第114話 交渉

ラルフのいる病室へルーが戻ると、医師が困った顔をしている。そしてラルフはその医師に強い眼差しを向けている。


「どうしたんですか?」

「ルーさん、ちょっとお願い出来ませんか?ラルフ君を止めて上げて下さい」


 この時点で大方予想はついた。おそらくラルフが無茶を申し出たのだろうと。


「…一体どうしたのですか?」

「いやぁ、ラルフ君が早く脚を治したいからもう竜血樹を飲ませてくれと。私はそれを今必死で止めているんだよ」


 それを聞いてルーは大きくため息を吐く。やはり予想通りであった。医師が困った顔をしているのにも納得がいく。


「ラルフ…竜血樹の樹液への投与は動物への投与が始まったばかりですよ」

「そうは言っても、もうかれこれ一ヶ月は経ったぞ。このまま脚が治らないんじゃ話にならない」


 今度は医師が大きなため息を吐く。


「あのねぇ、ラルフ君。私たちから言わせてもらえばまだ一ヶ月だ。そんなわずかな時間しか経っていないのに新薬なんて出来っこない。人への…君への投与なんて、まだまだずっと先だ」

「ずっと先って一体どれくらい先なんですか?」

「私も専門じゃないが…1年は掛かるんじゃないか?」

「い、1年?」


 ラルフはそれを聞いて愕然とする。横に居るルーはやはりそうかといったように受け止める。


「人への投与は他の生物への投与を繰り返し行ってからだ。人体へどのような影響があるか分からないからな。さまざまな生き物へ投与し、そして経過観察をする。そして安全がある程度保証されてから、人への投与、即ち君への投与が始められる」

「そんなに待てない」

「ラルフ」


 ルーはラルフを戒めるように注意する。しかし、


「待てないものは待てない。俺は早く開拓者として活動したい。俺は早く脚を治さなきゃいけない」


 医師は呆れた表情をしながら


「君はまだ若いだろ?16歳だったか?そんなに生き急いでどうする?それに私は新薬の開発に携わっていない。新薬は研究所の人間が行っている」

「研究所の人間?それだけ分かれば十分です。ありがとう。先生!ルー、ウルベニスタさんの所へ行って研究所の人へ話を付けに行こう」

「ラルフ君、話はまだ終わって——」

「——先生、俺は生き急ぐくらいがちょうどいいんです。それじゃあ…ほら、ルー、行くぞ」

「————!…あ、はい」


 生き急ぐくらいがちょうどいい。

 ルーはラルフの言葉が気になったが、今はそれを考える時間を与えてくれなかった。目の前の医師は大きなため息を吐いていた。もう何を言っても無駄だ、そんな分かりやすい顔をしていた。ルーはそんな医師に頭を下げてラルフの車いすを押して部屋を出た。

 部屋を出た後でラルフはルーに話しかける。


「ルー、お前よく止めなかったな。いつもならすぐに「ダメです」って言いそうなのに」

「先生と同じです。言っても無駄かなと…それに」

「…それに?」

「多くの魔物が竜血樹の樹液をすすっているのを見ました。ハンティングウルフの狩場だというのに。そんな危険を犯してまで魔物たちは竜血樹の樹液を求めていたのですから」


 ラルフは難しい顔をする。


「…ルー、よく分からないんだが」


 そう言われてルーはラルフに説明を始める。


「ラルフ、私たち人間は傷や病気になったら医療行為が受けられます。これは先人たちが積み上げて来た医療技術のおかげです。ですが人間以外の生き物はその医療行為を受ける事が出来ません。という事は彼らにとって、傷を負う事は私たち以上にリスクになるんです…分かりますか?」

「ちょっとした傷が命取りになるって事か?」

「そうです。だから彼らは傷を負いたくない。しかし、弱肉強食を生きる世界の中でどうしても傷を負ってしまう。基本、人間以外の生き物は自然治癒力に頼るしかない。でも彼らは見つけたんです。竜血樹という傷を癒す樹液を流す樹を。竜血樹にはたくさんの魔物が群がって、そこから樹液をすすっている姿を見ました。おそらくあの光景は昨日、今日の現象ではなく、昔から魔物が行う現象なのでしょう。傷を負ったら竜血樹の樹液を舐めろと魔物の本能に組み込まれるほどに。そう考えると私には竜血樹が人体に影響があるとは思えないのです。もちろんこれはただの憶測に過ぎませんが」


 ラルフはそれを聞いて納得した。ラルフの知っているルーは無茶をしようとするラルフを全力で止めに来るが、今はそれが無かったのが引っかかっていた。しかし竜血樹に害はないだろうとルーなりに判断をしての賛同に至ったのだと。

 ラルフ自身もルーの話を聞いてより一層竜血樹の樹液を早く飲んで脚を治したいという思いは強くなった。


「ところでウルベニスタさんってどこに行けば会えるんだ?」

「いえ、あの方は宰相です。そんな簡単に会える方ではありません。とりあえず研究所に行って直接話をつけましょう。その方が早いです。所長に了承をしてもらえば後はあちら側が報告をするでしょう」


 ラルフたちは研究所へと向かう。

 研究所を訪れたラルフが最初に目が行ったのは職員たちである。いかにも頭の良さそうな者が着そうな服装だと感じた。全員が白衣を身に纏っている。ちなみにそれが研究所の制服である。

 研究所の職員はほとんどの者が難しそうな顔をし、何かを考えていうように見えた。どうやら自分とは違う人種だとラルフは思った。

 その中の1人女性がルーの顔を見て立ち止まる。


「ルーさん、今日はどうされたのですか?まだ何か話足りないことがあったのですか?」

「いえ、今日はラルフの付き添いです。あの…所長はいらっしゃいますか?」

「はい、先程戻って来られたので今は所長室にいます。付いて来てください。ご案内します」


 そう言われて、ルーたちは素直に職員の後に続き、所長室まで案内される。


「失礼します…シュバルツ所長、ルーさんとお連れの方がいらっしゃいました」

「ん?ルー君、よく来てくれた…それと、君がラルフ君で良かったかな?」


 メガネをかけたシュバルツは鳥の巣のような天然パーマであり、そして食に全く興味がないかのような痩せ細った体をしていた。おそらく食べる事は生命維持のためという考えしか持っていないのだろう。

 ラルフはそんなシュバルツが一番研究者っぽく見え、そして病的に見えた。まるで研究に取りつかれたような人間であると。


「はい、俺がラルフです。あの…えっと」

「シュバルツ所長です、ラルフ」

「そ、そう所長!俺に竜血樹を飲ませてくれ。早く治したいんだ」


 するとシュバルツ、そして案内をした職員までもが驚いた顔をする。


「何を言っているんだ君は」

「何を言ってるも何もその言葉の通りです。竜血樹を飲ませて下さい」

「君はあれか?バカなのか?」


 そこからは先程の医者の問答と同じであった。シュバルツたちは飲ませられないの一点張り。そしてラルフは飲みたいの一点張り。話は平行線である。その内案内した職員は呆れて戻ってしまった。


「研究者としては君が竜血樹を飲んでくれたら正直嬉しい。なんせ実験が出来るのだからな。だが私にも良心というものがある。その良心が君に竜血樹を与える事を拒んでいる」

「じゃあその良心を捨ててくれ。俺に対してだけでいいんです」


 ここでシュバルツはため息を吐く。


「良心と言ったが、これは常識だ。何も予測を立てずにただ実験を取り行うのはただのバカだ。そんなバカを繰り返す果ては失敗しか待っていない。よってまだ君に投与する段階ではない」


 ラルフは苦い顔をするが、まだ引き下がらない。


「所長、あんたとしては俺が今竜血樹を飲んだとして…死ぬと思うか?」


 その言葉にシュバルツは一瞬固まるが、すぐに口を開いた。


「害があるかないかと問われれば、今のところは分からないと答えるだろう。しかし、死ぬか死なないかと問われればおそらくその心配はない」

「それはどうしてだ?それは所長が予測したんじゃないのか?あんたのこれまでの経験や知識がそう言ってるんじゃないのか?」

「それはそうだが」

「ルーもさっき教えてくれた。医療行為がない自然界にとって唯一傷の治癒をしてくれる効果がある竜血樹にいろんな魔物が群がっていたと。どんな魔物も竜血樹の樹液を舐めるくらいなんだ。もし竜血樹を飲んで死んじゃうなら魔物は飲まないだろう。だったら俺が飲んでも死にはしないはずだ」

「しかしだな——」

「——大規模侵攻がもう先に迫っているはずです」


 ここでルーが口を開く。


「今回の大規模侵攻。ホープ大陸の4か国全てが参加するはずです。ここで新たな新薬があるのとないのでは、結果がだいぶ変わってくるのでは?」

「…ルー君、君は知っているのか」


 ルーは黙って頷く。


「3年後…300年周期の彗星が再びやってきます。それまでにあなた方はソナディア王国にたどり着かなければなりません。そのためにはポーションを超える新薬開発は急務のはずです。ラルフの体に気を使っていられる時間はないはずです」

「…所長、気にせず俺の体で実験してくれ。どうか、お願いします」


 頭を下げるラルフ。だがシュバルツは座っていた椅子を反転し、窓側の方へと向いてしまった。

 ラルフとルーは黙って顔を見合わせる。やはりダメかと。

 しかし、この時シュバルツは考えていたのだ。腕を組み、目を瞑って黙って考えていた。

 しばらく沈黙が続く。

 目を開けたシュバルツは椅子から立ち上がり、そしてラルフたちに声を掛けた。


「話を通してくる」


 その日の夜、ラルフに竜血樹の樹液を投与する事が決定した。

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