅子も殆ど無い。カーペットや床に敷いたクッションに直座りするのが通例である。

 例に漏れずそんな仕様の客室に通されたグレイは、柔らかなクッションに座り、にこにこというよりはにやにやというのが相応しい黄の王の表情を見て、呆れ顔で言った。

「アナタの性格は知ってますけど、本当にそれ、ルーナのためにわざわざ用意したんですか?」

「ああ、丁度この間、橙の国おとなりさんとこの商人が来てな。奥さんたちへの装飾品を買ったんだが、質の良い魔術鉱石も売ってたから、こりゃルーナちゃんに出してやらねぇとって思ったんだよ。ルーナちゃんは頑張ってここまでご主人様を運んで来たんだから、ご褒美の一つや二つないとなぁ。美味しいかい、ルーナちゃん?」

 みぉん、と満足そうな鳴き声に、黄の王の顔がさらにデレデレと崩れる。

 黄の王がルーナにと用意したのは、複数の魔術鉱石だった。それも、橙の国の良質なものだ。確かにミオンの主食は鉱石であり、特に魔術鉱石を好んでいるにしても、決して安くはないそれをついでとはいえ購入して、他国の(しかも賓客と言い切れる程の相手でもない)騎獣に出すというのはどうなのか。

 お陰でルーナも黄の王には懐いてしまっていて、今のようにブラッシングも好きにさせている。確かにルーナは子供の頃から人に飼われる身で、気難しく懐きにくいミオンの中でも割合人馴れしている方ではあるが、それでも彼女がここまで懐く人間は珍しい。

(そもそも、黄の王には初対面の時から割りと『あなたになら撫でさせてあげてもいいわ』状態だったな)

 グレイの主人が老若男女どころか種族も問わない『生き物タラシ』なら、こちらは女性に特化しきったまさに『女タラシ』である。尤も、黄の王と違ってレクシリアは無自覚な分、もしかするとレクシリアの方が性質が悪いのかもしれない。

 そんな感じで騎獣が手厚くもてなされている一方、その主人であるグレイは、女官から果物と飲み水を頂いた後は半ば放置されていた。

「ん、ルーナちゃん、おねむ?」

 黄の王が尋ねると、ルーナがくありとあくびをして応えた。ぱしぱしと瞬きを繰り返す様は今にも眠りそうだ。ブラッシングが心地良いというのもあるのだろうが、一番の要因は疲れだろう。道中ある程度の休憩は入れたものの、二国を跨いでの大陸横断は流石に距離がある。訓練はされているが、強靭な種族というわけでもないルーナにとっては大仕事だっただろう。何より、リィンスタットに入ってからの豪雨は、体力を削るのに充分過ぎるくらいだった。

「眠いなら寝ていいぞ、ルーナ。リィンスタット王陛下は、メスのお前がそこにいさえすれば、寝てようが起きてようが構わないだろうし」

 そう言いながらグレイが手招きをすると、仔猫のような甘えた声で鳴いたルーナがするりと近づいてきて擦り寄り、くるんと身を丸めて寝る姿勢に入った。その黒い頭を撫でていると、黄の王から呆れ交じりの引き攣り笑いが向けられる。

「お前なぁ、お前の前に居るの、仮にも王様だぞ? ちょーっと口が過ぎるんじゃないのか?」

「目の前に居るのがリィンスタット王陛下ではなく青の王や銀の王だったら、こんな真似はしておりませんよ。そもそもそのお二方の場合、オレのような下賎がお目通りすることなんてないのでしょうけれど。まあでも、ご心配頂いたのであれば、謹んでお礼申し上げます」

「いや、別におまえの心配はしてねぇな」

「即答ですか。まあでも、リィンスタット王陛下のそういう清々しいところは、結構好ましいと思っておりますよ」

「男に好かれても嬉しくねぇんだよなぁ」

 本当に嬉しくなさそうな、そして実際嬉しくはないのだろうぼやきを零しながら、黄の王の手がそっとルーナの耳を塞いだ。

 他国の王を相手にしているにしては気安すぎる態度を取っても、黄の王は驚く程気にしない。勿論グレイも、初めの頃はもっと礼節を守った対応をしていたのだが、多少気安くしたところで咎められることはないと知ってからは、大体こんな調子である。

 黄の王の心が広い、というよりは、男に関して圧倒的に無関心だから成り立っている関係だ。

「風霊ちゃん、ルーナちゃんが気持ち良く眠れるよう、軽く耳を塞いであげてくれる? うん。必要な音は残してあげて、雷鳴とか俺たちのしょうもないお喋りとかだけ抑える感じで」

 呼びかけと同時に、部屋に微かな風が流れたのを感じた。グレイに精霊の姿を見ることはできないが、風霊が雷鳴からルーナを守ってくれているのだ。いつもの事ながら、鮮やかな手並みである。この部屋自体にある程度の防音の魔法はかかっている筈だが、それでも轟く雷鳴は大きく聞こえる。人の耳でこれなのだから、それよりも過敏な獣の耳ならもっとだろう。

 最低限の範囲で不要な音だけをピンポイントに防ぐ。王が簡単にやってのけたそれは、普通なら詠唱なしにできることではない。さすが、どの国の王も規格外だと言うべきだろうか。そんなことを思ったグレイは、憧憬と嫉妬がない交ぜになった気持ちに襲われた。グレイはエトランジェだから魔法が使えない。それ自体は仕方がないことだと思っているが、それでも自分では手が届かない領域のものを見させられると、どうしても面白くないと思ってしまうのだ。

 風霊たちに礼を告げている黄の王に微妙な気持ちを抱きながら、溜め息混じりにグレイは呟いた。

「……耳栓、まだ完成していないんですよ」

「ああ、ルーナちゃん用に作ってるっつー奴?」

「それです。ここの雷本当に煩いので、ルーナが装着して違和感のないデザインとサイズで、一定以上の音が小さく聞こえるようにしたいんですが」

「何も聞こえなくするよりは難しいだろうなぁ」

「そうなんですよ。調整がなかなか……まァいずれは完成させるんですけど」

「けど?」

「いえ、目の前で容易くやってのけて下さるなァ、と思っただけです」

 努めて落ち着いた口調で言えば、途端に黄の王の顔がにんまりと意地の悪い表情を作ったので、グレイは嫌そうに顔を顰めた。

「まーまー、いいじゃねぇの、生まればっかりは仕方ねぇし。人間のエトランジェの割には良くやってる方だろう、“黎明の”」

「そういう問題ではありません。まったく、仮にも王で在らせられるのなら、その締まりのない顔をどうにかされたら如何でしょう? ああいえ、元から締まりのあるご尊顔ではございませんでしたね」

「ばっかお前何言ってんだ、こんな身も心もイケメンな男を掴まえて」

 世の至宝だぞ、とのたまう王がどの程度まで本気なのか、グレイには判断が難しい。

「そうまで仰るのなら、その心のイケメンさで以ってオレにも風霊の耳栓付けてくれるって優しさを見せてくださっても良いんですよ?」

「男に見せる優しさなんてねぇよ。そんなに音が気になるんなら、耳に粘土でも詰めてな」

 一切の期待なく出した要望が当然に却下されたところで、雷鳴に混じりコンコンと部屋の扉をノックする音が響いた。

 黄の王がそちらに顔を向け入室の許可を出すと、開いた扉の向こうに女性がいて、王と客人へ向けて恭しく一礼をした。服装を見るに、女中の類ではなく文官であるようだ。

「陛下、アマガヤ様、ご歓談のところ大変申し訳ございません」

「いんや、気にしなくていいよ。どうしたの?」

 女官はちらりと一度グレイへ視線を向け、グレイが目礼したのを確認してからしずしずと入室し、そっと黄の王の傍らに膝をつく。そのまま顔と手を寄せ、何事かを黄の王に耳打ちした。

 女官が静かに離れ立ち上がると同時に、黄の王も立ち上がって女官に笑いかける。

「教えてくれてありがとう!」

「勿体ないお言葉です。私は課された仕事をしただけにございますので」

「いやいや! 仕事を迅速にこなせる女性は格好良くて素敵だよ! ……っつーわけで、」

「はいドーゾ。お気になさらず」

 上から向けられる視線に、グレイはひらりと手を振った。皆まで言われずとも何か所用ができたことくらい察しがつくし、場を辞すことを咎める権利もなければその気もない。

「じゃあゆっくり寛いでてくれ。なんかあったら前と同じで適当に人掴まえてくれりゃいいから」

「承知致しました」

「また会いに来るから、ゆっくりお休み、ルーナちゃん。風霊ちゃんたち、彼女をよろしくね~」

 そう言って女官と共に出て行った王を見送り、グレイはゆっくりと背中から倒れてクッションに身を預けた。騎獣に乗って豪雨の中を移動するのは、グレイにとっても重労働なのだ。

 脱力すると、ふかふかのクッションに触れているところから疲れが解けていくようだった。

 窓の方に目をやれば、暗雲立ち込める空から幾筋もの光が迸って、少しの間の後に雷鳴が聞こえてくる。防音の魔法のおかげで軽減されているが、それがなかったら、雷鳴だけでなく窓に雨粒がぶつかる音もさぞかし煩かったに違いない。

 身体を起こし水差しからコップに一杯水を注いで、一息に煽る。喉の渇きを潤せば、途端に瞼が重くなった。

 くあ、とグレイの口から大きなあくびが漏れる。

(あの女っタラシが戻ってくるまで寝るか……)

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