第28話 シンシアの覚悟

 その日、シンシア(ルー)は久方ぶりに親子水入らずの時間を過ごすことが出来た。

 父と離れる寂しさもあるが、父と真剣に語らう事の出来た嬉しさ、そして秘めていた真実を告げる事が出来たことに心は幾分か軽くなっていた。


 父親のハワードの寝室から退出するシンシア。窓から刺す朝日に気が付く。


「大変!もう夜が明けてしまっている」


 急いでギルドの方へ向かおうとした時、シンシアはその男と出会う。


「姫様、こんな朝早くからどこへ行こうとしているのです?」


 シンシアの目の前にいる男、それはレオナルドだった。

 アルフォニア王国騎士団、副団長。正義感が強く、国のためなら自分が犠牲になるのも厭わない、正に騎士道の教科書通りの人物…それがレオナルドである。己の存在は己のためではなく、国のためにある。国のためにある事が、また己のためにもなる。

 そんなレオナルドの事をシンシアは誇りに思い、尊敬していた。またかつての自分は好意を寄せるほどであった。

 だがラルフと出会い、真実を知ったあの日からレオナルドに対し畏怖を覚えた。純情なシンシアでは、レオナルドの行った所業を到底受け入れる事が出来なかった。

 またレオナルドが並々ならぬ覚悟を持って騎士を務めているとはこの時まで知る由もなかった。それもあって、レオナルドと正面から向き合い、目を見て話せなくなった。そんな期間が実に1年以上も続いた。

 だが今日は違う。シンシアはここでレオナルドともう一度向き合う事を決めた。


「レオナルドにはきちんと謝罪していませんでしたね」

「姫様、何の事です?」

「あの日、母を助けてもらったことは感謝しています。その気持ちは今も変わりありません。そして…あなたに辛い十字架を背負わせてしまったこと、本当に申し訳なく思っています」


 シンシアはレオナルドに向かって深々と頭を下げる。


「姫様、お止め下さい!」

「それと…レオナルドにもらった私がしているこの髪飾りはお返しします。私にはもう必要ありません」

「な、なぜそのようなことを言うのです?」


 シンシアは冷静だ。

 対して、レオナルドはひどくうろたえている。


「私は騎士として活動する中でこの長い髪が邪魔でした。この髪を切ろうか悩んでいた時にあなたはこの髪飾りをプレゼントしてくれました。おかげで髪を切らずに済みました。ですが…」


 シンシアの言葉が止まる。今一度、自分の覚悟を確かめる。そしてレオナルドにその覚悟を示す。


「私がもう騎士として活動する事はありません」

「なっ…!」

「ですのでこの髪飾りは必要ありません。お返しします」

「先ほどから姫様の真意が分かりません。最近は私の事を避けていらしたのに、なぜ急変して私に謝罪や騎士を辞めるなどと言うのです?」

「私は…」


 レオナルドはひどく胸がざわついていた。これからシンシアが自分にとって最も望んでいないことを口にするであろうと察していた。シンシアが自分に謝罪してきたこと、そして冷静でいること。それは多分覚悟の現れなのだろう。だがレオナルドにはそのような覚悟はない。だからこそうろたえるという態度になって表に出ていた。


「レオナルド…私はこの国を出ます」

「————!」


 その言葉を聞いた瞬間、胸のざわつきは確かな重しとなってレオナルドにのしかかった。心が痛み、全身がひどく重たい。


「なぜ…なぜ国を出ようとするのです?お答えいただけませんか?」


 騎士として常々気丈に振る舞うことを心掛けていたレオナルドだが、今はそれを忘れ、自分の感情のままに辛い表情を前面に出し、シンシアに尋ねる。


「私は…ラルフに付いて行きます」


 顔をひどく顰めるレオナルド。


(やはり…あの男の元へ行くのか)


 あの日、シンシアが偶然のようにスラム街に向かったのは、運命からしてみれば必然の出来事だったのだ。ラルフという歯車とシンシアという歯車は合わさり、大きく運命が動き始めた。そう、全ては決められていた事のように。

 逆にレオナルドからしてみれば、自分という存在は役目を終え、シンシアから大きく離れてしまうようなそんな感覚に陥っていた。


(やはり…あの日姫様をスラム街へ向かわせるべきではなかった)


 運命が「あの日の出来事は必然だった」とレオナルドに告げているが、レオナルドはそれを酷く拒んだ。到底受け入れられるものではなかった。それほどまでにシンシアの存在はレオナルドにとって大きかった。国のために尽くす事が出来たのは、王女であるシンシアの存在であると言っても過言ではなかった。


「姫様、私は反対です。一国の王女が…1人の男のために国を出るなどと、正気ですか?」

「えぇ、もちろん正気です」

「確かにあの男との過去には因縁があります。ですがだからと言って国を捨て付いていくなどと…この国にとって姫様は必要な——」

「——もう決めた事です!」


 国の王女として、民を守る立場として、レオナルドの方が正しいことを言っているのは明白だった。しかし、その正しい事と自分の取りたい行動がいつもイコールになるわけではない。寧ろイコールにならない事の方が大きい。そう分かっていながらも人間は正しい行動よりも自分の気持ちを優先させてしまう生き物である。理性という歯止めは膨れ上がった願望の前には何の意味も成さない。

 シンシアはレオナルドの言葉を遮ってまで自分の意見を押し通した。父親の背中を押されたシンシアにとってその覚悟は確固たるものになっていた。

 髪飾りを外し、レオナルドに両手で丁寧に差し出す。


「先ほど言った通り、髪飾りはお返しします。ありがとうございました」

「…これは姫様に差し上げたものです。今さら私に返されても困ります。姫様のお好きなように処分してください」


 レオナルドは髪飾りを受け取るのを頑なに拒んだ。プライドもあったが寧ろこれを受け取ってしまえばシンシアのとの繋がりが断たれてしまうという気持ちが強かった。この髪飾りをシンシアが持ってさえいれば自分の事を思い出してもらえるかもしれないという淡く切ない気持ちを持っていた。


「そうですか…では私の好きにさせて頂きます。レオナルド、今までありがとうございました」

「姫様、お待ちください、姫様!」

「私は………今も昔も変わらず…レオナルド、あなたの事を誇りに思い、そして尊敬しています」

「姫様…」


 シンシアはレオナルドを振り返ることなく、背中を向けてその場を立ち去った。



「…ルー……おい、ルー!」

「————!」


 ラルフの言葉を聞いて我に返る。


「聞いているのか?」

「……ごめんなさい」


 ラルフはルーの顔を見て察する。


「お前に売って良さそうな持ち物は無さそうだな。仕方がないか」


 ルーはもう一度髪飾りを見つめる。

 そしてすぐに振り切るようにラルフを見た。


「この髪飾りを売りましょう。結構な額になるはずです」

「いいのか?なんだか大切そうな物に見えたが」

「いいんです。これは長い髪を止めるために使っていたのですから。その髪が無い今の私には不要なものです」

「それならいいんだが…イリーナさん、これってギルドで買取りは?」

「大変高級な品であるのは分かるんだけど、ちょっとギルドでは専門外ね」

「…そうですか。それなら国を出る前にどこかで売るしかないか…」

「あまりラルフ君とルー様が表立って歩くのは良くないわ。宝石商をここに呼びましょう」


 イリーナは職員を呼び、指示を仰いだ。

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