第30話 悪い予感

 宝石商が立ち去った後、再び今後の今後について話し合おうとする。


「それでこれからについてなんだけど——」

「——イリーナさん、ごめんなさい。もう昨日からかなり時間が経っています。なるべく手短にしてもらえますか?」

「昨日のあの貴族の事を心配しているの?」

「まぁそれもそうなんですけど…何か悪い予感がするんです」


 常に崖の淵に身を置いているようなラルフ。

 危険の中に身を置いていると、一見、鈍感になりそうだがラルフは逆だ。

 過敏になる事で今まで生き永らえる事が出来たのだ。

 今のラルフは自身の予感でさえ、気にするほどになっていた。


「あの貴族に関して言えば、ラルフ君は大丈夫だと思うのだけれど…直接手を下したのは…」


 そう言ってイリーナはルーの顔を見る。


「そ、そうです。ロン様を殴ったのは私です。ラルフがどうこう言われる筋合いはありません。それに…」

「それに…どうした、ルー?」

「昨日の件はお父様の元にも一方は届いておりました。厳正に対処すると申しておりましたので問題ないと思います」


 ルーは王族の立場を利用した気がして、若干申し訳無さそうに答えた。


「昨日の時点でだろう?なら問題ないじゃないか。それに助かる」


 それを聞いてほっと胸を撫でおろすルー。


「でも悪い予感ってのは、あの貴族のことじゃないんだ。何か別でさ。とりあえずこの国をなるべく早く出たいんだ」


 そしてラルフはイリーナの方へ向きを変える。


「だからイリーナさん。申し訳ないんですが、必要最低限の事を話してもらえませんか?」

「ん~、そこまで言うなら…分かったわ。それじゃあ行きましょうか?」

「「えっ?」」


 ラルフとイリーナが同時に驚く。


「私もナルスニアまで一緒に行くのよ。その道中でいろいろと話をするわ」

「えっ?あの?その…いいんですか?」

「えぇ。大丈夫よ。ギルド間同士でも情報の共有は大切だから。私は書類をナルスニアまで運ぶ出張扱いすれば問題ないわ。一緒に行きましょう」


 イリーナが昨夜徹夜して仕事を片付けた理由はこれだった。

 アルフォニアの開拓者たちの活動報告をまとめ、それをナルスニアへ届ける。

 表向きはあくまでもギルド職員としての本分を全うするという体を見せれば、後はどうにでもなる。

 イリーナの手腕と言ったところだろう。


「「ありがとうございます」」


 ラルフとルーはイリーナに頭を下げた。


「いいのよ、私がそうしたいんだから。それにこれでさよならってなんだか寂しいじゃない?私が一緒に行きたいのよ」


 こうして、イリーナがナルスニアまで付いて来ることとなった。


「それじゃあ私は向こうへ持っていく書類を用意するから、30分くらい待っていてもらえる?」

「あの…イリーナさん。その前に私の、シンシアの開拓者登録を行く前に消してもらえませんか?そしてルーで再登録してほしんです」

「そう言えばそうですね。二重登録は出来ませんから。ルー様として生きるならその方がいいかもしれません。…ですがいいのですか?登録し直すのは1からの出発ですので…いろいろと不便になりますが」

「構いません。私はルーとして生きるのですから」

「分かりました…とりあえずシンシア様の登録を消すのは済ませておきます。ですが、ルー様の登録はナルスニアの方でされた方がいいかと。いきなり開拓者登録を消してもう一度すぐに登録すると怪しまれます」

「分かりました。それでお願いします」



 待たされている間、ルーはいささか緊張していた。ラルフと2人きりになるのは1年前の夜にスラム街で対峙した以来である。

 ラルフに至っては特に変わった様子はなくイリーナを待っていた。

 ルーは話すタイミングを伺う。どの内容なら話しても問題ないのか、聞きたい事は山ほどあるのに、躊躇してしまい、何も聞けずにいた。その中でルーはどうしても気掛かりになった事をラルフに尋ねる。


「あの…孤児院に行った3人の子供たちにはお別れの言葉は言わなくていいんですか?」


 それを聞くとラルフは驚く顔をする。


「俺、ルーにあいつらが孤児院に入った事なんて教えたか?」


 ルーはしまったという顔をする。それはルーがラルフの事を探る形で子供たちが孤児院に入ったことを知ったのだ。


「あの…偶然孤児院に行った時に見かけて…それで話をして」


 ルーは申し訳なさそうな顔をすると、ラルフはフッと笑う。


「まぁいいさ。別に悪さをするわけじゃ無さそうだからな。ちなみに報告は昨日のうちにしておいた。すっげぇ喜んでくれたよ。まるで自分の事のようにな。でも出て行く話をしたら寂しそうにしていたな。まぁこればかりはしょうがない」


 ラルフは微笑んでいたが、どこか寂しそうな顔をして窓の外を見る。


「大丈夫です、ほとぼりが冷めたらこの国に戻って来られます。その時に会いましょう」

「あぁ…そうだな」


 そう言った時のラルフの顔からは寂しさは消えていた。頑張ろうという意志を表すように微笑んでいた。


「お待たせ」


 準備を終えたイリーナが部屋に入って来る。一緒に鞄を携えて。

 ルーはせっかくラルフと会話できる雰囲気になったのに、それが終わってしまい残念に感じていた。


「…早かったですね。もういいのですか?」

「はい、ギルド長に報告しただけですから。小言を言われるかと思ったのですが、意外にすんなりと終わりました。それと、ちゃんとシンシア様の登録抹消は済ませて置きましたので大丈夫です…もう少し遅かった方が良かったですか?」


 イリーナは不敵な笑みをルーに向ける。ルーは焦る。


「と、とんでもないです。時間が無いから助かります、ありがとうございます」

「あはは…じゃあ行きましょうか」


 こうして3人はギルドの外へと出た。


「それで、ナルスニアへはどれくらいかかるんです?」


 外の世界を知らないラルフがイリーナへ尋ねる。


「うん?馬車で3日ってところかしら?」

「そうですか…えっ?馬車?歩いて行かないんですか?」

「歩いて!?そんな事しないわよ。疲れちゃうじゃない」

「えっ?でも俺にはそんな金…」

「ラルフ、先ほど私が髪飾りを売ったのでお金は十分にあります」

「あ、そうか、金はあるのか…でもルー。俺にはよく分からないんだが、こんなに簡単に金を使っていいのか?」

「そ、それは…」


 急に振られたルー。しかしルー自身もお金を使った事がない。


「確かに歩いてもいいのかもしれません。ただ、今はイリーナさんと一緒にいます。イリーナさんから開拓者のお話を聞かなければなりませんし、それに今は一刻も早くこの国を出たいのでしょう?だったら歩いてナルスニアへ向かっている場合ではないのでは?」


 ルーは必死に考え、もっともらしい事を伝えた。


「そ、そうか。確かに金を渋っている場合じゃないな。よし、馬車で行こう」


 ラルフもルーの説明に納得し、馬車で行く事を了承した。

 ルーはそれを見てほっと胸を撫でおろした。



 3人で馬車乗り場を目指し、歩いていると、ラルフが急に立ち止まる。同様にルーも。


「ん?どうしたの?」


 状況を把握できないイリーナがラルフに声を掛ける。


「どうやら悪い予感が的中したようです」

「えっ?あの貴族の回し者がもう?…って別にそれらしい者は見当たらないんだけど…」

「いえ、もっと面倒な相手です」

「面倒って…」


 イリーナがラルフとルーの視線の先に目をやる。そこにはアルフォニア騎士団、副団長のレオナルドが行く手を阻むように立っていた。

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