第8話 神には誓えない

「おい、みんな起きろ」


 ラルフの声と共に少年たちは目を覚ます。朦朧とした意識の中、目の前にラルフがいることに驚く。


「兄ちゃん!?」

「やっと目が覚めたか」


 3人は申し訳なさそうな顔をする。


「兄ちゃん、俺たちのせいで…」

「大丈夫だ、金はちゃんと戻って来た」


 ラルフは子供たちに金のビンを見せる。

 そのビンを見て子供たちは安堵の表情をする。


「みんな、さっさと出かけるぞ」

「出かけるってどこへ?まだ朝早いよ」

「ここよりもいい所だ」


 少年たちはラルフに従い、立ち上がる。

 早朝にスラムを出る理由は遠い場所へ行くからではない。やはりこの金の入ったビンを警戒してからであった。ラルフがこれから向かおうとする場所にはこの金が必要だった。

 誰にも絡まれることがないよう、慎重に移動するラルフたち。かと言って慎重に動いている素振りを見られてはいけない。

 そうすれば恰好の餌食になる。あくまでも平静を装って移動する。幸い、早朝というおかげもあり、ほとんど人と出くわすことなくスラムを脱出することが出来た。

 

 ラルフは大きく息を吐く。第三セクターに入れば襲われる脅威はグッと下がる。幾ばくかお金を奪われる憂いから解放された。

 またラルフが向かおうとしている場所はスラム寄りの第三セクターに入った所のすぐの場所だった。それが孤児院だった。


 ラルフたちは門の中へ入り、扉が閉まった孤児院の前で時間が過ぎるのを待つ。

 少年たちはなぜこんな場所へ連れてこられたのかあまり理解していなかった。ラルフが人数分ご飯を分けてもらおうと思っているのかと考えていた。

 するとすぐに孤児院の扉が開いた。孤児院を管理するシスターの朝は早い。彼女は夜明けとともに起きる習慣が付いていた。

 シスターはラルフ達の姿に気付く。汚れた格好をしていたため、すぐにスラム街の子供たちだと分かった。でもだからと言って、シスターは怪訝な表情など浮かべない。彼らは運命のいたずらによって、スラム街に住むことを余儀なくされ、誰からも援助を受けることができない一番の被害者なのだから。

 シスターは笑顔でラルフ達に声を掛ける。


「あら、早いわね。どうしたのこんな早い時間に?」


(4人の子供たち…でも1人はちょっと大きいわね。お兄さんかしら?)


「あの…お願いがあって来ました」


 ラルフは頭を下げる。

 それを不思議そうな顔をして見る少年たち。

 そしてシスターはここで初めて少し困った顔をした。ラルフのお願いに心当たりが付いたからだった。


「まだ朝も早いですし、中で話を聞きましょう」


 シスターはラルフ達を中へ招き入れた。



 孤児院の個室、シスターの部屋に通されるラルフ達。

 そこでシスターから水を出してもらった。


「ごめんなさいね、本当は牛乳でも飲ませてあげたいんだけど、お金が無くて」


 これはシスターのけん制だった。この孤児院は余裕が無いという意志表示だった。だが、スラムに住まう彼らにはこの水さえもごちそうであった。


「兄ちゃん!!この水、泥臭くないよ。すっごくおいしいよ!!」


 ラルフは少年たちの笑顔に自分も笑顔で返した。一口だけ水を飲み、後は少年たちにあげた。

 少年たちはその水を奪い合うように飲んでいた。

 それを目の当たりにしたシスターもまたこの国の貧富の差を改めて認識していた。

 シスターは視線をラルフに戻したところで話を聞く。


「それで…話とは?」

「あの…こいつら3人をこの孤児院で面倒見てもらえないでしょうか?」


 ラルフは改めて頭を下げた。

 シスターは自分の思った通り展開になった。ただ、ラルフが含まれていない件については当てが外れた。

 そして当の本人である少年たちはラルフの言葉に驚いていた。

 シスターはラルフのお願いに返答する。眉を下げ、目を細め、視線をラルフから外し、申し訳無さそうな顔をする。しかしこれは予め決めていた表情であり、そしてこれから予め決めていた言葉を口にする。


「ごめんなさい、この孤児院も今の子供たちを育てるので精一杯なの」


 これまでシスターは何回も何十回もこのやり取りをしてきた。

 貧困にあえぎ、子供を育てることが出来ず、この孤児院に駆け込んだ親子が何組もいた。また、スラム街の子供たちだけで訪れることもあった。しかし全て断って来た。ただ、子供たちだけの場合は少しばかりのお金か食べ物を与えて去ってもらった。

 今回も今まで通り断るつもりだった。

 本来ならば、シスターも子供たちを全て受け入れ、助けて上げたい。しかし、何事にも限界がある。今の施設でそして限られた寄付金で生活していくには現状の子供たちを育てることで限界だった。

 その説明を受けるラルフ達。


「兄ちゃん、孤児院に入るなんて無理だよ。行こうよ」


 少年の1人が分かっていたような反応をする。もちろん他の少年2人も、そしてラルフもその事実は承知していた。

 するとラルフは自分の背に隠していたボロ袋から金が入ったビンを取り出し、それをシスターの前に置いた。


「このビンの中に1000Jが入っています。俺が貯めた金です。この金をこの孤児院にお渡しします。だからお願いします、こいつらの面倒を見てもらえませんか?」


 ラルフは今一度シスターに頭を下げた。

 シスターは困惑する。


(これまでたくさんの人がこの孤児院に入れてほしいとお願いに来たけれど、お金を持ってきた人は1人もいなかった。それに1000Jなんて…結構なお金よ。なんでスラムの子がこんな大金を持っているの?)


 シスターはラルフに疑いの表情を向ける。


「このお金は誰かから奪ったものですか?」

「違います」

「黒いお金ではないと神に誓えますか?」


 シスターは注意深くラルフの表情を見る。どのようなお金であれ、「神に誓う」と答えるに決まっている。ならば自分が目の前にいる人間を善か悪か判断しなくてはならない。

 しかし、ラルフからは思いがけない答えが返って来た。


「…俺は神を信じない。だから神には誓えない」


 シスターは顔をしかめる。

 神に仕える者として、ラルフの言葉は人によっては神を冒涜しているとも言えるような発言であった。

 だが一方でシスターはラルフの気持ちが分からないでもなかった。神がいるなら彼らはもっと救われていいはずだから。

 そんな事を思っていると、ラルフはもう一度同じ事を口にする。


「悪いが神には誓えない」

「あなた——」

「——だから死んだ母さんに誓って言う。この金は俺が必死に5年間かけて貯めた金だ」


 ラルフの目は真剣そのもので、そしてシスターの目をまっすぐに見つめていた。

 その目は他にどんな「神を信じる」と発言する者よりも信用が出来、そして澄んだ目をしていた。


「…あなたのお母さまは亡くなったのですか?」

「母さんは7年前の流行病で亡くなった」

「そうですか…あの時の流行病で…」

「俺は生まれた時からスラムにいた。でもその事を不幸だなんて一度も思わなかった。それは母さんが俺を大切に育ててくれたからだ。母さんはどんなに貧しくても決して人の物を奪わなかった。盗まなかった。母さんは俺を食べさせるために懸命に働いて、時には食べ物を分けてもらうために頭を下げるような人だった。俺はそんな母さんを見ていたから、俺も決して人の物は奪ったりしていない。だから泥すすってでも生きて来た。たとえドブネズミと言われようとも」


 スラム街にドブネズミと呼ばれる者がいたことはシスターの耳にも届いていた。だがこのような信念を持った人間だとは知らなかった。

 もちろん、ラルフ以外誰も知る由もない。


「母さんに誓って言う。俺は母さんに恥じるようなことは決してしていない。これは俺が必死に貯めた金だ」


 ラルフは力強くその言葉を発した。

 その瞬間、シスターは立ち上がり姿勢を正してラルフに向かって頭を下げた。


「疑うようなことを聞いて、ごめんなさい」

「あ…いや、そんな…」


 これまでラルフと出会った者たちは見下したり、蔑んだりする者ばかりであった。だからシスターのように自分を対等に真正面から見てくれる人物はほとんどいなかった。

 それ故にシスターの謝罪に戸惑う。


「あなたはとても立派な人です」


 シスターは金の入ったビンを覗く。するとビンの中に入った金はほぼ1Jだと気付く。この1Jの硬貨1枚1枚、ラルフが懸命に働いて手に入れた金だと思うと胸が熱くなる。


「このお金は…あなたが一生懸命働いて手に入れたお金なのですね」


 照れるラルフ。ただ黙って頷くしか出来なかった。

 シスターは目を瞑って黙って考え、そして目を開ける。その表情は何か決心したかのようであった。


「分かりました。この子たち3人をこの孤児院で責任を持って面倒を見ます!」

「本当に!?」


 ラルフは喜びと驚きが混じった表情をする。


「えぇ、この子たちをあなたのような立派な人間に育ててみせます」


 シスターはラルフに決意に満ちた笑顔を向けた。

 しかし一方で孤児院に入れることになった少年たち3人は泣いていた。


「兄ちゃん。そのお金…兄ちゃんが開拓者になるために必死に貯めて来たお金じゃないか」

「えっ?そう…だったのですか…だから1000Jものお金を…」


 シスターは困惑する。そのような事情があるならば、出来ることならばラルフに金を返却したい。だが、この金を返してしまえば孤児院はやって行くことが出来ない。ただでさえ食費を切り詰め、子供たちに満足に食べさせることもできないのだ。ここで3人が増えれば、この孤児院は崩壊する。

 しかし、この1000Jあれば数か月はなんとかやっていける。その間に対策を練れば孤児院は立て直すことができるのだ。

 この現実をラルフにどう伝えようか迷っていたところ、声を発したのはラルフであった。


「この金は孤児院で使ってくれ。もう…大切な人がいなくなるのはたくさんだ」


 ラルフは昨日の出来事を思い出していた。男たちに絡まれ、少年たちを人質に取られていたこと。そして、母を失った悲しみをもう一度味わったことを。今のラルフにとって繋がりがある者たちはこの少年たちだけだ。ラルフは少年たちをなんとしてでも守り抜きたかった。


「この金は孤児院に寄付する。だからこの金を有効に使ってほしい」


 ラルフは改めてシスターに告げた。


「ありがとうございます」


 シスターは金が入ったビンを胸に抱きしめるように持った。


「兄ちゃん」


 少年たちは大粒の涙を流した。申し訳ないという気持ち、そして感謝しきれないほどの気持ち。少年たちの涙は止まることがなかった。

 ラルフはそんな少年たちの頭を撫でる。


「大丈夫。今度は上手くやってもっと早く1000J貯めてみせるさ」


 笑顔で答えた。


「それとお前たち。もう孤児院で暮らすことになるんだから、物を盗んだりしたらダメだからな?」

「「「うん、もう絶対にしない!」」」


 少年たちは力強く答えた。

 そんなやり取りを見ていたシスターはラルフに提案する。


「あなたも…あなたもこの孤児院で一緒に暮らしませんか?」

「いや、こう見えて俺はもう15歳の大人なんだ。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」


 シスターは驚いた。なぜならラルフはどう見てもまだ12歳くらいの子供にしか見えないから。おそらく満足に食べられないために体が成長出来ていないのだろう。そんな極限の状態で天国の母に恥じぬ生き方をしようと人から略奪することをせずに今まで生き抜いてきた。正に泥をすすって生きるドブネズミのように。

 胸が苦しくなるのと同時に目の前にいる誇り高い人間に感動を覚え、涙が出そうであった。


「ではせめて食事を一緒にして行きませんか?」

「そうだよ、兄ちゃん!一緒にご飯食べようよ!」


 少年たちはラルフの服の袖を引っ張った。


「じゃあそうするか」


 ラルフはシスターの厚意に甘えることにした。そんな人から厚意を受けることもラルフにとっては滅多にないことであった。



 食事を終え、ラルフはシスターと少年たちに見送られる。

 少年たちはラルフを名残惜しそうに見送る。


「別に永遠の別れじゃねぇよ。たまには遊びに来るから」

「本当だよ?絶対だよ」

「あぁ、約束だ」


 ラルフが立ち去ろうとするところでシスターは肝心なことを思い出し、ラルフに尋ねる。


「あなたの…あなたのお名前を教えてくれませんか?」

「俺の名前はラルフ。今はスラムに住むドブネズミのラルフだ。でもいつかきっと…開拓者のラルフになってみせる」

「ラルフ…影ながらあなたのことを応援しています」

「ありがとう」



「ラルフ…彼の名はラルフと言うのですね」


 シンシアはラルフの名を決して忘れぬように自分の心に深く刻み込んだ。

 そしてまた、話を聞いて途方もない罪悪感を背負った。ラルフを育てた母親は自分の母親に見劣りしないほど立派な存在であり、ラルフにとって母の存在は全てであった。そんな存在を奪い去ってしまったのだと。

 一方でラルフに惹かれている自分もいた。過酷で劣悪な環境の中で母に恥じぬように1人で耐え抜いて生き抜いてきたことを。

 子供のように見える、痩せた小さな体。しかし、その彼の心は大きくそして信念があった。

 たとえドブネズミと罵られようとも、開拓者になるために必死に金を貯めていた。だがその金も少年たちを守るために使用した。

 自分がもしラルフの立場なら…そんな生き方出来るだろうか?いや、決して出来ない。

 そして今この瞬間もラルフはそのような生き方を続けている。


「今、彼は…ラルフは…どうしていますか?」

「それを聞いてどうするつもりなの!?」


 少年の1人が警戒した声で聞く。同様に他の2人も警戒している。


「兄ちゃんにいじわるするつもりなの?」

「そんな…私は…」


 シンシアはただ力になりたいと思っていた。だが、本人に目の前に現れることを拒絶されてしまった。それならば彼に黙ってお金を渡すのはどうか?いや、彼は決してそれを受け取らないだろう。

 そんなことを考えている内に少年に楔を打たれる。


「兄ちゃんの邪魔はしないで」


 苦悶の表情を浮かべるシンシア。だが納得している自分がいた。


(彼らの言う通りだ。私が彼に接触しようとすれば彼はあの日のことを思い出させてしまう。それに私の護衛たちが、レオナルドとの衝突も起こりうる)


「…分かりました」


 シンシアは無力な自分をひどく責めた。

 事情は分からないが、シスターはシンシアがラルフの間に深い関りがあることを察した。そしてシンシアの方が負い目を感じていることを。

 それを踏まえてシスターはシンシアに進言した。


「差し出がましい事を言うようですが…彼は現況から脱却するために、自分で必死に足掻いているのだと思います。今は見守ってあげるのが最善の手ではないでしょうか?」


 ラルフは人から施しを受けることなどまずあり得ない。ましてや、因縁のある相手からなど考えもしないし、信用もしないだろう。

 シスターはそれを考慮し、且つシンシアのことを慮って、「見守る」という進言をした。


「そうですね、シスターのおっしゃる通りです」


 シンシアはラルフに直接的な支援をすることを諦めた。


 

 話を終え、シンシアは一通り子供たちの相手をし、城に戻ることにする。

 シスターや子供たちがシンシアを見送りに行く。


「また、いらして下さい」

「はい、ありがとうございます」


 シスターと別れの挨拶を済ませると、今度は少年たちの方へ向きを変える。


「また、ラルフの話を聞かせてもらえませんか?」

「兄ちゃんにいじわるしないなら…」

「えぇ、絶対にしないと約束します」

「分かった…兄ちゃんも時々顔を見せるって言っていたから、また話を聞かせてあげる」

「ありがとう」


 シンシアは笑顔で少年たちに応えた。


 帰り道、シンシアはラルフのことを想った。


(神様…どうか、どうかラルフに導きの光をお与え下さい)


 神に祈ると当時にラルフを見守ることを心に誓った。

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