第65話 屋敷の前で
馬車をゆっくりと走らせる。
数十メートル走らせたところでアッザムは木箱から出て来た。
「もう出てきていいぞ」
「おい、まだ倉庫じゃないのにいいのか?」
アッザムにそう言われたが、ラルフは木箱から顔だけを出した。
「倉庫は屋敷から離れているからな」
「だったら夜中まで隠れていればいいんじゃないのか?」
「そうは考えたんだがな…」
アッザムは馬車を覆っている布を少しだけ開き、外の様子を探る。
「ひっ!」
ウロはアッザムに驚き一瞬たじろぐ。
「反応するな。黙って前を見て走れ」
「はい!」
外を確認したアッザムは中へと戻り、
「この様子じゃ警備が薄くなる事はねぇ。寧ろ、俺たちの所在が分からないことが知れ渡って、もっと警備が厳重になるかもしれねぇ。今一気に行っちまった方がいい」
「なーによ、結局行き当たりばったりじゃない」
ナナは木箱から出て来るなりそう発言した。ラルフもその姿を見て木箱から出る。そしてルーも同様に。
「それでアッザム、どうするんだ?」
「後はもうなるようにしかならねぇだろ——おい、屋敷の前に着いたか?」
アッザムは荷の中からウロに声を掛ける。
「屋敷前?倉庫の方へ向かうんじゃ」
「作戦変更だ。屋敷前に止めろ」
「分かりました」
ウロは道を曲がらずに屋敷に向かって直進をする。警備をしている者たちは荷馬車に警戒をしていたが、屋敷に近づく事でさらに警戒心を高める。ウロはその視線に刺され、生きた心地がしなかった。
「つ、着きました」
「よぉ~し、ごくろうさん。お前の勤めはここまでだ」
そう言うと、アッザムは荷馬車から出てきた。
「————!」
屋敷の前に何人もいた者たちは一斉にアッザムに顔を向ける。
「おい、侵入者だ。荷馬車の中に仲間を連れてやがった!」
「ち、ちが…俺は」
ウロは必死に弁明しようとする。
「やっぱりこうなるよなぁ」
アッザムはそう言うと、片腕でウロの首を掴んだ。首を絞められるウロはアッザムに悲痛な顔を向ける。
「ど、どうして…言う通りにしたのに」
「おめぇのためにこうしてるんだよ。何、ちょっと気絶するだけだ」
そしてそのままウロを締め落とした。
「何?殺しちゃったの、この人?」
ナナは出るや否や、警備の事には触れず、ウロの事を心配した。
「ちげぇよ。締め落としただけだ。こうしねぇとこいつが俺たちの仲間って事になっちまうだろう」
アッザムがウロに危害を加えたのはアッザムなりの配慮であった。
「おい、それよりもどうするんだ?」
声を出すのは馬車の中にいるラルフ。臆病である事を自負しているため決して馬車の中からは出ない。それに出たところで役に立たないのは分かっている。
加えて今の状況に焦っているラルフは、呑気な会話をしているアッザムたちの気が知れなかった。
「決まっているだろ」
そう言うや否や、アッザムは警備の者に向かって襲い掛かった。ナナも同様だ。
「お前は…アッ!」
アッザムは警備の者を殴り飛ばし無力化する。
「こいつら見た顔だ」
「それってスラム街の奴らって事?」
ナナも慣れた手つきで警備を倒しながらアッザムに訊く。2人は結局あっという間に屋敷前の警備を無力化した。
アッザムは倒した者の顔をもう一度よく確認する。
「やっぱりどの徒党の者かまでは分からねぇ…それよりも」
アッザムは辺りを見渡す。騒ぎを聞きつけた警備の者がこちらへと続々と集まって来ている。
「ちっ、もうこんなに集まりやがったか」
あっという間にアッザムたちを取り囲むように30人程が集まる。アッザムは面倒だと感じていたが、窮地だとはこれっぽっちも思っていなかった。ナナも同様である。
「おい、アッザムだ!」
あちこちからこのような声が上がっていた。
アッザムの読み通り、この者たちはスラムでアッザムとは別の徒党にいた者たちであった。この者たちはアッザムの事をよく知っている。寧ろスラム出身であればアッザムの事を知らない者はまずいない。このナルスニアのスラムで一番大きな徒党を取り仕切るボス、アッザム。その強さは本物である。それを知る故にアッザムに襲い掛かれなかった。怖気づいていたのは寧ろこの者たちであった。
「おい、お前たち。何を怖気づいているんだ。こっちは30人いるんだ。一斉にかかればアッザムを倒せるぞ」
1人がそう声を発した。その声を聞いて周りの者たちも同調しだす。「アッザムを倒せばボスに褒美をもらえるかもしれねぇ」そんな事をいう者も現れだした。しかし、
「このドラゴンクローを試すのにちょうどいいかもな。お前ら、俺を倒したいんだろ?だったらかかって来い。でも30人も相手にしなきゃいけねぇから加減は出来ねぇぞ。死んでも文句を言うなよ」
その言葉とアッザムのギラりとした目を見て脳裏に「死」という文字がよぎる。男たちは一瞬で戦意を喪失した。
「おい、おめぇら」
アッザムは全ての者に声が行き届くように怒気をまじえて叫ぶ
「死にたくなければ今すぐ失せろ!」
その言葉を聞いて雇われ警備であるスラム出身の者たちは一目散に逃げ始めた。
「なんだ、腑抜けばっかりね」
逃げて行く男たちの背を見ながらナナは拍子抜けした様子で答えた。
しかし、その逃げた男たちの中から悲鳴が起こる。男たちは全員足を止めた。
「誰が逃げていいって言った?」
「ボ、ボス」
男たちからボスと呼ばれた男は自分の部下である1人の肩に剣を突き刺していた。
「面倒なのが来やがった」
アッザムは眉間に皺を寄せた。
「よぉー、アッザム久しぶりだな」
「グエン…」
グエンという男はスラムで徒党を持つ1人であった。アッザムの徒党程ではないが、50名ほどの人数で構成されている。
グエンは恐怖で徒党を支配した。アッザムにおいてもその点は否定出来ない。力でねじ伏せなければスラムで生き残る事は出来ないからだ。
ではグエンとアッザムの違いは何か?
このグエンは悪行の限りを尽くす男であった。殺人、略奪、その他人の弱みを握り、自分の利益になるように徹底的に利用した。そしてこれ以上利用価値がないと分かるとすぐに自分の手元から手放した。そこに義理と人情という言葉はない。グエンはいつもヘラヘラと笑っており、舌を出していた。また、左右の目は時々別の方向を向いており、その姿がよりグエンの不気味さを助長させていた。その姿はまるで獲物を探しているなハイエナと呼ばれていた。
「おい、あいつ…自分の仲間を刺したのか?」
ラルフは馬車から出て来ていた。アッザムに怯え、男たちが逃げ出した所でもう大丈夫だろうと外に出て来たところだった。そして、今、ラルフはグエンの所業に驚いていた。そしてその驚きの表情は次第に怒りに満ちた表情へと変わって行く。
「あいつは自分の構成員を仲間だなんて思っちゃいねぇ。自分以外の人間は盤面で動く駒にしか過ぎねぇのさ。あいつはそういう人間だ。まぁ俺が人の事をどうだこうだ言える立場じゃねぇが、あいつは好かねぇ」
自分が善人であるか?それとも悪人であるか?
大概の人間は人前で問われれば躊躇して答えない。だが、心の中では善人だと思っている。そういう人間が多い。
対してアッザムにおいてははっきりと答える事が出来た。自分は悪人であると。
そんな悪人であるアッザムがグエンという人間の前では自分はまだマシであると思えるほどグエンには闇があった。
「俺はスラムの人間が嫌いだ。みんな平気で人を裏切るからな」
ラルフもそれを敏感に感じ取っていた。グエンという人間には良識を持ち合わせていない人間であると。ラルフはスラムで生きて来てたびたびこのような光景を目にして来た。状況が悪くなると、仲間を捨ててすぐに逃げる者たちを。ラルフが1人で生きて来た理由にはこれがある。
「で、アッザム。ここを早く切り抜けるにはあの野郎を倒せばいいのか?」
「あぁ、あいつを倒せば他の奴らはすぐに逃げ出すはずだ」
すると、その言葉を聞いたナナが割り込んできた。
「だったら、ちゃっちゃと倒してもらいましょうよ、ちゃっちゃと」
ナナは後ろを振り返り、馬車の方を見た。つられるようにラルフとアッザムも後ろを振り返る。
そこには馬車から出て来たルーが居た。
「あの男…虫唾が入ります」
ルーもまたグエンに怒りを覚えている1人であった。
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