第90話 ラルフの静養場所
「すっかり夜も更けてしまった。今夜はゆっくり休め」
「いいのか、泊まって?」
ラルフは意外とも思えるような声を出す。
「もちろんだ。そなたはケガ人だ。今日と言わず、足が治るまではここにずっと居て良い」
ヴィエッタはラルフの事を思い、そう提案する。この城に留まれば医者は言うまでも無くそして世話をする者もいる。今のラルフには申し分ない環境と言えるだろう。
「ありがとうございます、陛下」
ルーはヴィエッタの気遣いに礼を言う。
「よかったですね、ラル…フ?」
ルーがラルフに声を掛ける。だが当の本人は渋った顔をしていた。
「今日は別に…問題ないか。それにこの時間だと宿も入れないかもな——あぁ悪い。陛下、今日のところはもう遅いし世話になる。でも夜が明けたら出て行くよ」
その言葉に2人が驚きの表情を見せる。
「なぜです、ラルフ。治るまでお城に泊まらせてもらったらいいじゃないですか!」
強い口調でラルフに言い寄る。いつも気後れしているルーがこのように強く出る事は初めての事だ。
「そうだ、ラルフ。お前はケガ人なのだぞ。ここに留まればよいではないか」
ヴィエッタもルーに賛同する。しかしラルフは今の会話とは少しずれた事を口にする。
「俺はどうも貴族ってのに好かれないらしくてな。さっきの部屋での俺の陛下への態度で相当頭に来ている奴らが大勢いるだろ?俺を敵視する視線をいくつも浴びたよ。悪いけど、そんな奴らがたくさんいる中でこの場所に留まるのはごめんだ」
ルーやヴィエッタは先程の玉座のまでの事を思い返す。確かにラルフの礼節を弁えぬ姿に貴族たちは厳しい目を向けていた。
「はははは。それはラルフ殿がヴィエッタ殿や彼らに敬意を表す態度を取らなかったからであろう。立場や上下関係を重んじる彼らにとって王族は絶対的な存在だ。失礼な態度を取る者に敵意を向けるのは仕方がない」
冥王が口を挟むように答えた。ヴィエッタがそれに続く。
「確かにお前の取った言動に怒りを覚えていた者もいよう。だがそうであったとして、我々がお前たちに牙を向ける事は決してない。絶対にだ。この国を統べる者として断言する。第一階貴族に平民を無碍に扱うような者はおらぬ」
ヴィエッタは言い切った。その言葉に揺るがない思いが伝わって来る。これまで積み重ねた歴史が誇りとなっているだろう。
「ありがとう。でも悪いけど、やっぱり明日の朝には出てくよ」
「…そこまで拒む理由が分からぬ。ラルフ、なぜだ?」
ヴィエッタは眉間に皺を寄せる。だがこれは厚意を無碍にした事を怒っているのではない。ただ、拒む理由が全く理解出来ないのだ。
「いや違うんだ。陛下がそこまで親切にしてくれる事は本当に感謝しているんだ」
「ではなぜだ?」
「城に居る者は第一階貴族だけじゃないって事だ」
ヴィエッタはラルフの言っている言葉の意図が理解出来ない。ラルフが何を懸念しているのかわからなかった。だが無理もない。この時ラルフは他の者ならば気にも留めない小さな波風のような事を懸念していたのだ。これはスラム街でたった1人で生きて来た警戒心の高いラルフならではの考え方だ。
「城にはいろんな者が仕えているはずだ。平民だっているはずだ。それに第二階貴族だって城に訪れるだろ?」
「それはそうだ。城にはたくさんの者が仕えている。そして人が集う場所でもあるのだ。だがそうであったところで——」
「——あぁ、何も起こらないだろうな。でも俺は臆病なんだ。もしかしたらまた面倒事に巻き込まれるんじゃないかって。悪いけど分かってくれ」
いくら説得しても無駄だ。ヴィエッタはそう受け取る。そこまで過敏になる必要性はないと感じる一方で、これまで一体どれほどの惨めな思いをしてきたのかと想像するだけでいたたまれない。
また横に居たルーもラルフにこれ以上意見するのは無理だと判断した。ラルフが少し下を向き、焦点の合っていない悲しげな目をした時に全てを悟った。
「ん?なんか足がまた熱くなってきたな」
「それはいけない!すぐに医務室に!」
「私が運ぼう」
冥王はスッと立ち上がり、ラルフの車いすに手を掛ける。
「部屋を出れば兵が立っているはずだ。事情を説明し、医務室に案内してもらうとよい」
「分かった」
そう言って、ラルフと冥王は退出した。部屋に残されたのはルーとヴィエッタの2人だけだ。
「シンシ…悪い。ルー、教えてくれ。ラルフはこれまでアルフォニアでどのような生活を送って来たのだ?」
だがルーは首を横に振る。
「分かりません…」
ルーは第二階貴族、メディーナ家のロンがラルフにしていた仕打ちを思い出す。希望や尊厳を踏みにじられ、絶望に落ちていくラルフの姿を。思い出すだけで心が抉られる。
「先程ラルフは『どん底』という言葉を使いました。私はかつてその一端を見た事があります。それは余りにも耐え難いものでした」
「…そうか」
「ただ…ラルフはそのどん底に飲み込まれないよう必死に足掻いています。陛下の提案を断ったのもそのどん底を回避するためでしょう。どうかご理解を」
「分かっている」
ヴィエッタはゆっくりと頷いた。
「ルー」
「はい」
「お前はラルフがどん底に落ちないよう、しっかり支えてやってくれ」
そう言われた途端ルーの表情が揺らぐ。ヴィエッタはてっきりルーが強い表情を持って返事をするものだと思っていた。だが今のルーの表情はとても辛そうである。
「私は…」
ルーは下唇を噛んでいた。言おうか言うまいか考えあぐねている。
「どうした?」
「彼をどん底に突き落としたのは…この私です」
「…どういう事だ!?」
「私は…私はラルフの母親を殺しました」
「————!」
思わず声を上げてしまうほどの衝撃であった。大きく見開いた目は閉じる事を忘れてしまっている。嘘だと言おうとするが衝撃のあまり声が出ない。
「事実です」
ルーがもう一度念を押す。
(なぜシンシアは彼の母親を?一体何があったのだ?)
ヴィエッタはなぜそのような事をしたのか問おうとする。しかし、
「私が言える事はここまでです」
と遮られてしまう。問おうとしても口を開いてくれそうにはない。そのために余計に頭が混乱する。
(シンシアの名を捨て、ルーと名乗っているのはこのためか?それよりもシンシアがラルフの母親を殺したならば、なぜこの2人は一緒に行動をしているのだ?)
考えるのはラルフとルーの関係。本来であるならば、ラルフにとってルーは恨まれて復讐されてもほどの仕方のない存在である。だが今の2人は強い結びつきを感じる。決して上辺だけの偽りではない。
ヴィエッタの大きく見開いた目は未だルーを凝視し続けている。視界に映るルーはとても悲しそうな表情をしていた。思い返せばヴィエッタが見たシンシアはいつも笑っていた。悲しい顔をしていたのはシンシアの母親が亡くなってしまった時のみで、後はいつも明るい表情をしていた。それは不幸と無縁の存在だと思わせるほどに。
(純真無垢で笑顔を振りまく存在だと思っていたが、この子も苦労しているのだな…あぁ、私はなぜ固まっているのだ。ついさっき私は決心したばかりではないか。苦しんでいる者に手を差し伸べると…)
ヴィエッタはそこでようやく瞼を閉じた。そして落ち着きを取り戻す。
「私から言う事は先程と同じだ。過去はどうであれ、今のお前たちには強い信頼関係が窺える。ラルフにとってお前は必要な存在だ。だからこそ、これからもお前が支えてやるのだ」
ヴィエッタはルーの顔をまっすぐに見つめていた。その瞳に応えるようにルーも強く返事をした。
夜が明け、ラルフたちは再び玉座の間にいた。
「本当に行くのか?」
「あぁ」
ヴィエッタの言葉にラルフは短く返答した。
「悪いけど、この車いすは借りて行くぞ。これがないとどうにもならない」
「好きにするがよい。ところで冥王、竜血樹はどうなんだ?すぐに取りに行ける場所なのか?」
「あぁ、問題ない。簡単にたどり着ける場所だ。すぐにでも行こう」
しかし、宰相のウルベニスタがそれを止める。
「悪いがもう少し待ってくれないか。私たちも今、編成隊を組んでいるところだ。随行させてもらいたい」
ポーションを超える回復薬が生まれる可能性を秘めている竜血樹。これにより深手を負った戦士の傷をより簡単に癒す事が出来る。加えて大規模侵攻を控える身としては是が非でも手に入れたい。ナルスニア側としてはかじりついてでも冥王について行くつもりであった。
「なるべく早くお願いします」
ルーは端的にそう述べた。
「あぁ。昼までには準備を整えるつもりだ」
「分かりました。では陛下、一度失礼します。ラルフが静養する場所を決めねばなりませんので」
「分かった。もし行く当てがなかったら戻って来るよい。すぐにでも用意しよう」
ラルフたちは一度、城を後にした。
城を出たラルフたちは貴族街を歩く。城ほどではないが、貴族たちが住む屋敷はどれも豪勢である。ラルフは田舎者を露呈するかのように口が開いた状態でそれらを見ていた。
「とりあえず平民街まで行きましょう」
平民街に入りようやく見慣れた景色になる。そこでラルフは自分が口を開けていたことに気付き、ハッとする。そして何かを思い出したかのように話し始めた。
「宿、泊めてもらえるかな?」
「それは難しいかもしれません」
ルーが渋った顔をする。
「ラルフは今歩けない状態です。階段もトイレもままならない状態です。宿屋の店主がそこまで世話してくれるとは」
「そうか…困ったなぁ」
「それならばいっそのこと、ラルフ殿も魔界について来るか?」
冥王は気軽にそう言うが、
「完全に足手まといだろ。いいよ。こっちにいる」
とすぐに断った。
断ったはいいがラルフはどうしたものかと困っていた。ルーが帰って来るまで外で過ごすのは問題ない。しかし、足が不自由な状態では絡まれた時はどうしようもない。成す術無くやられてしまう。
「おい」
するとラルフたちに声を掛ける者がいた。アッザムとナナであった。
「昨日ぶりだな」
「2人とも無事だったのか!」
ラルフは2人の全身を見る。戦闘でいくつか擦りむいた箇所はあるが、ほぼ無傷で生還した2人は元気そうであった。
「お前は無事じゃ無さそうだな」
「ちょっとな」
ここでラルフとルーは事情を話した。ルーがこれから冥王と共にラルフの足を治す可能性を秘めた竜血樹を取りに行く事。それと、その間ラルフが静養する場所を探している事を。
「だったら俺のアジトに来ればいいじゃないか」
アッザムがそう提案した。
「俺のアジトならお前を守ってやれる。問題ないだろう」
「じゃあ——」
「——私は反対よ」
ナナが声を上げる。
「アッザム、あんたの部下はみんな信用できるの?情報が漏れていたんだから、少なくとも1人は裏切り者がいるはずでしょ?それに対抗組織を潰すチャンスだってあんた言ってたじゃない。そんな抗争が起きる場所にラルフを置いておくのは危ないでしょ。あんたがいつも傍に居て上げられるってわけじゃないでしょ」
まくしたてるようにアッザムに詰め寄るナナ。
「そう言われるとそうなんだが…でも他に行くところがないだろ?こいつらはまだ国に来て浅いんだぞ。どうするんだ?」
するとナナが自分の胸をドンと叩く
「大丈夫。私がラルフの世話をする。部屋を借りて一緒に住んであげる」
「「えっ?」」
ラルフとアッザムが同時に声を出す。
「えぇーーーー!!!」
その後、ルーが辺りに響き渡るように声を上げた。
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