第48話 トラブル

ラルフに向かってものすごい速さで襲い掛かるルー。

もちろんラルフは反応する事など出来ない。

ラルフは咄嗟に上段を守るように身を守るがルーは疎かになったラルフの足払いをし、転ばせる。


「いてっ、こんなの反応…————!」


今度は先ほど拾い上げた木の枝をラルフに向かって振り下ろそうとする。

ラルフは地面に背をつけた状態から動くことは出来ず、反射的に顔を守るだけで後は目を瞑ってしまう。


「ラルフ、目を開けて下さい」


そう言われたラルフはおそるおそる目を開ける。

木の枝はラルフの前で寸止めされていた。


「ラルフ…残念ながら死にました。今のは何がいけなかったのか分かりますか?」

「…足払いを避けなかったことか?」

「いえ、足払いは今のラルフには対応出来ない速度で動きましたので。問題はその先です」


ラルフは地面に寝そべり木の枝を眼前に突きつけられたまま考える。


「この二撃目を避けなかったことか?」

「そうです。戦闘では一瞬の判断が要求されます。一瞬の判断の誤りがそのまま死へと繋がります」

「俺が目を瞑ってしまったのは完全な悪手というわけか」

「はい、一番最悪な事をしました」

「最悪か…確かに最悪だな」

「思わぬ攻撃を受けた時、混乱が生じて判断力が鈍ります。加えて体へのダメージで動きが鈍くなります。さらに魔物は追い打ちをかけるように追撃をしてくるでしょう。そんな状況から瞬時に判断し、二撃目を避けなければならないのです」


さらにルーは続ける。


「ラルフは今まで戦闘を避けるように行動をしてきました。そのため警戒心や周囲の気配を敏感に感じ取れることが出来ます。その能力は異常なまでに高いと言っても過言ではありません。ですが肝心の戦闘に関してはほぼ経験がない素人同然です。ですから動きを止め、さらには目を瞑るという行為をしてしまいました」


ラルフはルーの言葉を黙って聞き、


「散々って事か」

「いえ、当然の結果です。これが当たり前なのです」


とルーは諭すように言った。

ラルフは悔しいという気持ちが湧いたが、しかしそれと同時に今までの自分が間違っていなかったとも感じていた。


「…俺は戦闘を避けてきて正解だったんだな。もし、魔物と戦っていたら」


それを聞いてルーはゆっくり頷く。


「えぇ、間違いなく死んでいたと思います」


そう言い放ったルーはラルフと関わる事のない人生を少し想像していた。


ラルフが魔物との戦闘で命を落としていたら、ルーはラルフと出会う事は無かった。

それは奇跡の実の真相を知ることのない人生を送る事。

今も人を疑う事を知らない純情なまま、アルフォニア王国の象徴、シンシアとして人々に微笑でいる人生を送っていただろう。

だがそうはならなかった。そしてそうならずに済んだことを寧ろ感謝していた。

何も知らずにのうのうと生きる自分を想像すると虫唾が走るからだ。


ルーは木の枝を下げ、代わりにラルフに手を差し伸べる。

ラルフはその手を握り、ルーに立ち上がらせてもらう。


ルーはラルフと出会い、ラルフはルーに出会った。

そして今2人は行動を共にし、開拓者としての道を歩み始めている。

まるで最初からこうなる事を決められていたように。


(私は…ラルフと共に歩む。それが私の運命です)


ルーはラルフのいない人生など考えられないと結論付けた。

そして思考を現実に戻す。


「ラルフ、まずは動けるようになりましょう。魔物の動きは私の動きより遅く、単調な場合が多いと思われます。ですが今よりもずっと緊迫しています。命のやり取りはとても重いものなのです」

「命のやり取り…」


ラルフはその言葉を繰り返し、言葉の重みを噛みしめる。


「生き延びるために、俺は動かなきゃいけない。生き残るために行動をしなきゃいけないということか」

「そういう事です」


するとラルフは思い出したかのようにアルフォニアでよく世話になった店主から受け取ったポーションを取り出す。


「俺は使うつもりなんか全くなかったけど、おっちゃんが出し惜しみなく使えって言ったのはそういう事か」

「ラルフ、ちょうどいいです。そのポーションを使って修行を続けましょう」


それを聞いた途端、ラルフは顔を歪める。


「おい、ちょっと待て。確かに出し惜しみしちゃいけないのは分かったが、それでも修行では使いたくないぞ」

「えぇ、分かっています。実際に使わなくても結構です。飲もうとする振りをしてもらえれば構いません」


それを聞いてホッとするラルフ。


「そういうことか、安心したよ。でもなんとなく想像が出来るんだが…俺は多分このポーションを——」

「——はい、飲むことが出来ないと思います」


ルーは木の枝を構え、ラルフに向ける。


「では再開します。行きます」


ラルフとルーの修行が再開される。

ラルフはルーと距離を取ろうと、バックステップをする。だが、ルーはすぐさま距離を縮める。木の枝を使って攻撃してくる。

なんとかそれを避けるために体を捻らせる。かろうじて避けたはいいが、また次の攻撃がラルフに襲い掛かる。


(なんだこれ、ちっともポーションを飲める隙なんて出来ないじゃないか)


体の傷を癒すためにあるポーション。だが、そのポーションを戦闘中に使うための余裕を作る事は非常に困難であった。

無理に使おうものなら更なる傷が生じ、死を招きかねない。


ラルフはもっと素早くルーから距離を取らないといけないと思い、ルーに背を向ける。

それにルーが反応する。


「敵を目の前にし、背を向けるとは何事ですか」


どうぞ狙って下さいと言わんばかりに無防備なラルフの背中。

ルーは容赦なく木の枝で切りつける。


「ラルフ、摘みです」

「はぁ、ダメか」


ラルフは立ち止まり呼吸を整える。そして落ち着いた状況でもう一度考える。

これまでスラムでごろつきに襲われた事は何度もあった。ラルフより腕っぷしが強いのは当然だが、その中には逃げ足の速いラルフよりも素早い者たちもいた。そんな者が目の前にいる状況でいきなり背中を向けて逃げ出す事などしなかった。ゆっくりと後ずさり、距離をある程度取ってから一気に逃げ出していた。そう考えると先ほど取った自分の行動が間違っている事が理解出来る。


「今のも完全に悪手か」

「そうですね、わりと最悪です」

「なんだよ、わりと最悪って」


ラルフは軽く笑った。それをルーも笑って反応した。


「難しいんだな、戦闘って」

「えぇ、ですから修行あるのみです」

「分かった、よろしく頼む」


その後もラルフは何度もルーに殺された。

どう足掻いてもルーから隙を作る事は出来なかった。


「はぁ、全っ然ダメだな」

「いえ、そんな事はありません。随分動きがマシになってきました。少なくとも怯んで動けなくなる事はなくなりました」

「そう言われるとそうか」

「私から目を離さないのも重要ですが、同時に周りの環境を把握する事も大切です。開けた場所で戦う事などほとんどないのですから。地形を把握しておかないとピンチになりますし、逆にそれを利用する事も出来ますから」


言われる事で思い出すラルフ。

スラムでごろつきから逃げる時もわざと入り組んだせまい通路を逃げたり、障害物が多くある場所を通り、相手のスピードを殺して逃げたりしていた事を。

それが今の修行では生かされていなかった。逆に言えばそれを考える余裕もないという事だ。

ラルフは改めて自分の弱さを痛感した気がした。


「ラルフ、どうします?ちょっと休憩しますか?」


ルーに転ばされ、地面に尻を着いた状況のラルフは答える。


「そうだな、もう少しこのまま座っていたい」

「フフフ、ではそうしますか」


ルーも地面に腰を降ろそうとした時、血相を変えてこちらに向かって逃げるように走ってくる者たちがいた。

それを見た途端、ラルフの直感が囁いた。


「…嫌な予感がする」

「嫌な予感?」


すると走って来る者たちがラルフたちに向かって口を開く。


「おい、お前たちも逃げろ!ドラゴンだ、ドラゴンが出た!」

「————!」


ルーの眉間に皺が寄る。そして逃げて来る者たちに反応する。


「ドラゴン?このような場所でドラゴンが出るはずなどありません」

「知らねぇよ、とにかく出たんだ!とにかく俺たちは逃げるぞ」


そう言い残して男たちは走り去ってしまった。


「ラルフ、今のが事実なら私たちもすぐに逃げましょう」

「わ、分かった」


ラルフはすぐに立ち上がる。

ドラゴンがどれほどおぞましい存在か分からないが、とにかく自分の嫌な予感は的中してしまった。自分自身を呪いたくなる。だがこれ以上嫌な思いはしたくないのでラルフは全力で逃げる事にした。

ラルフはゲートの方へ向きを変えようとした時、その瞳がドラゴンを捉えた。


「あれが…」


距離が離れた場所で人間が小さく見えるほどの距離でその巨体は姿を現した。

体長10メートルは優に超える大きな巨体は逃げ遅れた目の前の人間を踏み殺した。

緑色の皮膚、長い尻尾、大きな翼。いつどこで聞いたか知らない、いつの間にか己の中にあったドラゴンの認識。その想像通りの生き物が人間を襲っている。


「ラルフ!」

「————!」


我に返り、ルーの方向を見る。


「何をしているのです!?逃げますよ!」

「わ、悪い」


ラルフとルーはゲートに向かって走り始めた。

ルーはラルフを叱咤したが、それほど切羽詰まった状況ではなかった。幸いにもまだ十分な距離があったためだ。余裕を持ってゲートをくぐる事が出来る。ゲートさえくぐればドラゴンが追って来る事はない。なぜなら魔物たちはゲートを恐れてくぐる事はないからだ。

走りながらルーはラルフに話しかける。


「あのドラゴン、我を忘れています」

「我を忘れている?」

「ドラゴンとは賢い生き物です。本来、人を襲うような生き物ではありません。それに人間と会話する事だって出来るのです。にも関わらず人間を襲っているという事は」

「それほど怒り狂う何かがあったって事か?」

「そういう事になります」


面倒事は勘弁だとラルフは思いながらゲートへと向かう。

後ろから悲鳴が聞こえるが、ラルフたちはなんとかゲートへと戻って来る事が出来た。


「さぁ、ラルフ。ゲートをくぐりましょう」


ラルフはゲートをくぐる前、もう一度ドラゴンの姿を目にしようと振り返った。

安全が確保されたために好奇心の方が勝った行為だ。しかしこの行動が分岐点となる。

振り返り、ドラゴンを見ようとしたラルフの目が大きく見開く。

そして次の瞬間、


「ラルフ!何を!?」


ラルフは全力でドラゴンの方へと向かい走って行った。当然ルーはラルフを追いかける。ゲートに逃げる者たちの中でラルフとルーだけが反対方向に走っていた。

ラルフは無我夢中で走っていた。向かっていた先は、昨日見かけた冷たい表情をしていた少女だった。

汚れたみずぼらしい恰好をした少女は迫りくるドラゴンから必死になって逃げていた。今、ドラゴンのターゲットは少女にある。

周りの者たちは少女の事を助けない。助けられない。少女には申し訳ないが、犠牲になってもらう。

どこの誰かも知らない赤の他人に自分の大切な命を投げ売る事など出来ない。みんな懸命になって逃げている。

当然の行動であり、間違っていない。

もちろん少女が逆の立場でも同じ行動をしている。たまたまドラゴンのターゲットになったのが少女だったという事だ。


そんな少女を助けようと、1人の男が少女に向かって走っている。目を疑う異常な行為。

ラルフ自身も自分がなぜこのような行動を取っているのか分からない。

この少女じゃなければラルフは今ごろゲートをくぐっていたはずである。

なぜか助けたいと思ってしまったのだ。


「あっ」


逃げる少女は躓いて転んでしまう。起き上がろうとする際に後ろを振り返りドラゴンとの距離を確認しようとするが、ドラゴンはもう少女の目の前にいた。


「嫌だ、嫌だ」


震えるようなか細い声。しかしその声はドラゴンの怒り狂う鳴き声にかき消される。

少女に追いついたドラゴンは、少女を踏み潰そうとする。


一方、ラルフと少女にはまだ10メートルほどの距離があった。


(くそっ!くそっ!)


今にも踏み潰されてしまいそうな少女。ドラゴンの足が迫りくる。

時間がゆっくりとスローモーションで流れていた。


(俺はあいつを…絶対に助けるんだ!)


そう思った瞬間、ラルフは爆発的に加速した。そしてドラゴンに踏み潰される前に少女を抱きかかえ、窮地を救う。


死を悟った少女は目を瞑っていた。

だが一向に途切れる事のない自分の意識を不思議に思い、ゆっくりと目を開ける。

すると目の前には自分を抱きかかえるラルフの姿が目に映った。


(この人、昨日の…)


混乱が起きていたのは少女だけではなかった。

ドラゴンも少女を踏み殺したと思っていたのに、少女を踏み潰した感触がないので混乱していた。

また、ラルフ自身も少女を助ける事が出来た事に驚いていた。

だが次の瞬間、足に激痛が走る。


「なんだこれ、足が…」


ラルフは膝を付く。動く事が出来ない。

ドラゴンはラルフたちの存在に気付く。ラルフは少女を抱えている。

「そこに居たのか」と言わんばかりにラルフたちに襲い掛かろうとする。

ムチのようにしなった長い尻尾が振り払われ、ものすごい勢いでラルフたちに襲い掛かる。


(これは…避けられない)


死ぬつもりは毛頭ない。

だがかなりの確率で瀕死に近い傷を負う。

まずはこの少女をどうにかしたい。せっかく踏み潰される所を救ってあげたのだ。出来る事なら最後まで救ってあげたい。

だがドラゴンの尻尾を回避するために少女を安全な場所へ放り投げたいが非力な自分には無理である。

ならばせめて受ける衝撃を緩和させようと少女を自分の身で覆う事にした。


(絶対に耐えてみせる!)


だが、その行動をしようとする前にその尻尾を受け止める者がいた。

…ルーであった。

手を交差させ、巨大なドラゴンの巨大な尻尾を受け止めるルー。そしてその尻尾を払いのける。


「…ルー?」

「ラルフ、足は動きますか?」

「嫌、痺れて動かない」


ルーは息を吐いた。


「仕方ありません、それならばこのドラゴン、私が止めます」


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