第76話 腹を決めた

 平民街の夜は貴族街と違い、まだ眠りにつかない。今日の活動を終えるにはまだ早いと言わんばかりに町には灯りがともされ、人々が行き交う。

 そこに1人の少年とも言えるような小柄な男が荒れ狂うように逃げ走っていた。赤い布に何かを包み込んで衛兵から逃げ回っている。


「何?泥棒?」

「それにしてもものすごく速い逃げ足だ」


 ある者は余興を楽しむように、そして別の者は何か物珍しい物を見るかのようにその光景を眺めていた。


「え~い、ちっとも捕まらん」

「あの初心者装備、何て逃げ足だ——あっ、ちょうどいいところに…おい!あの初心者装備のガキを捕まえてくれ!」


 衛兵たちは貴族街をすり抜けるように逃げ出した男を懸命になって追いかけていた。平民街で人数を増やしたが、一向に捕まえられる気配がない。


「あの小僧、初心者装備なんて装備しているが、絶対にただの初心者じゃないぞ」


 衛兵たちは町の治安を守るのが仕事である。怠け者も存在するが、ある程度普段から鍛えている。自分たちは強いと自負するほど馬鹿ではないが、かといって自分たちを弱いとも思っていない。それ故に逃げるラルフを只者ではないと錯覚させていた。


(くそっ、方向を転換する度に足が痛む)


 衛兵たちからはラルフが余裕に逃げているように見えたが、当の本人は捕まらないように逃げる事と足の痛みに耐える事でぎりぎりだった。

 貴族街にいる時のようにまっすぐ走る事が出来れば良かったが、人の合間を縫って走ったり、突然現れる衛兵を避けて走ったりしなければならなかった。そのため、方向転換や抜き去る時にスピードに緩急を付けたりなど、足で踏ん張る機会が多く、その度に足が悲鳴をあげていた。しかし、それでも止まるわけにはいかなかった。全てはドラゴンに卵を取り返すと約束したために。

 衛兵たちもしぶとくラルフを追い掛ける。逃すまいと必死であった。


「————!」

「しめた!前からも応援が来たぞ」


(どうする?)


 走りながら逃げ道を探るラルフ。辺りを見渡し、捕まらないルートを探す。前の衛兵たちとは向き合うように走っているために、見る見るうちに距離が縮まる。


(ルーなら多分、平面的に動くなって言うな)


 ルーの訓練を思い出していたラルフは壁に向かって走り始めた。スピードを殺さず、且つ歩幅を微妙に調整しながら。そして、壁に向かって跳躍する。壁に到達したラルフは今度、逆の足で壁を蹴る。負担が掛かる足、苦痛に顔を歪めながらもラルフは高く宙へと舞った。そのままラルフは前方の衛兵を飛び越え、地面へと着地した。


「なっ!」


 ラルフの咄嗟の行動に驚く衛兵たちは足を止める。ラルフ自身も着地した際、一瞬足の痛みに止まりかけたが、すぐさま再加速してゲートに向かって走り始めた。


「何をやっている!追うぞ!」


 躍起になった衛兵たちはラルフを追う。いつの間にかラルフの追う者は10人以上に膨れ上がっていた。



「はぁはぁはぁ」


 衛兵たちから逃げるラルフであったが、やはり限界があった。スピードで上手くかく乱する事は出来ても、数という暴力、そして普段から町を隅々まで知り尽くす衛兵たちは先回りなどをしてラルフを追い込んだ。1人の開拓者初心者さえも捕まえる事が出来ないとなれば町の笑い者になってしまう。不審者を捕まえるというより、自分たちのプライドを守るために衛兵たちはラルフを捕まえようとしていた。

 この時ラルフも足を1歩動かす度に足に痛みが走るほどであり、自然とスピードが落ちていたのだ。


「これだけの人数からよく長い時間逃げたな。だがそれもお終いだ」


 衛兵の中でまとめ役と思われるベテランの人物がラルフに言う。


「なぜ逃げた?そしてお前が大事そうに抱えて走る物はなんだ?」


 衛兵はここでようやく貴族街の出入り口で聞きたかった事を口にだした。


「俺は開拓者だ。依頼を受けて貴族街に行った…奪われた物を奪い返すために」


 ラルフは大きく呼吸しながら答える。


「開拓者は魔界で活動をするものだ。それなのになぜ貴族街に行くんだ?」

「悪い貴族が魔界から持ち帰ってはいけない物を持ち帰ったから俺は貴族街に入っただけだ。好きで好んであんな場所いくわけがないだろう」

「そのお前が今手に持っている物がそれか。おい、お前が持っている物はなんだ?」


 だがラルフは首を振る。


「答えるわけにはいかない。それに答えた所でお前たちはどうせ疑うんだろう?」


 ラルフは話をしながら隙が生まれる機会を伺っていた。そこを突いて、この包囲網を脱出するつもりでいた。また、少しでも足を休ませる目的もあった。しかし、自分の思いとは裏腹に、


(なんだ?痛みを感じるどころか、熱くなっている気がする。どうなっている?)


 酷使した足は悲鳴を上げていた。追いついていない筋力。足を保護するための魔力操作が出来ない。全てが準備不足であったのだ。

 そこへさらに衛兵がラルフに近づいてくる。


「まぁいい、お前の持っている物をこれから確認すればいい事だ」


 ラルフは無茶を承知でもう一度足に力を込めようとした。瞬間的に加速し、衛兵の1人に体当たりをしてこの場を逃げる算段であった。しかし事態は急転する。


(————!この感覚は!)


 ラルフがスラムと魔界で培った危機管理能力が働く。背筋が凍るどころではない、この場を凍り付かせるほどの恐怖心がラルフを襲う。


(上だ!)


 ラルフは咄嗟に上を見上げた。そこにはラルフを追って来た超越者のエッジが剣を振り被って襲い掛かって来たのだ。


「気配を殺していたのだがな」


 エッジはラルフが気付いた事に感心していた。だが、振り下ろす剣を止めようとしない。

 ラルフはすぐに回避行動を取ろうとする。だが少し固まる。

 目の前の衛兵が自分に向かって右手を伸ばしている事に気付く。自分はこの攻撃を避ける事が出来るが、この衛兵はおそらく腕を斬り落とされてしまうだろうと。

 そうなった後の事を考える。衛兵には悪いが、注目はエッジに集まり捕まえようと試みる。とてもじゃないがこの衛兵たちではエッジの相手にならないだろう。おそらく全員殺される。だが自分はその隙に距離を稼ぐ事が出来る。ゲートまでは後もう少し。その時間でルーたちもすぐに後を追って来るであろうと。


(見ず知らずの人間を心配出来るほど俺は善人じゃない。第一余裕などない)


 ラルフは足に力を込める。そして次の瞬間…ラルフは後ろへバックステップをするのではなく、衛兵に向かって跳躍する。

 そして、衛兵の胸当てを踏み場にして後ろにバク宙をした。蹴り飛ばされた衛兵は後ろへと尻もちを突く。


「なっ!貴様!我々に向かって————!」

『——ズドン』


 衛兵は驚きのあまり目を丸くする。自分が先ほどまでいた場所に突如剣を振り被った長い黒髪の男が襲い掛かって来たのだ。衛兵に冷や汗が流れる。


(あのガキが俺を蹴らなければ…間違いなく俺は目の前のいる男にやられていた)


 ラルフは衛兵を見捨てなかった。自分の心の中では見捨てると決めていたのに。なぜか出来なかった。心に嫌悪感が渦巻いた。そのため、ラルフは衛兵を守る行動に移ったのだ。

 倒れた衛兵並びに他の衛兵たちも呆気に取られて声を出す事が出来ない。だがエッジは衛兵たちを気に留める事無くラルフにしゃべりかけた。エッジにとって衛兵たちは取るに足らない存在であったのだ。


「おい、素直に冥王の卵を渡せ」


 エッジは剣を持つ反対の手でラルフに手を出して来る。


「ルーたちはどうした?」

「ルー?お前の仲間か?残念ながらあの者たちはここにはたどり着けない」

「…どういう事だ?」

「俺の仲間がお前の仲間を食い止めているからな…命懸けでな」

「命懸け…」


 ラルフは「命懸け」という言葉に反応した。それはエッジの言葉がその部分だけ少しだけ悲しみが含まれていたからである。ラルフは急にルーたちの事が心配になった。そして同時に先ほどの危機管理がこれまでにない反応した事に納得した。

 超越者たちは全力で自分たちに襲い掛かってきているのだと。これまでの暇つぶしや自分の利益のために絡んできた連中とは違うのだと。彼らにとって自分たちは立ちはだかる「敵」である事を認識したのだ。


「おい、そこのお前!一体何者だ!」

「——バカ止めろ!」


 尻もちをついた衛兵とは別の若い衛兵が突如、場に現れたエッジの肩を掴みかかろうとした。それをベテランである尻もちをついた衛兵が止めに入った。長年の経験が目の前の者が自分たちの手には負えないと告げていたのだ。だが遅かった。

 ドサッと腕が地面に落ちると同時に若い衛兵が悲鳴を上げる。エッジは後方を振り返りもせず、気配だけで衛兵の腕を斬り落とした。


「おい、こいつらは関係ないだろ」


 ラルフは眉間に皺を寄せながら怒る。


「俺だってしたくてこんな酷い事をしているわけじゃない。今は相手をしている時間がない。だから斬らざるを得なかった」


 エッジの言う通りで、他の衛兵たちは一歩も動く事が出来ない。腕を斬り落とすという行動がけん制となって効いたのだ。

 ラルフは先程の自分の行動に後悔した気分を覚える。自分よりもはるかに強い存在が、自分の障害となり得るものを排除するために非情になりきっていたのだ。にもかかわらず自身は赤の他人の心配をする行動を取ってしまったと。


「お前もこのようになりたくなければ卵を渡せ。そうすればウォッカに連絡を付けてお前の仲間に手を出すのを止めるように伝えてやる」


 その言葉を聞き、悲鳴を上げる若い衛兵を一瞥する。その光景は悲惨だ。やっと周りの衛兵たちが動き出し、噴出する血を止めようと切断箇所を抑えたり、ポーションをかけたりしている。

 視線をエッジへと戻す。ここで素直に渡せば自分は五体満足で帰る事が出来る。仲間への攻撃も止めてもらえる。ドラゴンには謝罪すればいいだけの事だ。


「………」


 ラルフは下唇を噛みしめる。


「…出来ない」


 小さく呟く。そしてもう一度、今度はエッジに聞こえるように、


「お前たちに卵は渡さない。俺は、俺たちは命懸けで卵を守る!」


 ラルフの腹は決まった。これは卵を守るに関して腹を決めたのではない。


(死ぬつもりはないけど…足は諦めるしかなさそうだな)


 ラルフはフッと笑った。


「仕方がないな…俺はお前を斬るしかない」

「逃げ切ってみせるさ!」


 足に力を込める。エッジがラルフに切りかかろうと動き始めた瞬間、


「そうはさせないわよ!」

「————!」


 ここで後を追い掛けていたナナがエッジに三節混で攻撃を仕掛ける。


「もう追いついて来たのか!」


 エッジは反転し、ナナの攻撃を弾き返す。吹き飛ばされたナナをカルゴが受け止める。

 さらにそこへ気配を消して近づいていたアッザムが奇襲を仕掛ける。


「ちっ!」


 エッジは両手で持っていた剣の片方を離し、裏拳でアッザムの腕に当て、ドラゴンクローの軌道をずらす。首を反らし、なんとか頬を掠るようにアッザムの攻撃をしのぎ切った。


「なんとか追いついたみたいだな。衛兵たちがたかっていたからすぐにここだと分かったぜ」

「アッザム、無事か?」

「馬鹿野郎!これを見て無事なわけねぇだろ!」


 アッザムがエッジの反撃を恐れ、一度距離を取る。その隙にナナとカルゴが追いつく。

 ラルフは泣き言を聞いてなぜか笑みをこぼす。張り付いた心が少しだけ緩む。


「おい、アッザムだ。スラムを牛耳るアッザムがいるぞ。それにあの女は高レベルの開拓者だ」


 衛兵たちは状況の変化にたじろぐばかりだ。しかし、


「誰か上に応援を要請しろ。それに救護を呼べ!」


 ベテランの尻もちをついた衛兵がやっと立ち上がり、指示を出した。だがラルフたちにとって衛兵たちはすでに外野であった。


「小僧、お前はさっさと逃げろ!」

「分かっている…でも大丈夫か?それにルーはどうした?」

「嬢ちゃんなら大丈夫だ。じきにここにやって来る。それまでは時間を稼ぐさ」

「分かった。お前ら死ぬなよ」


 ラルフは再び走り始めた。


(みんなどうか無事でいてくれ)


「トップ!」


 ラルフは遂に限界を超えて足を動かし始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る