第120話 新しい回復薬の効果

 翌朝、モニカが液体の入ったビーカーを持って入室してきた。ラルフ、そして横にはルーが居る。ラルフは割かし平気な様子であったが、ルーはとても緊張した面持ちでいた。


「いよいよ今日は竜血樹の樹液とポーションを混ぜた物をラルフに飲んでもらうわよ」

「確認するけどいつもみたいに薄めた樹液じゃなくていいんだな?」


 モニカは頷く。


「今までの結果を考慮すると、おそらくそこまでいい結果は得られないと思うの。それよりもポーションは人間に合わせた回復薬だから一緒に飲んだ方がいいと思うの」

「それはポーションが竜血樹の補助的な役割をするという事ですか?」

「そうね。一緒に飲む事によってより体に馴染ませるといったイメージでいいと思うわ」


 その言葉にルーは納得し、ラルフに顔を向ける。


「ラルフ、気分はどうですか?」

「昨日は久しぶりにぐっすり休ませてもらった。ちょっとだけ緊張しているけど、良好だ」


 2人はモニカの方へと向き直り、準備は出来ていると頷いた。モニカもそれに応えるように頷き返し、新しい回復薬の説明を始める。


「これは従来のポーションに竜血樹の樹液を混ぜた物よ。水、回復草、魔石を調合する時に一緒に樹液を入れて生成したの。はっきり言ってこの調合のする順番がこれで良かったのか現段階では分からない。それに樹液の配合量だって勘よ。今は何が正しくて何が正しくないのか分からない状態。ラルフが目にしている液体は本当に未知の液体よ。新しい回復薬なんて言っているけど、毒と言った方が的確なのかもしれない。どうする?今ならまだ止められるわよ」

「このままじゃどうせ脚は治らないんだ。だったら少しでも可能性を懸けたい。俺はそれを飲みたい。モニカが作った回復薬を飲ませてくれ」


 そこにラルフの迷いは無かった。揺るぎないモニカへの信頼があった。

 しかし反対にそんなラルフの顔を見てモニカは少し困惑してしまった。

 およそ3週間。モニカは休むことなくラルフに付きっ切りだった。経過観察の間もずっと新薬の開発のために全力を注いだ。ラルフの反応を見て、どれほどの配合量にすべきか必死に模索し、調合した。自分に出来うる全てを詰め込んだ。そうモニカ自身も自負している。しかし、一生懸命作ったからと言ってそれが絶対に良い物とは限らない。努力が全て報われるとは限らない。それが世の常だ。

 本来ならば他の生物で様子見したいところだが、このホープ大陸に生きる生物は魔力を持たない生物ばかりである。即ち人間で試すしかないのだ。

 この中で一番緊張していたのはモニカであった。信じて疑わないラルフを見てさらに緊張は増す。それは緊張と通り越し、恐怖を抱くまでになっていた。


「もう一度確認するわよ。準備はいい?」

「そう何度も確認するなよ。俺は飲むぞ」


 それを聞いてモニカも覚悟を決めた。


「飲む量はいつものポーションと同量よ」


 モニカは両手でビーカーを手渡そうとする。だがやはり緊張で手が震えていた。反対にラルフは動じることなく片手で受け取った。


「よし、飲むぞ」


 ラルフは迷い無くビーカーに入った液体を一気に飲み干した。


「ラルフ、体に異変はありませんか?」


 ルーが心配するように声を掛ける。モニカも心配な顔をしている。


「いや、何もないぞ。それにしてもまずいな、これ」


 ラルフは2人を安心させるためにもおどけてみせた。モニカやルーはそれを見て笑う。しかし、


「————!?なんだ?」

「ラルフ!どうしました!?」


 ルーが慌ててラルフに駆け寄る。

 ラルフはルーに目を向ける。「ラルフ!ラルフ!」と懸命に声を掛けているのは分かる。だがその声は自身の内から聞こえる心臓の音により、ほとんどかき消されていた。

 激しい動悸。さらに心臓は早く鼓動をし出す。同時に体全体が熱くなる。体中に巡る血管の血液がまるで激流のように駆け巡っている。そして、


「脚が…俺の脚が…」


 超越者のエッジと対峙し、脚を酷使した時のように、脚全体が燃えるような感覚を覚える。


「ラルフ!ラルフ!」


 ルーは懸命に声を掛けるがもうラルフにその声は届いていない。ラルフの意識は朦朧としていた。

 その横では万が一に備えていた医師がラルフの容態を確認する。医師はラルフの瞼を見開いて驚く。血流が激しい影響を受けているのか、目までもが赤くなっている。

 医師はルーをどかせて聴診器で心臓の音を聴く。そしてモニカの方を見て、


「異常に心拍数が早いです。モニカさん、どうします?通常ならば心拍数を下げるために処置を施します。ですが今これは間違いなく——」

「——新薬の影響ね。それに」


 モニカはラルフの脚に触れる。


「熱い。脚が特に」

「モニカさん、すぐに冷やした方が!」


 苦しむラルフを見て少しでもその苦しみを和らげたいと願うルー。しかし、モニカは首を振る。


「これはきっと脚が新薬に反応している証拠。今はこのまま…このまま見守るしかないわ」


 苦しむラルフの額からは滝のような汗が流れ出る。モニカはその汗をタオルで丁寧に拭き取る。それを見た医師は


「せめて点滴を打ちましょう。このままじゃラルフさんは脚が治る前に干上がってしまう」


 医師は点滴の用意をし始めた。


「ラルフ、頑張りなさい。後はあなた次第よ」

「ラルフ…」


 ルーはラルフの手を両手でぎゅっと握りしめた。


 12時間後。

 ラルフは意識を取り戻す。左手を誰かが握りしめているのが分かる。


「ルー?」

「ラルフ!」


 ルーはその声にハッと顔を上げる。ルーは椅子に座り、祈るような形でラルフの手をずっと握っていたのだ。


「今すぐにモニカさんと先生を呼んで来ます!」


 ルーがいなくなったラルフは真っ先に脚を見た。


「あっ」


 声は小さかった。だが声を出さずにはいられなかった。


「俺の脚…」


 超越者との戦いを終えたラルフの脚は黒く変色していた。しかし、今のラルフの脚は他の部位と同じような肌の色を取り戻している。


(新薬は効いたのか?)


 次は皮膚感覚だ。だがこれは先程からベッドに触れている感覚がちゃんとある。また脚が未だに熱を帯びているのも分かる。


(次は動かしてみるか)


 動作確認。足の指を動かしてみる………動く。

 次は膝を立てようと試みる。


「いてっ!」


 その時、同時に扉が開いた。そこには慌てて入って来たモニカたちがいた。


「あー!もう!動かしてる!」


 モニカは文句を言うような口調だった。


「おはよう、実験体のラルフさん。体調はどう?」

「見ての通りだ。脚はまだ痛い」

「まぁずっと動かして無かったわけだしね。それで以前のような激痛?」

「いや、そこまでじゃない。それと…まだ若干熱を帯びてる感じかな」

「熱を帯びてる…と。それで体の他の部分は熱くない?」

「それはない。大丈夫だ」


 すると医師が近寄って「失礼」とラルフの胸に聴診器を当て、鼓動を確認する。


「心臓も通常の心拍ですね」


 とモニカへ告げ、モニカはそれに頷いた。

 そして後ろからそれまでずっとしゃべりかけるのを我慢していたルーが近寄りラルフに声を掛けた。


「ラルフ…」


 ルーはラルフの名前を呼ぶ事しか出来なかった。だが呼び声に全ての感情が詰まっていた。


「ルー、心配かけたな。でも大丈夫。俺は無事だ」


 そしてラルフもルーの感情を読み取り、安心させるように優しい声と共に微笑みかけた。


「良かったです。本当に良かった」


 ルーは目に涙を浮かべもう一度ラルフの手にしがみついた。


「それで、今日はどうする?もう新薬は飲まないのか?」

「あったり前よ。これ以上飲んだらキャパオーバーで今度こそぶっ壊れるわよ。今日はもう飲まないわ。それにもう飲む必要はないと思うの。明日からは以前のような薬液に付け込む治療をすればいいと思うわ。治療は成功よ。あなたの脚はもう大丈夫」


 それを聞いたラルフ、そしてルーも目を丸くして喜ぶ。


「本当か?」

「えぇ、本当よ。それじゃあ今日はゆっくり休みなさい」

「なぁ、新薬はこれから出回るようになるのか?」


 それを聞いたモニカは首を大きく左右に振る。


「とんでもない!まだまだ調整が必要よ。今回、竜血樹の樹液を混ぜた量が多かったみたい。あんたはなんとか持ちこたえたけど他の人は耐えられないかもしれない。混ぜる量を減らさなきゃ」

「また試したくなったら遠慮なく俺を使ってくれ」

「助かるわと言いたいところだけど、後はこっちでなんとかするから結構よ。ラルフは自分の脚を早く元通りにする事だけ考えればいいわ。じゃあ私は研究所へ戻って報告書を書かなきゃいけないから…あっ、何かあったらすぐに呼びなさいよ!」


 そう言ってモニカは病室を出て行こうとする。


「モニカ!」


 ラルフは慌ててモニカを呼び止める。


「ん?」

「俺の脚を治してもらって本当に感謝している」


 そこでラルフは背筋を伸ばし深々と頭を下げた。


「ありがとうございました」

「どういたしまして。でも治ったらあんたにはとびきりの願いを聞いてもらうから。覚悟しておくのです」


 そう言ってモニカは手をひらひらさせながら病室を出ていった。

 こうしてラルフの脚は新薬によって見事復活を遂げた。

 今回モニカが開発した回復薬は後に改良され、「ハイポーション」と名付けられた。

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