第26話 新たな仲間

 前日の夜、ハワード国王の寝室に入ったシンシア。父と娘が対峙する。

 身分が高くなると、2人で話すことも容易では無くなる。現にシンシアがハワードと2人で話すのは本当に久しぶりのことであった。

 ハワードは水差しからコップに水を注ぐ。


「シンシア、お前も飲むか?」

「…いえ、結構です」


 ハワードは軽く息を吐く。


「どうやら明るい話ではなさそうだな」


 ハワードはシンシアの声のトーンで察した。コップに注いだ水を一口飲み、ベッドへ腰かける。


「シンシアもこちらに来て座りなさい」


 しかしシンシアはそれを拒否する。父の横に座り、仲良く話せるような心持ちではなかった。


「話というのは今日の昼間に揉め事を起こしたことか?」

「…ご存じだったのですか!?」

「あぁ、聞いたよ。お前がロンという貴族を殴った事は聞いている。品位の欠けた貴族の悪意から民を守ったのであろう?殴ったことについては少々やり過ぎかもしれんが、民を守ったシンシアにどこに非がある?」

「お父様…話はそんな簡単なことではなく、もう少し複雑になります」


 シンシアはゆっくりと息を吐く。


「確かに私は怒りに任せ、ロン様を力任せに殴りました。それは事実です。ですが私がお父様に話したかったこととは直接関係ありません」


 ハワードは顔に手を当て、不思議な面持ちをする。


「では一体何を話したいのだ?」

「本日の昼、ロン様が手を出した民の名はラルフという人物です。スラム街と呼ばれた第四セクター出身の者です。お父様、スラムの住民たちは平民であるのに「はぐれ者」と呼ばれているのはご存じですね?」

「…あぁ、知っているとも」

「そのラルフという人物はそのスラムの中でも有名な人物です。はぐれ者と呼ばれた者たちでさえ、食べる事を躊躇するような物でさえ平気で口にします。腐った物はもちろんのこと、生きている虫でさえも。その姿はまるで泥をすするようで、「ドブネズミのラルフ」と多くの者から虐げられています」


 ハワードはシンシアが以前から町に繰り出し、民と触れ合っているのは知っていた。しかし第四セクターにまで足を運んでいたことはここで初めて知ったのであった。

 常に陽の当たるような場所で生きて来た娘が陽の当たらない陰を知る。

 シンシアのショックが大きいのは容易に想像できる。


「バカな貴族がそのラルフという者を虐げる姿にシンシアは我慢ならず殴ったという事か?」


 ハワードは娘の話から推測し、勝手に答えを導きだしていた。


「お父様、話はそんなに簡単ではないと言ったはずです」

「では一体どういうことだ?」


 ハワードは話が思わぬ方向へ反れたことに疑問を呈す。

 しかしシンシアは話そうとしない。加えて表情はとても辛そうにしている。


「シンシア、話してくれないと相談に乗ってあげる事が出来ない。辛いのは分かるが話してくれないか?」

「お父様…覚悟はおありですか?」


 逆にシンシアに問いただされ、面を食らうハワード。


「待て、覚悟とは何だ?シンシア、先ほどからお前の様子が少しおかしいぞ?…そんなに深刻な話なのか?」


 シンシアはただ黙って頷いた。

 ハワードは先ほどより大きく息を吐く。


「…分かった、話を聞こう」


 ハワードは覚悟を決めた意志をシンシアに示す。

 その覚悟を受け取ったシンシアもまた息を吐き、自らも今一度覚悟を決める。しかし、その表情は暗い。


「8年前、お母様は奇跡の実を食べて一命を取り留めたのは覚えていらっしゃいますよね?」

「8年前のことか?あぁ、覚えているとも。レオナルド副団長が持ち帰ってくれた。あの時は本当に奇跡が起きた」


 ハワードはあの時の出来事を感慨深く思い出す。

 そのハワードを見て、シンシアはかつての自分を投影した。奇跡の実を手にしたレオナルドを見た時、どれほど嬉しかった事か。

 自分の父であるハワードの中でも同じようにあの日が美しい思い出である事を悟る。

 だがその美しい記憶も………


「その奇跡は…実は捻じ曲げられていたものだとしたら?」

「————!」


 ハワードは顔を歪める。


「シンシア、お前は一体何を知っているんだ?」


 ここまで何を言われても娘の相談に応えようと、ハワードはどこか余裕の表情をしていた。しかし、シンシアが口に出した事が自分の予想をはるかに超える内容だったために、顔から余裕は消え去った。

 まさか、8年前の奇跡の揺らぐような事を言い出すとは。


「その奇跡の実を見つけた者がレオナルドでなかったとしたら?」

「何!?」

「8年前のあの日、同じ時に、病に苦しむ母のために、当時7歳の少年が危険を顧みず、魔界で奇跡の実を探していたとしたら?そして幸運にも少年はその奇跡の実を見つけ、手に入れたとしたら?」

「ま、待ってくれ…」


 ハワードは全身の血の気が引く。驚きのあまり声に言葉にならない。


「実はレオナルドは奇跡の実を見つけたのではなく、その少年から奪った物だとしたら?」

「それは…本当なのか?」


 シンシアは返事をしない。なぜならシンシアは咽び泣き、大粒の涙を流していたからだ。

 泣き崩れる自分の娘の姿を見ることでハワードはこれが事実なのだと理解した。


「レオナルドは国のため、そして何より私のために罪を犯しました。少年から奇跡の実を奪い取り、それを持ち帰って来たのです。私たちはそのような事実を知らず、ただ目の前に起きたことを奇跡のように捉え、それを享受していたのです。」

「なんてことだ…」


 ハワードは目の焦点が合わず天を仰いでいる。


「私は…今まで何も知らず、のうのうと生きて来たのか…」


 ハワードは力なく崩れた。

 アルフォニアの王として、苦渋の決断を迫られたことは幾度も経験している。人の死も何度だって経験している。

 国王という立場は尋常な精神では耐えることの出来ない重圧がのしかかる。それに耐え、今日まで王として君臨してきた。

 しかし、シンシアの告白はハワードのその屈強な心をたやすく揺るがした。

 自分たちが手にした奇跡とも言える幸せは、奇跡でも何でもなく、他人から強奪することで得た嘘と罪で塗り固められたものであり、ハワードの心を抉るには十分な真相であった。それは多分、王としてではなく、1人の人間としての部分が大きいのだろう。


「その少年の母親は?」

「流行病に打ち勝つことは出来ず、亡くなっております」

「シンシアはその事実をいつ?」

「…1年前に知りました」

「なぜ私に話さなかったのだ?」

「今のお父様のように大変ショックを受けるのが容易に想像出来、心身に支障をきたすと思いましたので」

「そうか…すまなかった」


 しばらくの間沈黙が流れる。どちらも話すことはおろかお互いの顔を見ようともしない。

 ハワードは自分を落ち着かせるように息をゆっくり吐いた。


「今日、シンシアが守ったラルフがその時の少年なのだな?」

「…はい」

「ラルフにケガは?」

「あちこち切り傷がありましたが、開拓者ギルドで治療を受けたので大丈夫です」

「そうか、良かった」

「それでお父様にお願いがあるのです」


 シンシアは涙を拭い、立ち上がる。その場には覚悟を持った娘が立っていた。

 ハワードはそこで悟った。

 最初、一報を聞いた時は信じられなかった。純情な娘が人を殴ることなど到底できるはずもないと考えていた。しかし、今なら納得が出来る。娘は変わったのだ。

 スラムに足を踏み入れ、国の現状を知り、そしてラルフという男に出会った。運命の歯車は回り始めたのだ。


「…言ってみなさい」

「まず、今日の出来事でロン様が報復して来ると思われます。その対象は私たちにではなく、ラルフに」

「ロンは…確かメディーナ家か?」

「はい、それを何としてもラルフに危害を与えぬよう阻止して欲しいのです」

「それについては安心しなさい。メディーナ家が何か起こすようなことは絶対にない」

「起こらない?」

「あぁ。メディーナ家はいろいろと悪い噂を聞いていてな。調べてみたらいろいろと上がったよ。横領なんてものはどこの貴族も多少なりやっているから目を瞑るが、このメディーナ家は目が瞑ることが出来ない事をやっていてな。近々当主を捕えようとしていたところだ。だが今回の件もある。手出しが出来ぬようすぐにでも手を回そう」


 それを聞きシンシアは安堵の表情を浮かべる。


「ありがとうございます、お父様」


 だが、シンシアはすぐに表情を真剣な表情に戻す。


「まだ他にもあるのか?」

「ラルフは国を出るとの事です」

「なぜだ!?メディーナ家に手は出させん」

「今回の件で目立ち過ぎたと。他の者が自分に何やら仕掛けてくると懸念しております。それを否めません」

「ふむ…」


 ハワードは顔を顰める。

 確かに今回の1件でラルフの事を知ったどこかの貴族がまたラルフに手を出すことが考えられる。そういった時には何も手を貸すことが出来ない。


「——お父様」


 考えあぐねていたが、娘の呼ぶ声で我に返る。


「お父様、わたくしシンシアは…ラルフの後を追いたいと思っております」

「何!?」


 その一言がハワードのこれまでの思考を全て吹き飛ばした。


「わがままを言っていることは自覚しています。それにまだラルフから共に行動する許可も得ていません。ですが断られようとも私はラルフにこの身を捧げたいと思っています」

「捧げる?表現としてはいささか過剰だと思うのだが」

「…私は自分の命を一度ラルフに捧げた身だからです」

「ど、どういうことだ?」

「1年前、お母様の真実を知った時、私は許しを請いにラルフへ会いに行きました。その時のラルフは激情の渦の中におり、お母様を殺すと言っておりました」


 ハワードは思わず唾を飲み込む。

 やはり時が流れても決して許されるはずの事ではないのだ。全てを黒く塗りつぶしたくなるほどの感情がラルフに芽生えさせてしまったのだ。


「ラルフにお母様は亡くなったと伝えました。するとラルフはお父様を殺すと言っておりました。ですがそんなことは許されるはずもなく…それで私はラルフに剣を差し出しました。代わりに私の命で許して欲しいと」

「…なんてバカなことを」


 ハワードは1年前、そのような事情を知らぬどころかそんな緊迫した状況になっているなど知る由もなかった。


「ですがラルフは私を殺しませんでした」


 過去の出来事とは分かっていてもハワードは胸がざわついた。

 もしかしたら今ここに自分の娘は存在しなかったかもしれないのだ。


「私は自分の命を一度捨てた身。その命が幸運にも…いえ、幸運ではなく必然なのかもしれません。ラルフの母親の教え、そしてラルフの心の強さが私の命を長らえさせました。そのラルフが今、国を出ようとしています。そして新しい国で彼は開拓者として活動を始めるでしょう。ですがそれは余りにも危険です。土地勘も分からず装備もお金のない状況の中、魔界で活動すればあっという間に命の灯火は消えてしまうでしょう。それならば、私は…ラルフ助けたい。彼の支えになりたいのです」


 シンシアの訴えはもうそう決めたと決心とも言えるものであった。

 その表情を見て、ハワードは悟る。 


(もう何も言っても我が娘を変えることは無理だろう)


「シンシア…行ってきなさい」

「えっ?」


 シンシアは驚きの表情を浮かべる。反対されると思っていた。

 もちろん反対されてもシンシアはラルフに付いて行くことに変わりはないが。


「いいのですか?」


 ハワードは笑みをこぼす。


「止めても無駄なのだろう?」


 シンシアはハワードが自分の考えに気づいていることを理解した。


「一つだけ確認だ。お前は国王の娘として、随分不自由な暮らしを強いられていたのは分かっている。窮屈で辛かっただろう。だが、これからお前が王女としてではない生き方も同様に辛く厳しい生き方になるのは分かっているな?」


 シンシアは冷静にそして丁寧に「はい」とだけ答えた。


「なら何も言うまい。シンシア、父の元から旅立つ前にこちらに来てくれないか?我が娘の顔をこちらに来てよく見せておくれ」


 シンシアはハワードに近づく。

 そしてハワードは自分の娘を抱擁した。


「シンシア、辛い思いをさせて済まなかった」

「お父様………」

「どこへ行こうともお前は私の最愛の娘だ。いつでも帰っておいで。そして出来る事ならその時はラルフに私も謝罪させて欲しい」


 父と娘はお互いの愛を確かめ合うよう、強く抱き合うのだった。




「国王陛下の許可は得ています」


 シンシアはラルフとイリーナへ端的に告げた。


「王女を国の外へ出すって…」


 イリーナは未だに信じられないといった顔をしている。


「話を折る様で申し訳ないんだが、この国の王女と一緒に歩いていたら俺にはもっと面倒なことが降りかかって来るんじゃないか?」


 ラルフが冷静に的を射たことを言う。


「確かにラルフ君の言うとおりね」

「お前が俺のために手を貸してくれるというのは分かった。だが正直ありがた迷惑だ」

「ならば…私はアルフォニア王国の王女としての立場を捨てましょう」


 そう言って、シンシアは急に剣を取り出す。

 何を思ったか、その剣を自分の首の後ろへと持って行き、自慢の髪に当てる。


「おい!?」

「シンシア様、何を!?」


 ラルフとイリーナが止めに入る。

 しかし、シンシアは2人の制止を聞かない。なんと剣を引き、肩から下の髪を切ってしまったのだ。


 「おい…」


 光に照らされるシンシアの金色の髪は、滑らかで艶やかな大陸一美しいと言われるほどであった。まるで自身の華やかさを見せつけるような。

 だがそれも今この瞬間を持って捨てる。シンシアは新たな一歩を踏み出すために、そして王女としての立場と決別する思いで断ち切ったのだ。

 窓を開け、金色の髪を持った手を外に出すシンシア。風が吹き、その黄金に輝く美しい髪は空へと舞って行く。

 シンシアは窓を閉め、改めてラルフと向き合う。


「ラルフ、私に新しい名を下さい」

「…どういうことだ?」

「シンシアと名乗っては他国でも気付かれるやもしれません。だから私に新しい名を下さい」

「待て、お前は本当に俺と行動を共にするのか?」

「はい…私はあなたと共にありたい。まっすぐで愚直に生きるあなたと共に」

「俺はあの時のことは決して忘れない。俺はいつお前を裏切るか分からないぞ?」

「構いません。ですが私は絶対にあなたを裏切らないと誓います」


 ラルフは目を鋭くさせる。一見睨んでいるように見えるがラルフはそれほどまで真剣にシンシアを見つめていた。

 そしてシンシアも覚悟を持ってラルフを見つめる。決して目を反らさず、瞬きもせず。


「…分かった。よろしく頼む」

「ありがとうございます」


 シンシアはラルフに感謝し、深々と頭を下げる。


「それで…名前なんだが、別に俺が決めなくていいんじゃないか?お前が勝手に決めればいいんじゃないか?」

「いえ、あなたに決めて頂きたいのです」


 するとイリーナがラルフの肩を叩く。


「ラルフ君、シンシア様の覚悟に応えて上げなさい。ラルフ君が名前を決めるべきよ」

「う~ん、でも名前を急に決めろって言われても…おい、何か希望はないのか?」

「希望ですか?あの…出来れば「ラルフ」の名から取って名前を付けてほしいのですが」

「俺の名前から?」


 ラルフは一瞬目を瞑り、腕を組む。しかし、あまり深く考え込んでも無駄だと結論付けたようで、


「「ルー」。お前の名前は今日から「ルー」だ」


 シンシアはとても嬉しそうな顔をする。


「ルー!分かりました。私の名は今日からルーです!」

 

 この時をもって、シンシアは「ルー」となり、ラルフの仲間となった。

 

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