第86話 私はルー
「陛下、いくら何でもそれは出来かねます」
宰相のウルベニスタが声を上げる。
「ならん。私はこの者たちだけで対話をする」
「ですが万が一の事があれば」
「万が一?その万が一があったとして、お前たちは止められるのか?この冥王を」
「それは…」
ウルベニスタを始め、家臣たちは皆冥王の方へと顔を向ける。すると冥王は不敵な笑みを浮かべていた。
「冥王。お前が私たちを殺そうとするのにどれほどの時間が掛かる?」
「ん?時間?」
とぼけたような顔をする冥王。
「言葉の通りだ。お前が私たちを殺すのに掛かる時間がどれほど掛かるかと訊いたのだ」
そこで冥王はフッと笑う。
「いや、話は聞いていた。そなたたちを絶命させる時間が知りたいのだろう?だがその問いは間違いだ。なぜなら答えは時間など掛からぬからだ」
質問を投げかけたヴィエッタもさすがにこのような答えが返ってくるとは思わず取り乱す。
「何か行動を起こす前に私はそなたたちの首を刈り取る事が出来る。この手を振り払えば一瞬だ。それが答えだ」
「…だそうだウルベニスタ。我々の戦力を総動員したとしても冥王に勝てぬという事だ。お前たちが私の身を案ずるのはありがたいが、残念ながらお前たちが出来る事は皆無なのだ」
それを聞いてウルベニスタ他全員が納得せざるを得なかった。
「冥王殿の件については分かりました。ですがルーとラルフ、この両名の懸念があります」
それを聞いたヴィエッタは少し呆れたような素振りを見せる。ウルベニスタも正直、心の中では過剰な反応をしていると理解している。だが一国の長を1人にする事は決してあってはならぬ事である。だから口にした。
もちろんヴィエッタ自身もそのよう事は承知している。身分が高い者ほど自由は拘束される。自身はその対象の最たるものだと。だが承知していたからといっていつもそれを受け入れる事が出来るかどうかは別だ。今のヴィエッタにはそれを受け入れる事が出来なかった。
ヴィエッタはウルベニスタの提言を拒否しようとする。だがその前にギルド長であるランバットが口を開いた。
「…まだ分かりませんか?」
ウルベニスタは突然割って入られた事に苛立ち覚える。加えて第一階貴族ではないランバット。ギルド長は一般的には偉い立場に当たるが、第一階貴族、そして宰相からしてみれば単なるギルド長。そうとしか見られないのである。
「ランバット君、何が言いたい?」
ウルベニスタは声に苛立ちを隠さなかった。
「単なるギルド長如きが声を掛けるな、そう思っていらっしゃいますな?」
「そ、そんな事はない」
自分の胸の内を言い当てられ思わず驚くウルベニスタ。
「そうですか。ならば私の声はウルベニスタ様に届くようですな。では言わせて頂きます。ウルベニスタ様、この子たちが陛下を襲うような無法者に見えますか?」
とてもうまい言い回し方であった。冥王の卵を奪還し、この国を救った英雄。悪人で無い事は明らかである。しかし、この国の貴族ではない正体不明の人物である事もまた事実である。だがそれを理由にヴィエッタを1人にする事を認めなければ、ただのギルド長である平民のランバットの声は届かないという事になる。
「…そんな事は分かっている。分かっているが…しかしだな…」
「あなた方は少し自分たちの意見を押し付け過ぎだ」
「————!」
その言葉はウルベニスタを始め、その場にいる者たちの心に衝撃を与えた。正体の知れない者たちは信用が出来ない。貴族で無ければ信用する事は出来ない。それは傲慢に値すると言わんばかりに。
私たちは反省すべきだと言ったヴィエッタの言葉が脳裏によぎる。
「ウルベニスタ。大丈夫だ。心配するな」
「…ですが」
言われた事を素直に実行する事は難しい。やはりウルベニスタはヴィエッタを1人にする事を認める事が出来ない。
「ウルベニスタ宰相」
ルーがウルベニスタの方を向き、声を掛けた。
「私たちが女王陛下に手を挙げる事は絶対にございません。天地神明に誓って」
そう言ってルーは頭を下げた。だがウルベニスタの心が動かされたのはその後の事だ。
頭を上げたルーの力強く大きな目は自身をまっすぐに見据えていた。その目には嘘偽りないという事を感じさせるには十分過ぎるほどであった。
(この女…いや、この方は…もしや!?)
ウルベニスタはヴィエッタの方に向き直り、
「この者の言葉を信じます」
それを聞いたヴィエッタはゆっくりと頷いた。
「ウルベニスタ、感謝する。それとこの玉座の間ではやはり少し広すぎる。別室へ移る」
ウルベニスタが了承した事に周囲は驚くが、
「大丈夫だ。この者たちは陛下を危険に晒すような事はしない」
と確信を持ったように答えた。
「この部屋ならもう大丈夫だ。もう他の者に内容が漏れる事がない」
用意された個室に入り、ソファに座りかける前にヴィエッタが口を開いた。その後自分の腰を静かに降ろし、再度口を開く。
「まずは確認を取りたい」
するとヴィエッタは鋭い視線をルーへと向けた。
「そなたはシンシア・ド・アルフォニアだな?」
「————!」
ヴィエッタは探りも入れずにダイレクトに問いただした。驚きはしたが、ルーもラルフも覚悟していた。寧ろ玉座の間で問いただされなかった事に感謝するべきであると。
ルーは一度ラルフの方へと顔を向ける。するとラルフはゆっくりと頷いた。そしてルーも頷き返しヴィエッタに答えた。
「陛下の仰る通り。私はシンシア・ド・アルフォニアです」
「やはりそうか。久しぶりだな、シンシア。再開するのはいつぶりだ?すっかり大きくなって…とても美しくなったな」
ヴィエッタは幼いシンシアがアルフォニアの王であるハワードの足にしがみついていた光景を思い出しながら、大人へと成長した姿を目の当たりにして素直に喜んだ。だがそんなヴィエッタに優しい瞳を向けられたルーは神妙な顔つきをしている。
「確かに私はシンシアです。ですが、私はその名をもう捨てました」
「捨てた?」
ルーの言葉に思わず反応してしまう。
「はい。私はシンシアという名を捨てると共にアルフォニアの王女としての身分も捨てています。今はラルフにルーという名を貰い一緒に居させてもらっています」
ヴィエッタはルーの言動に注視する。声に震えや緊張は感じられない。視線も自身の目から反らすことなく語り掛けて来る。
(この男…ラルフに脅されているような感じはしない。ならばシンシアは自らの意志でラルフに付いているのか?)
「シンシア、1つ確認したい」
「陛下、私はシンシアではありません。ルーです」
ヴィエッタは揺さぶりのために敢えてシンシアと呼んだ。しかしはっきりと否定するルーを見て、名を捨てたという言葉に信ぴょう性が増す。
「私としてはシンシアと呼びたいのだがな…まぁいい。それでルー、なぜお前はその男、ラルフと一緒に旅をしているんだ?教えてくれないか?」
再度ヴィエッタはルーを注視する。すぐに理由を話し始めるかと思いきや、ほんの一瞬だけ間が空いたのが気になった。その時のルーは視線を外し、少し考えた素振りを見せていた。そして再びヴィエッタを見つめ問いに答える。
「私はラルフの生き方に感銘を受け、ラルフにお願いして一緒にいる事を許してもらったのです」
この時ルーは、ラルフの母親の命を奪うきっかけとなった奇跡の実の件が頭によぎっていた。しかしそんな事は口に出来るはずもない。
「このラルフに感銘を受けた…か。分かった。ではお前たちはどこでどうやって出会ったのだ?」
ヴィエッタはラルフを一瞥し、
「貴族には見えないからな。平民と王族が出会い、仲を深めるなどそうそう起こらぬ事だ」
「それは…」
ここでルーは口ごもってしまった。嘘を付いた事の無いルーにとって、真実を隠しながらヴィエッタが納得出来るそれらしいエピソードなど一瞬で思いつくはずがない。
「なぁ、あんたは俺を疑っているのか?」
するとラルフが割って入った。
「別に悪気があって効いているのではない。ただかわいい知り合いの娘がもしかしたら変な男に騙されていないか心配でな。親心みたいなものだ。気を悪くしないでくれ」
ヴィエッタは悪びれる事無く言った。そして
「それでどのように2人は出会ったのだ?」
どうしても2人の出会いが気になった。ルーが感銘を受けてラルフに付いて来たのであれば普通は表情が明るくなるはずである。しかし今のルーにはそれが一切なかった。先程問いただした時の一瞬の間やその時の暗い表情がどうしても気になる。
「私はラルフが開拓者になるために必死で——」
「——俺はスラム出身だ」
ルーはラルフと自分の過去の事をなんとか隠して答えようとする。しかしラルフはそれを遮って答え始めた。ヴィエッタも具体性のないモヤがかかったルーの話より、ラルフの話を聞くことにし、耳を傾ける。
「俺はお前たち王族や貴族、そして同じ平民からも虐げられてきたはぐれ者だ。俺はそこで育って今まで生きて来た。そんなところにある日王女がスラム街にやって来たんだ。それで王女とそいつの仲間が俺に酷い事をした。それが出会いだ。これでもういいか?」
ラルフは事実を述べた。だが真相には布を被せた状態で。おまけにこの時の口調はどこか喧嘩腰だった。
(スラム出身…そうか。どうりで私たちの事が嫌いなはずだ)
「それで…その酷い事と言うのは一体どういった事だ?」
「なぜお前に話さなくちゃいけない?」
「先ほども言ったであろう。親心という——」
「——お前に話す義理はない」
「……」
ヴィエッタはラルフの目がもはや喧嘩腰というレベルではなく、明らかな敵意が向けられている事に気付く。加えてルーは先程にも増して表情が暗い。
(どうやら問題はそこにあるようだな)
普通に考えれば、一国の王女が1人の平民…劣悪な環境で生きる事を強いられるスラムの人間に同情する事はあれど、感銘を受ける事などあり得ない話だ。やはりルーは何かしら負い目があり、ラルフに付いて行く道を選んだとみる。その方が現実的だ。そうであるならばやはり理由が知りたい。だが今のラルフからはこれ以上問えそうにない。
ヴィエッタはルーの方へと向き直り、
「ルー、私に教えてくれないか?」
ヴィエッタは少し優しい口調でお願いするように訊いた。しかし、ルーは首を横に振る。
「陛下には関係のないお話。話す事は出来ません」
その時のルーの答え方には迷いというものはなく、話さないという明確な意志が取れた。
(口を割ると思ったが…話そうとはしないか。これは余ほどのことだな。ならば…)
「ルー、お前はラルフに感銘を受けたと言っていたな?だが話を聞くからにお前はラルフに負い目を感じて一緒いるように感じるぞ。どうなのだ?」
「おい、さっきから何のつもりだ?お前には関係ないだ——」
「——関係ある!」
ヴィエッタがラルフを遮る。
「友好関係にある国の王女が1人の平民の男に身分を隠してのこのことついて行くなど由々しき事態だ。ましてや今は大事な時期。ルー…いや、シンシアはアルフォニア騎士団の屈指の実力者。贖罪の気持ちでお前の後を付いているのなら止めさせなければいかん。責任の取り方などどうとでもなる」
ヴィエッタはきっぱりと答えた。ラルフはヴィエッタの言葉にさらに皺を寄せるがそんな事などに構っていられない。
(何があったかは知らん。だがシンシアをこれ以上ラルフに囚わせるわけにはいかん)
ヴィエッタはルーをアルフォニアへと戻させ、そして今まで通り王女としての人生を送らせようと考えていた。しかし、
「陛下!」
ヴィエッタはルーを見る。そこには目に力のこもったルーがいた。
「私は無理やりラルフの後を付いているのではありません。贖罪の気持ちは…確かにあります。ですが私はラルフを尊敬しています。それは紛れもない事実です。私は私の意志でラルフに付いて行くと決めたのです。そして父のハワード王にも許可を得ています」
ルーは一度目を瞑る。そして大きな瞳を開き、
「陛下…このように言うのは少々心苦しいのですが、部外者に何かを言われる筋合いはございません!」
「しかしだな…シンシア」
「私はルーと言ったはずです。シンシアではございません!」
面を食らうヴィエッタ。
「失礼な態度で申し訳ございません。大規模侵攻で大事な時期である事は重々承知しております。ですが…今の私にとって、それはどうでもいい事なのです」
「————!」
どうでもいい事。この言葉はヴィエッタに衝撃を与えた。
「私はラルフの傍にいる。そう決めたのです。それが全てです」
(どうでもいい事…そこまでこのラルフと一緒にいる事を望んでいるのか)
ルーの揺るがないその表情。生半可な気持ちではないのだとヴィエッタは悟る。全てを覚悟した上でラルフと一緒にいるのであると。
「最初は…」
そこにラルフが小さな声でぼそりと呟き始めた。ルーとヴィエッタがラルフに耳を傾ける。
「最初はこいつが…ルーが付いて来るって聞いた時、正直どうでもいいと思った。俺にとって信頼出来る存在なんてほとんどいなかったからな。みんな俺を蔑んだ目で見て、見下して、時には憂さ晴らしのために俺に殴りかかる奴もいた。そんな奴らしかいなかった。お前たちには分からないかもしれないけどそれがはぐれ者として生きる日常だ。みんな生きるのに必死だからな…そりゃ中には信用出来る奴だっている。さっきのイリーナさんがそうだ。あの人は俺を侮蔑した目で見ない。でもルーは王族だ。そんな奴が俺について来たってどうせすぐ嫌いになるだろうって思ってた。でも違った。ルーは俺の事を1人の人間として扱ってくれる。それにまだほんの少ししか一緒にいないのにたくさん助けてもらった。だから今の俺はもうルーがどうでもいい奴だなんて思ってない。俺にとってルーは大切な仲間なんだ」
「ラルフ…」
ルーはラルフの言葉が心にしみ込んで行くのを感じた。そんな2人をヴィエッタは黙って見る。お互いがお互いを信用し合う姿。そこには確かな絆があり、斬っても切り離せない関係にあると。
(過去に何があったかは分からない…しかしこの2人が今、共にいるのは運命なのだろう)
「部外者か…どうやら本当にそのようだな。勝手な事を聞いてすまなかった。許して欲しい」
頭を下げるヴィエッタに面を食らうラルフとルー。
「今は他の者が誰も見ておらぬからな。謝罪も頭も下げやすいのだ」
そう言ってヴィエッタは笑みをこぼした。また心の中でハワードの娘が立派に成長している事を好ましく思った。
「終わったか?」
すると、別室に連れて来られたもう1人の存在、冥王が声を掛けた。冥王は呑気に果物を食べていた。
「あぁ、冥王。そなたを放っておいて悪い事をした」
「気にするな。それよりもこの果物、上手いな」
冥王は上機嫌だった。
「なぁ、悪いが俺にちょっと教えてくれないか?」
「ラルフ、どうしたのですか?」
「いや、大規模侵攻が近いうちにあるんだろ?お前たちは何をそんなに急いでいるんだ?もし秘密じゃなきゃ教えてくれないか?」
それを聞いたルーとヴィエッタは顔を合わせて頷き合った。
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