第45話 ナルスニアのスラム

ラルフが睨んだ通り、たどり着いた場所はスラム街だった。


「どこも同じだな、スラムってのは」


寂れた建物、行き届いていない衛生管理、鼻に付く臭い、そしてよそ者に対し冷たし視線を送る笑顔の消えた人間たち。どれもラルフが自国のアルフォニアで見たのと同じものだった。


「おい、ガキ今さらビビったところでしょうがないぞ」


男の1人が嫌な笑みを浮かべてくる。


(こういう人間が多いのも同じだな)


ラルフはため息混じりに息を吐いた。


「それにしてもいい女だ。これじゃあマルスとスペルクがちょっかい出すのも仕方ねぇ」


今、この場にいるラルフ以外の男たちはルーに見惚れていた。


「そうだろ、それで痛い目をみちまった」


マルスとスペルクというのはギルドでちょっかいを掛けた男たちだ。ちなみにマルスがルーに腕を折られそうになった。

そうこうしている内に男たちのアジトにたどり着く。


「えらい上玉を連れて来たじゃねぇか」


見張りをしている男がまたもやルーを見て不敵に笑う。しかし当の本人のルーは全く表情を変えない。

ラルフたちは中へと案内された。次々と視線を浴びるラルフたち。


(多いな)


ラルフは単純にそう思った。

先ほど囲まれた時、ルーの強さを警戒してか、10人ほどに囲まれた。

だとしてもこの集団の構成人数はせいぜい30人ほどの規模だと思っていた。

しかし、このアジトの大きさからすると、100人規模の人数がいる徒党ではないかとラルフは予想していた。


(この人数だと、さすがにルーでも)


ラルフは自然とルーの方を向いていた。そしてルーもこちらを見ていた。ルーはラルフと目を合わせると、ゆっくりと頷いた。

まるで「大丈夫、問題ない」と言わんばかりに。


(本当に大丈夫なのか?)


ルーが強いと分かっていてもさすがに疑わざるをえなかった。


「ボス、連れてきました」


スペルクが口を開く。

そこにはソファに座った体格のいい、スキンヘッドの男がいた。


「俺はこいつらをまとめるアッザムだ。ようこそ、こんな汚いところへ」


その瞬間、周りにいる男たちが声を上げた。

アッザムを立てるように。そしてラルフたちを脅すように。

アッザムが手を上げる。するとその声はピタリと止んだ。


「お前たちに来てもらったのは礼を言いたくてな」

「礼?」


これに反応したのはラルフだった。

アッザムは笑いながらも冷静にラルフとルーを判断している。


(この2人の主導権は男にあるのか。でもこのガキ全然強そうに見えねぇぞ。おまけに開拓者なり立ての装備じゃねぇか。女は…強いのかどうか分からねぇ。まぁいい。とにかく男の方がやりやすい)


「マルスとスペルクが世話になったようでな。こいつらはすぐにちょっかいを出しちまうんだ」

「…それで、本題はなんだ?」

「話が分かるじゃねぇか、俺はそういう奴は嫌いじゃねぇぜ」


アッザムは笑う。


「お前の連れ、そのえらいきれいなお嬢さんがちょいとやり過ぎちまったようでな、こいつらの頭をやってる俺としてはすんなり許すわけにはいかねぇんだよ」

「…それで?」

「腕の治療費を払ってほしいんだ。昨日からマルスの奴がずっと痛がっていてよう。治療するのに金が結構かかりそうなんだ」

「おぉ~いてぇ」


マルスが腕を抑えて痛がる素振りを見せる。それを見た周りの男たちが笑う。

だがルーが冷ややかな反応をする。


「白々しい。私は腕を折る前に解放しました。どう見ても演技です」

「演技って言われてもなぁ、やられた本人は現に今も痛がってるんだ。演技じゃないと思うぜ、なぁマルス?」

「へい」

「という事だ。治療費、払ってもらえるか?」


アッザムはルーではなく、ラルフに話しかけた。


「治療費はいくらなんだ?」

「10000Jだ」

「10000…」


ラルフは苦々しい顔をした。それは払える金額だからだ。10万や100万といった常識の範疇を超えた金額ならどうにもならないが、今のラルフたちには10000Jはどうにかなる金額だった。それ故にどうするか悩む。

ルーは大丈夫と反応したが、それが本当に大丈夫かはラルフでは判断しかねない。また、目の前のアッザムはこの中で一番強そうであり、このメンバーをまとめるのも納得が出来る。

確かに10000Jは痛い。でも払えさえすれば、五体満足でこの場を後にする事が出来るのだ。その後の事はそれから考えればいい。


「別に金で払わなくたっていいんだぜ?労働で払ってもらえれば。まぁ労働って言ってもいろんな労働があるからな」


すると周りの男たちが不敵な笑みを浮かべた。


(こいつら、俺たちをずっとこき使うつもりだ)


今どうにかしないとかなり面倒になる。

ラルフは焦りを滲ませ、「ここは払うべきだ」と意志表示をするためにルーの表情を見せようとしたが、


「払いません」


ルーはきっぱりと言い、結論を出してしまった。

それに驚くアッザム。

ラルフも同様に驚いていた。


「もう一度、言います。あなた方には1Jも払いません」

「おい。ルー——」

「——大丈夫です、ラルフ。問題ありません」


ルーは安心させるように微笑んだ。

そしてすぐさまアッザムの方へ向き直る。


「アッザムさんでしたか?私たちの答えとしては治療費をお支払いする事はありません。それでは失礼させていただきます」

「…そう言われて、俺たちが易々とお前たちを帰らせると思っているのか?」


アッザムは笑みをこぼしながら答えた。

この笑みは圧倒的に有利な立場から来る余裕の笑みであった。

だが、


「あなた方が臨戦態勢を取った瞬間、私は攻撃を開始します」

「————!」


アッザムは、自分は狩る側の立場だと確信していた。

だがなぜか今は自分が狩られる立場のような心境だった。

心臓を大きな手で捕まれるような感覚だった。

その理由は明確。この時、ルーは自身の大きな瞳でまっすぐにアッザムを見つめ威圧してのだ。しかも圧倒的強者として。


(こいつ!)


だがルーはすぐにそれを解除した。同時に何かに気付いた顔をしていた。

そして何やら提案をしてきた。


「ですが、私としてもそれは本意ではありません。代わりにどうでしょう、有益な情報を教えるというのは?」

「なんだ…話してみろ」


アッザムはにじみ出る汗を出しながらも平然を装い、答えた。


「あなたは指にいくつも金の指輪をしているようですが、それはどうしたのですか?」

「なんだ、金の指輪に興味があるのか?欲しいのか?ちょっと大量に購入してな。俺の女になるならくれてやってもいいぜ?」

「結構です。私は指輪にもあなたにも興味がありませんから」

「…言うじゃねぇか」

「そんなことよりその金の指輪は本物ですか?」

「あぁ?」


その言葉を聞いたアッザムはここで初めて顔を歪める。なぜならアッザムは最近、金の宝飾品を大量に購入していたのだ。自身も好きだが、これで一儲けする予定だったのだ。


「どういうことだ?」

「言葉の通りです。その金、少し色味が鈍い感じがしますので」


それを聞いたアッザムは自分の指に嵌めている金の指輪を見てみる。

そしてアッザムの周りにいる男たちも自然と指輪に目が行く。しかし、おかしいとは思わない。


(この女、はったりを噛ましているのか?)


「嬢ちゃん、俺の集めた金が偽物だっていいたいのか?」


アッザムは脅しにも近い睨みを利かせた目でルーに言い寄る。

先ほどルーに威圧されたが、黙っている事は出来なかった。それは金の宝飾品に結構な額を投資していたからだ。なりふり構っていられない。現に先ほどのまでの余裕は消え失せていた。

しかしそんな態度に迫られてもルーは平然と


「えぇ」


と言ってのけた。

それを見ていたマルスが思わず、


「てめぇ、さっきから調子に乗ってんじゃねぇぞ」


だが、アッザムはそれを手で制した。


「なんで偽物だって事が分かる?教えろ」

「教えてもいいのですが、条件があります」

「条件?」

「その先ほどのお方、腕が痛いと仰っている方の発言、あれを嘘だと認めて下さるのならお教えします」

「なっ、何言ってやがる!俺は」


マルスが怒りを露わにする。

だが、アッザムは


「あぁ、分かった。腕が痛いというのは嘘だ。その件に関しては取り下げる。だから教えてくれ。なぜ金が偽物だと分かるんだ?」


といとも簡単にあっさりと取り下げてしまった。


「ボ、ボス」

「黙ってろ!」


アッザムはマルスをひと睨みした。

それに睨まれたマルスはもう何も言えなくなってしまった。他の者も同様だ。

ルーはラルフの方を見る。そして「もう大丈夫」という意味を込めてか優しく微笑んだ。

ラルフは少し呆気に取られていた。肝が据わった女だと感心もしていた。


「おい、早く教えろ」

「まぁ偽物ということではありません。純度が低いという事です。私は立場上、多くの宝飾品を目にして来ました。もちろん本物です。だからあなたのしている金を見ると、私が目にしてきた物より色が鈍いのです。混ざりものが入っているとしか考えられないのです。鉄や銅などの」


ルーは王族としてたくさんの宝飾品を見て来た。当然であるが、献上される物は全て本物だ。王族にまがい物を献上するなど決してあってはならないからだ。そのため、自分見て来た純度の高い金と今目にしている金が同じではないとすぐに判断出来た。

アッザムはもう一度金の指輪を見る。

確信を持って発言するルーの意見を聞いた後では、先ほどより色味が暗みがかっているように見えた。自分はそんな物をつかまされてしまったのだと。

だがアッザムはもう一度ルーに確認する。


「お前の言っている事は間違いないんだろうな?もし間違いだったらただじゃおかねぇぞ?」

「絶対に間違いありません。もし間違いであるなら、その時は煮るなり焼くなり好きにして下さい」


脅しをかけてもやはりルーは平然と言ってのけた。

それを聞いたアッザムは驚いていた。ここまで言い切れるものなのかと。しかしそれを表情には出さす、依然として強い表情をなんとか保っていた。


「おい、ルー」

「はい!」


ルーもここまでアッザムと対峙していたので、気持ちを引き締めた表情をしていたのだが、ラルフに呼ばれた途端にそれが瓦解した。

ルーがラルフに対し、敵意を見せる事は決してない。


「お前は色味で判断が付くのかもしれないが、なんか他に分かる方法はないのか?俺には普通の金にしか見えん」


それを聞いたアッザムは内心喜んでいた。


(このガキ、いい事を言いやがる!)


「そうですねぇ、ではあれはどうでしょう?アッザムさん、磁石、磁石は用意出来ますか?」

「あぁ。そんな物が最近はあるようだな」

「その磁石をアッザムさんが持っている金に近づけてみてください。もし、金が本物ならば磁石に金はくっつきません。ですが、その金に混ざりものである鉄が多く含まれている場合には金がくっつくはずです。それで不純物の多い金だと分かるでしょう。いつ手に入れたのかは存じませんが、最近手にしたのならまだ取り返しがつくはずです」


ルーは笑みを含んで答えた。

これにアッザムも笑って答えた。


「ふん、まぁ偽物だったならな」


アッザムは仕入れた責任者としての立場上、強がってみせるしかなかった。


「ではもうここには用はありませんね。ラルフ、行きましょう」


ルーは立ち上がる。


「いや、待て。まだ話がある」

「ラルフ?」


ラルフに注目が集まる。


「アッザム。あんたこのスラムのまとめ役なんだろ?だったらスラムには詳しいはずだ」

「何が言いてぇ?」

「鍛冶屋を教えてくれ」

「鍛冶屋?鍛冶屋ならスラムでなくともいくらでもあるだろ」

「違う。そういう普通のはいいんだ。俺たちが探しているのは、俺のようななり立ての開拓者にも割に合わない良質な装備を売ってくれる店を紹介してほしいんだ」


それを聞いたアッザムは黙ってラルフを見ている。


「何で俺がお前にそんな事を教えなきゃいけねぇんだ?それに素人が魔石の入った装備をすると身を滅ぼすだけだぞ」

「何でって、お前ルーのおかげで損をせずに済むんだろ?だったらそれくらい教えてくれてもバチは当たらないはずだ」


アッザムはしばらく黙っていた。しかし突然、フッと笑みをこぼした。


「アジトを出たら右に出ろ。その突き当りの角の店に行ってみろ。そこのズーという爺にアッザムから教えてもらったって言え。そうすればいろいろと都合をつけてくれるはずだ」

「分かった。ルー、行こう」


ラルフも立ち上がり、部屋を出ようとする。

立ち去ろうとする2人にアッザムが声を掛けた。


「小僧、お前もスラム出身か?」

「あぁ、この国じゃないがな。俺はスラム生まれでスラム育ちの根っからのはぐれ者だ」

「やっぱりな、同じ匂いがする…お前、貴族のような権力者は嫌いか?」

「いいや」


ラルフの答えに意外な顔をするアッザム。

だがその表情はすぐに変わることになる。


「嫌いどころじゃない。大っ嫌いだ」


そう微笑みながらラルフは答え、部屋を後にした。

2人が出て行った部屋には沈黙が流れる。

だが次の瞬間、部屋にアッザムの笑い声がこだました。


「はっはっはっは!」


他の者たちはそれを見てきょとんとしていた。


「大きな借りが出来ちまったな。おい、お前ら。あいつらには手を出すな。これは命令だ。分かったな!それとこの間の宝飾店の男をここへ連れてこい!今すぐにだ!」


ラルフたちは何も失うことなく、それどころかスラムのボス、アッザムに大きな借りを作る事が出来た。

2人は足早にズーという人物がいる鍛冶屋に向かった。

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