第85話 女王陛下への謁見4止
「急に大きな声を出して申し訳ございません。ですが、私は大規模侵攻には参加出来かねます。勝手に決められては困ります」
ルーはマスクに向かって強く表情で答えた。この時、ルーには丁重に断るなどという余裕などなかった。なぜならばレオナルドの事で頭が一杯だったからだ。
(レオナルドが姿を消した!?いつ?という事は私たちのいるナルスニアに入国していてもおかしくない)
ルーはラルフを見る。ラルフはレオナルドという言葉を聞いて明らかに困惑し、そして表情が険しくなっていた。
(私はラルフを守らねばなりません。ずっと一緒にいると心に決めたんです。大規模侵攻など、今の私にとってはどうでもいい事です)
「私は絶対に参加しません」
ここまできっぱりと断れば先ほどの冥王のようにナルスニア側も諦めてくれると思った。だが、そうはいかなかった。マスクはルーの言い方に腹を立てていた。加えて先ほどの冥王の発言、自分たちの実力がルーより劣っている事がどうしても納得出来なかった。
「勝手に決めるなとは確かにその通りかもしれない。それについてはお詫びしよう。だがよく考えてみてはどうだ?君は魔界攻略の最先端、第一線で活躍できるのだぞ?装備やバックアップが完璧に整った状態で。君ほどの実力の持ち主が無名であることが正直よく分からないが、それでも大規模侵攻に参加できることは光栄に思うべきだ」
「私の意志は変わりません。参加は出来かねます」
ルーは抑揚の無い声で端的に答えた。その答え方がより一層マスクの感情を逆撫でた。
「下手に出ていればいい気に——」
「——待て、マスク」
キルギスが止めに入る。
「ルー殿、もう一度改めてお願いする。私たちにとって今度の大規模侵攻は非常に重要なものなのだ」
(知っています、そんな事)
「私たちのこの大規模侵攻は私たちの未来に繋がる。どうか貴殿のその力を私たちに貸していただけないだろうか?」
「……お断りします」
その答えに誰もが驚く。
「あなた方にとってその大規模侵攻がとても重要な事は理解出来ました。ですが、今の私にはそれ以上に大切な事があるのです。それより優先すべき事はないのです。ですので私は参加する事は出来ません」
「…どうしてもか?」
「はい、どうしても」
「…ならば…こういう形はあまり取りたくないのだが」
仕方がないと言わんばかりにキルギスは大きく息を吐く。
「君は開拓者だな?」
「…はい、それが何か?」
「ならばギルドから直接指令を出そう。大規模侵攻への参加だ」
それは唐突に発せられた。一方的で上から物を言うような言い草。告げられた本人のルーは明らかに動揺していた。
これにはその場に居た者たちも些か驚きの様子が見て取れた。ランバットやイリーナがそうだ。明らかに不満ありげな表情をしていた。だが反対に賛同している者たちも少なくない。マスクに至っては「それは良い」と声を出して賛同していた。
(なぜ?私は今断ったのに…)
シンシアとして、アルフォニアの王女として過ごして来たルーにとって、このような理不尽を言い渡されるのは初めての経験である。
国のため、未来のため。その気持ちは十分に理解出来る。しかし、
「あなた方は大義名分があれば何を振りかざしても良いと思っていらっしゃるのですか?」
「そんな事はない。ただ今回は君に私たちの頼みを聞いて貰えない以上こうするしかない。悪いとは思う。分かってほしい」
ルーは唖然としてしまう。そこへラルフが、
「ルー、無駄だ」
「えっ?無駄とは?」
ルーはラルフへと視線を向ける。
「さっきの超越者たちを思い出してみろ。エッジやウォッカだって冥王のドラゴンを奪う事があいつらの思う正義に繋がると思って行動していたんだ。それとおんなじ理屈だよ。こいつらにとってルーを大規模侵攻に参加させる事は正しいと思って行動しているんだ。自分たちは間違ってないって。そんな奴らにルーの声は届かない。こいつらにはルーの意見が間違っていように聞こえているんだからな」
ラルフは「お前にとってすべき事があるように俺にとってもすべき事があるのだ」という言葉をエッジの強い表情と共に思い出していた。揺るがないその表情に信念さえ感じた。今のキルギスの言葉にそれほどの鬼気迫るものは感じないが、国を想う気持ちは本物なのだろうと。非情に厄介だなと心底感じた。
「なぁ、ルーが大規模侵攻に参加しないと一体どうなるんだ?」
ラルフはキルギスに問う。キルギスはラルフの口の利き方に若干の不満を抱きつつも冷静に答える。
「その問い方、まさか断ると言うのか?」
「——待て!」
ラルフの問いにキルギスが苛立った反応を見せたその時、ヴィエッタが止めに入る。
「キルギス、勝手な事はするな」
「申し訳ございません」
キルギスはすぐに謝罪し、下がる。開拓者ギルドの運営は国が行っており、第一階貴族が担っている。その最高責任者はやはり4か国の頂点に位置する王たちである。女王として、ギルドの最高責任者として、ヴィエッタが止めろと言えばそれまでなのだ。
「お言葉ですが、陛下」
それでも黙らない者がいた。それはキルギスの横に居たマスクである。だがすぐにマスクは後悔する事になる。
「私に同じことを2度も言わせるのか?」
カッと見開いた両目でヴィエッタは強く言い放った。有無を言わさないその気迫に圧し潰されそうになる。マスクは一転して怯えた表情をし、すぐにどもりながら謝罪した。
「家臣が勝手な事を申した。許してやってくれ」
ルーはその言葉にかしこまるように返事をして納得する。しかし、ラルフは黙っていなかった。訝しげな表情を隠そうともしない。
「で?」
ヴィエッタの眉がぴくりと動く。
「何か不満があるのだな」
「当たり前だ。あいつらからルーに謝罪はないのか?ルーは脅されたんだぞ?」
ラルフはあろう事かキルギスとマスクの方に指を指す。
「ラルフ、私は別に怒って——」
「——良くないだろ」
ラルフは強めの口調で放った。その声にルーは怯えた表情をし、すぐに黙ってしまう。ヴィエッタはそれも注意深く見ていた。すると、貴族の1人が横やりを入れる。
「おい、貴様!さっきからその態度は何だ!」
声を上げたのはマスクだった。マスクはまだ若い。そのためか感情的になる事が多かった。しかし、今のマスクの行動にはほぼ全員が賛同していた。ラルフが女王陛下であるヴィエッタに敬意を表さないことに我慢ならなかった。
「それはこっちのセリフだろ。俺はただ敬語を使わないだけだ。身勝手な事を言ったお前たちの方がよっぽど悪いだろ」
「黙れ!身分を弁えろ!」
その言葉にラルフは完全にスイッチが入ってしまう。
「貴族だからか?身分が高ければ許されるのか?何を言っても、何を強要しても許されるのか?正しいのか?」
眉は吊り上がり、声には大きく怒気が含まれる。
「お前たちが背負っているものと私たちが背負っているものは違う!さっさとこの場にいる方々に謝罪しろ!」
ラルフの中で久しぶりにどす黒い感情がうごめく。そのどす黒い感情は熱を帯び、その熱がラルフの顔を怒りと憎しみに満ちた表情へと変えて行く。
「そうやって…お前たちはいつも弱い者から尊厳を奪うんだ」
ラルフは一度目線を下げる。そしてもう一度顔を上げ、マスクの方を見た。
「な、なんだ?」
マスクは思わず声を漏らす。マスクが見たラルフの表情は能面のような無表情であり、それがどこまでも暗く感じた。その表情は怒りに満ちた顔であるよりもずっと不気味で恐怖を感じた。周りの貴族たちもラルフに見下しを含めた敵意を向けていたが、ラルフの変化に慄いていた。
そんな緊迫な状況にイリーナは1人危機感を募らせていた。イリーナはラルフのあの表情を覚えている。それはアルフォニアのギルド近くでメディーナ家のロンに開拓者になるために必死に貯めた登録用の金を取られそうになった時と同じである。
(あの時、ラルフ君は右手に瓶の破片を持っていた。絶望の淵に追いやられ、ロン様を殺そうとしていた)
イリーナはあの時の事を思い出し、鼓動が早くなるのを必死で抑えようと、自然に胸に手が行っていた。
そして、危機感を覚えるのはイリーナだけではない。ルーもまたこの状況に危機感を募らせていた。
(ラルフが追い詰められている。私が正体を明かし、声を上げるべきでは?でもラルフにはルーとして生きろと言われたばかり)
ラルフのために正体を明かすべきか?だがラルフはそれを非常に嫌っている。また正体を晒した場合に後々いろいろな面倒事が起きる。一番良いのはルーとしてこの場をなんとか治める事だが、どうする事も出来ない。
ルーはもう一度ラルフの顔を見る。何かを諦めたようなどこまでも暗い表情のラルフ。心臓がぎゅっと締め付けられる。暗闇に囚われるラルフに対し何も救ってあげられる事が出来ない自分を責めた。
「ラルフ君、一度落ち着きなさい!」
そこにイリーナが声を上げる。
イリーナは覚悟を決めていた。アルフォニアで動けなかった自分に後悔していたからだ。
「ラルフ君。あなたは今、アルフォニアで受けた辛い経験をナルスニアの貴族の方々に向けていない?」
「…イリーナさん」
突然のイリーナの声に面を食らうラルフ。
「あなたがどれだけ辛い思いをして来たかは私たちには想像もつかない。でも。ここはナルスニア。あなたが今まで居たアルフォニアとは違うの。確かにルーさんに謝罪していないのは私も納得がいかない。私もあなたと同じ平民だからね。でもね、権力がある方々は簡単に謝れないの」
「どうしてですか?どうして謝れないんですか?」
「この方々は身分がある以上、個人だけの問題にならないの。その一族にまで影響を及ぼすの。貴族の方々は常に周りから見られているって意識があって、実際に公的なものにもなっちゃうのよ。だから謝罪することは自分たちが衰えちゃったって周りに印象を与えちゃうことになるのよ」
「でもだからと言って」
「分かる、分かるわ。でも今のあなたは本当にルーさんのために行動してるって言える?ルーさんは貴族様に謝罪する事を望んだ?ラルフ君は自分の憂さ晴らしをしようとしてない?そうじゃないって心から言える?」
「それは…」
ラルフは急に弱腰になった。イリーナの言う通りであった。自分の煮え切らない感情が暴走していた。すると横に居たルーがラルフの視線まで腰を落とし、ラルフの手を両手でぎゅっと握る。
「私は大丈夫ですから。ラルフが私を想って怒ってくれた。それだけで十分です」
ルーの目には若干涙が潤んでいた。それは嬉しさから来るものではなく、自分を心配してから来るものだとラルフでもすぐに分かった。
「ラルフ君、納得がいかないかもしれない。理不尽かもしれない。でも割り切りなさい。そういうものだと。ただこれだけは言える。私とルーさんはあなたの味方だから」
「イリーナさん…」
ラルフは自分の心の中にある、どす黒い感情がイリーナの優しさで雲散していくのを感じた。
「だからね、ちょっと待ってなさい」
「えっ?…イリーナ…さん?」
するとイリーナは勝手につかつかと歩き始めマスクの前に移動する。そして「失礼します!」と言い深々と頭を下げた。その場にいる全員が動揺しながらも黙ってイリーナを見ていた。そしてすぐに全員が度肝を抜かれる事になる。
「女、なんだ?」
「あなた方は私たちには想像もつかないような大きなものを背負っているのでしょう。抱えているのでしょう。ですが私たちに平民だって背負っているものがあります。プライドとか、信念とか。あなた方にとってはちっぽけなものに見えるのかもしれません。ですが私は…私の大切な友人が見下される事に黙っていられない」
毅然とした態度でイリーナは言い放った。そしてさらに!
「————!」
マスクの顔が歪む。
イリーナは右拳を思いっきりマスクの顔に食らわせたのだった。
「き、貴様―!」
マスクは声を張り上げた。殴られた箇所に痛みは感じなかった。なぜなら多くの者に見られる中で殴られたという事実が途方もない恥ずかしさを与えていたからだ。その感情は激情へと変わり、思わぬ行動を取る。なんと剣を抜いたのだ。
周りはのけぞるようにマスクから離れる。だがイリーナはピクリとも動かない。まっすぐ前を向き、マスクを見ている。
「マスク!剣を納めよ!」
ヴィエッタが一喝するが、マスクは剣を納めない。余ほど興奮しているのか声が届いていないのだ。
「ルー!」
「はい、分かっています」
ルーは止めるためにすぐ動こうとするが、それより早く動く者がいた。冥王であった。
「そこまでだ」
冥王は一瞬の内にマスクの横に移動しており、片手をマスクの喉元に突き立てていた。
「動けばお前の首をはねる」
ここでようやくマスクは冥王の存在に気付く。
「ゆっくりと剣を納めろ。出来るか?」
マスクは黙って頷き、剣を自分の鞘へとしまう。
「ヴィエッタ殿。すまんな、そなたの家臣を脅かしてしまった」
「いや、場を治めてくれた事に感謝する」
「ついでにヴィエッタ殿にお願いあるのだが、この女の不始末を不問にしてくれないか?」
冥王はイリーナの取った行動に好感を覚えていた。非常に面白い女だと。そしてヴィエッタはそんなイリーナの肩を持つ冥王に少々驚いていた。
「あぁ、場を治めてもらった礼があるからな。構わん。それに私としては彼女を罰するつもりは毛頭ない。お前たちもその者に処分を下す事は私が許さん、いいな?」
「仰せのままに」
マスクを除く全員がヴィエッタに頭を下げた。
「マスク、私の声が聞こえるか?」
「はっ」
冷静になったマスクはすぐに膝を付き、ヴィエッタの表情を見る。その時のヴィエッタはマスクに対し、失望するような目を向けており、いたたまれなくなったマスクはすぐに顔を下へと向けた。激情に駆られたとはいえ、自分の取った行動をさすがに後悔した。
(私は副団長を降ろされるだろう。いや、騎士をクビになるかもしれない)
そんな事が頭をよぎっていたが、横に居たキルギスが膝を付いた事に気付き、疑問を抱く。
「陛下、私が不用意な発言をしたためにこのような事態を招きました。責任は私にあります。どうかマスク副団長には寛大な処分を」
自分をかばうキルギスに胸を打たれるマスク。それがさらに過ちを犯した自分を責め立てた。
「確かにマスクの取った行動に問題はある。しかし、今回の事は私を含めた上に立つ者全員の問題だ。私たちは少し周りが見えていないようだ。反省すべきかもしれん。キルギス、お前はルーへの謝罪。マスク、お前はルーとラルフ、そして剣を向けたイリーナへ謝罪せよ——ラルフ、それで事を治めてはくれないか?」
「俺に謝罪はいらない。ルーとイリーナさんに謝ってくれ」
「分かった」
その後キルギス、そしてマスクもルーとイリーナに素直に謝罪した。
「この件はこれでお終りだ。皆は退出せよ。私とこの者たちだけで話をする」
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