第77話 魔界からの到来

 ルーは全速力で駆ける。ウォッカを最後まで相手にしていたために他の者より少し出遅れていた。


(ラルフ!ラルフ!)


 今彼女は焦っていた。それは走りながらルーは自分が現場に駆けつけた時の光景を思い浮かべてしまったからである。

 アッザムたちが倒れる先にはエッジが立っている。左手には卵を持ち、そして右手には剣を手にしている。その剣先には胸を貫かれたラルフの姿が…。


「————!」


 ぎゅっと心臓を潰されるような感覚でルーは妄想を止めた。全力疾走のため体が熱いはずにも関わらず、全身の血の気が引いた。

 ルーは一度冷静になるために立ち止まり、気分を落ち着かせる。

 立ち止まった場所はちょうど貴族街を出て、平民街に入ったところであった。

 息を整えながら左右を見渡す。


(ラルフたちの姿は見えない)


 今度は騒ぎが起きていそうな気配を探そうとしたが、その前にルーは左に向かって走り始めた。これは気配を察知したからではない。ただの直感であった。


(お願いです、無事でいて)


 ルーはまた全力で駆け出した。1分1秒でも早くラルフの元に駆け付けるために。ルーは自覚無しにリミッター解除していた。



 一方、ラルフもエッジから逃げるために、ブーツに装着した魔石の力を利用して走っていた。使う事を禁止されていた5段階中の4段階目、「トップ」の状態で。

 足に痛みは感じない。足の熱さもそれほど感じない。それはアドレナリンが過剰に分泌され、興奮状態にあるためだ。だが心臓の鼓動は強く感じていた。それはまるで胸を強く叩かれているような感覚であった。


(どうだ?離れたか?)


 ラルフは後ろをチラッと振り返る。この時ラルフは内心エッジからだいぶ距離が取れたのではないかと思っていた。しかし甘かった。エッジは3人の相手をしながらもラルフをしっかりと追っていたのだ。


「くそう!」


 ラルフはすぐに前を見て走り出した。焦りと緊張により一層心臓の鼓動を強く感じる。

 自分の中では誰も追いつけない速さで走っていると思っていた。だが敵は自分よりもはるか上の存在である。自らの足を犠牲にしながら走っていても、まだ超越者であるエッジの方が速かった。ラルフは自身の無力さを痛感し、そして仲間に申し訳なく思っていた。

 だがそれはラルフが一方的に感じていた事で、追いかけるエッジの方はラルフの速さに困惑していた。初心者装備を身に纏っていたために、実力は程度が知れていると思っていたが、疾風の如く走るラルフを見てすぐに後を追ったのだ。


(あんなに速くてはすぐに見失う。見失ってはお終いだ。奴はゲートにたどり着いてしま——)


「——ちぃ!」


 ラルフを追い掛けるエッジに後にさらにアッザム、ナナ、カルゴが後を追い、エッジに攻撃を仕掛ける。エッジがラルフに追いつけないのはこの3人が必死でエッジを止めていたからだ。


(この3人のせいであの男を捕まえられん)


 エッジはカルゴの手斧を剣で薙ぎ払う。その反対からアッザムがエッジの腹に向けて攻撃を仕掛ける。エッジはこれを回転しながら避ける。


「————上か!」


 さらには動きが遅くなったところをナナが三節混を振り下ろして来た。

 避けきれないと判断したエッジは小手の部分の防御を高めて受け止めた。それを見てナナはニヤッと笑い、そしてすぐに距離を取る。


「やっと私たちの攻撃が通ったわよ!」

「まぁ受け止められたけどな」

「うるさい!」


 ナナはアッザムに突っ込みを入れられながらも結果に満足していた。反してエッジは苛立ちを隠せない。


「こざかしい!———!」


 だがすぐに我に返り、冷静にラルフに目をやる。足を止めたためにラルフとの距離が開いて行く。


(このままでは…)


 すぐにエッジは再びラルフを追い始める。だが行く手を阻もうとアッザムたちが再度攻撃を仕掛けて来る。

 アッザムたちはこれを繰り返し、ラルフに距離を稼いでもらうつもりであった。それにもう少し待てばルーが追い付いてくるであろうとも予想していた。

 このまま行けば勝てると勝機を掴んだつもりでいた。しかし、それは打ち崩される。

 エッジは駆けながら小さく呟く。


「リミッター解除」


 エッジはルーとの戦闘を考え、どこか力をセーブしていた。しかし、もはや力を出し惜しみする余裕はないと判断した。


(こいつも…リミッター解除するのか!?)


 この時、アッザムがエッジに向けてドラゴンクローで攻撃を仕掛けている最中であった。先程ルーがリミッター解除した時と同等の脅威を目の前の敵であるエッジから感じる。すると、殺気を伴ったエッジの鋭い目がアッザムに向けられた。


(あ…斬られる)


 アッザムの眼前に振り下ろされてくるエッジの剣。ドラゴンクローを放った腕は未だに肘が曲がった状態であり、相手に届くには時間が掛かる。どう考えても剣が自身に降りかかってくる方が早い。


(ここまでか…———!)


 だが寸での所で次に攻撃する予定であったカルゴがアッザムの体を蹴ったために、体が後方へと倒れ込む。そのためエッジの剣は空を切る。


「バカ野郎、俺の事なんか気にするんじゃねぇ」


 カルゴのおかげで攻撃を避ける事が出来たアッザムは、後ろに倒れながらそう言った。

 それに反応するようにエッジは体の向きを変え、カルゴの方を向く。

 カルゴ自身もエッジの攻撃に備えたいが、アッザムを助けたモーションの最中のために反応出来ない。瞬きをするような刹那の時間の中で、視界に映る目の前の敵だけが自分を殺すために自由に動くことが出来る。

 カルゴは迫りくる防げない攻撃に対し、少しでも防御力を上げようと魔力を高める事に努めた。そして、エッジの薙ぎ払いがカルゴの胸を鎧毎斬りつけた。

 剣を払うと同時に血しぶきが舞う。そしてカルゴはゆっくりと地面に倒れ込む。

 エッジは倒れ込んだカルゴを冷徹な目で見つめる。そしてカルゴへ止めを刺そうと追撃を仕掛ける。振り下ろされる剣。


「そうはさせない!」


 駆け付けたナナが膝を付きながらなんとか剣を三節混で受け止めた。これをナナが受け止める事が出来た理由として、止めを刺すためであったためにそれほど力が込められていなかった。

 ここまで本能のように勝手に体が動いたナナ。そのため次の行動に対処する余裕はない。


(さて、今度は私が攻撃を受ける番ね。手加減は…してくれそうにないわね)


 もう一度剣を振りあげるエッジ。今度は受け止められないようにしっかりと力を入れる。ナナはその隙にカルゴを担ぎ脱出を図りたいが、そんな時間はあるはずもなく、与えられた時間で出来た事はせいぜい立ち上がる事だけであった。

 見定めるエッジ。


「死ね」


 両手で振り下ろされようとした瞬間に、少し離れた所からこの場所に居てはいけない存在が声を荒げた。


「オーバートップだぁー!」


 嫌な予感がしていたラルフは戻って来ていた。しかも今のスピードでは間に合わないと感じたラルフは遂に最後の「オーバートップ」を開放した。さらに加速したラルフは近くの壁を蹴り、ジャンプキックをエッジへと食らわす。


(なぜこいつがここに!)


 顔にクリーンヒットしたエッジは宙を舞う。ラルフの存在など頭にないエッジにとって、これは完全に意識外からの攻撃であった。


「あんた…どうして?」


 ナナにおいてもラルフの登場に驚きを隠せない。アッザムも同様である。

 ラルフの行動は臨機応変と呼ぶには相応しくない、悪手と呼ばれるものである。本来の卵を守るという目的を放棄したと言っても過言でない行動であるからだ。戦いに身を置く者たちにとって完全にあり得ない行動であった。だがそれ故に意表を突いた。

 起き上がるエッジ。意表は突かれたが、ダメージはほとんどない。


「貴様、卵は?…あそこか!」


 エッジが見る先の地面に布にまかれた卵が置いてあった。ラルフは卵を持っては間に合わないと判断し、一時的に地面に置いていた。

 エッジはすぐに卵の方へと走り出す。卵を回収すればもう用はない。無理をして戦闘する必要などないのだ。エッジはすぐ反応し、一番に走り出した。

 それを見てナナとアッザムは顔をしかめる。やはりラルフだけに任せたのは間違いであったと。しかし、


「——何!?」


 エッジは目を疑う。なぜならラルフが自分に追いつき、並走していたからだ。


「仲間は殺させない!」


 ラルフはエッジの超えた速さで走っていた。エッジはそのラルフを妨害するために攻撃を仕掛けるが、ラルフはそれを避け、卵に向かって突き進んで行く、


「お前に卵は渡さない!」


 そのまま卵を拾い上げ、ラルフはゲートの方向へ向かって走って行く。


(この速さは一時的…一瞬だけだ。じきに足が壊れるはずだ。最後に卵を手にするのは俺だ!)


 エッジもさらに力を開放し、全力でラルフに離されまいと食らい付いていた。

 小さくなる2人の背中をナナは不安そうに見つめる。


「あの子の足、壊れるわよ」


 しかしどうする事も出来ないナナは膝を付き、そして隣で横たわるカルゴの傷口にポーションをかけた。


「大丈夫じゃないけど、なんとか生きているわね」

「言っただろう?俺はゾルダンより防御が固いと。それよりも卵は?」

「一応、ラルフがちゃんと抱えて逃げているわ。でもあの子」


 心配そうな顔をする2人。だがこれ以上どうする事も出来ない。


「俺が後を追い掛ける」


 アッザムがそう言って後を追おうとした時、


「後は任せて下さい!」


 後から追いついたルーが一瞬で目の前を掛けて行った。すると、アッザムはナナとアッザムの方へと近寄り、


「邪魔になるか」


 アッザムはカルゴに肩を貸した。



(危なかった、なんとかなったか)


 そう安堵したのは…エッジであった。

 向かう先に広がるゲート。ドラゴンが暴れた事もあり、現在、一時的に魔界へ行く事は禁止されていた。そのため、普段なら開拓者で賑わうこの場所も今はほとんど人がいなかった。

 そのゲートに向かってラルフが全速力で向かい、その後をエッジが追う。

 ラルフは力の限り、足を動かした。だが限界を超えた力はやはりラルフには耐えられる事が出来なかった。

 途中から足の感覚は無かった。しかしそれでも足を動かした。次第に速度は落ちて行く。筋肉やアキレス腱は切れ、骨は折れる。ブーツからは血が噴き出していた。

 ラルフはゲートを目の前にして、完全に停止した。

 ラルフは倒れ込む。だがそれでも卵を守ろうと自身の体で覆い込むようにしていた。そんなラルフをエッジは掴み上げる。


「————!」


 エッジは驚く。なぜならラルフが鋭い目を突き付けて来たからだ。


「卵は渡さない」


 本来であるならば足を壊した恐怖と苦痛で絶望に打ちひしがれていてもおかしくはない。

 しかし、ラルフは未だにエッジに向かって敵意の目を向けていた。エッジは恐怖すら覚えた。


(こいつは将来、俺たちにとって最大の障害になるかもしれない)


 そう結論付けたエッジは剣を握りしめた。ラルフを殺す事にしたのだ。


「ラルフ!」


 エッジは後方を見る。ルーがこっちに向かって全速力で駆けているのが見えた。だがエッジは落ち着いていた。なぜならまだラルフを殺すには十分な距離があったからだ。


(あの女にとって、この男は大切な存在なのだろう。ならばこの男を殺せばあの女も無力化出来る)


 エッジは剣をラルフの喉元へと持っていく。


「これもお前の正義と俺の正義が相反する事になった定めだ。悪いな」

「やめてぇーーーー!」


 ルーは懸命に叫んだ。しかし、エッジは反応しない。止める事が出来ない。

 エッジの剣の先がラルフの首の皮に触れようとした瞬間、ゲートを通って来た者がいた。


「どうやら間に合ったようだな。卵は無事なようだ」


 その者は人の風貌をしていたが、人ではなかった。頭部から生やした2本の角が人間で無い事を証明していた。エッジの両目が見開く。


「お前は…冥王か?」

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