第116話 見落としていた問題
「これで24時間経過。24時間後も見た目としては………変化はなしと。ラルフ、樹液箇所の塗った場所に違和感はある?」
「………」
「ねぇ、変化は?答えなさいよ」
「無いよ。無い。1時間前と同じで全くない」
面倒くさそうに答えるラルフ。それもそのはず、このやり取りはかれこれ24回行って来た。
「なぁもうちょっと——」
「——こういうものよ。脚を治したいなら言う事を聞きなさい」
モニカはピシャリと言い切った。ラルフは自分の脚を人質に取られたようで言い返す事が出来ない。
「じゃあ次に行きましょう。次は——」
「おっ、次か?次はもう薄めないで行くのか?」
「何言ってるのよ、次は5倍希釈よ」
「なっ………」
ラルフの声と呼吸が止まる。
「なぁもしかして…これもまた24時間か?」
モニカはニヤリと笑い、
「ご名答」
とだけ答えた。それを聞いたラルフはぐったりとうなだれる。
「ラルフ、こういうものだと割り切りましょう」
ルーは慰めにならないとは思いながらも慰めの言葉を言う。
「それじゃあ次は5倍希釈の…あっ、しまった!また忘れてきてしまいました」
そう言ってまた竜血樹の樹液を走って取りに戻るモニカ。この忘れ物癖はどうにかならんのかとラルフはため息を吐く。
「さぁ、また腕に塗るわよ~」
元気な声を出し戻って来るモニカ。その手にはまた竜血樹の樹液を薄めたと思われるビーカーを手にしているが、ルーがある事に気付く。
「あの、モニカさん。それ本当に5倍希釈なのですか?10倍希釈の物と同じような色をしているのですが」
「あっ!間違えた!」
そう言ってまた慌ててモニカは病室を出て行く。
「あっぶねぇ~。ルーが言わなきゃ24時間無駄になるところだった」
「で、ですね」
2人は一抹の不安を覚えながらもモニカの帰りを待つ。そして10倍希釈の時と同じように実験を行う。
その後も5倍希釈の後は、2倍希釈。そして原液。計5種類の実験を繰り返したがいずれもラルフの腕に変化は無かった。
次は患部、脚に竜血樹の樹液を塗る事になった。もちろんこれも10倍希釈から始まる。
「また10倍希釈からか。先は長いな」
この時になるとラルフは文句を言わなくなっていた。1つは諦め。もうこういうものなんだと割り切るようになった。
そしてもう1つはモニカの働きぶりを見ていたからである。この5日間、モニカは一度も欠かさず事無く、必ず1時間毎に現れ、ラルフの検診を行った。他に仕事はいくらでもあるだろうに。睡眠だってほとんど取れていないはずだ。体も辛いだろうが愚痴は一度もこぼさなかった。シュバルツがモニカを優秀と言った理由が分かった気がした。
モニカはラルフの脚に巻かれた包帯をほどく。どす黒くなったラルフの脚を見て、心臓が大きく音を立てた。
(…この脚、相当つらいでしょうに)
「それでどうするんだ?全体に塗るのか?」
「これも部分的に塗るわ。マイナスのリスクを少しでも抑えたいから」
そう言って、モニカはラルフの右足のすねの部分に10倍希釈の竜血樹の樹液を塗った。
「何か変化は?」
「いや、今のところは感じない」
「分かりました。それではまた1時間後に——」
「——なぁ、ちょっといいか?」
「どうしたの?やっぱり患部に塗るのは不安?」
「いや、そうじゃない。今まで他の生き物に実験してきたんだろ?その結果はどうなのかと思ってさ」
「あぁ、それはねぇ、今のところは、効果なしね」
「「————!」」
ラルフとルーは驚愕する。
「効果が無いって…おいおい、本当かよ」
「本当よ。全く効果が出てないの」
モニカの言葉に2人はショックを受け、その心情が表情となって現れる前にモニカが再度口を開いた。
「でも私たちはこの結果に納得が出来ているの」
「どう——」
「——どうしてですか?」
ラルフの声に上乗せするようにルーが声を掛けた。ラルフの脚が回復するように願っている思いは本人と同等かそれ以上に強い。
「2人とも、このホープ大陸の歴史は知っている?」
「あぁ。この間、陛下と話した時にちょっと教えてもらった。この大陸は魔素がとっても薄いんだろ?だから300年前にここに移り住んだって」
「分かっているなら早いわ。今言った通り、この大陸は魔素がほとんどない。だからこの大陸の生物は体の中に魔力が宿っていないのよ」
魔界は魔素に溢れた場所であり、竜血樹はその魔素を栄養分として取り込み成長する。そしてその竜血樹の赤い樹液を取り込もうとする魔物たちもまた魔力を宿しているのだ。
「つまりあれですね。魔力を有していない生き物に竜血樹の樹液を与えても何ら効果を示さないと」
「そういう事。そして今、魔力を宿している者…ラルフの事ね。その魔力を宿している者に初めての投与を行っているってわけ。必ず何か反応はあるはず。どう、慎重になるのも分かるでしょ?」
ラルフとルーは大きく頷いた。魔力を宿しているラルフには必ず何か反応が出てくるはずだと、希望を持ち始めた。
「この竜血樹の樹液がポーションを超える回復薬である事を願うばかりだな」
するとモニカは人差し指を立て、チッチッチと指を振る。
「そこはちょっとニュアンスが違うわね。い~い、竜血樹はただの足掛かり。私たちが目指すのはその先。竜血樹という素材を活かすの、私たちの技術で。要は自然と技術のハイブリッドよ。じゃあ、また55分後」
そう言ってモニカは部屋を出て行った。
「ハイブリッドか。初めて聞いた言葉だ。やっぱり頭の良い奴は言う事が違うな。モニカたちはあれか、ポーションを超える回復薬を作り出すつもりなのか?」
「そういうことなのでしょう」
「ポーションって回復草を元に作っているんだよな?」
「はい。ご存じだと思いますが回復草だけじゃポーションは作成出来ません。水と魔素がそこに加わる事で生成出来ます。ただ…」
「ただ?」
「単純そうに思われがちですが、ポーションの精製は国から認定を受けた者、『錬金術師』と呼ばれる者だけが作成する事が出来るのです」
錬金術師。古代は卑金属を人工的に貴金属に変遷させる者の事を指したが、現代では解釈が広がり、貴重な薬を生成する者もこの名として呼ばれるようになった。貴重な薬として最もポピュラーなのがポーションである。ポーションは広く普及された代物であるが、ポーションを生成するには非常に技術を要するのだ。
「錬金術師か…なんだかカッコいい名前だな。そいつらはやっぱり研究所の人たちのように頭の良い人たちなのか?」
「というより研究所職員と兼務されている方が多いと思います。彼らは魔界全般を取り扱うプロフェッショナルですから。」
「モニカもそうなのかな?」
「先程の会話の内容ですとおそらくそうではないかと」
ラルフは改めて研究所の職員の者たちがどれほど特殊な人間であるかを痛感した。
その後、腕の時と同様に5倍希釈、そして2倍希釈を脚に塗ったが、いずれも反応は無かった。そして次に原液を投与する。
「原液か。これに変化が無かったらどうなるんだ?」
「次はいよいよ体内に入れていく事になるわ。でもとりあえず今は原液を脚に塗るわよ。ほら、脚を出して」
ラルフは言われるとおりに脚を出し、モニカは一部に竜血樹の樹液を塗った。
「どう?変化は?」
「いや、今のところはないな」
「分かったわ。それじゃあとりあえず様子見ね。1時間後にまた来るわ」
昼間、ラルフは窓の外の景色を眺めていた。かれこれ1週間近くこの病室に居る。スラムに住んでいた時のように誰かの襲われる心配はないし、固い地面に座って眠るわけでもない。居心地は申し分ないがやはり退屈である。
そしてつきっきりで横に付いているルーもやはり退屈なのか軽くあくびをしており、そして人前でそのような事をしてしまった自分に少し恥じらいを感じていた。やはりお嬢様気質がまだ抜け切れていないのだろう。そんなラルフもルーのあくびを見て自身も少し眠気を感じていたが、
(…ん?なんだ?)
ラルフは自身の脚に目を向ける。先程モニカが原液を塗って30分ほど経過した。その部分が若干熱を帯びている感じがするのだ。
「ルー?おいルー」
半ば夢の中に居たルーはラルフに声を掛けられ我に返る。
「は、はい。どうかしましたか?あ、もう1時間経過…ではなさそうですね」
「違う、樹液を塗った箇所が少しだけ熱いんだ。モニカを呼んで来てくれるか?」
ルーの両目が見開く。眠気は完全に吹き飛んだ。
「すぐに呼んで来ます!」
そう言うと病室から飛び出して行った。そしてすぐに血相を変えたモニカを引き連れて帰って来た。
「ラルフ、今の症状を教えて!」
「いや、なんてことはない。ただ塗った箇所が熱く感じるだけだ」
「他に熱く感じる場所は?足全体が熱く感じる?」
そこからはモニカの質問責めであった。ラルフはその質問に一つひとつ答えた。この24時間、モニカは出来る限り病室で過ごした。
結局のところ、塗った箇所が数時間ほど熱を帯びていたがその後は何も感じる事は無かった。
「で、次はどうするんだ?いよいよ樹液を飲むのか?」
だがモニカは首を横に振る。
「いえ、もう一度樹液を脚に塗るわ。今度は脚全体に塗って反応を見るわ」
そう言って竜血樹の樹液を取り行き、その後戻って来たモニカは樹液をラルフの脚全体に塗った。
やはり、30分程度でラルフの脚全体が熱くなるのを感じる。そして先程よりもその熱を帯びる感じは強い。
「ラルフ、脚はどんな感じ?」
「ぽかぽかした感じだ。焼けるような熱さはない」
モニカはその言葉を聞いて冷静に頷いた。
「やはり、ラルフの体内にある魔力に反応しているわね」
「これは効いているって事なのか?」
「いや、それは分からないわ。あくまでも反応しているだけかもしれないし。とにかく竜血樹の樹液があなたの魔力に反応しているんだと思う。しばらくの間、これを続けるわよ」
その後1週間、ラルフは竜血樹の樹液を脚に塗り続け経過観察をする事になった。
これと言った変化も無く、6日経過した昼頃、ルーが急に大声を出す。
「あっ!」
「どうしたんだよ、急に大声を出して」
ウトウトとしていたラルフはルーに起こされる。そしてルーは何を思ったのか急に金が入った袋を取り出して、その中の確認をする。そして「やっぱり」と口にした。
「ラルフ、問題が発生しました」
「問題?どうした?」
「今月のお家賃が…払えません」
「もうそんなに経つのか!?それで家賃の支払いはいつになるんだ?」
「…明日です」
2人は急に焦り出す。
「おい、金を払えなかったらどうなるんだ?追い出されるのか?」
「どうなんでしょう?多分そうなるかと」
ラルフは貧乏過ぎて家を持てず、路上暮らし。そしてルーは人間社会の頂点に位置する存在で城暮らしをしていたために、家を借りたことなどない。そのため2人には支払いが出来ない=家を追い出されるイメージしか湧かなかったのだ。すぐには追い出されないという想像は全く出来なかった。
「どうしましょう?ナナさんやアッザムさんにお金を借りましょうか?」
「いや、それは最悪の手段としよう。それよりもルー、今すぐ魔界に行って金を稼いで来い!」
「分かりました。行ってきます!」
ルーは慌てて病室を飛び出す。ちょうどその時モニカとすれ違う。
「ルーさん、ラルフに何かあったのですか?」
モニカは前回と同様、ラルフに何かあり、てっきり自身の事を呼びに来たのばかりだと思っていたが、
「いえ、家賃が払えそうにないのでこれからお金を稼いで来ます!」
そう言って、疾風の如く走り去ってしまった。
「あの人ってあんなに速く走れるんだ…いけない、ラルフの所へ向かわなきゃ」
モニカも慌てて病室へと走って行った。
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