ボツになった話 2-1

2章の「魔法・魔術講座」あたりの時間軸。

どこかで出そうと思っていて忘れていたのでボツになりました。




「……宰相様の瞳って、ずっと黒だと思ってたんですけど、もしかして違いませんか?」

 特に深い意図もなく疑問を口にした少年は、すぐに自身の発言を後悔した。本から視線を上げた、一時的に少年の教師役を務めている青年、天ヶ谷グレイの顔が、奇妙に無表情だったからだ。

 少年と顔のつくりが似通った顔にじっと見つめられ、いびつな鏡を前にしたような気分になった少年は、非常に居心地が悪くなった。

 何か訊いてはいけないことだったのだろうか、と冷や汗を掻く少年に、グレイがことりと首を傾げる。

「なんでまた?」

「ぇ、あ、いえ、大したことじゃ、なくてですね、その……昨日」

「昨日」

「ええと、あの、……廊下で、転んだのを、宰相様が、手を貸してくださいまして、……その時に」

「あー、成程な。それで近くで顔見たわけか」

 納得した風に頷いたグレイは普段の調子になっていて、少年はこっそりと胸を撫で下ろした。何かまずいことを言ってしまったかと思ったが、機嫌を悪化させるようなことはなかったらしい。

 なんだったのだろう、とは思うが、わざわざ突っ込む気は起きなかった。触らぬ神になんとやら、である。

「しかし、それでよく判ったな。顔近いっつったって、キスするような近さで見たわけじゃあないだろ?」

「きっ……」

「ん? なんだ、実はそんだけ近かったのか?」

 あの人も大概浮気性だなァ、などと言って口の端を吊り上げるグレイに、少年はぶんぶん首を横に振った。あらぬ疑いをかけられるのはごめんである。にやにやと笑うグレイはあまり本気そうには見えないが、いつ誰にどう聞かれ見られ、何を思われるか判ったものではない。

 既に、国王の恋人扱いという訳の判らない立場に置かれているというのに、この上宰相の浮気相手などと思われようものなら、少年は速やかに自死しかねなかった。

「まあ冗談だ、ジョーダン」

「は、はい……」

 ほっと息を吐き出しながら、少年は小さく頷いた。ロンター宰相の妻だか恋人だかを見たことはないが、修羅場の可能性は回避されたようだ。

「で、なんで判った?」

「え、ああ……ええと、その、……宰相様、綺麗なお顔立ちを、されていらっしゃるので」

「そうだな」

「あの……、…………見惚れて、その……」

「ああー」

 グレイのどこか気の抜けたような声に、少年は少し顔を赤らめて俯いた。

 赤の国の宰相はやたらと顔が良い。美しいもの好きの少年が初見で見惚れる程度には顔が良い。それでも、この滞在期間中にある程度は慣れてきたと思っていた少年だったのだが、不意打ちに近距離で見ると駄目だった。ぽやんと惚けてしまった少年に、レクシリアが困ったように微笑んだのを覚えている。その顔もまた美しかったため、少年は更に見惚れる羽目になったのだが。

 とにかく、その時に大丈夫かと顔を覗き込まれた少年は、黒い瞳だと思っていたレクシリアの目に違和感を覚えたのだ。

「まあ、なんだ、あの人実際、神サマ的な存在が丹精籠めてえこ贔屓したような存在だからな。見惚れるのも仕方ねェ話だ」

「え、えこ贔屓、ですか」

「えこ贔屓の塊みてェな男だな」

 そう言うと、グレイはわざとらしく顔を顰めた。

「顔良し、体格良し、家柄良し。文武両道で、国の宰相を務める頭と、この国じゃ二番目の武の実力。部下にも慕われてるし、趣味のなんかの大会で優勝とかもザラで、殿堂入りしたから審査員になったとかもあったな。あと、店の経営とかも手ェ出してんだよなあの人。それは流石に宰相になってからは忙しくって人に委託したみてェけど」

「わぁ……」

「まー、何よりもふざけてんのは魔法適性だけどな。なんだ全適持ちって。複数属性持って生まれやすい銀ですら全適は珍しいっつーのに、その上あの男、属性の組み合わせが必要な複合魔法まで使えるからな。なんでだよ。銀の王だってあの人より魔法適性高いけど、複合魔法は扱えねぇのに。いやまァ銀の国の適性に関しちゃお国柄だけど、だったら血筋は金と赤のあの人は、むしろ火に特化してるか全適性死んでるかのどっちかになるべきじゃあねェのかよ。なあ?」

「は、はぁ……」

「魔物も獣も人も老若男女問わず軽率にたらしこむような男だけど、だからって精霊までたらしこむか、普通? オレはあの人、生まれる前に神サマもたらしこんで来たと踏んでる」

「え、と……」

「いや、イイ男ではあるんだけどよ」

 殆ど一息にそこまで言い切ったグレイは、やれやれと首を横に振った。その勢いに呑まれて半ば自失していた少年は、遅れて感心が追いついた。何への感心かと言えば、貶しているのだか褒めているのだかよく判らないが、かなりの長文で上司を評したグレイと、そのグレイの言葉の内容についてである。

「……なんだか、凄いですね」

「そうだよな。意味判んねェんだよ、あの人」

 少年の言葉はグレイの様子と宰相の二つにかかっていたのだが、グレイは後者の方としか受け取らなかったようだ。どうでも良いことだったので、特に訂正は入れなかった。

(……それにしても、宰相様、本当に僕と同じ人間なのかな)

 ぼんやり凄い人だとは思っていた少年だったが、改めて聞かされると、身体の組成物から既に別物であると聞いても納得できるな、と思った。

 羨ましいな、とは思わない。天と地ほども差がありすぎて、なんだか物語の主人公のようだなぁ、という感想が浮かんでくるくらいだ。どうしようもない少年のような人間がいれば、レクシリアのような完全無欠めいた男もいる。世の中はそうして全体の帳尻が合うようにできているのだろうか。

 そんなことをぽけっと考えていたせいで、案の定注意力散漫になっていた少年は、グレイに顔を覗き込まれて盛大に肩を跳ねさせた。

「おい」

「っ! ……あ、ええと」

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。ちょっと、その、宰相様って、できないことなんてないんだろうな、って、考えて」

 しどろもどろに少年が言うと、グレイはぽかんと目を見開いた。次いで、ふっと噴き出したかと思えば、声を上げて笑い始める。

 腹を抱えんばかりの様子に、少年は驚いて肩を震わせた。

(そ、そんなにおかしなこと、言ったかな……?)

 暫くグレイは笑い声を上げていたが、どう反応すればいいか判らず困惑のまま固まっている少年に気づくと、どうにかこうにか笑いを収めた。

「いや、悪ィ。ま、言わんとしているところは判る。そう見えるよな。ただなんだ、別にあの人、完全な万能って訳じゃねェんだよ」

「そう、なんですか?」

 少なくともグレイの先ほどの話しぶりでは、そう窺えたのだが。

 少年が不思議そうにすると、グレイがぱっと口元を手で押さえた。どうにも笑いがぶり返しそうになったようだった。

「おー。そもそもリーアさん、八割人間だからな」

「八割……?」

「確かにあの人は、大抵のことは何でもできる。初めてのことでもすぐにコツ掴むし、コツを掴んだら一気に成長するし。そのお陰で、とんでもなく多趣味なんだよな。でも、なんつーかな、極められねェんだよ、あの人」

 だから八割だ、とグレイは腕を組んだ。

「ま、その八割がリーアさんの場合、大抵の人間の十を上回っちまうから腹立たしいんだけどな。でも、その道のプロっつーか、それを極められる人間には、どう足掻いても敵わねェ。どんなことでも世界一にはなれねェんだ。良くて世界二位だな」

「それでも、充分凄いと思いますが」

「そうだな、オレもそう思う。万能じゃないが万能に近くはあるし。でも本人、極められねェこと気にしてるんだよ。如何せん、幼少期から傍にいるのがロステアール・クレウ・グランダとかいうよく判らん生物だからな。あの王サマはどうしようもないポンコツだが、剣術の腕なら多分世界一だし、極められる物事に関しては世界一になれる男だ。ポンコツだし馬鹿だしアホのすっとこどっこいだけど」

 相変わらずの歯に衣着せぬ発言に、少年は曖昧な笑みを浮かべた。グレイは何故か、あの美しい王のことを盛大にこき下ろすのだ。確かに少年も変わった王様であるとは思うが、すっとこどっこいは流石に、どうなんだろうか。

 賢明に口を慎んでいる少年に、そういうわけでな、とグレイが続ける。

「大概なんでもできる、ってのが、あの人の場合ある意味でコンプレックスなんだ。多趣味も度が過ぎて、いっそ無趣味みてェだし」

 はぁ、と少年の口から呆けた息が零れ落ちた。何でもできるのがコンプレックス、とは、なかなか少年には理解しがたい。それと同時に、どんなに凄い人でも、何某かの悩みからは逃れられないのだな、と思って、なんとなく虚しい気持ちになった。

 であれば、あの美しい王も、何か悩みがあるのだろうか。

 ふと浮かんだそれに、少年はひとつ瞬きをした。レクシリアがそうであるのだから、何を考えているのか未だによく判らない王が悩みを抱えていてもおかしいことはない。だが、泰然自若とした男に悩みと言う言葉は、なんだか不釣合いに思えた。少年がどう感じようが悩みくらい生じるのだろうけれど、なら、あの王が抱える悩みはどんなものなのだろうか。

 少し、ほんの少し、僅かだけ気になった。けれど、少年がそれを尋ねることはきっとない。無駄だと判断して、少年はその疑問を忘れることにした。

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