第29話 不器用な生き方

 待つこと30分。宝石商の人間がギルドにやって来た。


「すみません、お待たせしました。何やらとても貴重な物を買取らせて頂けるようで」


 宝石商はラルフたちに営業スマイルを向ける。待たせた事に謝罪をしたが、宝石商が急いで来たという様子は正直感じられない。ただ、額から落ちる汗を宝石商はハンカチで拭っている。しかし、これはぼてっとした体型から来るものであった。決して急いで来たのではない。

 宝石商から清潔感は感じられないが、商人としてしっかり稼いでいることは容易に想像がついた。


「さっそく買取りさせて頂く商品をさっそく見たいのですが…」


 宝石商に言われ、ルーが髪飾りを出そうとする。

 そこでラルフがもう一度ルーに念を押した。


「ルー。俺たちに金が必要なのは間違いない。でもお前にとって大切な物なら別に売らなくてもいいんだぞ?」


 ルーはラルフから再度気に掛ける言葉を受け嬉しく感じていた。


「いいんです。私たちの今後の事に比べれば些細な事ですから」


 ルーはラルフに向かって微笑みかけるような笑顔を向けた。だが、今のルーは現在正体がバレないように目以外をフードで覆っている。それでもラルフはルーの若干垂れ目になり、目尻が皺になっているのを見て、ルーがこちらを見て微笑んでいるのを読み取った。


「そうか、悪いな」


 ルーから差し出された髪飾りを鑑定する宝石商。そして、驚嘆の声を上げる。


「おぉ、これは…素晴らしいですな」


 銀をベースに作られ、時々アクセントを付けるように金や小さな宝石で装飾された髪飾りは誰が見ても高級な物と分かった。 実際ルーはこの髪飾りをとても気に入っていたし、大事にしていた。寝る前はいつも欠かさずに汚れを拭うほどであった。

 宝石商は髪飾りの鑑定するのと同時にルーたちのことも気づかれないように見ていた。


(一体こんな高価な物どうやって手に入れたんだ?フードを被っていてどんな女なのかちっとも分からない。それにその横にいるガキに至っては汚らしい恰好をしてやがる。ということはこの女の方も同じようなものか?だとしたら…)


 宝石商は目を瞑り、唸るような顔をして、いかにも真剣に考えている素振りを見せる。


「分かりました…こちらの品、10000Jで買取りしましょう!」

「い、10000J!?」


 聞いた事も見たこともない金額を聞いてラルフは驚きの声を上げる。

 その反応を見て、宝石商は内心ほくそ笑む。


(いいぞ、もっと驚け。これは随分と良い商売になりそうだ)


「いかかでしょう?」


 宝石商はルーに満面の笑みを向ける。


「10000Jですか…」


 しかし、ルーの反応は薄かった。


(あれ?こいつの反応はあんまり良くないな)


 ルーがこのように反応を示すのは、髪飾りの値段に不満を抱いているからではない。彼女はお金に無縁の生活をしていたからその価格が適正かどうか分からないのだ。

 ルー(シンシア)は王族。自分が必要とする物は全て自分以外の誰かが用意する。寧ろ必要と感じる前に用意されている事が多いほどだ。そのため、ルーはお金を使用した事がなかった。このように反応するのも無理はないのだ。

 だがそんな事を知らない宝石商は、ルーがこの値段に納得いっていないと捉えた。


(10000Jじゃダメか…仕方がない、もう少し上げるか)


「では1——」

「——たった10000Jですってぇ~!?」


 怒りを滲ませた声を上げたのはルーではなく、その横にいたイリーナだった。


「なんでこの髪飾りが10000Jぽっちなのよ?もしそうなら私の全財産と知り合いからお金かき集めてきて15000Jで買取った方がマシよ!」


 イリーナは貴族ではなく平民だ。ただ、ギルドの職員ということもあり平民としては裕福な方であった。加えて大人の女性ということもあり、宝飾品にはそれなりの興味があった。だからルーの髪飾りはとても自分では身に付ける事が出来ないほどの高価な品である事は容易に想像出来た。安く買い叩かれようとしているのがすぐに分かったのだ。

 宝石商は心の中で舌打ちする。


(ちきしょー、クソギルド職員め!余計な事を言いやがって。ボロい商売だと思ったのに)


「ははは、冗談です。このような商品が10000J程度で買取るような事はしません。では、20000Jでいかがでしょう?」

「に、20000J!?」


 またもやラルフは同じような反応を見せた。

 そして今度はイリーナも何も言わない。


(よし、これなら行ける!ギルドの女のせいで当初よりもだいぶ稼ぎが減っちまったがそれでもいい買取りだ)


 実際の所、宝石商はこの髪飾りは27000Jの値段で売ろうと考えていた。また店の目立つところに飾れば30000Jで売り出す事も可能だと思っていた。20000Jで決着がつきそうだと思っていたが、ルーの一言でまた一転する。


「40000Jで買取って下さい」

「「40000J!?」」


 ルーの声にイリーナと宝石商が声を上げる。

 ラルフに至ってはもう声を上げる事さえできない。

 少し間を置いて、宝石商は驚きの表情から若干呆れた表情となってルーに答える。


「40000J?お客様、さすがにそれは無理な話です。私が大赤字になってしまう」

「ならば私が身に付けていたというサインを付けたらどうですか?」


 するとルーは急に被っていたフードを取り、宝石商に姿を見せる。

 フードの女の正体を知った宝石商は驚きの声を上げる。


「シ、シンシア様?」

「私がこの髪飾りを所持していたというサインをします。王女が身に付けていたということなら付加価値がつくはずです。それならば40000Jで買取る事は出来るでしょう?」

「え…いや…その…」


 宝石商は必死に状況を整理する。朝、ギルドからの呼び出しで装飾品の買取りをお願いされた。高価な品だと聞いていたが面倒であった。いい品だと自分から言い張る者は大概それほどの品ではないからだ。

 足を運んで見たら案の定、正体不明のフードを被った女がいた。これは期待出来ないなと思いつつも、いつもの営業スマイルで対応すると、予想に反してやたらいい髪飾りの買取りをお願いされた。最初はふっかけてみたものの、最終的には相応の値段で買取ろうとすると、今度は向こうからふっかけられてしまった。しかしそれを言った正体不明の女は実はこの国の王女だったのだ。


(なぜ?なぜここにシンシア様が?それにこの髪飾りを手放されるには何か事情が?それになぜ髪が短いのだ?あのきれいな長い髪が)


 宝石商の思考は取引のことから完全に逸脱していた。


「店主、どうですか?」


 ルーにそう言われて我に返る宝石商。 落ち着かない自分を冷静になるよう心掛け、胸に手を当てゆっくり大きく呼吸する。そしていつもの営業スマイルを浮かべる。


(何でここにシンシア様がいるのか分からんが、とにかくシンシア様が身に付けていた髪飾りをたった40000Jで買取れるなんて安いんもんだ。これがあれば王族と付き合いのある店として貴族共がわんさかうちの店に来る。売るなんて勿体ない!)


「分かりました、40000J——」

「——20000Jで十分だ」

「「「えっ?」」」


 ラルフの声に驚きの反応をする3人。


「王女のサインはしない。だから20000Jの買取りで結構だ」


 状況が二転三転する。高く売りつけようとすれば今度は安く売ろうとする。しかもそれを言うのは先ほどまで金額に驚いてばかりの身なりの汚い男だ。


「ですが…いいのですか?サインを頂ければ40000Jで買取り致しますよ」

「申し訳ないがサインはしない。だから20000Jで結構だ」


 宝石商はここで初めて苦虫を噛む表情をする。なぜなら宝石商の商い人生の中で最も大きな利益を逃そうとしているのだ。王女のサインをもらう事が出来れば今後の店の展望は大きく変わるかもしれない。それほどの可能性を秘めた利益が目の前にぶらさがっているのだ。40000Jは決して安い値段ではないが、それ以上の価値を生み出すことが出来るからだ。


「…分かりました。では50000J出しましょう!」


 それでもラルフは首を横に振る。先ほどまで声を出せないほど驚いていたのに、今は全く動じていない。まるで金に対し、全く執着がないような様子だ。


「いや——」

「——ちょっと待って!」


 イリーナが割って入る。


「ちょっと相談させてくれない?」

「えぇ、いいですとも。部屋の外で待ちましょう」


 先ほどイリーナに指摘され、商売の邪魔をされていたと憎んでいた宝石商だが、今度は逆にイリーナを応援していた。

 宝石商は一旦部屋の外に退出し、3人は相談を始める。


「ラルフ君、これからお金はあって越したことはないのよ。だからここは素直にルー様…シンシア様のサインをして50000Jで買取ってもらった方がいいわ」


 ルーが頷きながらイリーナの意見に賛同する。


「そうです、ラルフ。私もその方がいいと思います」

「………」


 しかし、ラルフは2人の説得に反応しない。


「1つだけ聞かせてくれ」

 

 するとラルフは真剣な表情をしてルーをまっすぐに見つめる。

 そのラルフを見て身構えるルー。


「な、なんでしょうか?」

「お前は誰だ?」

「私は…ルーです」


 恐る恐る答える。


「ルー…でいいんだな?」

「はい…」

「なら聞かせてくれ。お前はさっき、王女としての立場を捨てたんじゃなかったのか?」


 ラルフに問い詰められるような顔を向けられるルー。加えてラルフの声は若干低い。

 ルーはこれまで生きて来て、今のラルフような顔を向けられた事がない。誰もが気を使い優しく接してくれた。誰もが敬って接してくれたのだ。しかし、目の前にいるラルフはそんなルーの立場を一切考慮しない。だからルーは緊張した面持ちで答えた。


「王女としての立場を使えば、買取りを高くしてもらえるだろうと。そう思って自分の立場を利用しました。それにもうすぐこの国を出るのでさほど問題にもならないだろうと」


 ルーは正直に自分の思いを伝えた。ラルフと共に生きると決意し、ラルフとの旅に少しでも金銭的な余裕が欲しいという考えを持ったからだ。


「そうか…分かった。だが悪いが今後はそういうのはよしてくれ。もちろん今回もだ」


 ラルフは別に怒った口調ではない。寧ろルーに気を使っているほどだ。本来であるならば、「ダメだ」の一言で終わらせている。

 ルーもそれを理解していた。それでもラルフに断られるのがショックだった。これから否応なしに金が必要となるのに、どうしてダメなのか、なぜダメなのか。ラルフに理由を尋ねたいが、ルーは萎縮して尋ねる事が出来なかった。


「ごめんなさい、ラルフ君。私は部外者なんだけれど、でもギルドの職員として、開拓者の安全を願う1人して、どうしても安く買取ってもらうことに納得出来ないの。理由を教えてくれないかしら?」


 代わりに横でやり取りを見ていたイリーナがラルフに尋ねる。イリーナもルーの意見に賛成であった。ラルフがなぜそれを拒否するのか、イリーナも納得出来ないでいた。出来る事ならラルフの考えを変えたいと思っていた。

 ルーもその理由を知ろうとラルフの顔を覗き込むようにしている。


「簡単に言えば、俺のわがままです」

「わ、わがまま?」


 イリーナは拍子抜けた表情をする。

 ルーもイリーナ程ではないが、驚いた顔をしていた。


「ラルフ君のわがままだったら、そのわがままを曲げてはダメなの?」


 ルーが言えない言葉をイリーナが代弁する。

 するとラルフは軽く息を吐き、少しだけ笑みをこぼす。


「本当ならイリーナさんやルーの考えるように王女という特権を行使して、少しでも高く買取ってもらうのが正しいんでしょうね。実際にこれから俺には想像出来ないくらい金が必要になるんだろうから…」

「だったら——」

「——俺は弱い人間です。一度ルーの王女としての立場に頼ってしまったら今後も何かとその立場を利用するかもしれません」

「でもそれは誰でもすることよ。それが普通よ。何も悪い事ではないわ」

「確かに普通の事なのかもしれません。俺にはよく分かりませんが。これが要領良く立ち回るって事なのでしょう。でも俺はそれをやりたくないんです。俺が俺で無くなるような、そんな感覚がするんです……ダメでしょうか?」

「————!」


 この言葉を聞いたルーは目を大きく見開いた。


(そうだ…これがラルフだ)


 ルーは、ラルフの姿を影ながら見守っていた姿を思い出す。

 自分の力で開拓者になると決め、本当に自力で1000Jの金を集めたラルフを。

 ラルフは端的に言えば不器用である。もちろんこれは生き方だ。愚直と言えば聞こえはいいかもしれないが、やはり不器用と言うのが的確だろう。他人が嘲笑うほどに。「なぜそこまでするのか?」と呆れるほどに。

 場合によってはレオナルドやルーを脅し、お金を強要する事も出来たはずだ。イリーナに融通を利かせてもらい、ギルドに買取りを行ってもう事も出来たはずだ。

 しかし、ラルフはそれをやらなかった。不器用な生き方を貫いた。まるでその生き方しか知らないように。


(きっと彼のお母様のように誇り高くありたいのでしょう。恥じるような生き方をしたくないと)


 ルーはラルフがどこまでも不器用でまっすぐな人間であり、そんなラルフに自分が惹かれ、尊敬の念を抱いた事を再認識した。そしてラルフに納得した顔を向ける。


「私が間違っていました。ラルフの言う通りにしましょう」


 ルーの急な態度の変化に若干驚きを見せるラルフ。


「いいのか?悪いな」

「いえ、あなたが決めた事に私は何の文句もありません」


 笑顔を向けるルー。


 イリーナもルーが納得してしまえばこれ以上何も言う事が出来ない。それにイリーナ自身もラルフはこういう人間だったと思い返していた。だが敢えて1つだけラルフに注意を促した。


「2人が納得したならそれでいいわ。でもね、ラルフ君…そのわがままのせいで大きな代償を払う羽目になりそうなときは、その時は迷いなくそのわがままを捨てなさい。極論になってしまうけど、わがままのせいで命を落とすことになりそうとか」

「それはもちろん、分かっています」

「ならいいわ。それと今回の件とは違うけど、誰かに頼る事は何も悪い事じゃないからね。自分じゃどうしようもない時は人に頼る事。何でも自分で解決しようとしちゃダメよ。それを忘れないで」

「はい」


 ラルフは笑顔でイリーナに答えた。



 部屋の外で待たされていた宝石商はイリーナに呼ばれもう一度部屋の中へ入る。


「どうですか?大丈夫そうですか?」


 大丈夫。この言葉は王女のサインをし、50000Jで買取ることを構わないか?という意味を成していた。普通に考えればこちらを選ぶだろうと。


「店主、先ほどお願いした通り、サインは致しません。20000Jでの買取りを希望します」

「なっ!?」


(先ほどの態度からすればシンシア様もそしてあのギルドの職員も20000Jで売ることに難色を示していたはずだ。なぜだ?)


 宝石商がルーの顔を見るが今は納得した様子が伺える。


「…よろしいのですか?」


 宝石商は食い下がりたいが、相手は王女である。そう何度も食い下がるわけにはいかない。


「はい、お願いします」

「分かりました」


 宝石商は悔しい気持ちを滲ませながらしぶしぶ了承した。


(くそっ、儲け話が吹き飛んでしまった。これでもいい買取りなのにものすごく損をした気分だ)


 気落ちしているのか肩を落としながらルーに金を渡す。10000Jの硬貨を2枚。

 その硬貨に1人驚いていたのがラルフ。


(あれは…10000Jの硬貨か。初めて見た)


 その様子に反応した宝石商がラルフに声を掛ける。


「本当によろしいんですね?今ならまだ間に合いますよ?」

「い、いや、大丈夫だ。20000Jで問題ない」

「そうですか…」


 宝石商は内心舌打ちをした。


「買取りの方はこれで終わりましたが、うちの商品、少し持ってきましたので拝見しますか?」


 王女から少しでも利益を得ようと必死に食い下がる宝石商。その商売魂は伊達じゃない。


「いえ、結構です」


 またがっくりと肩を落とす。これはわざと大きめにリアクションをした。ルーに少しでも負い目を感じさせて、何かの縁に繋がればいいと考えていた。


「それで店主、お願いがあるのですか?」

「お願い?」


 宝石商はルーの言葉に嬉しそうに反応する。


(おぉ、早速効果があったか?)


「今日、私がここにいた事、店主と取引した事を誰にも言わないで欲しいのです」

「えっ?」


 宝石商はルーが取引したことを来店するなじみ客に口外しようと考えていた。王族と取引がある店。証明する物は無くとも話すだけで店の品位や信用は上がる。しかしそれさえも王女に禁じられてしまうというのだ。さすがにこれには本気で落胆せざるを得ない。


「店主、どうかよろしくお願いします」

「————!」


 声には出さないが、宝石商はこの時ルーを見て、衝撃を受けていた。なぜならルーは、店主に頭を下げていたからだ。

 身分の上の者が身分の低い者へお願いをすることはよくある事だ。 そしてお願いは自動的に「命令」という意味を表す。これは当たり前の事であり、それを身分の高い者は平気で行う。

 しかし、今、目の前にいる王女のしている事はこれに当てはまらない。王女は一平民にこうべを垂れ、文字通り本当に「お願い」をしている。 本来であるならば、王女が平民へ頭を下げる事などあってはならぬことである。その非現実とも言える事象が今宝石商の目の前で起きている。


(このような私に向かって…シンシア様が頭を下げてくれている)


 商人は利益を追求する事が真理と言ってもいい。その点で見れば今日の取引は失敗と言える。目の前にぶら下がる利益を悉く掴み損ねた。

 そして今、煮え湯を呑まされるような思いであってもいいはずなのにどこか胸が熱くなっていた。それはこの国の王女の到底相応しいと呼べない態度が原因であった。だが同時に民を大事にするシンシア(ルー)らしいと嬉しく、誇りに感じるのであった。

 宝石商はルーに向かって敬意を表すように膝を付いた。


「シンシア様、仰せのままに」

「ありがとうございます」


 ルーも笑顔で感謝した。

 ルーは髪飾りを20000Jで売却し、これで当面の金の心配は無くなった。

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