第78話 無力化

「冥王?それはお前たちが呼ぶ私の名か?」

「どうして…どうしてお前はこのゲートを通って来られた?」


 エッジは信じられないという表情で問う。だがエッジがこう反応するのも無理はない。

 魔物はゲートを通る事が出来ない。そのように言われて来たのだ。現に今までゲートを設置して魔物が人間たちの住むホープ大陸に入って来たことはない。


「確かに…普通は入って来られないだろうな」


 冥王は振り返りゲートを見る。


「普通は?」

「ゲートからは異様なものを感じる。この不気味さが魔物の本能に恐怖を呼びかけ、避けてしまうという仕組みか」


 そしてエッジを見つめ直す。エッジはまだ「なぜ?」という表情を保ったままだ。


「あぁ、私がなぜ通って来たのかだと?簡単な事だ。私ほどになるとこの程度では恐怖は感じないという事だ」


 そう言い終えると不敵な笑みを浮かべた。エッジはその表情を見てゾッとした。


「ラルフ!」


 後ろから追い付いたルーは息を整えながら状況を理解しようと努める。

 ラルフを殺そうとしていたエッジは何故か急遽ゲートから現れた男によって手を止めた。いや、止まらざるを得なかった。それはルーも感じていた。ゲートをくぐって来た者の圧倒的な存在感を。加えてどこか既視感を感じていた。しかし、今はそれどころではない


「ラルフを離しなさい!」


 ルーは剣を抜き、構える。


「ほう、あの時の娘か」


 冥王はルーを見てそう言った。だがルーはそれを無視する。構っている余裕などない。


「あなたはもうお終いです。早くラルフを離して下さい。そして卵も諦めなさい」


 前に冥王。後ろにルー。エッジは絶望的な状況にある。エッジはひとまず体を90度し、2人が正面に見えるようにした。この時不意を突かれぬよう最大限神経を尖らせた。その時同時に剣先をラルフから卵へと移す。


「2人とも動くな!動けばこの剣で卵とこの男を貫く」


 エッジは冥王へのけん制のために剣先を動かしていた。ラルフを殺した後、卵を割るという手段を取れない事もないが、エッジはそれでは冥王を抑える事が出来ないと踏んでいた。


(あの威圧感…冥王の実力は間違いなくこの娘よりも上だ。この男を殺している間に俺は冥王にやられるかもしれん)


 ルーを軽視するつもりなどない。しかしそうしなければならないほど冥王の存在は強大であった。強者は強者を知る。常人とは次元の強さを持つ超越者であっても冥王に自分の実力は遠く及ばないと対峙した瞬間に悟ったのであった。


(卵を持ち帰る事は使命だ。だが冥王が現れた以上、諦めざるを得ない。ウォッカ、お前が命を懸けたというのに…すまない)


 今のエッジにはどうやって生きて帰るかを考えていた。卵とラルフを人質に取り、距離を取る。こんな方法で逃げられるとは思っていないが今のエッジにはその方法しか残されていなかった。

 一方、ルーも剣先がラルフの喉元から卵へと移ったことでそこに活路を見出そうとしていた。

 どちらも限りなくゼロに近い時間に変わりはないが、ほんの一瞬の間が出来た。その隙にルーはエッジが剣を持つ腕を無力化させようとしていた。


(腕を斬るために剣を振りかぶる時間などありません)


 ルーはエッジの肘に目を付ける。そこは当然関節を自由に動かすために鎧に隙間がある。ルーはそこに狙いを定め、剣を突き刺すつもりでいた。だが立ち位置的に厳しいものがあった。

 現在、エッジに向かって左側にルー。そして右側に冥王がいた。エッジは左腕でラルフを持ち、そして右腕に剣を持っている。ルーにとって、エッジの右腕を攻撃することは非常に難しいのだ。


(でもなんとかしないとラルフが)


 ルーは自然とラルフに目が行く。


「————!」


 ここでルーはラルフが自分を見つめている事に気付く。目で必死に何かを訴えている。


(ラルフ、一体何を?…もしかしてあなたはまだ卵の事を考えているのですか?)


 ルーは駆け付けた瞬間にラルフの足の状態を悟った。地面に滴り落ちる血。ラルフは自分たちの忠告を破り、限界を超える力を行使した。そして見るも無残な状態になってしまったと。それにも関わらずラルフはまだ卵を守ろうと必死になっている。


(私は…私はどうすれば)


 ルーはラルフの意図が読み取れない自分を強く非難した。

 そんなルーの苦労など知らないと言わんばかりに冥王が余裕めいた表情でエッジに問いかけた。


「それで私の行動を制限したつもりでいるのか?」

「…貴様は卵を取り返しに来たのではないのか?それとも俺が卵を割らないとでも思っているのか?」


 エッジはもう一度冥王にけん制をした。しかし、


「分からないか?私には対処出来るという事だよ。お前が卵を割る前にな」


 冥王がそう口にした瞬間、事態は動く。


「————!」


 エッジは右腕に熱いものを感じると同時に自分の右腕がゆっくりと自然落下している事に気付く。それはぼとっという音を立てて地面に落ちた。エッジの切断された右腕から血が噴き出る。


「貴様ぁ…な、何をした?」


 エッジは冥王を見る。しかし冥王は一歩も動いていない。さらに、


「————!」


 反対側のルーが隙を見て、左手を切る。そして手から離れた卵を抱えたラルフを抱きかかえるように救出した。そしてすぐに距離を取り、ラルフに声を掛ける。


「ラルフ…」


 その声は震えていた。いかにラルフを心配していたかを物語っていた。

 飽和状態にあった不安と、無事ではないがなんとか命ある状態で助け出す事が出来た安堵。そして助けに来るのが遅くなり申し訳ないという3つの感情が入り混じっていた。

 

「ルー、助かった」


 ラルフも応えるように安堵の声を漏らした。

 そしてその横ではエッジは右腕を失い、左手も深く傷つけたエッジが膝を付いている。ほぼ完全に無力化する事が出来た。

 冥王はここでようやく歩き出し、ラルフたちに近づく。はっとしたルーはすぐに表情を引き締め、ラルフを抱えながらも剣を構える。


「大丈夫だ、そなたたちに危害を加えるような事はせぬ。安心して欲しい」


 冥王はルーに警戒心を解かせるよう優しい声で言った。


「お前たちであろう?卵を守ってくれたのは。本来なら先に礼を述べるのが先だが、申し訳ないがまずは卵の確認がしたい。その布を取って卵を見せてくれないか?」

「待て。その前にお前は誰だ?」


 ラルフは険しい目つきのまま冥王に問う。


「私はその卵を産んだドラゴンのつがいだ」

「お前はあのドラゴンの旦那って事か」

「そう言う事になる」


 ラルフはそれを聞き、覆っていた布を開き、そして卵を冥王へと見せた。


「おぉ」


 冥王は作った笑みではなく、心から喜びの表情を浮かべる。そして卵に触れようと手を伸ばす。しかし、


「待て。それ以上は近づくな」


 その言葉に冥王は少々驚く。


「どういう事だ?なぜ私に卵を触れさせてくれぬのだ?」

「別にお前がこの卵の父親だって事を疑っているんじゃない。でも俺はあのドラゴンに卵を取り返すと約束した。だからこの卵はあのドラゴンへと返したいんだ。今お前に触れさせる事は出来ない。我慢してくれ」

「なるほど、そういう事か。それに私が言っている事に確証もないからな。よし、そなたの意見に従おう」


 冥王はラルフの言う事に納得し、何度も頷いた。同時にラルフがとても律儀な男であると感心していた。


「私の妻もその卵が返るのを、首を長くして待っておる。すぐにでも戻ろう…が、その前に」


 冥王は視線を変える。


「後始末をしないとな」


 地面に膝を付くエッジに冷徹な目を向けていた。


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