第89話 禁足地
「…それでお前たちは今後どうするのだ?」
考え込むと気が滅入ってしまうと思ったヴィエッタは考えるのを止め、ラルフに話を振る。
「まずはこの足が治るまで大人しくするほかないな。ルーに竜血樹を取って来てもらって…まぁ散々悪口言った後だけど、あんたらお偉いさんに俺の足を治してもらうように頑張ってもらうしかない」
それを聞いたヴィエッタは笑みをこぼす。
「心配するな。そなたはこの国を救った英雄だ。約束を違えることはせぬ。それにこれは私たちにとっても有益なのだ。ポーションの上を行く回復役が生まれる可能性があるのだからな。ラルフ、悪いがお前は新薬の実験体になってもらうぞ」
「実験体でも何でもいいよ。とにかくこの足を治してもらえれば」
「では足が治ったらどうするのだ?」
「どうするって、さっき言った通りだ。俺は笑われたままの存在でいたくないからな。開拓者として活動を始めるよ。アルフォニアでもそうだったけど、俺はゲート周辺でしか活動をした事がないんだ。今まで魔物から逃げてばかりだったからな。でもちゃんと足を治したらもう少し魔界の奥に足を進めてみようと思う」
「ラルフ、魔界を侮るなよ。私たちはただ魔素が溢れる世界という意味で『魔界』と名付けたのではない。危険がはびこる、いつ命を落としてもおかしくない場所。それ故に『魔界』と名付けたのだ…隣にルーがいるから心配はないが…あまり奥へと入るなよ。魔界には私たちの想像もつかぬような強い魔物がいるのだからな。臆病なくらいでちょうどいいのだ」
ヴィエッタはラルフが少し安易に考えているのではないかと忠告した。そしてルーもヴィエッタに賛同していた。ちなみにこれはラルフが危険な目に遭うリスクを少しでも減らしたいという親心のようなものだ。
「あぁ、分かってるよ。俺はとっても臆病だ。安心してくれ。ちなみに想像もつかない強さの魔物って例えば冥王みたいなのか?」
ラルフは冥王を指差す。
「ん?私がどうかしたか?」
冥王は急に話を振られ少し慌てた。
「なぁ冥王。お前って一体どのくらい強いんだ?」
「そんな事は分からん。長く生きているが全ての魔物と出会ったわけではないのだからな」
「じゃあ質問を変える。お前ほどの強い魔物は他にもいるのか?」
「そんな事当たり前であろう。おそらく私より強い存在もいるはずだ」
冥王はさも事実であるかのように答えた。決して謙虚になど答えていない。そもそも冥王は謙虚な性格など持ち合わせていない。
「とにかく魔界は広い。なんせ私でも行った事が無い場所があるのだからな」
冥王は人間のように世界を探索するという事はしていないが、人間よりも何倍もの長い年月を生きている。そのような存在がまだ行った事がない世界があると言うのだから魔界は果てしなく広い世界である事をラルフは悟る。
「…ん?あれ?ちょっと待て」
だが1つ疑問が生じた。ラルフは首を傾げそして困惑した表情を浮かべる。
「魔物が生まれたのは300年前の彗星爆発が原因だろ?それなのに冥王、お前は300年以上生きている。魔物ってすでに存在しているじゃないか。どういうことだ?」
「待て待て待て。そもそも魔物とはお前たち人間が勝手に称した呼び名だ。私の種族はドラゴンだ」
ドラゴンは希少種である。そして冥王はそのドラゴンの中でもさらに稀な存在であるブラックドラゴンにあたる。その強さはドラゴンの中でも最たるものである。
「いやぁ、まぁそうなんだが、ドラゴンだって魔素を取り込んだ生き物なんだろ?そういう生き物は300年前に生まれた話じゃないかって聞いてるんだ」
冥王はため息を吐く。そんな事は知らんと答えようとするが、それをヴィエッタが遮る。
「私が説明しよう」
「あぁ…任せた」
その間もラルフは困惑した表情を続けていた。
「ラルフ、人間の視野で考えるな。確かに300年前、彗星爆発の影響でこの星の生態系に変化が起こった。だがそんな事は幾度とあるのだ。この星は宇宙から魔素の影響を度々受けている」
「という事は魔物はもっと昔から居たという事か?」
ここでヴィエッタは少し考える素振りをし、まぁ話しても問題ないかと呟いた。
「300年前の魔物が誕生、それは正しく言えば私たちの活動圏内での事だ」
「…どういう事だ?」
「先ほど冥王殿が言ったであろう。この世界は広いと」
「勿体ぶるな。さっさと話してくれ」
ラルフはヴィエッタのはっきりしない匂わせぶりな答え方に苛立ちを覚える。それほど真実が気になって仕方がなかった。
「この世界には人類がまだ足を踏み入れていない場所があるという事だ」
この言い方にルーが異論を唱える。
「陛下、足を踏み入れてないは少し違うかと。足を踏み入れられないと言った方がラルフには正しく伝わるかと」
「…そうだな、その方が正しい。訂正しよう。足を踏み入れられない場所だ」
ヴィエッタはルーの言葉に頷いた。
「ラルフ、私たちは足を踏み入れられない地を『禁足地』と呼んでいます」
「禁足地?」
「はい。禁足地は私たち人間が足を踏み入れれば1日も生き延びる事が出来ない場所と言われております」
「禁足地…具体的にはどんな危険があるんだ?」
「それはもう多種多様です。魔素の濃度が異常に高かったり、他にも厳しい環境であったり。ですが一番の理由は古の魔物が存在し、私たちはその魔物に成す術無くやられてしまうという事です」
「やられてしまうって…そこにはルーのような超越者クラスも含まれているのか?」
その言葉にルーはもちろんですと答えた。ラルフはこのルーとの受け答えの最中に何かに気付いたように冥王の方へと向き直り、
「お前は禁足地に住む古の魔物という事か?」
「よくは分からんがな。おそらくそうなのだろう」
「ラルフ考えて見よ。100年もあれば我々の故郷であるソナディア王国に辿り着けると考えるのが普通であろう?しかし我々はいつまで経ってもソナディア王国にたどり着けない。今の話を聞いていてお前には分かるか?」
ヴィエッタのいきなりの質問にラルフは驚くが、真剣に考えた。考える中で視線が自然とあちこちへ向く。その時、再び冥王の顔を見た時に気付いた。
「もしかして…禁足地の魔物がなだれ込んで来たとか?」
「正解だ」
100年。これは人類が子孫を残し、発展し、栄えて行くには十分な時間である。これだけの時間があればソナディア王国にたどり着けると誰しもが考える。実際に魔物の出現に対しても、武器や鍛錬で対応した。しかし、禁足地の魔物には対応出来なかった。
「私は以前、アルフォニア騎士団に所属していた時に冥王さんと対峙した事があります。このような人の形をしていない本来の姿の時に」
「さっきの表情、やっぱり知り合いだったんだな」
ラルフは玉座の間でのルーと冥王のやり取りを思い出していた。
「結果は惨敗です。私たちは成す術無くやられました。全滅です。私たちは撤退を余儀なくされました」
「冥王、お前は俺たち人間たちの邪魔をしたって事か」
その言葉に冥王は驚き、慌てて否定する。
「そ、そんな酷い言い方をするな。あの時の私はお前たちの事情など知らなかった。私は暇つぶしで相手をしただけだ。それと言っておくが私は人間たちを1人も殺してはいない」
自分は悪くないと冥王は必死で訴えた。
「私たちは冥王さんに必死に立ち向かっていました。ですが今冥王さんが言った通り、古の魔物にとって我々は暇つぶし程度の存在なのです」
「そうは言うがな、ルー殿。さっきの動きは良かったぞ。そなたは強くなった。今のそなたなら少しは戦う事が出来るだろう」
冥王の言葉に偽りはない。ルーは強い。しかしそれは人間の中での話だ。本当の強者の前ではその言葉は気休め程度のものであり、虚しさだけが残る。そのためルーは小さく「ありがとうございます」と答えた。
「私たちは強くなったと思ったのだがな。冥王を前にすると自然界の中でまだまだ弱い生き物であると思い知らされる」
とヴィエッタは自虐的に笑った。ラルフもまた今の会話を聞いて困惑していた。今のルーの実力を持ってしても、古の魔物たちとは渡り合えないのだ。
「こりゃ名を上げるには苦労しそうだな」
そんな事を感じながらもラルフの声はどこか明るい。
「さっさと治して、早く開拓者として活動したいな」
その声にルーが微笑む。
「きっと治ります。そしたら2人で開拓者として頑張りましょう」
ラルフも微笑んで頷き返した。
「ラルフ…お前は強いな」
唐突にヴィエッタはその言葉を口にした。まるで弱音を吐くように。
「ん?どうした急に。それに強いって…俺は人間たちの中で誰からも笑われるどん底の存在だぞ。何で頂点の存在である陛下が俺を強いと思うんだ?」
一度吐き出した弱音。そこからはヴィエッタの口から溢れ出るようであった。
「…お前はどうして、どうしてそんなに強くいられるのだ?今日生きる事さえもままならない、誰からも嘲笑され、尊厳まで奪われたどん底の存在だったお前が。どうして今日まで生きて来られたのだ?」
ヴィエッタは自分の胸の内が自然と口からこぼれた。それはヴィエッタの叫びでもある。
日々模索しながらも、誰にも悩みを打ち明ける事が出来ない。それが頂点である王の弱点でもある。弱音を吐けば国家が揺らぐ。そう考えていたヴィエッタは自分の弱音を見せぬために女らしい言葉遣いを止め、強い口調で話すように努めてこれまで生きて来た。だが、これまで何代もして来た弱き者たちへの仕打ちに日々罪悪感で心が苛まれていた。そして今日、初めて出会った冥王に自分たちの現状を指摘されてしまった。おまけに利己的で人間らしいと言われた事で心に限界に来ていた。
今のヴィエッタはただ一個人に成り下がっていた。そんなヴィエッタにラルフが口を開く。
「尊厳って難しい言葉、いまいちよく理解出来ていないんだけど、ようは尊重されるって事でいいんだよな?だったら俺もちゃんと持っているよ。奪われてない」
そう言葉にするラルフの表情は明るい。決して強がりで言っているのではないとヴィエッタは感じた。
「俺は大切な人からそれをちゃんと受け取った。生きてって言ってくれた。だから俺は今日まで生きて来られた。周りから見たら俺はまだまだどん底かもしれない。でも俺自身はどん底だなんて思っちゃいない。だからこれからだって生き抜いてやるさ」
「そうか…お前にもそんな存在がいたのか」
ラルフの話している大切な人、それはラルフの母親の事である。しかし、ヴィエッタには分からない。分からないが、どん底を生きて来たラルフにそのような存在がいた事を心から嬉しく思う。
「ただ、やっぱり何度も生きるのを止めようって思ったよ。それほど辛かった。きつかった。もっと誰かが手を差し伸べてくれたらなって思ったよ」
「手を差し伸べる者か…分かった」
ヴィエッタは一度目を瞑った。そして再び目を開ける。
「私のすべき事が少し見えた気がする」
彼女の目からは迷いが消え、代わりに光りが灯っていた。
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