第25話 過去を背負う

「シンシア様、今何と?」


 シンシアはラルフの方に話しかけたのだが、問いただしたのはイリーナだった。ちなみにラルフも同じことを聞こうとしたのは言うまでもない。


「ラルフに私を一緒に連れて行って下さいと言いました」

「付いて行くって、お前…」


 口から洩れるような声を出すラルフ。


「勝手なことを言っているのは重々承知しています。ですがどうか私の願い、聞き入れてくれないでしょうか?」

「………」


 ラルフは険しい表情をシンシアへと向ける。

 今までのシンシアなら、ラルフに険しい表情を向けられれば否応なしに表情が崩れていた。しかし今日は怯まない。その決意に満ちた表情は、まっすぐにラルフを捉えていた。


「確かに昨日も、その前もお前に救われた。それは事実だ。しかしお前たちは助かったかもしれない母さんの命を奪った。それもまた事実だ」

「…はい」

「俺はお前に感謝している。が同時にお前を恨んでもいる。多分この恨みは簡単には消えない」

「承知しています」

「それに1年前、俺はお前に「もう二度と俺の前に姿を見せるな」と言ったはずだが?」

「それは…」


 ここでようやくシンシアは視線を下げる。当時の事を思い出す。

 自分の命を捧げることでラルフに許しを得ようとした時の事だ。

 ラルフはシンシアを殺しはしなかったが、別れ際に放たれた言葉だ。


「ちなみに俺が断ったらお前はどうするんだ?」


 俯いたままのシンシアにラルフは声を掛けた。

 シンシアは少し考えるような素振りを見せ、そしてゆっくり顔を上げた。その表情はまた力強いものへと戻っていた。


「そうなればあなたを後ろから見守るだけです。ついて行くのには変わりありません」


 ラルフの表情が歪む。少し呆れた表情をしていた。

 確かに表向きとしては関わらない体裁と言えるかもしれない。しかしそれは単なる言い逃れに過ぎない。


「なぜそこまで俺に関わろうとする?俺がこのまま国を出て行けばせいせいするだろう。お前たちにとって、俺や母さんの事は消し去りたい過去のはずだ」

「それは違います!」


 シンシアはきっぱりと否定した。


「私にとってラルフやあなたのお母様の事は決して忘れてはならぬ事です。消し去りたい過去などではありません。私がそれを忘れてしまえば、私は人では無くなります」


 ラルフは反応しない。ただ黙ってシンシアの言葉を聞く。


「私はあなたとの過去を忘れるつもりも消すつもりもございません。私はその過去を背負い続けます」

「…お前は俺への罪滅ぼしのために付いていきたいと?」

「最初はそう思っていました。でも今はそれだけはありません」

「それだけじゃない?」

「私が突き落とした暗い闇の底からあなたは立ち上がり、前を向き、愚直なまでにまっすぐであろうと懸命な姿に感銘を受けました。今の私はただ、ラルフと共にありたい。そして支え続けたいのです」


 嘘偽りのない自分の気持ちを素直に伝えるシンシア。真剣であるのは先程から変わりないのだが、加えてどこか懇願するような表情でもあった。

 それを見ていたイリーナは微笑む。


「ラルフ君、シンシア様はラルフ君のことが好きになったのよ。私と同じ」

「「えっ?」」


 ラルフもシンシアもイリーナの言葉に顔を赤らめる。

 ただ、その度合いはシンシアの方が大きい。


「ラルフ君とシンシア様に壮絶な過去があった事は昨日まで全然知らなかった。でもそれを抜きにしても私はラルフ君にずっと前から惹かれていた。スラム出身の厳しい環境下に居る中で、ひたむきであり続けるラルフ君の事を私もずっと気に掛けていた。それと同じ」


 ラルフは下を向き、照れるように頭を掻く。


「でも同時に危ういと思ったのも確かよ。ずっと1人で戦い続けて来たラルフ君の事が常に心配だった。スラム、魔界という過酷な環境に身を置き、こう言ったら失礼かもしれないけれど、あなたは幸運にも生きて来られた。だけどその幸運がいつまでも続くか分からない。それはラルフ君も痛感しているよ。昨日の事がそう。人の悪意はどこからともなく突然降ってかかるようにやってきて、これまで積み上げてきた物を理不尽に奪い去るようにどこまでも牙を向く。ラルフ君はこれからもずっと1人で抗い続けるつもり?」


 神妙な顔をするラルフ。

 これまで幾度となく悪意に晒されて生きて来たラルフ。昨日の出来事も降って湧いてきたような事だった。そして自分にはどうする事も出来なかった。

 全てを諦めようとした…生きる事さえも。

 そう考えると今ここで立っていられるのが不思議なくらいである。


「私もラルフ君の力になりたい。でも立場もあるし、やっぱり限界がある。だけど今、ラルフ君と常に一緒にいたいと言ってくれているシンシア様がいる。それってものすごくありがたい事なのよ?」

「でもこいつは、この国の王女なんですよね?王女が俺みたいなのと一緒にいるだなんて、大丈夫なんですか?」

「…そこはちょっと正直私もびっくりしているし、引っかかっているの。シンシア様、ラルフ君に付いて行きたいのは理解できるのですが、王女としての立場はどうするのですか?」


 2人は再びシンシアへ視線を向ける。


「それについては問題ありません」


 シンシアはあっさりと答えた。


「私は王女としての立場を捨てます」

「————!」


 ラルフとイリーナはまた同じような驚きに満ちた表情を見せていた。しかし、今度は2人とも言葉を失っていた。

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