第6話 差し出された剣
「母さん…」
ラルフは1人うずくまり、母を失った日の絶望を思い出し泣いていた。
同日にラルフは5年掛けて貯めて来た開拓者に登録するための1000Jを失ったのだが、今はどうでも良いと思えるほど些細なことになっていた。
そんなラルフにフードを被った人物が現れる。その人物はラルフが見慣れた物を持っていた。それはラルフが必死になって開拓者になるために今まで貯めて来た金の入った瓶であった。
「あの…これを…」
全身を覆ったフードから頭を出し、ラルフへ顔を見せる。その人物は母の命を奪う原因となったシンシアであった。
ラルフの心はまたたく間に憎悪に掻き立てられ、表情を険しくする。
シンシアは先ほど男たちに見せていた鋭い視線から一転し、怯えた表情をラルフに見せる。
「何しに来た!?」
「このお金を…あなたの大事なお金だと…」
しかしラルフは立ち上がり、そのビンを払いのける。確かにこのお金は今のラルフにとって命の次に大事な物であることに間違いはない。だがそのことを考えられないほどに今のラルフは憎悪に塗りつぶされていた。
ラルフはシンシアの纏ったフードを掴み自分に引き寄せる。
シンシアの目の前には憎悪と怒りに満ちた表情のラルフがいる。だがその目には今にもこぼれ落ちそうな涙が溜まっていた。
シンシアはその涙にラルフがどこまでも深い悲しみを背負っている事に気付き、またシンシアも涙する。そしてラルフに謝罪する。
「ごめんなさい…」
ラルフはその泣いて謝るシンシアの顔を思い切り殴り飛ばした。
地面に転がるシンシア。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
それでもシンシアはラルフに謝罪を続ける。
地面に頭をつけて謝罪するシンシアを起こし、再び胸ぐらを掴み上げる。
「奇跡の実は母さんが食べるはずだったんだ。それを…お前の母親が…」
絞り出すようなラルフの声はラルフの苦しみそのものだった。
「お前の…お前の母親をここに連れてこい」
しかし、シンシアは言いにくそうな表情をラルフに向ける。
「王妃は…私の母は…去年亡くなりました」
「なっ!…」
シンシアの母である王妃は確かに奇跡の実を食べて助かった。だが、王妃の病弱の体を健康体にするまでには行かなかった。ただ死を待つばかりの体を治すことで奇跡の実は役目を終えてしまったのだ。
王妃が死んでしまっている事実を知り、愕然とするラルフ。
「自分から奇跡の実を奪い、お前が食べたせいで自分の母は死んだのだ」と本人に告げることができないのだ。
その事実を知らずに愛する者たちに囲まれ満ち足りた思いで死んで行ったのだ。
やり場のない怒り、ぶつけようのない怒り。ラルフはもう一度シンシアを殴り飛ばす。
「それなら、それならばお前の父親に会わせろ!」
「父にあってどうするつもりですか?」
「落とし前をつけさせる」
「な、何をするつもりなのですか?」
「殺す!」
怒りの感情に任せてラルフは言葉を放つ。
シンシアは黙ってラルフの言葉を聞くつもりだった。
だが、父を殺すと言われればさすがに反応をせざるを得ない。
「父は、父はこの国を統べる王なのですよ?自分がおっしゃっていることが分かっているのですか?」
シンシアはけん制のつもりだった。ラルフがいかにバカげたことをしようとしているのか分からせるために。口にするだけでも大罪である。ましてや実行しようものなら極刑は免れない。
「王だからなんだ?身分が高いから殺してはいけないと言いたいのか?人の母親を殺しておいて」
「————!」
シンシアは咄嗟に口に出した言葉に後悔する。
ラルフの母親は自分たちの都合で亡くなってしまったのだ。ラルフの言うように「殺した」と言っても過言ではなかった。
もちろんシンシアに身分の違いを突き付ける意図はなかった。ただ、思い留まって欲しいと考えての発言であった。しかし、その言葉を言われた人間(ラルフ)は、権力によって最愛の人を奪われたのだ。自分の発言が身分の違いを突き付けていると捉えられても仕方がなかった。結果的に「弱者であるから諦めろ」と言い放ったようなものであった。
もう一度、ラルフはシンシアの胸ぐらを掴む。
鼻息が荒く、怒りに震え、全身で呼吸している。
「わ、私の…私の命で許してもらえないでしょうか?」
シンシアは剣を抜き、ラルフへ差し出す。
どれだけ謝罪してもラルフには許してもらえそうにない。自分が逆の立場ならきっと同じ思いだろう。ならばせめて自分の命を差し出して、ラルフの憎悪の気持ちを少しでも晴らしてあげたい。
決して許してもらう事は出来ない。そしてラルフの意を汲む事も出来ない。それならば残された道は自分の命を差し出すしかないと。
シンシアは大粒の涙を流していた。しかし、これは死への恐怖ではなく、ラルフへの罪悪感から来る涙であった。
ラルフは掴んでいたシンシアの胸ぐらを離し、剣を握る。その剣をシンシアへ突き刺すために大きく振り上げる。
シンシアは膝を付き、手を胸の前で握り目を瞑る。
(お母様。私もすぐそちらへ参ります。そして全てをお話します。そしたら彼の母親に一緒に謝りに行きましょう)
しかし、その剣はシンシアへ突き刺さることはなかった。代わりに生温かいものがシンシアの顔へ落ちてくる。
シンシアはゆっくりと目を開ける。
その生温かいものは、ラルフの目からこぼれ落ちる涙だった。
「母さんを…母さんを返せ」
ラルフは握った手を離し、剣は地面へと転がる。
ラルフにはシンシアを殺すことが出来なかった。なぜならシンシアも同じように母を愛していた子供なのだから。
ラルフにも分かっていた。シンシアが何かしたわけではないのだ。彼女はラルフと同様に、病に倒れる母の回復を願っていただけなのだから。そんな人間を殺せるはずもなかった。
「もう二度と俺の前に現れないでくれ…」
ラルフは転がっている金の入った瓶を拾い上げ、シンシアの元から去って行った。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
誰も居ない場所でシンシアは1人謝罪を続けた。
ラルフは悲しみに暮れながら無意識の内に比較的安全に眠られる場所へと向かっていた。
スラム街で立場の弱い者たちは大概このような自分独自のセーフティーゾーンを見つける。そうすることで無駄な危険を回避していた。先ほどシンシアと対峙していた場所もセーフティーゾーンの1つである。
ラルフが別のセーフティーゾーンにたどり着くとそこには先客が居た。その者たちはラルフと懇意にしている少年たちであった。
少年たちは身を寄せ合って3人で1枚の汚れた毛布を分け合い、寝息を立ててよく寝ていた。ラルフが近づいても少年たちが起きる様子はない。
(熟睡するなと言ったのに…俺じゃなかったらどうするつもりだ?)
ラルフが睡眠を取る時は地面に背をつけず、壁にもたれるようにして眠る。そうすることで熟睡することはない。これもラルフの経験で身に付けたことだ。
以前熟睡していたところを襲われたことがあった。何も持っておらずただ殴られるだけであったが、スラム街では何の理由も無しに憂さ晴らしのために殴りかかられることが多々ある。もちろんターゲットになるのは力の弱い者が対象となる。そういったのに対処するためにも熟睡するわけにはいかないのだ。
ラルフは乱れた毛布を掛け直し、少年たち横の壁に背中を預ける。目を瞑ることはせず、少年たちの寝ている姿をただじっと見つめていた。
そして、何かを決心したかのように1人小さく頷き、手に持つ金の入ったビンを強く握った。
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