第82話 女王陛下への謁見その1

 ラルフが玉座の間へと入った瞬間、最初に飛び込んできたのは赤い絨毯のその先にいる1人の人物であった。

 その人物は王冠を被り、そして赤いマントを羽織り、左手には煌びやかに装飾された王笏を持っていた。権威の象徴を身に纏ったその姿は知識の無いラルフであってもこの人物が王である事が理解出来た。

 ラルフはその王冠を被った女性を自分の瞳で注意深く見た。真っ先に感じるのはやはり存在感。だがそれは権威の象徴を身に纏っているから感じるのではないとすぐに分かった。キリっとしたその表情は単に美しいだけでなく、聡明さと威厳を感じさせる。また絹糸のような白い髪が彼女を引き立たせており、凛としたその立ち姿は王者としての風格を漂わせていた。

 この国にただ1人座る事が許される玉座は、女王である彼女のために存在するが、今そこに彼女は座していなかった。玉座は部屋の奥の少し高い位置にある。普段ならば何も考えずにそこへ腰かけるが今はそれを良しとしなかった。そうしてはならないと。謁見に来る者と同じ高さで迎えるべきだと判断したのだ。なぜならそこには冥王がいたからである。

 普段の女王とは明らかに違う対応を目にするのは家臣たちだ。夜更けにも関わらず、玉座の間には家臣と見られる貴族や騎士団が連なっていた。彼らも明らかに緊張をしていた。

 

 ルーたちは玉座の間を歩き、女王陛下の前で足を止める。そしてゾルダンとルーは膝を付こうと挙動するが、


「そのままでよい」


 と制した。ゾルダンとルーはその言葉に少し驚いた様子であったが、それよりも驚いたのは周りにいた家臣たちであった。王とはこの国にトップに位置する存在である。神がいなければ文字通り1番偉い存在であるのだ。そんな人物が王に謁見しに来た者たちよりも先に口を開き、あろう事かその言葉がその者たちに配慮する言葉であったことなど到底理解出来るものではなかった。

 ちなみにラルフと冥王は無反応だった。もちろんラルフは車いすのためにそのような動作を取る事は出来ない。しかし、仮に足に傷を負っていなかったとしてもそんな事をする知識もない。もっと言ってしまえば、知識があったとしてもそのように立ち振る舞うつもりは毛頭ない。冥王が動かなかったのがこれに当たる。


「女王陛下、こちらが今回の件に関わった者たちの一部です。まず…こちらの人物で、失礼、こちらの方が一部の人間たちが称している冥王と呼ばれるドラゴン。そして、車いすに座っている人物がラルフ。その後ろで椅子を押していた者がルーです」


 ゾルダンがそう説明した。ルーを見た瞬間、女王陛下は目の瞳孔が開く。それを見たルーは自分の正体がバレたと悟った。しかし、


「こんな夜更けにも関わらずよく来てくれた。私がこの国を治める、ヴィエッタ・ド・ナルスニアである」


 と自分の名前を口にし、ルーに関して追求する事はなかった。それもそのはず、今のヴィエッタにはそんな余裕などなかった。ヴィエッタは自分の名を口にするや否や、


「まずは人間を代表して冥王殿に謝罪させてほしい。申し訳ない事をした」


 そう言うと、ヴィエッタは頭を下げた。


「————!」


 その光景を目にして驚いたのは参列する貴族たちであった。今、この場にいる貴族は全員第一階貴族であり、権力に飢えた第二階貴族はいない。古き時代から仕えて来た者たちで国のために尽くして来た者たちであり、王の偉大さは重々承知している。それ故に今回の件が深刻な問題であると理解していても、象徴的な存在でもある王が簡単に頭を下げる行為はやはり納得出来るものではなかった。現に数名の者は冥王に対して敵意の眼差しを向けている。


「殊勝な心掛けだな、人間の王よ」


 冥王は言った。ヴィエッタはしばらくした後に下げた頭を上げる。


「人間の王よ。まずは安心して欲しい。私は今回の件の話を来たのであってそなたたちを皆殺しに来たわけではない」


「皆殺し」という言葉に一同がピクリと反応する。


「だがそなたが簡単に頭を下げた事に対し、些か納得していない者がいるようだ。だからまずはそなたの行動が間違いでなかった事を証明する事にしよう」


 証明するという言葉に全員が疑問を抱く。だがその疑問はすぐに大きな音と共に解消する。


「————!」


 全員が音のする玉座の方を見た。すると、玉座の後ろにある壁に大きなかぎ爪の跡がつけられていた。

 誰もが目を疑った。家臣全員が冥王に注視していた。だが肉眼で冥王が動いたと捉えられた者はいない。そんな家臣らに冥王は声を掛けた。


「これで諸君らの女王が私の機嫌を損ねないよう、最大限の配慮をしたことが分かるな?」


 冥王は家臣たちの方へと軽く笑ってみせた。ほとんどの者は驚き固まっていたが、冥王へ敵意を向けた者たちはすぐに目を伏せた。しかし恐怖を覚えたのは全員であり、そして全員が自覚した。自分たちは吹けば消し飛ぶような存在であると。ヴィエッタはここにいる誰よりも理解していたのだ。そのため女王として威厳を振るうことはせず、女王として真っ先に頭を下げたのだ。

 家臣は全員気持ちを改める。自分たちが目の前にしている者は同じ人間ではないという事を…


「それで事情が聞きたいと言っていたな…それにしても玉座が空いたままでしゃべるのはやはり違和感があるな。ヴィエッタ殿、そなたはが私に配慮してくれた事は重々に理解した。玉座に着座してもらっても構わんぞ。それと、陛下と呼んだ方が良いか?」

「感謝する。それと呼び方はどちらでも構わない。私はこの国の人間たちの王であって、そなたの前ではそれは全く意味を成さないのだから」


 そう言うと、ヴィエッタは階段を上がり玉座へと着座した。


「ふむ、納まる所に納まったという感じがするな」


 と冥王は1人で納得していた。


「まずは確認したい。卵は無事と言える状態なのだろうか?」

「それについては問題ない。こちらにいるラルフ殿とルー殿、それと彼らの仲間が必死に守り抜いてくれた」

「そうか、それは良かった」


 ヴィエッタはラルフとルーに目を向ける。


「ラルフとそれと…ルーであったな?」

「はっ」


 ルーだけが反応した。すぐに膝を付こうとするが、


「いや、今日はそのままで構わん。そなたたちの事はそこにいるランバットから聞いている」


 ルーはヴィエッタから目線を反らす事はなかったが、ラルフはヴィエッタの言葉を聞いてすぐさま視線を外し、家臣たちの方を見た。そこにはギルド長であるランバットとイリーナがいた。今回の卵の奪還がスピード解決したために直接的に手を借りたわけではなかったが、裏で尽力していたことにラルフは心の中で感謝した。


「2人共、此度の件、よくぞ働いてくれた。感謝する」

「過分なお言葉を頂き、この上ない喜びです」


 ルーが胸に手を当て、若干頭を下げながら答える。その時、ちらりとラルフの方へと向く。


(ラルフ、同じ言葉で構いません。私のように言って下さい)


 と願いを込めるが、


「確かに過分な言葉だな」

「————!」


 その瞬間、その場にいるほぼ全員が目を見開いてラルフに注視する。ラルフはそのまま話し続ける。


「別に俺はあんたたちのために卵を取り返したんじゃない。もっと言えば冥王のためでもない。冥王の番のドラゴンのために卵を取り返しただけだ。だから褒めてもらわなくても結構だ」


 ときっぱりと言い切った。


「でも足の治療をしてもらえたことには感謝している。多分、冥王が交渉してくれたおかげなんだろうけど。それについてはお礼を言います。ありがとうございます」


 と車いすに座った状態で頭を下げた。

 その場はラルフの発言によって固まっていた。頭を下げる事によって生じた体と椅子のこすれる音がやけに大きく聞こえ、耳障りであった。普段であるならば気づきもしないような小さな音なのに。それほどその場は緊張が張り詰めていた。

 本来であるならば、形式的な言葉を返すだけの何も起こらないやり取り。だがラルフは見事なほどに破ってしまった。

 すぐにルーが膝を付き、謝罪する。ちなみに冥王はそんなラルフを見て、フッと笑っていた。


「陛下、申し訳ございません!この者は初めてこのような場に参じたためにマナーを分かっておりません。また陛下との謁見で緊張しているようです。どうかご容赦下さい」


 ルーは必死だった。すると、まるで時が動き始めたように家臣らが怒りを露わにする。またランバットは深くため息をつき、イリーナは慌てふためている。


「貴様、誰に向かってそのような口を聞いている!」


 1人の貴族が声を荒げた。それに続こうと他の貴族が口を開こうとするが、


「待て」


 ヴィエッタが貴族たちを制す。口を紡ぐ貴族たち。


「冥王。そなたに問いたい。もしも…もしもだ。卵がそなたたちの手に戻らなかったら、そなたはどの様な行動を取った?」

「もし戻らなかったらか。私は妻の意を汲んで、人間共を皆殺しにしたかもしれん。特にこの豪華な城は跡形もなく消したであろう」


 言われた瞬間、貴族たちは恐怖を覚える。自然と玉座の後ろの方へと目が行く。先程、冥王によって付けられたかぎ爪の跡が生々しい。


「陛下、よろしいでしょうか?」


 口を開いたのはランバットであった。


「発言を許可する」

「当初、我々はここに居る冥王の番であるドラゴンの討伐を予定していました。それがギルドの方針であり、実行されるのは時間の問題でした。ですが、卵を奪還すると提言したのはこちらにいるラルフです。彼が我々を説得し、卵を取り返すと言ったのです。彼がいなければ今ごろは…」

「…そうか。私たちはお前がいなければ、跡形もなく消されていたのだな」


 ヴィエッタは頬杖を突きながら答えた。


「この国を救った英雄を我々は口が悪いだけで憤慨しているのか…滑稽だな」


 と冷笑した。貴族たちはその言葉を聞き、自分たちの器の小ささを指摘されているようで歯がゆく感じた。


「ラルフ、お前の態度については功績に免じて不問とする」


 と口にした。

 それを聞いた冥王はヴィエッタの気前の良さに好感を覚え、笑みを浮かべた。また、ルーとイリーナは安堵の息を吐いた。肝心のラルフはどうでもいいと言った様子であった。


「ついでに訊いておこう。我が国を救った英雄の足の容態はどうなんだ?」


 ヴィエッタの問いに対し、当事者であるラルフたちはすぐに反応した。反対に家臣らとってはそれほど興味の無い事で合った。口を開いたのはラルフたちに付いて来た眼鏡をかけた医師が口を開く。


「ラルフさんがまた歩けるようになるか?という点でしたら、それは可能だとお答えします」


 その答えにラルフたちの表情が明るくなるが、


「以前と同じように動く事が可能かと問われればそれは無理です。現在の私たちの医療技術ではラルフさんの足を完全に治癒する事が出来ません」

「…そんな」


 その言葉を口にしたのはルーであった。愕然とした表情を浮かべていた。当事者のラルフはこの事が分かっていたかのように軽く息を吐いた。


「治す事は本当に無理なのか?」


 ヴィエッタがもう一度問いただす。だが医師は首を振った。


「奇跡でも起きない限りは」

「そうか…」


 残念そうに答えるヴィエッタ。すると医師がまた口を開いた。


「私から敢えて言わせてもらうなら、本来ならばこのようなひどい状態になる事がまずあり得ないのです」

「…どういう事だ?」

「通常であれば人間は肉体的限界より精神的限界の方が早く来るようになっています。痛みや辛さで根を上げるのです。そうやって人間は無理をしないように、限界を超えないようにするのです。これは防衛本能と言ってもいいかもしれません。でもラルフさんにはそれが意味を成さなかった。ラルフさんは精神的限界に耐えてしまった。そして肉体的限界を迎えました…いえ、ラルフさんは限界を超えても止まらなかった。それは正に火の中にずっと手を入れているような状態です。そんな状態が続けば取り返しのつかない状態になるのは当然です」


 ルーはこの医者の言葉を聞いて、納得してしまった。ラルフの精神は尋常ではないという事を。

 アルフォニアのスラムで、たった1人で生き抜いて来たのだ。劣悪な環境の中でも自分を見失わず、信念を貫いてきた。生き永らえたのではなく、生き抜いて来たのだ。そのような人間には普通の人間の限界など通用しない。精神的限界も肉体的限界も。ラルフは動けなくなるまで動き続けるのだ。


「冥王さん、何か、何か知りませんか?あなたは魔界で傷を癒す事が出来る何かを!」


 ルーはすがるように冥王に尋ねた。ルーはここが玉座の間で貴族や女王陛下がいる事を完全に忘れていた。


「卵を取り返してもらった恩がある。私も出来ることならラルフ殿の足を治したい。しかし、私たちと人間では体の構造が違う。どうしたものか」


 冥王は腕を組んで考える。


「もしあれば教えて頂きたい。私たちの医療技術が一歩前進するかもしれません」


 そう答えるのは医師。貴族たちはそれを聞いて興味を示した。国の発展に繋がるからである。


「…手段としては、2つある」

「————!?」

「教えて下さい!」


 ルーがその言葉に飛びついた。


「まずはユニコーン。魔界に住む角の生えた馬だ。そのユニコーンの血は傷を癒す力があると言われている」

「ならばそのユニコーンを捕まえれば足を治す事が出来るのですね?」

「だがそのユニコーンは臆病な性格でな。滅多に姿を現さない。私でも数度しか見た事がない。まず無理だ」


 ルーはその言葉を聞いて落胆する。しかしすぐに


「もう1つは何ですか!?」

「もう1つはユニコーンより可能性が高い。それは竜血樹だ」

「竜血樹?」

「その樹はユニコーンほどではないが、この樹に含まれる樹液が傷を癒す効果があると言われている。魔物たちが傷を癒すためにこの樹の樹液を吸っているのを見た。人間たちにその効果があるかは分からんが、そなたたちの技術と合わさればなんとかなるやもしれん」

「その竜血樹の在りか、私に教えて下さい!」


 ルーは懇願した。


「あぁ、私が知る場所を教えよう」


 冥王は力強く頷いた。そしてルーは明るい声でラルフに語り掛ける。


「ラルフ、あなたの足は必ず治ります。だから安心して下さい!」

「迷惑かけて悪いな。助かる。それに冥王も」

「気にするな、お安い御用だ」


 ここで1人の貴族が割ってこの話に参加してきた。


「陛下」


 ヴィエッタは反応する。


「この竜血樹を上手く用いる事が出来れば、私たちの医療技術は一歩先に進む事が出来ます!これを好機と捉え、我々も」

「ふむ。確かにそうだな」


 と呟く。その反応を見て貴族たちは明るい表情を浮かべていた。それを見ていたラルフは


「いいのか?お前たちにとって秘密の場所みたいなもんじゃないのか?」

「そうだな。まぁ問題はない」


 とどこか意味ありげな顔をして答えていた


「ラルフの足の件についてはいいな。それでは冥王。そなたに引き続き教えてもらいたい事がある」

「あぁ、それが条件であるしな。私が答えらえるものであれば答えよう」

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