第188話 とんだ勘違い
ルーはスタスタと早歩きでスラム街へと向かう。
「ねぇ、ちょっと待ってよ」
案内役であるはずのナナが後ろからルーへと声を掛ける。ルーの早歩きに付いて行けないのだ。
そんなナナへルーは後ろを振り返り、無言で圧を掛ける。
「す、すみません、急ぎます」
ナナは小走りになってルーの前を行く。
(やばいわね、こりゃ)
ナナは人生で初めてと言っていいほどアッザムの身を案じた。
スラム街へ入ったルーたち。「まだ行ってないかもしれないわよ」というナナの一声でアッザムのアジトへ向かう。
アジトの入り口でアッザムの部下の男2人はルーとナナを見つけて頭を下げる。
「アッザムはどこです?」
ルーの声に男たちはたじろぐ。いつもは優しく声を掛けてくれるが、今日は棘のように刺さりそうな怒気を含んでいる。そして自分たちのボスであるアッザムを呼び捨てにしている。これは何かあったに違いない。
「申し訳ありやせん、俺たちのような下っ端はボスの予定は——」
「——分かりました」
ルーは途中で遮りアジトの扉を力任せに開ける。頑丈で大きな扉は外れてしまいそうなほどに。
「アッザム!アッザムは居ますか!?」
入り口の男たちはルーを止めに入ることは出来なかった。
その理由として、アッザムが組織の者全員にルーの強さは尋常じゃないと伝えていたからだ。自分たちでは敵わない絶対的な存在であるあのアッザムが一撃でやられると言っていたからだ。組織のトップとして自身を下げる発言は避けた方が良いのだが、アッザムはそれを気にも留めずに口にした。ルーの強さはそれほどであり、何より釘を刺しておく必要があった。
ルーの美貌は飛びぬけている。美しい故に本当にこの女がそんなに強いのかと疑ってしまうくらいに。ならず者の多いスラムではどうしても気が緩む。特に女絡みに関して。我慢が効かずにルーを襲おうという考えを削ぐためだ。
入り口に立っていた男たち2人もやはりルーに見惚れていた者たちだ。もっともルーを襲おうという考えは持っていない。いつもは見惚れてしまう男たちだが今日は違った。ルーの威圧が凄まじく、見惚れる感情など湧かなかった。アッザムの言う通り、ルーは間違いなく別次元の強さを持つ者だと。
そしてルーの後ろに控えるナナがしおらしい姿も印象的だった。唯一アッザムを小ばかに出来る女。仲が良いのか悪いのかよく分からない、アッザムと同等の強さを持つ女。そんなナナが今日は控えめな一歩引いた状態で居る。それは間違いなくルーが怒っているからだ。ナナがこんなに大人しいのなら自分たちも絶対にルーに面倒を掛けてはならないと素直に引き下がった。
中へ入ったルーは、最奥にあるアッザムの部屋を目指す。そして蹴破るかのようにその扉を開ける。アッザムの部屋には側近が居た。側近はいつもアッザムが座る椅子に代わりに座って書類仕事をしている。
「あなたはいつも横に居る…」
「…ルーさん、突然どうかされましたか?」
ルーの態度に驚きながらも冷静に返事をした。
「アッザム、アッザムはどこです?」
「ボスですか?ボスなら今ラルフさんと一緒に」
ルーは側近の眼前にまで詰め寄り、そして大きな目を見開いて側近へ問う。
「分かっています、そのアッザムがラルフを連れて行った場所へ案内しなさい」
ルーが部屋に入って来た時に気が立っているのは十分に伝わった。だがこの圧のかけ方は相当に怒っている。側近は緊張を覚えながらも、アッザムが何かしでかしたのか必死に考えるが、思い当たる節は無い。
「あの…うちのボスが何かしたでしょうか?」
側近は正直に問いただすことにした。もし何かアッザムがしでかしたのなら部下である自身が全力で謝罪し、何とか怒りの矛を収めてもらうしかない。それでもダメならボスに逃げてもらうしかない。しかし……
(この重圧、ちょっとシャレになりませんね。時間稼ぎしようにも私と組織の人間じゃあ…何分も持ちませんね)
「………ラルフをいかがわしいお店に連れて行っているのでしょう?それを止めるためにアッザムの行方を聞いているのです」
「へっ?」
「しらばっくれるおつもりですか?」
いよいよ我慢できなくなったルーは側近の胸元を掴もうとする。
「ちょ、ちょ、ちょ…ちょっと待って下さい。ボスがラルフさんを連れて娼館へ?一体誰がそんなことを?」
「ナナが言っています」
ルーは問い詰めながら後ろ指でナナの居る方向へ指す。側近は首を必死に伸ばしてナナの方へと見る。
「ナナさん、それはボスが言っていたのですか?」
「だってアッザムが面白れぇとこに連れて行ってやるって言ったのよ。そんなの娼館しかないじゃない」
それを聞いた側近は大きく息を吐いた。これはナナの発言に呆れたという意味と自身とボスの身の安全が保証されたという安堵が混じっている。割合としては後者の方が大きい。
「連れて行きませんよ、ラルフさんをそんな場所へは」
「へっ?」
ルーはたちまちきょとんとする。
「ボスはラルフさんへお気に入りの場所へ連れて行ったんですよ。ちょっと待ってください。今連絡を取ります」
側近は魔伝虫を取り出す。これは側近とアッザムを繋ぐ、緊急時に用いる魔伝虫である。
「………何かあったのか?」
魔伝虫越しからアッザムの低く緊張した声が伝わって来る。無理もない、魔伝虫で連絡することなどまずないのだから。
「ボス、今どちらにおられますか?」
「あん?その様子は緊急じゃねぇのか!?だったら切るぞ」
「いえ、それが——」
ルーは側近から魔伝虫を奪い取る。
「——アッザム!私です。今どこにいるのです!?」
「ん?その声は嬢ちゃんか。今はラルフとちょっと出かけてるぜ」
ルーの声に怒気が含まれていること、そしていつも「さん」付けであるのに呼び捨てで呼ばれていることに若干動揺しているが、冷静に答えた。
「そのちょっととはどこです?」
「それは俺とラルフの——」
「——アッザムはラルフを娼館へ連れて行ったのですか?」
「なんだって!?娼館だぁ!?」
ルーはアッザムの驚いた声を聞く。どうやら本当に娼館へは連れて行っていないらしい。
すると大きな笑い声が魔伝虫から聞こえて来た。
「はっはっは!嬢ちゃんが怒っている理由はそれか。それは一大事だったな。でも安心しろ。ラルフを娼館へは連れて行ってねぇ。今居る場所はな………」
ルーは魔伝虫を側近へと返却する。側近はアッザムから今いる場所を聞き、ルーたちを案内することになった。
「ごめんね、私のせいで。なんか勘違いしちゃった」
「ナナさん、本当に頼みますよ。寿命が縮みましたよ」
ナナの謝罪に側近が愚痴をこぼす。それほどルーの圧は凄まじかった。
「それにしてもあいつがねぇ、1人なるときに景色を観に行くなんて」
側近が向かう場所はスラムを越えた先にある丘のような場所。人気(ひとけ)のない場所で向かっている時点で景色がきれいである。
「ボスはスラムを仕切る人間です。時々ふらっと出かける時があるのです。1人になりたいのでしょう。無理もありません。私たち組織の命や国や貴族に睨まれないよう上手く立ち回らないといけないのですから。その重圧は計り知れません………ほらっ、いましたよ」
丘の先に見えるアッザムとラルフの姿。2人のバックには広大な海原。本来なら一色の碧に染め渡っているはずだが、今は大きな夕日に照らされ、陽に染められながらも紫がかった深みのある色が夜の訪れを告げている。
「私はこれで」
側近は自身が邪魔者だと思い、速やかに立ち去ろうとする。そんな側近にルーは慌てて謝罪する。
「勘違いして本当にごめんなさい」
腰を90度に折り曲げる。
「あはは。気にしないで下さい。あと、ボスはそんな野暮な人間ではありませんよ」
そう言って側近は去って行った。
謝罪をし終えたルーはナナと共にアッザムたちの元へと駆け寄る。
「おい、クソナナ。やってくれたなおめぇ」
「だってぇ」
さすがにこればかりはナナも言い訳が出来ない。自身の勘違いでたくさんの人間を巻き込んでしまった。ラルフはそんな2人のやり取りを見て思わず吹き出す。それにつられて他の3人も笑い出した。
「それにしても本当にここは良い眺めね」
「俺のとっておきの場所だったのによ」
「アルフォニアのスラム街にも同じような景色の場所があるよ」
ラルフのお気に入りの場所であり、そこはラルフの母親が眠る場所でもある。
「ふぅ~ん。でもこの景色には負けるだろ?」
「い~や、アルフォニアも同じくらい景色はいいぞ」
「へっ、強がりやがって」
そう言って2人は黙って景色に魅入る。ルーやナナも同様に。
十分に堪能し終えた4人は帰路の途中で話を始める。
「本当は私もあんたたちに付いて行きたいんだけどねぇ~、私にもいろいろ依頼がくるのよ」
上級者レベルの開拓者になると指名依頼が舞い込んで来る。ナナもその1人だ。カルロッサム、そしてゴブリンキング討伐の功績でギルドから依頼が殺到しているのだ。
「俺もな、一応スラムを仕切っている人間としてはそんなに留守にするわけにはいかねぇんだ。お前らには借りばっかりですまねぇな」
アッザムもスラムをまとめる者として動くには制限がある。そして、いろいろ力になれないことを申し訳なく思う。
2人の気を遣う気持ちにラルフとルーは嬉しく思う。
「別に永遠の別れじゃねぇよ。定期的に戻って来るしさ。あ、でも家は引き払わないとな。住みやすかったのに、あんまり過ごせなかったな」
「退去の手続きは私がしておくわよ。1人で住むにはちょっとでかいしね」
「助かるよ、ナナ」
「だったら俺が今、話をつけてやるよ。あの店主だろ」
以前アッザムにまがい物の貴金属を売り付けた貴金属のウロという店主が居た。そのつながりで不動産屋の店主もアッザムの網に引っかかったのだ。こちらの店主も悪儲けを働く子悪党である。そういう者にアッザムは容赦なく噛みつく。
アッザムは側近に連絡を取り、ラルフたちの家の退去する旨を伝えた。側近は「かしこまりました」と困る様子もなく返答する。
「これで大丈夫だ」
「悪いなアッザム」
「お前が魔界へ行く前に少しでも借りを返しておきたいからな………おい、この際どうだ!魔界へ行く前に娼館へ行ってみるか?」
「娼館?なんだそれ?」
「アッザムさん!」
ルーの獲物を見るような目つき。
「冗談じゃねぇかよ、嬢ちゃん。怒るな。怒るな」
「まったくもう」
アッザムは必死にルーを制した。
4人は談笑しながら飯でも食いに行く運びになり、平民街へ向かう。その時、前方から歩いて来る1人に目が行く。異質の空気を纏っていることがすぐに分かる。
「めんどくさい奴がいやがるな」
異質の空気を纏っている者はこちらに向かってお辞儀をする。それを見てアッザムが舌打ちをした。
「くそっ、不動産の野郎。やりやがった」
「誰あいつ?……相当強いわよ」
「ナナ、お前知らねぇのか。あいつは回収屋のミルコだ」
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