第181話 想い合っていた2人

ゴブリンキングを一刀両断した者、それはレオナルドであった。

 ルーは頭を被ったフードを取る前から「こんなことが出来るのは」とレオナルドの顔が浮かび、そしてこの目で視認して「あぁ、やっぱり」と思った。

 レオナルドが現れなければこの場にいるほとんどの者はゴブリンたちに蹂躙されていただろう。だからこそラルフを逃すという選択を取ろうとした。そのような窮地から脱したのにも関わらず、ルーの心情としてはもっと追い詰められた状況にある。

 レオナルドがゴブリンキングを倒したことなど、きっとついでに違いない。目的は何なのだろうか?本人はラルフを殺しに来たと言っている。


(どうすれば?どうすればいいんでしょう?)


 何も思い浮かばない打開策。そのような状況がルーを追い詰め、呼吸を荒くする。

 どうすれば…守りたいラルフの顔を覗く。


「ひっ…」


 憎悪と怒りが塊となったラルフの表情。それはレオナルドに向けられたものだが、ルーにとってはそれが自身に向けられていたのも同然であった。

 呼吸もさらに荒くなっているせいか、今のルーは過呼吸の状態と言っても良い。呼吸をしているのにも関わらず、どんどん息苦しくなり、次第に視界が暗くなっていく。

 目に映るラルフは何やらしゃべっている。目の前にいるはずなのにもう何を話しているか聞き取れないほど混乱している。

 目で確認出来る状況はラルフがアッザムから狂人薬を貰い受け、それと一緒にハイポーションを口にした。人類最強と言われたレオナルドと戦う気でいる………結果など目に見えているにも関わらず。


(どうすれば…どうすれば…)


 この状況をどうにかしたい。

 だがその手立ては一向に思い浮かばない。呼吸だけがどんどんと早くなって行く。

 そしてついにルーはブラックアウト寸前にまで陥った。絶対に気を失ってはいけないのにも関わらず、抗えそうにない。

 だがそんな意識も精神も定かではない状態の時、どこからともなく声が聞こえた。


『お願い!』


 その声を聞いた途端、ルーの意識は鮮明になった。

 荒くなった呼吸。まずはその呼吸を止めた。そしてゆっくりと息を吐き、そしてまたゆっくりと呼吸を始める。

 意識と共に思考がだんだんとクリアになって行く。


(一体誰が?誰の声なのでしょう?でも…)


 今はそんなことどうでも良い。自身がすべきことはこの状況を打開することだ。

 ラルフに許されないことをしたのは重々承知している。何度も自身を責め、呪った。でもその後に誓ったではないか。私はラルフに全てを捧げると。

 以前イリーナがラルフに言及していた。不器用な生き方も結構だが、どうしようもないときはそれを曲げてでも切り抜けるべきだと。打算的に生きても良いと。

 ラルフに『シンシア』の名を捨て、『ルー』として生きることを誓った。だが今はそんなことを言っている場合ではない。最悪なのは、ラルフが死んでしまうこと。それに比べれば、自身がシンシアと名乗ってラルフに憎悪を向けられることなど何とでもない。

 絶対に守る…そう心の中で反芻した時、ルーの目に再び力が宿った。そして力強く叫ぶ。


「アルフォニア王女、シンシア・ド・アルフォニアの名において命ずる!レオナルド!その方に危害を加えるのは止めなさい!」


 突如発せられた芯のある力強い声は周囲に響き渡った。その声はその場に居合わせた者全ての耳に入った。


「アルフォニア王女?…シンシア?」


 アッザム、ナナ、アドニス等。全ての者が驚愕した表情でルーを見た。

 だがルーの表情が揺らぐことはない。王族としての風格を纏ったその表情と佇まいが真実を物語っていた。

 ルーはレオナルドの方を直視していたが、自身のすぐ横に居るラルフがこちらに顔を向けていることが分かった。意を決してラルフの方へと向いた。

 単純に驚いた表情であってほしいとルーは願った。しかし、ラルフは変わらず憤怒していた。予想通りだった。許されざる者の烙印を改めて押されたそんな気がした。

 先ほどまでならラルフの憤怒した表情を見て、一気に怯えてしまうだろう。しかし今はそうならなかった。

 どこからともなく聞こえた声のおかげで今の自身は冷静であり、そして覚悟があった。だから自然とラルフへの謝罪の意を口にすることが出来た。


「申し訳ございません、ラルフ。ですがレオナルドにあなたを殺させるわけにはいかないのです。私はそのためならなんだってします」


 そう言って振り切るように再びレオナルドへ顔を向けた。


「レオナルド!すぐにその剣を納めなさい。これは命令です!」


 厳しい口調、厳しい態度でレオナルドへと言及した。

 考えて見れば、いつも傍に居て頼り切っていたレオナルドに対し、このような態度を取ることは初めて出会った。だがレオナルドの次の行動でルーは驚愕することとなる。


「————!」


(笑った?レオナルドが………なぜ?)


 レオナルドは事もあろう事かニヤリと不敵な笑みを浮かべたのだ。


(あぁ…)


 そしてすぐに全てを悟った。


(レオナルドの本当の目的。それは…)


 理解したと同時にレオナルドが口を開き、高らかに声を上げた。


「そうです!あなた様はアルフォニア王女のシンシア様です!断じてルーという名前ではない!」


 レオナルドの目的、それはルーの正体を明かすこと。そしてそれを広く周知させることが彼の目的だったのだ。

 周囲を見れば分かる。ルー正体を知った者たちは未だにその真実を受け入れることが出来ないのか、表情は固まったままだ。


「そのラルフとかいうおかしな者に弱みを付け込まれ、無理に従って生きることはさぞお辛かったことでしょう。ですがそんなことをする必要はございません。姫様は姫様の人生を歩めば良いのです。自身を偽る必要などございません!」


 ルーはその言葉に怒りを覚えた。


(ラルフが弱みを付け込む?ラルフがそのようなことをすることなどあり得ません!)


 どれだけ寂しくても、どれだけ苦しくとも、どれだけみじめとも、必死に耐え抜いて生きて来た愚直なまでの不器用な生き方。そのラルフを貶すことは絶対に許されない。

 ルーはすぐに反論しようとする。しかし、それはすぐ横に居るラルフの表情を見て思わず固まってしまった。

 さきほどまで怒りに震えていたラルフが今は目を見開いてこちらを見ている。驚愕した表情。それはレオナルドの言葉を信じたという証拠であり、自身がラルフを偽っていたということを意味する。


「お前は…お前は…」


 ルーは必死に首を振る。表情を見て、ラルフが言おうとする言葉がすぐに分かった。


「おま…え…は……俺に………嫌々——」

「——違います!」


 覚悟を、決心をしたルーもその原動であるラルフの前では簡単に崩れ落ちる。

 他の誰にどう思われてもいい。どんな目で見られてもいい。だけどラルフにだけは疑いの目を向けられて欲しくない。


「ラルフ!私はあなたの仲間です。どんな時も一緒です!決して偽ってあなたの仲間になどなっていません!」

「…………」

「信じて!」


 ルー自身としては懇願するように言ったつもりであった。しかし実際には想いがあまりにも強く、悲鳴に近い、言葉にならない声と表現した方が良い。

 何を言おうとしているのか非常に聞き取りづらい………だが逆にそれが人の心に響くことがある。

 ラルフは見る、ルーの必死の形相を。そして言葉にならない声を聞く。会話の流れからルーは否定しているのだろう。


(そうだ…こいつはルーだ。俺のためにルーはシンシアと名乗ったんだ)


 暗闇に包まれた空間に一筋の光が差し込むように、ラルフの怒りと憎悪に蝕まれた心に温かい何かが流れ込んで来る気がした。

 自身の置かれた状況を整理する。急に目の前に現れたレオナルドに憤怒し、アッザムからもう一度狂人薬を強引に貰い受け、二度目の服用をした。心臓の鼓動は速くなるばかり。そしてまた足には激痛が走る。


(足が限界を超えてるな。またやっちゃったな。でも今度は痛みがあるからまだマシかな。あのクソ野郎はぶっ殺してやりたいけど、ちょっと無理だな…そうなるとこの心臓の鼓動をどうにかしないと…この狂人薬っていうの、やっぱり劇薬だな。やばいな)


 ラルフは目の前のルーを見る。


(今のルーじゃダメだ)


 ルーから視線を外し、周囲を見る。


「ナ…ナ…」


 急に呼ばれたナナは急いで「何!?」と反応し、すぐさま駆け寄る。


「悪いけど、腹を殴ってくれないか?狂人薬を吐き出したい」

「分かったわ!」


 ナナはすぐさまにラルフの腹を殴った。躊躇なく出来たのは狂人薬が劇薬であるとナナも知っていたからだ。こんなものを日に2度。しかも成長しきっていない体が服用すれば心臓への負担は計り知れない。

「ぐわっ」という声と共にラルフは嘔吐した。体の中にいくらかは狂人薬が取り込まれてしまったが、吐き出せれば幾分かマシだ。

 ラルフはナナに肩を借りながら、この瞬間にも途切れるであろう意識の中、どちらに話しかけるか迷っていた。その相手とは、レオナルドとルーである。


「………ルー」


 ラルフはレオナルドではなく、ルーを選んだ。


「……はい………」

「……うたが……って……わるかっ……た。おまえを………しんじ……る…」


 その言葉を言い終えると同時にラルフの意識は途絶えた。


「ラルフ!」

「心配しないで。ラルフは気絶しているだけ。ヤバいことには変わりないけど、死んじゃいないわ」


 ルーにナナは出来るだけ優しく声を掛けた。


「大丈夫?」

「えぇ。ラルフが、信じると言って下さいました」


 ルーの想いはラルフに届いた。信じてもらえた。そのことがルーにとって何よりも嬉しくそして安堵をもたらした。

 それを面白くないかのように見ていたのはレオナルドである。自身に対し、憎しみをぶつけて来るものだと思っていた。攻撃して来るならば返り討ちにし、殺すつもりでいた。また、戦えないまでも憎まれ口を言おうものなら、周囲の者たちのラルフへの印象はやはり懐疑的なものとなる。だがラルフはそれをしなかった。

 ラルフが選択したもの。それはルーへ言葉を掛けることであった。即ちそれは、憎しみ、怒りの感情よりも仲間を想う気持ちが凌駕したのだ。その言葉のおかげで現にルーの壊れそうであった心が救われた。


(こいつはやはり姫様にとって危険な存在だ)


 レオナルドの取るべき選択はやはりラルフの抹殺。自身の処遇はどうなってもよい。アルフォニア王女が元に戻ってさえくれれば…。

 意識を失った者に刃を向けることなど騎士道に反することだ。だがその騎士道に反してでもラルフを殺すことが先決だ。

 レオナルドは今一度剣を握る手に力を込める。ラルフを支えている女が襲い掛かってこようとも容易に払いのけることは出来る。


(心臓を一突き。それでお終いだ)


「レオナルド!」


 だがこのレオナルドに唯一の障害が立ちはだかる。それはルーである。

 先ほど狼狽えていたルーも今は凛々しく力強さを取り戻している。


「去りなさい!」


 力強い有無も言わさぬ一言。実力ではレオナルドの方が圧倒的であるにも関わらず、目の前のルーが今のレオナルドにはとても巨大で絶対的に見えた。

 絶対に逆らってはいけないという思いを抱かせると同時に、王族としての資質を持ち合わせた人物であると再認識した。

 レオナルドは素直に剣を納める。


「姫様には必ず戻って頂きます」

「無駄です。私は戻りません。私はルーとしてラルフの傍に居ます」

「そのラルフという者が原因で、姫様がそのような行動を取っているのなら、私はその障害をいずれの日か排除します」

「レオナルド………」


 ルーはレオナルドの名を呼んだ後、言葉に詰まる。その沈黙のまま2人は見つめ合っていた。

 かつては互いに想い合っていた2人。お互いがお互いを尊敬し、共に歩んでいた。

 全てはあの日、シンシア(ルー)がレオナルドと共に訪れたアルフォニアのスラム街であるセクター4に訪れたことにより、運命の歯車は回り始めた。

 ルーは決心したかのように息を吐きだし、そしてレオナルドへ言い放った。


「レオナルド、あなたがラルフを殺そうとするならば、その前に私があなたを殺します」


 レオナルドはその言葉に反応することなく、黙ってフードを被り、そしてどこかへと走り去ってしまう。ルーはレオナルドの姿が無くなると同時に緊張の糸が途切れ、ラルフと同様に意識を失った。

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