第66話 騎士道
騎士道。
ルーこと、アルフォニア王国の王女シンシアは病弱な体を鍛える目的としてアルフォニア王国騎士団に入隊した。
シンシアが最初に学んだこと、それは剣の持ち方などではなく、騎士道であった。
「騎士たるもの、清貧で高潔であれ」
シンシアはこの騎士道に感銘を受けた。日々研鑽を積み、培った力は決して己のために使用してはならない。強大な敵を前にしても、勇敢に立ち向かい弱き者を助ける。寛大な心を持ち、過ちを許せる人間であること。
シンシアは騎士道を学んだその日から、自分もこうありたいと努力を惜しまぬようになった。やがて騎士道の精神はシンシアの心に刻み込まれるほどになった。それはルーとなった今でも忘れずにいる。
そんな清貧で高潔な心を持ち合わせたルーにとって、グエンの行動に怒りを覚えないはずがなかった。不快な感情を隠そうともせず、露わにしながら馬車を降りるルー。
ラルフたちもルーの怒りはすぐに感じ取る事が出来た。空気が張り詰め、全身から汗が滲み出るほどに。怒りの矛先では無いラルフたちですらこの状態である。当事者のグエンは尚更である。
(なんだあいつは…やばい……やばいぞ)
グエンはルーと目が合った瞬間から危機感を覚えていた。本来であるならば、まずルーを最初に見た者はルーの美貌に見惚れる。だがグエンにはそれがなかった。それほどまでにルーの怒気がグエンを恐怖におののかせた。
(体が…体が動かない)
恐怖に体が強張るどころではなく、完全に捕縛されたような感覚であった。それもそのはず、ルーは逃げられないよう意図的に威嚇していた。
「あなたは自分の仲間を何だと思っているのです?」
グエンはルーの事を美女と認識していなかった。自分とはかけ離れた実力の持ち主。到底敵わない存在だと瞬時に本能が告げていた。
ルーの言葉にグエンは返答しようとするが、ルーを納得させる言葉が思いつかない。そもそもの話、刺した男を仲間だとも思っていない。いや、仲間=手駒という考え方と言った方がよい。グエンは自分の手駒を有効利用するために男を刺したのだ。他の手駒を自分の言う通りに動かすために。
だがグエンとて馬鹿ではない。その言葉を発した途端に目の前の強大な存在のさらなる怒りを買う事は間違いないと理解していた。
(アッザムの野郎、いつの間にこんなバケモノを仲間にしやがったんだ?)
グエンはルーの返答を諦め、今はどうやってこの窮地を切り抜ける事に頭を割いていた。
(いや、仲間にしたならもっと前に俺を潰しに来るはずだ。奴は俺の事を嫌っていやがるからな。という事は一時的に手を組んでいるだけのはずだ。それじゃあ誰の?アッザムに横にいる女、確かあいつは高レベルの開拓者だったはずだ。あいつの仲間?いや、そんな感じはしねぇ。という事は…)
グエンは体を動かす事は出来ない。しかし、唯一自分の目玉だけは動かす事は出来た。その目玉をなんとか動かし、迫りくる恐怖に怯えながら出来る範囲で辺りを見渡す。するとそこにラルフという瘦せ細った小柄な男の姿を見た。まだ子供のように見える。おまけに初心者装備を身に付けている。
(こいつだ!)
グエンという男は力で勝てないと分かった相手には絶対に真っ向勝負は挑まない。ありとあらゆる手を使って相手の弱点を見つけ、そこを突く戦い方をする。それがグエンの戦い方であり、それで何度も窮地を凌いできた。そのグエンが瞬時にルーとラルフが繋がっているであろうと見抜いた。これまで培った経験と直感がそうグエンに告げていたのだ。そしてすぐさま声を張り出す。
「おめぇら!そこのガキ、その初心者装備のガキを捕まえろ!」
ルーはその言葉を聞いた瞬間にハッとした顔をした。同時に拘束が解け、体が自由になる。グエンは「勝った」と確信した。
部下が30人もいれば、ラルフを捕まえる事が出来るであろう。見たところ、ラルフに強さの微塵も感じられない。本当に初心者なのだろう。
捕まえた後はガキを盾にして脅せば、目の前のバケモノを懐柔することが出来る。
また、もしラルフを捕らえる事が出来なくてもその隙に姿をくらませば逃げる事が出来る。今回の件が片付くまで大人しく影を潜めていればいいのだ。目の前のバケモノと関わる事など二度とないだろう。この場を凌ぐことが出来れば自分の勝ちであるのだ。
だがこれはグエンの大きな過ちであり、グエンも過ちで合ったことにすぐに気が付いた。
それは目の前のバケモノの表情がすぐさま切り替わったからだ。先ほどまでの脅すような表情ではなく、明確に排除するという目つきに。
グエンは先ほど「勝った」と確信した。しかし、今は「終わった」と確信した。
そして次の瞬間、そのバケモノは視界から消えた。その代わりに誰のものか分からない拳が自分の眼前に突きつけられていた。ほんの一瞬であった。そしてその直後に自らの顔にすさまじい衝撃が加わった。
…遠のく意識。
切断されつつある意識の中で、グエンは自分が選んだ選択をひどく後悔した。今まで上手く生き延びて来た自負があった。だがどうやら自分のツキは落ち目にあるらしい。今後の人生はおそらく失敗続きになるのだろうと静かに悟り、そして意識を無くした。
グエンの命令によりフォレスター家の警備をしていた男たちは自分の瞳に映る光景を疑っていた。グエンの叫び声に近い命令を発するや否や、1人の女がグエンの目の前に移動し、そしてグエンを殴り飛ばした。吹き飛んでいくグエンは、人ではなく何か別の軽い物のように見えるほどであった。
男たちの中で、後ろを振り返りラルフを確認する者は誰1人していなかった。それほどまでに圧倒的な速さで圧倒的な強さであった。
グエンを倒したルーは後ろを振り返る。依然としてルーの目には厳しいものが残っている。男たちは目の前の光景に唖然としていたが、ルーの視線を浴び、すぐに恐怖が甦った。ルーは男たちを一瞥するや静かに口を開く。
「このようになりたくなければすぐにこの場を去りなさい」
静寂が場を包んだ。しかしその静寂はすぐに崩れ去り、男たちはすぐに一目散に逃げだした。
その後、ルーはラルフたちの元へと戻って来た。そして大きく息を吐く。
「はぁ、何とかなりました。」
「ルー、相変わらずお前は…う~ん、何て言うか……規格外だな」
ラルフはルーの尋常じゃない強さを規格外と表現する。それを聞いてルーはラルフの意見を否定する。
「規格外だなんて、普通です。普通」
「あなたが普通だったらこの世界で私は生きていけないわよ……それよりも」
ナナがそう答えていた時に辺りが騒然とし始める。
「敵襲~!敵襲~!」
スラム街の男たちは逃げ出したが、普段から警護を担当している者たちは依然としてこの屋敷には残っている。その者たちが反応しているのだ。
「ぐだぐだしている暇はねぇ。さっさと中へ行くぞ」
アッザムを先頭に、ラルフたちは屋敷の中へと入り込んだ。
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