第88話 世界の実態。弱き者がさらに弱き者を笑う
「300年前、彗星がこの星に迫って来る時、ホープ大陸に移住したのは一部の者だ」
「どうして一部の者だけだったんだ?そのままソナディア王国に居続けたら死んじゃうんだろ?」
「魔素中毒を引き起こし死ぬ者は一部の人間だ。全員ではない。体調は悪くなるが死には至らない。当時、ソナディア王国では魔素に対して耐性があるかないかテストを行い、耐性の全く無い者は強制的にホープ大陸に移住させたが、耐性のある者に対しては残るか残らないかの選択権を与えた。そして大半が残った。やはり住み慣れた土地を離れたくない。こう言う者が多くてな」
「それで予測外の彗星爆発が起きた。そして残った奴らは死んだってわけか」
ラルフの言葉にヴィエッタは頷く。
「ホープ大陸に行った者も彗星が過ぎ去ればすぐにまた戻れると思っていました。特に貴族たちがそうです。彼らは一時的に避難と考えていました。ですが先ほどから言っているように彗星爆発が原因で戻れなくなりました。結果として未開拓のホープ大陸を生き残った人間たちで再出発する形となったのです。そして当時の者たちは4つの国を建国しました」
「ジェルム様には4人の子供がいた。その4人がそれぞれ国を興した。ソナディア王国から一文字ずつ取ってな。ソルニア、ディファニア、ナルスニア、そしてアルフォニア。この4国だ」
「じゃあお前たちは」
「あぁ、私たちはジェルム様の末裔だ」
ラルフは不意に不思議な感覚に陥る。目の前にいるヴィエッタとルーの両名がまるで何百年も生きているかのように見えた。この2人は歴史を背負って生きているのだと。自分以外の者が彼らを敬うのはきっとこのような背景があるからであろうと。しかしそれを知ったところでラルフには関係ない。
「ホープ大陸もな、昔はこのような荒れ果てた土地ではなかったのだ」
ラルフは思わずその言葉に驚く。なにせ荒野が目立つホープ大陸しか知らないからだ。
「外は魔素が溢れており、大陸の外には出られない。ホープ大陸のみでの自給自足が強いられた。急な開拓はやはり土地にも影響があった」
人間が住んでいなかった場所に人間好みの生活をしやすい環境に整備する。木を切り、草を燃やし、水を大量に使用する。そんな事をしていれば土地が枯れるのは時間の問題である。
「そしてこの300年。この期間が我々人間にも変化をもたらした」
ラルフはその言葉に眉がピクリと動いた。
「貴族がこちらの移住してきたのは一部だ。連れて来た平民たちを従わせ、動かすには人手が足りなかった。そこで生まれたのが第二階貴族だ」
第一階貴族。これはソナディア王国時代の古き時代からの歴史ある貴族たちの事である。反対に第二階貴族はホープ大陸に移住した時に生まれた貴族である。
「何もかもが足りなかった。そこで私たちは提案したのだ。この大陸の発展のために大きく貢献した者たちに貴族の称号を与えると。そこで野心を持ち合わせた平民たちが立ち上がったのだ。これまでは貴族の称号を与えるなど皆無に等しかったからな。これが功を奏し、ホープ大陸はまたたく間に人間が快適に生活出来るように発展を遂げた。第二階貴族のおかげで私たちは外に目を向けられるようになった。魔界へと変貌を遂げたロストワールドへ」
「それで100年前にゲートを設置し、魔界に繰り出したわけか。300年周期でやって来る彗星に備えてお前たちはソナディア王国を目指している」
「あぁ。だが私たちは外に目を向け過ぎた。思わぬ以上に取り返しのつかない事になっていたのだ」
「それが…貧富の差です」
ルーはラルフに申し訳ないように声を発した。
「豊かな者はより豊かに。そして貧しい者はより貧しく。今日生きる事さえもままならない、それほど貧富の差は拡大してしまったのです」
貧しい者はより貧しく。ラルフはそれが自身の事であると理解した。
「生活の質が向上したおかげで狩猟採集のような生き方からは解放され、以前のように産業を興し、経済を回す活動が出来るようになった。だがそれによる豊かさを享受出来るのは一部の人間のみというわけか」
ここで冥王が割って入る。
「豊かさを享受するのは先程言ったような第二階貴族がメインか。まぁ当人たちからしてみれば頑張ったのだから当たり前と思っているのかもな。だがそれを見た平民たちは不満を抱くわけだ」
ルーとヴィエッタは冥王の的確な発言に驚きながらも頷いた。
「そこでお前たち王族、第一階貴族はこの状況はまずいとようやく自覚したわけだ。このまま放置すれば国民が反乱を起こすのではないかと。しかしお前たちには内政に割く時間が残されていない。なぜなら彗星がもうすぐやって来るからな。そこで目を付けたのだな。最も貧しく生きる者たちへと」
「そ、そんな事は!」
ルーは声を上げて反論しようとする。
「この世は生存競争だ。そこには強者と弱者に分けられる。そして大概の場合は弱者が淘汰される。これが習わしだ。この世に生を受けた全てに当てはまる。人間だって例外ではない。お前たちは他の生物よりも多少複雑かもしれんが必ず強者と弱者に分けられる。頂点に位置する者。そして…」
冥王はここで「頂点」と反対の意味を持つ言葉を考えあぐねていた。すると横から、
「どん底か?」
その言葉を聞いた途端まるで探し物を見つけたかのような表情をし、
「どん底。これ以上ないふさわしい言葉だな」
とラルフに賛辞を贈った。だがラルフにとってその言葉はすぐに頭に浮かんだ。今日一日も生きることさえも危ぶまれた人間にとって「どん底」とは最も身近な言葉であるからだ。
「生まれて間もないひな鳥は親から我先にエサを与えてもらいたいと自分の兄弟でさえも押しのける。エサにありつけなかったひな鳥は当然成長が遅いし、体も小さい。生存率は低くなる。正にどん底だ。それだけじゃない。親が自分の子供を見限る時だってある。見限った子供にはエサを与えない。そう、言うならば間引きだな」
冥王はさも当たり前の事を言っていると言わんばかりに口を動かす。ルーは冥王の遠慮の無い言葉に胸を抉られる。
「お前たちはそれと同じ事をしたのだろう?」
「…あぁ、そうだ」
ヴィエッタは重い口を開いた。
「具体的に何をしたんだ?」
ラルフはヴィエッタに問いかけたが、それに反応したのは冥王であった。
「放置したのだ。言い方を変えれば何もしなかった」
「何も?」
「そうだ、何もしない。敢えてこの貧富の差をそのままにした。そうするとどうなると思う?…先ほどルー殿が言った通りだ。豊かな者はより豊かに。そして…」
「貧しい者はより貧しく…だったか?」
「そういう事だ。同じ平民の中でも貧富の差が生まれ始める。するとどうだ?同じ平民でもまだマシな生き方をしている者たちはどこに目を向けると思う?…そうだ、自然と下に目を向けるのだ。自分よりさらに貧しい者にな。そして安心する。あぁ、私たちはあの者たちよりはマシな生活が出来ているとな」
ルーは顔を青ざめていた。貧富の差が激しい事は理解しているが、この貧しさが国民の鬱憤を紛らわすための材料にまでなっていたことまでは知らない。この1年でラルフを通じて現実を知った。この世界はとても厳しく無情であると。理解したつもりでいた…しかしそれはまだ氷山の一角であった。現実はもっと深い闇に覆われていると。ルーは他人から見ればまだまだ純情の域にあるのだ。
「国から仕事を回したり、救済したりする事はあってもそれはある程度生活水準が保たれている平民に対してであろう。貧富の差を見せつけるだけではさすがに限界だからな。国としてもこの貧富の差をどうにかしようとしていると意志表示したかったのだろう…どうだ?ヴィエッタ殿、私の言っている事にどこか間違いはあるか?」
皮肉な笑みを浮かべる冥王。ヴィエッタは冷徹な表情のまま
「ご名答だ」
と答える。そのヴィエッタの言葉を聞いてラルフは俯き、息を吐いた。
「そうか…俺たちは、俺は…憂さ晴らしのための存在だったのか」
ラルフは内心納得したかのように答えた。
これまで自分たちはぐれ者が虐げられて来たのは、自分たちにもどこか原因があると思っていた。なぜならはぐれ者は生きるために盗みや強奪をするからだ。しかしそうではなかった。平民たちは自分たちの自尊心を保つためにはぐれ者たちをバカにしていたのだ。はぐれ者は最初から嘲笑される存在として位置づけられていたのだと。
それと同時に自身がはぐれ者たちからも虐げられて来た理由も理解出来た。平民たちから疎ましい目で見られてきたはぐれ者。そんなはぐれ者たちもかすかに残った自尊心を保つために自分たちよりもさらに下に目を向けた。腐った物を食べ、死骸や虫を食べるまるで泥をすするような最も醜い生き方をする文字通りのどん底、ドブネズミのラルフを笑っていたのだ。
この世界の実態。それは弱き者がさらに弱き者を笑う事でなんとか平静を保っていたのだ。
「私はそうする事でしか国を存続させる事が出来ない…私たちはとても無力な存在だ」
冷徹な表情をしていたヴィエッタもさすがにその表情を保つことは出来なかった。悔しさと申し訳ないという気持ちが顔に滲む。
「犠牲は付き物。お前たちは未来を見据えて、より生存確率が高い生き方を選んだというわけか。実に利己的だ。そして人間らしい」
冥王はより一層人間という生き物に興味が湧いた。
「…どうだ、ラルフ。私たちに失望したか?」
今度はヴィエッタが皮肉めいてラルフに問う。
「失望も…何もな…」
ラルフは首をかしげながら答える。その問いにルーも反応していた。
(その質問は多分…意味がありません)
この時、横に居たルーは初めて自国の第四セクターに訪れた時の事を思い出していた。それはラルフと出会った時である。第三セクターまでは好意の目を向けられていたシンシアとレオナルドであったが、第四セクターに入った途端、敵視するような目を向けられていたことを。だからルーはヴィエッタの質問の答えは分かり切っていた。案の定、ラルフは
「俺は王族を含む第一階貴族、第二階貴族関係なくお前たちがすでに死ぬほど嫌いだ。強いて言えば、真相を知ってもっと嫌いになったってくらいか」
「…そうか」
思った通りの答えであった。世間から疎まれた存在はすでにこの世界を憎んでいるのだ。変わりはない。
だがここからラルフはルーの予想外の事を口走る。急に割り切った顔をし、
「…まぁみんな結局のところ自分勝手に生きてるって事だな」
ラルフは端的にそう述べた。その時の声は若干明るくなっていた。
「どういう事だ?」
ヴィエッタが問う。
「え~と…陛下?で良かったっけ?あんたも自国のため、未来のためを思って頑張っているのは分かった。でも揚げ足を取るようで悪いが、それも自分たちの思い描いた未来に向かって自分勝手に生きているだけだ。現にあんたたちはその明るい未来のために俺たちはぐれ者を他の平民の奴らの不満の当てつけ材料にしているんだろ?」
「私だって好きでそんな事をやっているんじゃない」…そう反論しようとしたが、声となって発せられることはなかった。不満の当てつけ材料になっている本人に対し、言えるはずもない。なぜならそれこそ自分勝手な意見になるからだ。だがそれは表情になって出ていた。それを見抜いたラルフは
「別にあんたたちの生き方を否定してるんじゃない。どうぞ好きにやってくれ。でも俺もあんたらの思い通りにはならないって事は伝えとく」
「…何が言いたい?」
「はぐれ者にもはぐれ者の意地があるって事さ。俺は死ぬまで笑われるなんてまっぴらごめんだ。死ぬまで足掻いて生きてやる。この足をすぐに治して、また活動再開だ。他力本願で悪いけど、ルー、頼むぞ」
それを聞いたルーは力強く頷く。
(…そうだ、私はあの時決めたのでした)
ルーは改めて心に誓う。シンシアという名を捨てた時、王女としての立場、この世界の未来、それら全てを放り出しても優先にする事を。
(私はラルフと共にある!)
またラルフに感化されたのはルーだけではなかった。ヴィエッタもそうである。だがこちらにはマイナスに働いた。
「私たちの目指す未来は…一体」
ヴィエッタの目には迷いが生じていた。
「先ほど生存競争で強者と弱者に分かれ、弱者は淘汰されると言ったが、これはあくまで一般的な意見。私としては少し意見が違う」
冥王はまた唐突に口を開いた。
「じゃあお前の意見なんだ?」
ラルフが問う。
「生存競争に生き残る者。それは勝者だ。勝者が生き残る。強者が必ずしも勝つとは限らない。そして弱者が必ずしも負けるとは限らないという事だ」
それを聞いたラルフは笑みをこぼした。
「俺はお前の意見に賛成だ」
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