第172話 お前には関係ねぇ
子供たちは目を丸くしている。
自分たちより少しだけ歳が上であろうと思われる少年がいきなり現れ、男たちの首に刃を当てている。
こいつはなんだ?仲間なのか?
急激な展開に付いて行けない。
「…なんだ…てめぇは?」
男の1人がラルフに声を掛ける。その声からは動揺が見て取れる。
「お前らが殴り飛ばしたガキたちの1人と知りあいだ」
ラルフは鋭い視線を左右に散らしながら冷たく答えた。
男たちは困惑していた。
目の前にいる人物は一見子供にしか見えない。だが冷酷な表情を見れば、明らかに先ほどまで相手をしていた子供たちとは異質。自分たちの首に当てられているナイフで今すぐにでも切られてしまいそうだ。
「なぁ、とりあえずこの物騒なもんを下に降ろしてくんねぇか?」
別の男が額に脂汗を滲ませ、ナイフを指差しながら話す。
「なんで?」
「「————!」」
目を見開く男たち。疑問形で返答されるとは予想しなかった。
だがその言葉は「嫌だ」という否定的な言葉よりもずっと重みがあった。
「なんでって…」
男は1人言葉に詰まってしまう。その先の言葉がどうしても見つからない。
アッザムの部屋の物を盗み、それを止めようとした10にも満たない子供たちに暴力を働き殺そうとした。
普通の街なかの店で強盗を働いていただけなら捕まえるという行為が正しいのだろう。
しかし、ここはスラム。盗みを働き、仲間を殺そうとした輩にナイフを当てる事は全く間違っていない、殺されて当然の存在であると。
男は自らの発言により、自分たちに刻まれた烙印を再認識する。窮地に立たされてしまったと焦る男たち。呼吸が自然と荒くなる。どうすればこの窮地を抜け出せる?
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」
その時、サラの妹、メグが涙声で姉を呼ぶ。
どうやらサラは気絶をしてしまったようだ。
ラルフはそれに目を盗られた。一瞬の隙が生まれた。
それを見ていた男の1人がすぐに動いた。自身の後ろにいる子供たちを人質に取ろうとしたのだ。
「ちっ」
ラルフは舌打ちをし、男を捉えようとするが、横から拳が飛んで来るのが見えた。なんと、もう1人の男が人質に取ろうとした意図を瞬時に理解し、それを止めようとするラルフに攻撃を仕掛けたのだ。
ラルフはこれを無視するわけにはいかない。ラルフが屈強な体をしていれば、攻撃を受けても問題がないが、ラルフは一般的に見ても非力である。男に殴られればダメージを食らう。そのダメージによろめいている間にサラたちを人質にとられてしまう。対処しなければならない。
殴りかかって来た男に合わせるように、ラルフはカランビットナイフを持ったままパンチを繰り出す。カウンターである。ラルフは非力だが、タイミングがドンピシャのカウンターは当たるだけで衝撃が凄まじい。
ラルフのパンチを顔面に食らった男はそのまま後ろへと倒れ込む。
人質を取ろうと動いた男は仲間がやられたうめき声を自分の背中から聞こえた。やはりそうなったかと。だがそのおかげで時間が稼げた。
男が伸ばした手のすぐ先には子供たちがいる。子供たちをこの手に掴み、人質すれば後はどうにでもなる。それにやられた仲間の声からするに殺された感じはしない。まだ生きている。男に勝機が見えた。
「————!」
突然、伸ばした手の甲にナイフが刺さった。
その驚きの後に熱さに近いような鋭い痛みが走る。
ラルフはカウンターを食らわせた後、瞬時に移動し、別の男の手の甲にカランビットナイフを突き刺した。ナイフは手の甲を貫通し、床に突き刺さった状態である。
悲鳴を上げる男。慌てて突き刺さってない方の手でカランビットナイフを抜こうとナイフに手を掴む。
だがその上に衝撃と共にブーツが降りかかって来た。ラルフが抜こうとするのを防いだのだ。
ナイフはさらに男の手へ食い込む。痛みはさらに増す。
今は熱い痛みではなく、はっきりとナイフが刺さった痛みである。
「動くなよ!」
ラルフは地面に這いつくばるような体勢の男に怒声を浴びせるように言った。
男は痛みに悶えながら顔を見上げる。その時ラルフは興奮状態で、息が上がり、全身で呼吸していた。
「分かった、分かったから。頼むから、もう許してくれ」
「動いたらどうなるか分かってるな!?」
「もう動かねぇ。動かねぇって。頼むよ」
痛みに悶えながら男は懇願した。そしてカウンターをくらった男もまだ伸びた状態である。男たちの戦意は完全に失われた。
ラルフはカランビットナイフを男の手から抜き取る。そこでラルフも大きく息を吐きだした。
「お前ら、大丈夫か?」
後を振り返り、声を掛けるラルフ。
サラの仲間たちはあっという間の出来事に呆然としていた。だがメグだけは自分の姉の体を必死に揺らしていた。きっと死んでしまったと思っているのだろう。
ラルフはそのメグの肩に優しく肩を置く。
「大丈夫、ちょっと眠っているだけだ」
「本当?」
「あぁ。本当だ」
ラルフはメグが安心できるよう精一杯落ち着いた様子で優しく声を掛けるように努めた。
そのラルフの声を聞いてようやくメグはサラから手を離した。
「————!」
ラルフは気配を感じ、後ろを振り返る。ドアが開く。
「おい、どういうことだ?」
アッザムが戻って来たのだ。
「アッザム。戻って来たのか?」
「あぁ。騎士団たちがようやく配備されたようだ。俺たちはお役御免で戻された………で、この状況は?」
アッザムは後ろを振り返り、一緒に入って来た部下の1人、側近の方へと顔を向ける。
側近は部屋の状況を見た途端に目を見開き、そして青ざめる。
「申し訳ございません、私の責任です」
側近はすぐさま謝罪する。
「とりあえずガキたちの治療が先だ。おい」
アッザムの言葉で部下の数名が動く。意識が失っているサラは抱きかかえられたが、それ以外の者たちは自分たちの足で移動が出来るほどで傷はほとんどない。そしてサラも軽症だ。治療室へと運ばれた。
子供たちがいなくなったところでアッザムは状況の整理をし出した。この時周辺に現れたゴブリンは討伐したため今は落ち着いている。
「ふ~ん、こいつらが俺の宝を盗もうとして、ガキたちがそれを阻止しようと動いたってわけか」
気絶した男を起こし、2人共アッザムの前に座らせる。
男たちはアッザムを前に震えている。まともにアッザムの顔を見る事が出来ず床を見ている状態だ。
「てめぇらは俺の恩情で助けてやったのにも関わらず、俺の宝を奪おうとしたわけだ」
男たちは床に座らされていたが、そのまま土下座をして謝罪する。
「頼む。アッザムさん。魔が差したんだ。勘弁してくれ。この通りだ!」
しかしアッザムはそれに反応しない。
ここでアッザムは中腰になり、男たちに顔を近づける。
「俺の優しさを裏切るばかりか、てめぇらは俺の仲間に手を出した」
土下座した男たちはアッザムの地鳴りのような低い声が間近で聞こえるのを感じた。
そして恐る恐る顔を上げる。
そこには目をギラりと見開いたアッザムの恐ろしい顔があった。
男たちはあまりの恐怖で呼吸が止まってしまいそうだった。
「おい、こいつらどうするんだ?」
ラルフがアッザムに声を掛けた。
アッザムはラルフの方へと顔を向ける。
「小僧、おめぇ手をケガしたのか?」
「いや」
「………」
アッザムはラルフの手をじっと見つめる。
ラルフはしきりに手を触っていた。それは男を刺した方の手だ。
「小僧、おめぇは俺の組織の人間じゃねぇ。関係ない奴には教えられねぇ」
「何だよ、それ」
「なんでもだ。お前には関係ねぇ」
何も言っても無駄だ。アッザムの答えであった。
「ガキたちの治療はしっかりする。もうこんな事もないようにもする」
アッザムがサラたちを危険に晒した事に責任を感じているのだろう。その気持ちが理解出来たラルフは「分かった」と素直に下がった。
「俺はルーのところに戻るよ」
「あぁ。俺も落ち着いたらそっちへ向かう」
ラルフはアッザムの部屋を出る。その時なぜか側近が見送りにラルフに付いて来た。
これはアッザムに命じられたわけでもない。
アッザムの客人という点で見送りに来たと解釈すれば違和感がないが、側近にはラルフに伝えたいことがあって付いて来たのだ。
「気持ち悪いでしょ?」
「えっ?」
アジトの出口で側近がラルフに話しかける。
「人を刺したのは初めてですか?」
「あぁ……初めてだ」
ラルフはまた右手を見た。ラルフの手にはまだサラたちを襲った男を刺した生々しい感触が残っており、それがいつまで経っても剥がれそうにないのだ。
十分に反応出来た。ラルフから見て男たちの動きは遅い。だがラルフは躊躇したのだ。
ラルフはナイフで脅す事は出来てもナイフで人を刺す覚悟が出来ていなかった。
1人の男はカウンターで合わせてなんとか対処出来た。しかし、もう1人の男はサラたちに後ちょっとのところまで迫っていた。
ラルフは力で男を組み伏せる事が出来ない。無力化させるにはカランビットナイフで刺すしか手が残っていなかった。
背中を刺す事も出来たが、それにもまだ抵抗があった。
よって瞬時に加速し、先回りして男の手にナイフを刺す事にした。残された手段がそれしか無かった。
「気持ち悪いでしょう?嫌な気分でしょう?」
「あぁ…嫌な気分だ」
動物や魔物を狩るのとは訳が違った。サラたちを襲った憎らしい人間だとしても、その人間たちを殺しても構わないと気持ちが衝動的に湧いても、それを実行する事には抵抗があった。そこには言い表す事ができないほどの何かがあった。
「ラルフさん、それでいいんです。それを絶対に忘れてはいけません。ボスも同じことをきっと思っているはずです。」
「アッザムが?」
側近は頷く。
「ボスはラルフさんの変化に気付いています。だからラルフさんの事を慮って「お前には関係ない」とおっしゃったのです。ラルフさんはこの先の事を知らなくていい。あなたは我々とは違う。知っちゃいけないのです」
スラムは汚く貧しい場所である。そこに住まう人間たちはそのスラムの空気に触れて人間の心を荒んで行く。
スラムの住人は少なからず悪事に手を染める。悪い事とは理解していても生きていくためにそれをしないと生きて行けない。そうやって手を染めていく中でそれが日常となり、罪悪感が薄れて行く。側近もその1人だ。
だがラルフは違う。ラルフはそんなスラムの中で1人生き抜いて来た。耐え忍んで生きて来たのだ。
アッザムはこれから組織のボスとしてけじめをつける。絶対に許さない。男たちは捕まって収監されるのではなく、もっと残酷な運命を辿ることは決定事項だ。
アッザムの願いはそれをラルフに見せたくないというのだ。
「ラルフさん、ボスはラルフさんの事を大切に思っていらっしゃいます。だからどうか分かって下さい」
側近は頭を下げる。
「分かった…どうもありがとう」
ラルフは大きく頷き、感謝の意を述べた。
「じゃあ俺は行くよ」
「分かりました。ゲート周辺はゴブリンがたくさんいます。どうかお気をつけて」
ラルフはルーたちのゲートの方へ走って行った。
「さて…、お前ら外に出ろ」
アッザムは声を掛ける。
サラたちを襲おうとした男たちはなぜか治療された。ラルフに手を刺された男もポーションを与えられ、手には包帯が巻かれている。
もしかして許されたのか?殺されずに済むのか?そう期待を抱かずにはいられない。
「アッザムさん…いや、ボス。俺はあんたに忠誠を誓う。なんでも言ってくれ」
生き残れるという期待から思わずそんな言葉が出た。それを聞いたアッザムは笑みをこぼす。嫌な笑みだ。
「そうか。ならさっそく働いてくれ——おい」
部下の2、3人が武器を持って地面へと並べた。そこには剣、ナイフ、斧などいくつかの武器が並べられていた。
「好きなのを取れ」
「これって…」
「いいから好きなのを選べ」
アッザムの威圧感のある声にたじろぎ、男たち2人は武器を取る。そしてアッザムの方を見るが、アッザムは別の方向を見ていた。
「結構の数がいるな。思ったよりも早いな。騎士団の奴ら、しっかりやってんのか」
アッザムの向く方向にはゴブリンたちが見えた。数は10匹を優に超える。
男たちはそれを見て理解する。一緒にゴブリンを討伐するのかと。無理もない。ゲートを渡って魔物が押し寄せるなど前代未聞のことなのだから。
「行け」
「えっ?」
アッザムはと冷たい表情をしていた。その冷たさが冗談で言っているのではないと理解出来た。
「生きるか死ぬかはお前ら次第だ」
「そんな…ボス……待って下さい」
自分にとって都合のいい淡い期待は見事に崩れ去った。残酷な現実がのしかかる。
「さっさと行けよ。ゴブリンたちが近づいてきちまったじゃねぇか」
その時男は気付いた。部下たちはみんな自分たちに向けてボーガンを構えていた。もし逃げたらどうなるか分かっているなとアッザムの意志表示だ。
「い、いやだぁーーー!」
その時、先ほどラルフにカウンターを食らった男がその場を放棄して逃げ出した。
「おい」
アッザムが部下に冷たく落ち着いた様子で声を掛ける。部下はボーガンを構える。
「足を狙え」
内放たれたボーガンは見事に逃げた男の左足のふくらはぎに命中した。男は派手に転び、絶叫する。
そこへ逃げたゴブリンが殺到した。
「助けてくれ!嫌だ!死にたくない!」
ゴブリンたちが男を襲った。飢えているのだろうか?ゴブリンたちは男の体にかぶりつく。
断末魔のような叫びがこだまする。
「行けよ」
男が視線を戻すと眼前にアッザムの顔があった。そこには抗えない恐怖の塊があった。
行くしかないという衝動に駆りたてられ、そしてゴブリンの方へと向かって駆けて行く。奇声にも近いと呼べるほどの声を張り上げ、一番近くにいるゴブリンに向かって剣を突き刺す。
男にゴブリンを圧倒する力があれば生き延びられたかもしれない。だがそんな力は持ち合わせていなかった。最初のゴブリンに剣を突き刺すも、その剣を抜いている間に別のゴブリンたちに攻撃され、あっという間にやられてしまう。
結局、男2人はゴブリンの餌食となって人生の幕を閉じる事となった。アッザムはそんな男たちの最後を無表情で見つめていた。
男たちをなぶり殺したゴブリンたちは再び起き上がり、アッザムたちに狙いを定める。
それを見てアッザムは部下たちに檄を飛ばす。
「よし、てめぇら!第2ラウンド開始だぁー!」
アッザムたちのゴブリン狩りが再び始まった。
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