円卓懇親会 5
差し出された菓子を見て、白の王は柔らかく慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「先ほどヴェールゴール王に差し上げていた、マリム、というお菓子ですね?」
「はい、そうです。どうぞお召し上がり下さい。若輩者ですが、よろしくお願い致します」
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願い致しますね、ギルディスティアフォンガルド王。あなたは王になるべくしてなった方。若さを必要以上に恥じ入ることはないと思いますが、まだスタートラインだということもまた事実。どうぞ、何かあった際には、遠慮せずお話してくださいね。できうる限りの手助けはさせて頂きます」
「っ、ありがとうございます……!」
優しい言葉に、ギルヴィスの胸がぐっと温かくなる。先達に恥じぬよう、頼ってばかりでいるつもりはないものの、心からの気遣いはとてもありがたかった。ほどけるような笑顔を見せたギルヴィスに、白の王は変わらず慈愛の笑みを見せている。
まるで、母のような方だ、とギルヴィスは思った。ギルヴィスの実母、という意味ではなく、子を慈しむ者という概念の『母』が形になったようだ。流石は宗教国家フローライン王国を統括する存在、と言ったところだろうか。
ギルヴィスが白の王の優しさに癒されていると、不意に黒の王が口を挟んできた。
「白の王、その金の王のお土産食い出ないし、こっち食べる?」
手元にある食べかけのホールケーキを指してそうのたまった彼に、いち早く反応したのは当然彼の世話役だ。
「ヨアン様! 人様のお土産になんて失礼なことを言うんですか! それに、自分の食べかけを人に勧めないでください! テーブルマナーは教えた筈でしょう!」
世話役の言うテーブルマナーが自分の知っているそれと同義なのだとしたら、テーブルマナー以前の問題だと思う、とギルヴィスは思った。
「なんで怒るの? 食い出ないのは本当のことだよ? お腹にたまらないからね、これ。それに、食べ物を独り占めしないで他人に分けろって言ったのは世話役じゃん。分けろって言ったり分けるなって言ったり、どっちなのかはっきりしてよ」
「そういう問題ではっ! ……ちょっと待ってください、ヨアン様」
「なに?」
「食い出がないのは本当のことだって言いましたよね? ということはつまり、ギルディスティアフォンガルド王陛下からの頂きものを既に食べたということですよね?」
「うん」
「でも、その横にあるヨアン様の分のお菓子は、未開封ですよね?」
「うん。まだ開けてないからね」
「じゃあ、なんで食べたことがあるんですか?」
「そりゃあだって、俺はあっちのやつ食べたから」
そう言って黒の王が指さした方には、先程黒の王が平らげたマリムの空箱がある。それを見た世話役は、一瞬押し黙ったあと、――突沸した。
「あの箱っ、銀の装飾が付いているということは、元を正せばエルキディタータリエンデ王陛下への贈り物ですね!? なんで! 他人の物を! 食べているんですか! あなたはぁっ!!」
「なんでって、銀の王、要らないって言ったから。要らないんだったら俺が食べても良いじゃん。銀の王も良いよって言ったし」
「~~~~ッ!!」
今にも額に浮き上がる血管がブチ切れてしまいそうな世話役に対し、黒の王はどこ吹く風というか、一向に気にしていない。その肝の太さには一種の尊敬の念を抱いてしまいそうだが、これは王としても人としても見習ってはいけないやつだ、とギルヴィスは思った。
そして、先程から気になっていることがひとつある。この様子だと言っても無駄な気がしたが、生来の生真面目さからか、ギルヴィスはその言葉を口に上らせてしまった。
「あの、ヴェールゴール王……」
「ん?」
「一応、公式の場においては、国名に王を付けて呼ぶのが礼儀ですが……」
ギルヴィスとて、国を表す色の名に王を付けて、他国の王を呼称することはある。だがそれはあくまでも普段ならの話であって、こういった公の場では、きちんと国名に王をつけて呼ぶ。黄の王などは女王を名前で呼ぶこともあるが、あれは例外中の例外だし、そもそも男に対してはきちんと国名を使う。金と銀の二国は長い国名であるが故に、正式な会議の場ではない今日のような日は国名の略称で呼ばれることが多いが、それでも国名は国名だ。
それが、黒の王は先ほどから、白の王、銀の王などと、最も簡素な呼び方しかしていない。
ギルヴィスの問いを受け、世話役が慌てて黒の王の口を塞ごうとしたが、それよりも早く、黒の王が言葉を発した。
「だって国名って長いじゃん。特に金と銀。ギルなんとかとか、エルなんとかとか、なんでそんなに長いの?」
「ヨアン様ぁああああ!!」
「いたっ。世話役、叩きすぎだと思うんだけど……」
「足りないくらいです! 馬鹿も大概にしてくださいよ、本当に!!」
「また馬鹿って言うし」
殴られ叱られ、それでもなお、どこまでもマイペースな黒の王に、さしものギルヴィスも笑顔が少し引き攣った。あの白の王ですら、流石に苦笑を浮かべざるを得ないようだ。銀の王は何も言わなかったが、眉間のシワが深くなったような気がする。
確かに金と銀の国名は他国よりも長めだが、こうもはっきりと、なんで長いの、と訊かれる日が来るとは思わなかった。
「あのさ、ギルガルドとかエルエンデとか言うじゃん、みんな。だったらさ、『ディスティアフォン』のとことか、『キディタータリ』のとことか、いる? 必要? 無くても良くない?」
「……え、えと……ギルディスティアフォンガルドは、我が国を建国した、初代国王の名前なのですが……」
「長いよ、短くしたら? 無駄じゃない?」
そう言った黒の王の口を世話役が乱暴に手で塞いだのと、銀の王の背後に控えていた騎士が立ち上がるのが同時だった。
それもそうである。金と同じく、銀の国も、その名は初代国王の名を冠しているのだ。そして銀の国は歴史と伝統を重んじる国。金の国王であるギルヴィスですら、いや流石に……と思ったのだから、銀の国の民である供回りの男が怒りを覚えるのは当然だろう。たとえ相手が国王でも、許せることと許せないことがある。
しかし、剣に手を添え、静かな顔に怒りと殺気に近いものを滲ませる騎士を制したのは、その主である銀の王だった。
「控えよ、イシュティニア」
「……しかし、陛下。過度の侮辱、相手が王だとしても、看過するわけには」
「控えよ、と言うておるのだ」
「…………出過ぎた真似を致しました。申し訳ございません」
大人しく座り直し、深く頭を下げた騎士を一瞥し、次いで銀の王は黒の王に目をやった。そして、未だ口を塞がれ、もごもごとしているちょっと情けない姿に目を細める。
「イシュティニア、お主はそこな粗忽者と顔を合わせるのはこれが初めてであったか」
「はい」
「ならば覚えておくが
盛大に黒の王をこき下ろす銀の王は、心底嫌そうな顔をしていた。
「エルキディタータリエンデ王陛下、本当に申し訳ございません! イシュティニアさんも、その、この馬鹿にはよぉーく言って聞かせますので、本当にすみません」
「ほう。その虚け、言って聞かせればどうにかなる男だと言うのだな?」
銀の王の氷のような指摘に、世話役は一瞬言葉に詰まった後、より深く頭を下げた。
「…………申し訳ございません…………」
沈痛な面持ちで何度目かの謝罪をした世話役に、ギルヴィスは同情を禁じえなかった。この様子では多分、こうして王を叱り付けることも、王の代わりに頭を下げることも、珍しいことではないのだろう。
そこで、同じく同情の視線を世話役に向けていた白の王が、黒の王に微笑みかけた。
「ヴェールゴール王、少しよろしいですか?」
「むぐむ……ぷはっ。ん、なに?」
「どの国にも各々誇りがあります。そして、ギルディスティアフォンガルド王国も、エルキディタータリエンデ王国も、どちらもその名は、建国の王の名を戴いたという歴史と誇りがあるのです。ですから、無駄だとか、要らないだとか、そういうことを言うと、失礼になってしまうのですよ。謝罪をされた方が良いのではないでしょうか」
「へー、そうなの? ……あー、だから怒ってたのか。何で急に怒り出したのかなって思ったけど、そういうことだったんだ。俺にはそういうのよく判んないけど、嫌なこと言ったみたいでごめんね、銀の王。あとそっちの部下のあんたも、ごめんね」
なんとも軽い謝罪を受け、銀の王は深い溜め息を吐いた。騎士の方は、ぱちぱちと瞬きを繰り返したあと、何度か口を開いたり閉じたりして、結局静かに押し黙る。反応に困ったのだろう。ギルヴィスも、仮に自分が騎士の立場であったなら、多分そうなっている。
このあたりで、ギルヴィスはひとつ疑問が氷解して、なるほどなぁと内心で頷いた。
ずっと銀の王の態度が不思議だったのだ。黒の王の態度は明らかに銀の王が好むものではない。それなのに彼は一言も文句を言うこともなく黙っていた。他人にも自分にも厳しい銀の王が何故……と思っていたのだが、簡単なことだ。単に、黒の王には何を言っても無駄だと、今までの経験から判ってしまっていたのだろう。最初から怒らなかった訳ではなく、怒っても無意味だからやめた、が正解なのだ。
酷く痛むように頭を抱えている世話役を尻目に、当の黒の王は再び料理に手をつけ始めていた。銀の王も自身の食事を再開させており、彼の騎士は王の開いたグラスに飲み物を注いでいた。
そんな中、白の王がそっとギルヴィスに近寄った。内緒話をするように身を寄せてきた彼女は、それに見合った小さな声で囁いた。
「驚いてしまったでしょう?」
「あ、ええと、……はい」
「小さな子供のような振る舞いをされますが、悪い方ではないんですよ」
「それは、……なんとなく、判ります」
小さく頷いたギルヴィスに、白の王が微笑む。
ギルヴィスも、黒の王の態度が無礼だということくらい判る。特に国名を無駄に長いと言った件については、腹を立てても良い案件だった。
しかし、黒の王の態度、というか、在り様、といえば良いのか。彼には、まったく悪意がないのである。本当に、ただ思ったから言っただけなのだろう。それはそれでどうかと思うし、だからこそ腹が立つという人もいるのだろうが、ギルヴィスは怒りよりも、呆れというか、仕方ないなぁ、というような気分にさせられてしまった。
「ヴェールゴール王は、不思議な方ですね……」
「そう思っているのでしたら、良かった」
「フローライン王は、お優しい方です」
わざわざ他国の王のフォローに入るその律儀さを、優しさとして讃えたつもりだったのだが、白の王は柔らかな微笑みのまま、静かに首を横に振った。
「いいえ。優しいなどと言うことはないと思いますよ。私はただ、この大陸の平和を願っているだけなのですから」
平和のために、できるだけ不和がないようにと思っているだけなのです、と言った白の王の笑顔は、少し悪戯っぽさのある、けれどとても真摯なものだった。
だからギルヴィスも、心からの賛同と共に微笑んでみせた。
「はい、私もそう思います」
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