第5話 再び第四セクターへ
その夜、シンシアはようやく正気を取り戻した。
レオナルドを呼び出し、2人きりの部屋で7年前のことを厳しく問いただす。
「なぜ?なぜ彼から奇跡の実を奪ったのです!?」
「王妃様を助けるためです」
「あなたは母の命の恩人です。そのことに関しては感謝しています。でも…」
「あの時、国全体が流行病に蝕まれ、我が国は風前の灯火でした。そんな状態で王妃様が亡くなられてしまわれたら、我が国はどこまでも悲しみに暮れていたでしょう」
レオナルドは忠義の厚い人間だった。己よりも常に国を重んじる人間であった。
国のために声を張り上げ、国のために剣を振るう。
シンシアはレオナルドのそんな所に惹かれていた。
しかし、今は…
「あなたが国のため、母のために忠義を尽くしてくれたことは分かっております。でもだからと言って」
「姫様の…姫様の笑顔を失いたくありませんでした」
「————!」
これはレオナルドの紛れもない本心であった。
そしてそれを言われたシンシアも何も言うことが出来なかった。
シンシアの体が病弱であったように、シンシアの母もまた病弱な体であった。そのため、流行病に掛かってしまえば弱って行くのはあっという間であった。
シンシアは母の事が大好きで、その母がやつれていく姿は見るに堪えなかった。9歳という幼い子供にはあまりに受け入れ難い現実だった。
そのシンシアの姿を見たレオナルドは奮起した…何が何でも奇跡の実を手に入れようと。
当時18歳でまだ若手であったレオナルドは、単独行動という軍紀違反をした。シンシアの笑顔を取り戻すためならどんな罪を犯す覚悟であった。そしてレオナルドは実際に奇跡の実を持ち帰って来たのだ。
奇跡の実を食べた王妃は元気を取り戻し、力いっぱいシンシアは抱きしめる事が出来た。シンシアの笑顔を取り戻すことが出来たのだ。
レオナルドの行動は国のためであり、そして何よりシンシアのことを思っての行動であった。
その事実が故にシンシアの心は余計に締め付けられた。
(私の…私のせいでレオナルドに非情な決断をさせ、そして彼の母親の命を…)
その気持ちを察したレオナルドはシンシアに告げた。
「姫様…冷静にお考え下さい。スラム街に住む彼の母親の命とこの国の頂点に位置する王妃様の命、どちらの命が重いか、答えは明白です」
この発言はレオナルドがシンシアのためを思って王妃を助けたことより、この国のためを思って王妃を助けたことに比重を傾けようとするものであった。
「………」
問われたシンシアは答える事が出来ない。
これは答えが分かっていないから答えないのではない。いくら純情なシンシアであろうと、考えずとも答えは分かっていた。だが口に出せなかった。口に出してしまえば、自分の中で何かが変わってしまう気がした。
シンシアは余りにも精神的に幼過ぎた。王女としてよりも騎士団の一員として過ごす日々が多かった。
王女としての活動はこの国の象徴として、笑顔を振りまくだけあり、辛い現実を見てこなかった。そして周りもまた見せようとしなかった。
答えぬシンシアにレオナルドが辛い現実を見せつける。
「姫様…人の命は平等ではないのです」
「————!」
痛烈な一言だった。
シンシアの心を例えるなら濁りのない清らかな水。その濁りのない水に黒く汚れたものが流れ込み、一瞬の内に濁って行くようであった。
「部屋に戻ります…」
自室へと戻ったシンシアは、窓から外を眺める。シンシアの曇った心とは裏腹に大きな満月が部屋を照らしていた。
「あの方は…どうしているのだろう?」
気が付くと、シンシアは鎧を身に纏い、その上に全身を覆い隠すフードを被って窓から外に出た。
そしてラルフがいるであろう、第四セクターであるスラムの方へと向かっていた。
第四セクター。
夜のスラム街はまた一層不気味に感じる。
再び鼻を突き刺すような臭いがシンシアに不快感を与える。あちらこちらから立ち込める臭いに顔をしかめる。衛生管理が行き届いていない。吐物やゴミが散乱し、そんな場所に人がへたり込む。その人々の目に光はない。みんなどこか遠くを見つめているような目線だ。
またスラム街の建物と呼ばれる物はほとんどが簡単に吹き飛ばされてしまうような建物ばかりだ。一見頑丈そうに見える建物も老朽化が進んでおり、あちこちにひび割れが入っていた。
時より、見慣れないフードを被ったシンシアに警戒の視線を飛ばす輩がいた。しかし、シンシアもその警戒の視線に怯むことなく返すと、みんな恐れをなして離れていく。実力の違いをまざまざと感じさせられていたからだ。
そんなシンシア自身も心が荒んでいた。その気持ちが棘となり、他を寄せ付けないでいた。
シンシアはスラムの奥へと進んで行く。すると、地面に座って話している男2人に目が留まる。
(あの2人は…昼間少年に暴行を加えていた!?)
少年とはラルフのことだ。やせ細った小さな体をしていたため、シンシアはラルフを少年と思い込んでいた。
「なぁ、その金何で使わねぇんだよ?」
「バカ、今日昼間騎士に追われただろ。用心のために明日まではこの金を使うのは我慢だ」
「それもそうか。それにしてもドブネズミの野郎、よくもまぁこんなに金を貯めたもんだぜ。見ろよ、ほとんど1Jだ」
「確か開拓者に登録するための費用が1000Jだったか?ということはこのビンには1000Jの金が詰まってるんだ。へへへ」
「なぁ、その金でお前が開拓者の登録をするか?」
「バカ言え!!確かに開拓者になればギルドに成果物を買い取ってもらえるのはおいしいが、魔界なんていくつも命があっても足りやしねぇ。俺たちみたいな者はこの金を使って一般の平民たちが味わっている贅沢を少し味わうのが性に合っているんだよ。この金を足掛かりにして活躍しようなんて夢は持たねぇ方がいいんだよ。そんな望み、スラムの俺たちは持たねぇ方がいいんだよ」
「ちげぇねぇや。それでこの金を使い切ったらまたあのドブネズミからまた金を奪うんだろ?」
「そういうことだ。あいつは死ぬまで俺たちみたいな奴に搾取される運命なんだ。だってあいつはドブネズミだからなぁ」
汚い場所で汚く耳障りな笑い声が周囲に響き渡る。
シンシアは昼間、少年たちが助けを求めてきたことを思い出した。
(少年 (ラルフ)はきっとお金を取り戻そうとして彼らに返り討ちにあったに違いない)
「でもよぉ、あいつ今日のことで俺たちに警戒してるはずだぜ?そう易々と俺たちの前にはもう現れないと思うぜ?」
「お前はバカだなぁ。あのドブネズミにはいつも仲良くしてるガキ共がいるだろ?そいつらを使ってまた脅せば今日みたいに金を差し出すに決まってる」
「そうか、今日みたいにすればいいのか。あんなガキ見捨てればいいのに…俺もバカだけどあいつは俺よりもバカだなぁ」
シンシアはそれ以上聞いているのが我慢ならなかった。気が付けば男たちの前に立ちはだかっていた。
「そのお金をこちらに渡しなさい」
「あぁ~ん、なんだてめぇ?」
「そのお金を渡しなさいと言っています」
「なんでてめぇなんかに渡さなきゃいけねぇんだ。これは俺たちが手に入れた金だ」
「そのお金はしかるべき方の元に返します」
シンシアはフードを被っているため、男たちは昼間の騎士だとは気が付いていない。
「てめぇ、声からして女か?女の分際でいい度胸だ」
男の1人が立ち上がり、シンシアに襲い掛かろうとする。
「姿を見せやが——ぐはっ」
シンシアもその男に向かって踏み込み、剣の柄で腹を突く。
男は苦悶の表情をし、体がくの字に曲がり地面にひざを付く。
シンシアは剣を抜き、金を持っているもう片方男の顔の前に向ける。
「もう一度言います。そのお金を渡しなさい」
男は剣を向けられたより、シンシアの刺すような視線に全身を強張らせていた。
シンシアは騎士団として魔界に遠征したことが何度もある。魔物と戦う経験は幾度もあり、戦闘には慣れている。
だが人を斬ったことがなかった。訓練では人と対峙することはあれど、実戦経験はない。また純情なシンシアからして人を斬れない人間であった。
しかし今のシンシアは違う。
シンシアの純情な根本は変わらないが、激動のような一日によって彼女の心はひどく荒んでいた。
今のシンシアにはラルフに害をなす人間が許せなかった…もちろん、それは自分自身を含めての事だが。
そのため、自分の知らない所で人を斬る覚悟が出来ていた。その覚悟を示すかのような冷たくそして鋭い視線は殺気となり、男の戦意を喪失させ、恐怖に怯えさせるには十分だった。
「金は返す。返すから、頼むから殺さないでくれ」
「昼間の少年たちに二度と手を出さないと誓いなさい。手を出せば…」
「ひ、昼間の?」
「あなたたちがその金を奪った者たちのことです」
剣の切っ先が男の首元へと近寄る。
「わ、分かった。二度とあいつらに手は出さねぇ。だから頼む、頼むから!!」
ほんの少し前までは、勝ち誇ったような顔をしていた男は命乞いをするような弱者へとなり変わっていた。
シンシアはその姿がとても虚しく感じ、それ以上何かをする気持ちになれなかった。
「…行きなさい」
「…おい、行くぞ!!」
男は片方のくの字になった男を抱きかかえ、シンシアの前から去っていた。
シンシアは金が入った瓶を拾い上げる。
「あの方はどこにいるのでしょうか?」
ラルフを探し、さらにスラムの奥へと足を運んで行った。
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