第10話 届かぬ想い

 先日、シンシアは孤児院を訪れ、ラルフが懇意にしていた少年たちと出会う。そこでラルフが再び開拓者を目指すために歩み始めたことを聞いた。その話を聞いた事で自身が活力を取り戻した事に少し驚きながらも、シンシアもまた騎士団としての活動を再開する。


 騎士団は魔界で活動することが多い。1つは訓練のため。そしてもう1つは実際に魔界探索をするためだ。騎士団は皆、開拓者として登録されている。

 シンシアも何も疑問を持つことなく開拓者に登録した。当たり前のように鎧や剣を身に付け、欠かせない回復アイテムなどを持参する。そのことに何ら疑問を抱いたこともなかった。だが今は装備を見る度にラルフの事を思い出す。


(ラルフはきっとこんな装備無しで魔界に赴いているのですね)


 魔界で活動をしている時もどこかラルフの事を気にしていた。もしラルフが危険な身に晒されていたら他の何よりも優先して助けるつもりでいた。しかし、シンシアが活動する範囲でラルフを見かけることはなかった。


 その日も魔界探索を終え、成果物の買取りのためギルドを訪れていた。無論、買取りなどは他の隊員にお願いする。

 騎士団が魔界へ行く時は常時5人以上で行動をする。本格的に探索を行う時は数十人にまで膨れ上がる。シンシアが単独で行動する事は決してない。またシンシアに限らず、騎士団の規則の中に単独での魔界に行く事は禁じられている。

 そのため、王女であるシンシアが成果物の買取りを直接行う事は無い。いつもシンシアは先に城へ帰っていた。また時には別室に通され、ギルドの幹部と話をして時間を潰す事があった。

 だが、シンシアは変わった。この日は5人で活動していたが、シンシアは隊員たちと一緒に買取り査定の場所で一緒に話を聞いていた。これは今回に限った事ではない。騎士団の活動を再開してから欠かさずに話を聞いていた。

 そのためギルド職員も非情にやりにくかった。


「………」


 急に変わったシンシアに周りは困惑していたが、いつも護衛を兼ねて傍にいるレオナルドだけはシンシアの姿を黙ってじっと見つめていた。


 成果物の買取りを終えたところでシンシアはギルドの女性職員、イリーナへ尋ねる。


「あのイリーナさん、少しよろしいでしょうか?」

「はい、なんでしょう?シンシア様」


 イリーナは20代半ばに差し掛かる年齢で、毎日を忙しく過ごしている。結婚をしておらず、決まった相手もいない。見た目は決して悪くなく、スラっとした長身に赤い髪が良く似合う。働く事に生きがいを感じ、またギルドに働く事を誇りに思っていた。

 そんなイリーナを見た周りの反応も当然良い。綺麗であると同時に格好いいと思える女性であった。


「開拓者ギルドは開拓者で無い者の成果物の買取りを行わないのはこれからも変わりないのでしょうか?」

「はい、ギルドが成果物を買取るのは開拓者のみです。開拓者で無い者の成果物の買取りは行いません。私のような一介の者が言うのもなんですが、これに変更はございません」

「それはなぜでしょうか?」


 イリーナは無礼のないように努めようとしている。だが、なぜこのような問いかけをしてくるか真意が分からなかった。シンシアの顔を見れば、その問いかけが興味本意ではなく、至って真剣である事が分かる。


「端的に言うならば…線引きでしょうか?」

「線引き?」

「はい。成果物はギルドが買取り後、然るべき場所へ流通させます。ですのでギルドが責任を持って精査しなければなりません。もちろんその精査には労力も時間を要します。誰でも簡単に出来るものではありません。そのため開拓者に限定させて頂いております。このように線引きをしないと、ギルドに魔界の物を何でも持ってくるような者が溢れ、そうなると体制も保つことが出来なくなります。それ故の線引きです。ですが、その分開拓者の方々には責任を持って対応しますし、アドバイスも行うようにしています」


 要は自分たちに属した者たちは面倒をしっかり見るが、そうでないものたちの面倒を見るまでの余裕はないということ。これは至極まっ得なことであり、何も間違っていなかった。ギルドはボランティア活動ではないのだ。


「そうですか…」


 シンシアは納得せざるを得なかった。


「私個人としては本当なら全ての人たちの査定や買取りを実施したいのですが…開拓者になることが出来ず不自由な思いをしている者がいるのも存じております。ですが現実問題としてそれは不可能なのです」


 イリーナはギルドの職員としての答えで終わらせるつもりであったが、シンシアの真剣な眼差しを見て、一個人としての意見も答えていた。

 そんなイリーナの意見を聞き、シンシアは察した。これ以上問い詰める聞き方をするのはよくないと。


「ごめんなさい、勉強になりました。どうもありがとう」

「いえ、滅相もございません」

「後もう1つだけ…開拓者でない者たちの成果物の買取りは一体誰がしているのです?」


 少し言いにくそうな顔をするイリーナ。しかし、シンシアには正直に話すことにした。


「ここから少し離れた場所に開拓者でない者たちの専用の買取りの店があります…そこに行けば分かるかと」

「ありがとうございます」


 シンシアを含む騎士団はギルドを後にした。


「皆さんは城へ戻って下さい。私は少し行く場所が出来た故、そちらへ向かいます」

「では姫様、私もお供致します」

「レオナルド、私は1人で構いませんが」

「なりません。姫様にもしものことがあるかもしれませんので」

「…分かりました。それではレオナルド以外の方は城へ戻って下さい」


 レオナルドと2人で先ほどイリーナが言っていた場所の店へ向かうことにした。2人は会話すること無く、黙って歩く。

 シンシアとレオナルドの関係はあの日以降、変わってしまった。かつて時より見せたお互いを想い合うような素振りは影を潜め、今は完全に王女と騎士の関係になっていた。必要以上の会話をすることが無くなってしまった。

 シンシアはレオナルドが国や自分のためのことを思って行動したことは重々承知している。感謝しきれないほど感謝している。申し訳ないことをしたと思っている。だがこの出来事に対するショックが余りにも大きく、それがシンシアの心に影を作った。

 それもあってか、レオナルドに対し以前のような淡い想いを抱くことは出来ず、また以前のような接し方も出来ないのであった。


 一方レオナルドは未だにシンシアのことを変わらずに想っていた。そう思うことで自分を保っていたのかもしれない。

 国のため…そしてシンシアのため…

 かつてのレオナルドの想いは決して届かぬ想いではなかった。少なくともシンシアへ届いていた。叶わぬ想いであったが、届いていたのだ。

 しかし、あの日の出来事がさらに距離を離してしまった。叶わぬ上に届きもしない想いにまで成り下がっていた。

 ただ、レオナルドはシンシアが未だに自分がプレゼントした髪飾りを身に付けていた事を嬉しく感じていた。それを見る度にレオナルドの心は幾ばくか温かくなった。


 街を歩くシンシアは時々起こる声援に対し、いつものようににこやかに対応していた。

 しかし、イリーナの紹介した店のすぐ近くまで来た時、シンシアの目は大きく見開く。


「————!」


 シンシアは店から出て来たラルフを発見したのだ。


(ラルフ…)


 久しぶりに見たラルフは相変わらず痩せこけた体をしていた。恰好もみすぼらしいボロを身に纏っただけの状態だ。

 ずっと気に掛けていた相手に会えたという喜びという感情のすぐ後に不安や心配という思いがシンシアの心の中を駆け巡った。

 だが、ラルフの表情を見ると心なしか少し上機嫌に見える。

 それを見たシンシアの心も晴れる。


(ラルフの魔界での活動が上手く行ったのでしょうか?)


 声を掛けたい衝動を必死に抑えていた。

 しかし、その上機嫌なラルフの表情は一変する。ラルフがこちらの存在に気付いたのだ。

 一気に険しい表情になるラルフ。

 レオナルドはその瞬間、シンシアをかばうような形で前に出る。

 しかしシンシアはすぐにレオナルドを避け、前に出る。


「私たちは何もしません…何もしませんから!」


 シンシアは訴えかけるような声を出した。

 まるで「お願いだからそんな顔をしないで」と言っているように。

 しかし願い虚しく、ラルフの表情が変わることは無かった。相変わらずシンシアとレオナルドに対し、険しい表情を続ける。

 シンシアは焦りと緊張で頬に汗が伝う。

 ラルフは2、3歩後ずさり、そしてシンシアの元から去って行った。


 何事もなくこの場が納まったことに安堵の息を吐くが、すぐに下唇を噛みしめる。自分とラルフの間に埋めようもない溝が出来ていた。ラルフの表情がそれを物語っていた。

 不意にシンシアはシスターの「見守る」という言葉が甦る。自分にはそれしか出来ることはないのだと。自身がラルフを心配し、話しかける事さえも許されない立場にあることを再認識した。シンシアの想いもまたレオナルドと同様に届かぬ想いであったのだった。


 落ち着きを取り戻した後、シンシアはレオナルドに話しかける。


「レオナルド、私を守ってくれたことには感謝しています。ですがあの方に決して危害を加えないで下さい」

「分かっております」

「…私はあなたに対しても申し訳ないことをしたと思っています」

「姫様、私はそんな——」

「——ここで立って話を続けるような内容でもありません、行きましょう」

「…かしこまりました」


 シンシアはラルフが立ち去った店の中へと足を運ぶ。

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