円卓懇親会 4
何とか無事に修羅場から逃れたギルヴィスは、きょろりと周囲を見回した。挨拶をしていない王はあと三人だ。彼らはどこにいるだろうかと探してみれば、残りの三人が固まっているのが見え、そちらに足を運ぶ。
残りの色は、白、黒、銀。特に最後が、最難関の相手である。何せ金と銀は、あらゆる気性が真反対だ。
リアンジュナイルの歴史において最も新しい金と、始まりの四大国に次いで建国された銀。新しきを尊び、大陸外にも広く国を開く金と、連綿と続く歴史を重んじ、伝統を尊ぶ保守派の銀。当代の王に関しても、王の中で最も若く経験の浅い若輩の金と、最も高齢で王としての経験を重ねてきた熟練の銀。気が合う気がしないし、事実気は合わないのだろう。
銀の王は供回りの騎士を背後に控えさせ、静かに料理を口にしていた。白の王はその近くで時折自分の供回りと会話をしつつ、会場全体を眺めながら喉を潤している。黒の王は、積まれた空き皿の横で黙々と目の前の皿に向かっていた。料理を平らげているようだ。
「エルキディタータリエンデ王」
どもりそうになるのをなんとか耐え、銀の王に声をかけると、濃い色の瞳がすいとギルヴィスに向けられた。よく研いだ刃の切っ先のような、鋭利な視線だ。思わず怯みそうになる自分を叱咤し、ギルヴィスは一礼をしてから銀の王の近くに座った。
銀の王は青の国のものらしき魚料理を食べていた手を止め、食器を置くと静かに口を開いた。
「何用か」
「この懇親会には初めて参加させて頂きましたので、挨拶回りをさせて頂いております。エルキディタータリエンデ王、私は未だ若輩の身ではございますが、これからも研鑽を積み重ね続け、より良き王を目指していく所存です。未熟な点が目につくこともあるかと存じますが、どうかご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
そう言って深く頭を下げたギルヴィスを見て、銀の王が目を細めた。
「王が軽々しく頭を下げるものではない」
冷たい一言に、ギルヴィスは慌てて顔を上げた。
「も、申し訳ございません」
「理解したなら
そう言って食事を再開しようとした銀の王に、ギルヴィスが再度声を掛け、菓子箱を差し出す。
「あの、よろしければ、お召し上がり下さい。西方の空に浮かぶ島より取り寄せたもので、」
「要らぬ」
最後まで言い切る間もなくばっさり切り捨てられ、ギルヴィスは思わず口をつぐんだ。
まぁ、予想の範囲内ではある。銀の国は閉鎖的な国で、わざわざ他国の文化に触れようと思う人間は少ない。そんな国の王が他大陸から取り寄せた菓子を口にするとは、あまり思えなかった。そもそも、銀の王は金の国の手広い貿易行為を好ましく思っていないのである。
しかし、判っていたとはいえ、少しばかり気落ちしてしまう。顔に出せば幼さを晒すからと努めて表情は変えなかったが、受け取ってもらえなかった菓子箱を見て、ギルヴィスは少ししょんぼりした。
そんな時だった。
「あ、何、要らないの? じゃあ俺が食べるね」
そんな言葉と共に、ギルヴィスの手からひょいと菓子箱が掻っ攫われた。
余りにもごく自然に持っていかれたため、一瞬ギルヴィスは何が起きたのか把握できなかった。一拍遅れ、持っていかれた先に目を向けると、そこには既に箱を開封して、菓子を取り出している男の姿があった。
黒の王だ。いつも通り何を考えているのかよく判らない顔をした彼は、他人宛のお菓子を貪ろうとしていた。
「あっ、あのっ、ヴェールゴール王!」
「え、なに?」
首を傾げた黒の王が心底不思議そうな顔で見てくるものだから、一瞬、横取りを咎めようとしている自分のほうが間違っているのかと思ったギルヴィスだっただが、そんなわけはない。いきなり人のものを持っていくほうがおかしいはずだ。けれどなんとなく、ちょっとだけ勢いがなくなってしまい、ギルヴィスは控えめに黒の王に伝える。
「……あ、あの、それは、その、……エルキディタータリエンデ王に、ご用意したもので、ヴェールゴール王の分はちゃんと、別に……」
「え、でも要らないんでしょ? 要らないって言ってたもんね? なら俺が食べても良いよね?」
「好きにせよ」
銀の王の端的な返答に、何故か黒の王は少しだけ胸を張るようにした。
「ほら。じゃあいただきまーす」
「あっ」
菓子を口に放り込んだ黒の王は、少しの間むぐむぐと咀嚼して、うーんと首を捻ると、呆気に取られているギルヴィスを見た。
「これあれだね、味はいいけど、なんかふわふわしてて食い出がない。食べた気がしないや」
そう言った傍から次の菓子を口に放り込んで、どんどん飲み込んでいる。
他人に用意された土産を横から盗って食べた割りに、驚くほど失礼な物言いだった。しかし黒の王の独特の雰囲気のせいなのか、嫌味などではなくただ本当に思ったことを率直に言っているような風情だからか、腹立たしさは抱けなかった。毒気が抜かされるというか、なんというか。
今、どんな反応を取るべきなのだろう。困っているギルヴィスに、黒の王がずいっと手を差し出してきた。
「ん」
「……ええと?」
「これ、俺の分もあるってさっき言ってたよね?」
「は、はい」
「ちょうだい。そっちは持って帰って家で食べる」
「え、あ、はい、その……こちらです。どうぞ」
ギルヴィスの手から本来の自分の分の菓子を受け取りつつも、黒の王の口は止まることを知らない。いつの間にやら、銀の王に用意していた分は食い尽くされそうになっていた。いくら口の中でほろほろ溶けていくマリムとはいえ、勢いが凄まじい。
聞いているのかいないのかよく判らないが、渡すものは渡したため、ギルヴィスは黒の王に向かって会釈をした。
「あの、ヴェールゴール王、その……これから、よろしくお願い致します……」
挨拶はしたものの、黒の王はやはり聞いているのかいないのかよく判らない、気の抜けた声で、んー、とだけ返してくる。そして彼は、空っぽになった菓子箱をテーブルの端に投げた。銀の王へと用意した分は、全て平らげられてしまったようだ。
「やっぱ食い出ないなぁ」
そう言いながら黒の王が手を伸ばしたのは、銀の王のすぐ傍にあるケーキの乗った大皿だった。そこから小皿に取り分けるでもなく、掴んだ皿をそのまま自らの元に引き寄せ、ホールケーキに直接フォークを突き立てる。
遠慮からはほど遠い行動にギルヴィスが目を剥くと同時に、誰かの怒声が響き渡った。
「ヨアン様ぁ!!」
慌てて声の方を見れば、一人の男が怒りも露わにこちらへ向かって来ていた。
両手と頭に乗せた計五つの盆の上に多種多様な料理や飲み物を乗せた彼は、見覚えがある。黒の国において宰相に値する、世話役と呼ばれている男だ。そして、親睦会が始まる前に、何故か黒の王の腕を掴んで押さえていた男でもある。
「あ、世話役遅いよ。ちゃんと紫のとこのお茶とか、黄色のとこのザナなんとかの卵とか、青のなんか良い魚のやつとか、持って来てくれた?」
ケーキにフォークを刺したまま、逆の手を世話役の持つ盆に伸ばした黒の王に、世話役の額にびきりと青筋が浮かんだ。彼は荒々しく、しかし盆の上のものは崩さないようにテーブルの上に盆を置くと、黒の王の頭をぱこんと引っ叩いた。
「遅いよ、じゃあありません! 貴方と言う人は! 少し目を放した隙に! 他国のものを!」
「えー、他国のものって言っても、そもそも皆で食べるためのやつじゃん。自由に食べて良いんだから、俺が食べても問題なくない?」
「皆さんで頂くものだと判っていながら! どうして! 独り占めするんですか! このおばか! もうそんなに皿を重ねて……!」
「良いじゃん、あそこは酒飲みで忙しいみたいだし、紫は引き篭もってるし、白の王も銀の王もそんなに食べないし。金の王だって小さいからどうせあんま食べないでしょ? だったら俺が食べないともったいない。特に銀はケチで国外にあんまり文化を流さないから、こういうときに銀の料理食べとかないと」
「あなたはもう少し遠慮と礼儀という言葉を学びなさい!」
火を噴く勢いで怒鳴る世話役に、まあまあ、と声をかけたのは白の王だった。
「少し落ち着いてください、世話役さん」
「あ、これはこれは、フローライン王陛下。申し訳ございません、こちらの躾不足でご迷惑を……」
「いえいえ、どうかお気になさらず。私は確かにそう多くを頂きませんし、折角皆さんが作ってくれたお料理を残してしまうのが勿体無いというのは、その通りだと思います。エルキディタータリエンデ王も、そうお思いでは?」
「とんでもございません、フローライン王陛下。エルキディタータリエンデ王陛下、ギルディスティアフォンガルド王陛下も、皆様本当に申し訳ございません、我が国の王が、いつもながら、どうしようもないほどに底抜けの馬鹿で」
「世話役、すぐ俺のこと馬鹿って言う」
「あなたは静かにしていてください、ヨアン様」
ぺこぺこと王三人に頭を下げていた世話役が、黒の王をぎろっと睨む。
ここまでの一連の流れで、ただひたすら呆気に取られていたギルヴィスだったが、二つはっきり把握したことがある。遅刻欠席魔の黒の王が今日に限って早く来ていたのは、いち早く食事をしたかったからだろう、ということ。その際にがっちりと世話役に掴まれていたのは、放っておくと勝手に先に食べてしまうからだったのだろう、ということ。ギルヴィスが最初に抱いた散歩のイメージは、あながち間違いではなかったのだ。
(……ヴェールゴール王の傍の、大皿の山……あれ、もしかしなくても、全部、ヴェールゴール王が……?)
今までのやり取りを見るに、有り得る話だ。黒の王はやや細身で、縦にも横にも平均的な身体に見えるのだが、本当に一人で平らげたのだとしたら、一体どこにそれだけの量が入るのだろう。
黒の王へ驚嘆の視線を横目に向けつつ、ギルヴィスはそろそろと白の王に近寄った。思わず忘れてしまいそうになったが、当初の目的を果たそうと思ったのだ。挨拶回りは彼女で最後である。
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