第108話 お節介
ルーが来て、少しした後にアドニスが鉱山へと現れた。
「ルー、お待たせ」
「げっ!何であんたがここに来るのよ」
反応したのはルーではなく、ナナであった。これにアドニスは反論する。受け流せるほど大人ではない。
「悪いね、ナナ。僕も君とは一緒に時間を過ごしたくないんだけど、ルーがここにいるからね。悪いけど我慢してくれないか」
ナナはそれを聞いてムッとした。アッザムも少し離れた場所から面倒くさい奴が来やがったと舌打ちしていた。顔を見たくないのですぐに部下の方へと視線を変え、指示を出す。
「やぁ、ラルフ君」
「こんにちはアドニスさん」
「足がまだ治ってないのに魔界に来たのかい?」
「えぇ、少しでも魔界の環境を知りたくて。俺はナルスニアでの魔界活動はほとんどゼロに近いので」
「そうか、君は勉強熱心だね。でもあまり無理をしてはいけないよ」
「はい、ありがとうございます」
アドニスはラルフとの挨拶をし終え、ルーに話しかける。
「さっきは悪かったね」
「いえ、とんでもないです。でも相変わらずすごい人気ですね」
今も鉱山に入り、アッザムの組織以外の者たちがアドニスの存在に気付いている。
「ありがたいけど、正直なところ少し面倒だよね」
と笑ってみせた。ルーもそれに反応して笑みを返す。
「それにしても魔石の採掘か。竜血樹で大量に必要としているから。アッザムはそういう事に敏感に反応するね」
これは単純に褒めたのではなく、金の亡者という思いを込めながら皮肉めいて答えた。
そんなアドニスはアッザムの部下の方へと目をやる。アッザムの部下たちに交じり、サラを含む小さな子供たちが一緒に鉱石を採掘したり、運搬したりする姿を見て表情を曇らせる。そして表情を曇らせたままアッザムに近づき声を掛けようとするが、先に声を発したのはアッザムの方であった。ちなみにアドニスの方へは顔を向けていない。
「ガキを働かせるなとか意味のわからねぇ事を言うんじゃねぇだろうな」
「貧しい人たちの現状は知っている…でも何もこんな過酷な労働をさせる事はないじゃないか。それにここは魔界だぞ」
ここでアッザムはアドニスの方へと向き直り、呆れた表情を見せた。
「相変わらずおめぇは甘ちゃんだな」
「なんだと?」
アッザムの表情と言葉がアドニスを全否定する。それに腹が立ち、アドニスの曇らせた表情はさらに険しい表情へ変貌した。
「よぉーし、おめぇら。撤収だぁ!」
そんな事を無視するかのようにアッザムが作業終了の指示を出す。作業をしていた者たちは疲れた表情をしていたが、笑顔をこぼす。片づけを始めて採掘した魔石を運んで出口へと向かう。
「おい、邪魔だ!通してくれ!」
サラが仲間と魔石を運びながらアドニスに声を放つ。それを聞いてアドニスは慌てて道を譲り、去っていく小さな背中を黙って見る。やはり感じるのは小さな子供が体を酷使して働いている事に対する憤りだ。その事を伝えようとアッザムの方へと向き直ったが、アッザムはすでにその場から離れ、部下に指示を出していた。代わりに近づいて来たのはラルフたちだ。
「アドニスさんはサラたち…あの子供たちがかわいそうだと思いますか?」
「…その言い方だと、ラルフ君はかわいそうだとは思わないのかい?」
「はい…頑張れとは思いますけど」
それを聞いて今度はラルフに険しい表情を見せる。しかしラルフは淡々と話す。
「確かに魔石の採掘は疲れます。でも危険の中に身を置く事よりもずっとマシなんです」
「その言い方じゃ、まるで危険がないみたいじゃないか」
「スラムの人間にとってこの程度は危険とは言いません」
アドニスの眉がピクリと動く。ラルフは続ける。
「スラムの人間は魔界でなくても危険に晒されます。危険がずっと身近なんです。スラム内では弱い奴は恰好の餌食です。簡単に襲われて奪われる。時には憂さ晴らしなんかのために襲われる。それが日常茶飯事なんです。それに比べたら鉱山で魔石を採掘する事なんかへっちゃらですよ…疲れはしますけど」
「でもここは魔界だぞ」
「アドニス、よく見て下さい」
少し声を荒げるアドニスにルーが声を掛ける。その声を聞いてアドニスは冷静になり周囲に目をやる。
「あの子供たちの周り、アッザムさんのお仲間の方が子供たちの周りにしっかり付いているでしょう?あれは魔物や他の者たちから襲われたりしないように守っているんです。それに作業中もアッザムさんだけは周囲の監視を行っていました」
「アドニスさん、もしサラたちがアッザムの下で働いていなかったら、サラたちは自分たちだけで魔石を取りに来ていたでしょう。自国にいたとしても子供なんかに仕事を与えてくれませんから。それを考えればずっと安全です」
ラルフの言葉を聞き終わり、アッザムが自身の事を甘ちゃんと指摘した事を理解した。過酷な状況で労働を強いられる事は確かに辛いが、子供たちは守られているのだ。
アドニスは状況が掴めたがそれでも納得が出来なかった。小さな子供たちが働かなければならない事に憤りを感じざるを得ない。だが自身以外の者はこの状況に納得し、寧ろ命の保証がない弱者として野に放り出されている状況よりずっと子供たちはマシなのだという始末なのだ。
今までアドニスが目にした光景とは明らかに違う世界に困惑していた。そんなアドニスにナナが止めを刺すように
「アドニス、常に誰からもてはやされるあんたとは住む世界が違うのよ」
そう言って切り捨てた。アドニスは腹が立った。だが何も言い返す事が出来なかった。そして黙ったまま鉱山を後にした。
帰り際、アドニスはずっと俯いたまま歩いていた。ナナの「住む世界が違うのよ」という言葉が決めてだった。
貴族や普通の暮らしの平民たちから英雄扱いを受けるアドニス。まるで希望そのもののような扱いを受ける時もある。だがその一方で今日一日を生き延びる事で懸命な貧しい人間たちがこの世界には数多く存在しているのだ。この事実を知ってはいたが、現実は自身が認識していた事よりさらに過酷な環境であると知り、ショックを受けた。ちやほやされ、のうのうと生きる自分が恥ずかしく罪悪感を覚えた。
ナナはそんな俯いたアドニスを見ていい気味よと思いながら車いすを押しながらラルフと仲良く談笑する。ラルフは気にもなりながらも声を掛ける事はない。ナナの「住む世界が違うのよ」と言った言葉に納得しており、日陰の中で生きて来た人間がそれ以上陽の光を浴びて生きていた人間に掛けられる言葉は見つからなかった。
一方ルーはと言うと、アドニスの気持ちがよく分かった。ルーの性格上、無視する事は出来ず声を掛けた。
「アドニス、衝撃的でした?」
「うん…」
小さな声と共に頷いた。
「私も最初はアドニスと同じ反応だったんですよ」
「…ルーも?」
アドニスは顔を上げてルーを見る。ルーはそれを見て微笑み返す。
「ラルフにお前は何も分かってないなって言われちゃいました。そして気づかされたんです。スラムで生まれた方々がいかに生きる事が大変なのかを。反対に私がいかに恵まれた環境で生きて来たのかを」
空を見上げるルー。そんなルーを黙って見つめるアドニス。
「アドニス、落ち込む事は必要な事です。そうやって人は反省して学んでいくのです。ナナさんはアドニスの事を住む世界が違うと少しいじわるな言い方をしましたが、私はそうは思いませんよ」
「どうしてだい?」
「住む世界が違う人間は多分、そんな事に目もくれません。気づきもしません。ですがあなたは現状を知って、悲痛な感情を抱きました。アドニス、それは人として大切な事だと私は思うのです。苦しんでいる人たちに目を向けられる、それだけで私は素晴らしい人だと思いますよ」
「ルー、だとしても僕は彼女たちに何もしてあげられる事がない」
「確かに直接手を差し伸べる事は難しいかもしれません。それにそれを行うのは行政だと私は思います。私としては一個人のあなたがそこまで背負い込む必要はないと思います」
そう言っても納得しないアドニス。だがルーはアドニスがこのように反応するだろうと予測していた。
「…ですがアドニス、もし彼女たちに何かしてあげたいのだと思うのなら、開拓者として成果を上げなさい。それがアドニスのなすべき事です」
ルーは強い表情と声でアドニスに声を掛ける。
「一見関係の無いように見えるかもしれません。ですがアドニスが活躍して大きな成果を残せば国が潤います。それがいつか回り回って貧しい者たちへの救済に繋がります。そうすればあの子たちがもっと笑って暮らせる日が来るでしょう。貧しい方たちに希望を与えられる日が来るでしょう」
アドニスはまっすぐにルーの顔を見つめ、ルーの言葉を受け取る。
「ですが前に言った通り、頑張りすぎはダメですよ。アドニスが潰れてしまっては元も子もありませんから」
そう言って最後は微笑みかけた。
アドニスは目を瞑る。ルーの言葉がアドニスの心が沁みる。以前も感じたように、ルーの優しい言葉が、声が、表情が、アドニスの凍てついた心を癒す。
「…ルー、ありがとう」
ナルスニアに戻り、アドニスはラルフたちに別れを告げる。
「今日はいろいろと勉強になったよ、ありがとう」
相変わらず真面目な人だなとラルフは感じる。また心を持ち直していたことに安心した。
「それじゃあ」
アドニスは去っていく。
「真面目な人だな。俺なんか自分に関係ない奴の事なんかどうでもいいって思うタイプだぞ」
「それが普通よ。みんな自分の事で精一杯なんだから、他人に目を向ける余裕なんてないわよ」
ラルフの言葉にナナは賛同する。
「ルーさんも別にあんな奴に声を掛けてあげなくてもよかったのに。すっかり元気になっちゃって」
ナナはアドニスが元気になった事を残念がった。
「私も最初はアドニスと同じ反応でしたから。ちょっと放っておけなくて」
「ほんと、良い人なんだから」
「いいえ、ただのお節介です」
「…そうだな、ルーはお節介だ」
ラルフの言葉にルーは俯く。また余計な事をしてしまったと。
「でもまぁ…それがお前の良いところなのかもな」
「えっ?」
その時のラルフは歯を見せて笑っていた。お節介だなと思いながらもそれを認めてくれるラルフ。ルーはそのラルフの言葉と笑顔がたまらないほどに嬉しく、ありがとうございますと礼を言い、深々と頭を下げた。
ラルフは大げさだとまた笑っていた。
一方アドニスも、明るい表情をしながら歩いていた。考えるのはまたもやルーの事。スラムに生きる貧しい者たちの事はすっかりと抜け落ちていた。
(ルーはいつも僕も助けてくれる。いつも僕の背中を押して導いてくれる)
ルーへの思いをさらに強くしていた。
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