第4話 7年前

7年前、ホープ大陸では流行病が猛威を振るっていた。

 平民、貴族問わず多くの者がこの流行病に苦しんでいた。これといった治療薬は無く、栄養を摂取し安静にするしかなく、特に貧しい平民の間では多くの命を落としていた。

 ラルフの母もその流行病を患っていた。

 ラルフはボロ小屋の中で横たわる母の手を握ることしかできなかった。


「母さん…」

「ラルフ、大丈夫だよ」


 母はラルフに心配させまいと笑顔を見せ、頭を撫でた。だがその気遣いが余計にラルフの心を圧迫させた。

 医者に母の容態を診てもらいたい。しかしそんな金など、どこにもない。栄養のある物を食べさせたいが、そんな食べ物などこの家にはない。


 お金が欲しい。


 当時のラルフはわずか8歳である。そんな幼い子供が切実にお金を欲しいと思うほどに追い込まれていたのだ。


 日に日に容態が悪くなるラルフの母。遂にラルフに笑顔を見せることができないほど病状が悪化した。

 ラルフは居ても立っても居られず、外に出る。国中で噂になっていることを思い出したのだ。


「魔界にどんな傷や病も治す奇跡の実が存在する」

 

 通常の判断が出来たら「そんなものはただの噂だ」と聞き流す事が出来たであろう。しかし幼く、そして今のラルフにはその通常の判断が出来なかった。

 ラルフはその嘘か実かも分からぬ噂にすがりつく事にした。そして母のために奇跡の実を探しに魔界へと繋がるゲートへ向かったのだ。

 ラルフは母にゲートに近づく事を禁じられており、その言いつけを守っていた。しかし、今だけはその言いつけを破った。

 

 もう一度優しい母の笑顔を見るために。

 もう一度温かい母に抱きしめてもらうために。

 全ては大好きな母の命を助けるために。


 ゲートをくぐると、ラルフの目の前には緑豊かな場所が広がっていた。自分たちの住む場所とは大違いだった。こんな自然溢れる場所がなぜ「魔界」と呼ばれるのか不思議だった。

 ラルフは周りを見渡す。すると、ラルフと同じように奇跡の実を探しに来ていると思われる者たちが多数いた。我に返り、先を越されまいと奇跡の実を探し始めた。


 3時間ほどゲートの周りを探索したが、奇跡の実は見つからない。当然の話だ。どこまでも続く大地の中からあるかどうかも分からない奇跡の実を探し出そうとしているのだ。またラルフが探していた場所はとっくに先行者が探索している。


(もっと遠くを探さなきゃ見つからないのかな?)


 恐怖心と約束を破った罪悪感から、母の元へ帰りたかったがそうは行かなかった。意を決して、近くの森に入ることにした。

 一見何の変哲もない森だが、森自体が初めてのラルフにとっては十分不気味な場所に感じた。物音がするたびに体が硬直するような感覚を覚えた。 今すぐにでも飛んで帰りたかったが、それでも母親のために必死に奇跡の実を探した。そんな最中、魔物は現れた。

 全身が緑色をした8歳のラルフより若干小さい生物…ゴブリンである。

 ゴブリンは奇声を発し、手に持つ木の棒を地面に叩きつけている。

 次の瞬間、ラルフは走ってその場から逃げ去る。ただ全力で走った。後ろを振り返らず。振り返ってしまえば、そのままやられてしまう気がしたから。やはり母の言いつけを守り、魔界に来てはいけなかったと後悔していた。母の元へ帰りたい。その思いでラルフは息の続く限り走り続けた。

 いつの間にか坂を転げ落ち、ようやく止まったところでラルフはやっと後ろを振り返る。そこにゴブリンの姿は無かった。逃げ切ったのだ。


 落ち着きを取り戻したラルフは辺りを見渡す。随分と森の奥へ入ってしまった。

 ラルフは来た道を戻ろうとする。すると、目の前の木にりんごほどの大きさの1つの実がなっている事に気づいた。神秘的であった。

 その実に恐る恐る手を伸ばし、手に取る。


 ラルフは奇跡の実がどんな形を成しているのかなど知る由もない。ただ、今自分が手にしている物が奇跡の実に間違いないと根拠はないが確信を得ていた。ラルフは大きく安堵のため息を吐く。


「これで母さんは助かる」


 嬉しさと安心感からか、両手に持った奇跡の実にすがるように額を寄せていた。

 

 ラルフは来た道を戻ろうと向きを変える。その時、1人の騎士に出会った。その騎士はレオナルドであった。


「そ、その実は…」


 ラルフは咄嗟に奇跡の実を隠す。


「お願いがある…その実を…その奇跡の実を…私に譲ってくれないか?」


 ラルフは首を横に振る。


「母さんが病気で死にそうなんです。この奇跡の実が必要なんです」


 しかし、レオナルドは引き下がらない。


「こちらもアルフォニアにとって要人…大切な方が危篤状態なんだ。その実を譲ってくれ!頼む!お前の母親は責任を持って医者に診せよう」

「嫌だ!流行病は医者でも治せないって聞いた。母さんにはこの奇跡の実が必要なんだ!」


 そう言うとラルフはその場から走り去ろうとする。しかしそれをレオナルドが許さなかった。


「許せ…」


 レオナルドはラルフから強引に奇跡の実を奪い取る。


「返して!」

「申し訳ないと思っている。だがこちらにも引けない事情があるのだ。私の事は一生恨んでもらって構わない」


 そう言うとレオナルドは奇跡の実を持って走り去ってしまった。


「返して!お願いだから!母さんには奇跡の実が…」


 しかし、そこにレオナルドの姿は無く、ラルフの声だけが虚しく森の中に響いた。

 そこからラルフは記憶がない。何も考えられない放心状態でただ歩いていた。無意識の内に来た道を戻っていた。そして奇跡的に魔物に襲われる事なくスラム街へ戻って来ることが出来た。

 そんなラルフを我に返らせたのは、母の自分を呼ぶ声だった。


「ラルフ!」


 母がふらつきながらラルフに近づき、そして抱きしめた。


「ラルフ、心配させないで。良かった、本当に無事で良かった」


 その瞬間、ラルフは大声を上げて泣き始めた。母親もラルフの無事を確かめるようにまた力一杯抱きしめた。



 その一週間後、ラルフの母親は息を引き取ろうとしていた。呼吸が浅く、今にもその命の灯は消えそうだった。

 そんな状態で最後の力をふり絞り、ラルフに笑顔を見せ、そして頭を撫でた。最後の最後の最後まで自分の命を我が子のために費やす事にした。


「母さん…母さん…」


 ラルフの目から涙がとめどなく流れる。これが母と過ごす最後の時間であろうと自覚していた。


「ラルフ…」

「何?母さん」

「ごめんね…」

「なんで、なんで謝るの?」


 満足に食べる事もままならない生活を強いらせてしまったこと。

 そんな状態にも関わらず小さな我が子を残してこの世を去ってしまい、これからのラルフにとって険しい道を強いらせてしまうこと。

 そして何よりもっとたくさんの愛情を注ぎたかった。

 ラルフの母親は謝っても謝り切れないと感じていた。


「ラルフ…」

「何?母さん」

「母さんの子で居てくれてありがとう」

「何でそんなこと言うの?これからも僕はずっと母さんの子供だよ」


 ラルフは母が居てくれるだけで幸せだった。お腹が空いた時も、寒い時も、悲しい時も、母が抱きしめてくれるだけで胸がいっぱいになった。だからラルフはいつも笑顔だった。

 母にとってはそれが辛くもあるが、同時に嬉しくもあった。ラルフが感じている以上に幸せを感じていた。


「ラルフ…」


 母の声はもうほとんど出ていなかった。

 ラルフは母の最後の声を聞き逃すまいと母の顔に自身の顔を近づけた。

 母は閉じてしまいそうな目を必死に開け続けた。閉じてしまえば、もう二度とその瞳が開くことはないから。途切れそうな命を精神だけで持ちこたえた。

 自分の幼い我が子を、愛しい我が子を、自分の目にしっかりと焼き付けていた。しかし、その最後の命の灯火も消える。

 母はラルフの幸福を願い、最後の力をふり絞り、慈愛に満ちた笑顔でラルフに伝えた。


「…生きて」


 その瞬間、ラルフの母は息を引き取った。

 幼い我が子を残すことへの未練があれど、最後はその最愛の息子に看られて終えることが出来た。

 ラルフの母親の表情はとても穏やかだった。



 当時のことを思い出したラルフ。先ほどから目に溜まっていた涙は溢れ、頬を伝い、地面へと落ちる。その涙は止まりそうにない。


「あの時、お前が奇跡の実を奪わなければ、母さんは助かったんだ」

「そうか…お前が…」


 うろたえた表情のレオナルドは、先ほどから同じような事を言っている。

 しかし、再び真剣な眼差しをラルフへと向ける。


「申し訳ないとは思っている………だが、私は間違った事をしたとは思っていない」


 思いもよらぬ言葉に母を失った悲しみの感情は憎しみの炎に燃やされる。


「仕方のない事だったんだ。私には…いや、この国のために必要だったのだ、奇跡の実が」

「そのために母さんが犠牲になるのは仕方がなかったと言いたいのか?」

「………あぁ……そうだ」


 ラルフは怒りに震え、右手に持つ石をより強く握る。強く握りしめた拳から地面に血が滴り落ちている。


「謝って許されるとは思っていない。私に出来る事ならなんだってしよう」

「じゃあ今すぐ死ね!死んで母さんに詫びろ!」

「…断る」


 レオナルドはゆっくりと冷静に答えた。それがより一層己の意志を主張していた。


「私はこの国のためにやらねばならぬことがある」

「じゃあ俺が…俺がお前を………殺してやる」


 ラルフは「殺す」と口にすることで、自分がこれから行うことへの覚悟を決めた。

 レオナルドはその殺意を感じ取り、緩めた警戒を今一度高める。

 ラルフはレオナルドへ今にも飛び掛かろうとしている一方、シンシアは茫然としていた。ラルフの話した過去に驚愕していた。

 そして、おぼろげにレオナルドへ問う。


「レオナルド…」

「…はい」


 ラルフへの警戒を緩めず、姫の問いかけに答える。


「あなたがあの時手に入れた奇跡の実とは…この方から奪ったのですか?」


 唇を震わせながら問うシンシア。

 先ほどのラルフの内容からすればレオナルドが奪ったことは明白だ。それでも自分で確認せざるを得なかった。嘘であってほしい。間違いであって欲しいと。


「はい…間違いありません」


 それを聞いた瞬間、全身がガタガタと震え始める。


「では、私の母…王妃が口にした奇跡の実は…」

「…この者から奪った物です」


 レオナルドはここで初めて顔をしかめた。シンシアにこの事実を隠しておきたかったからである。自身が犯した罪をシンシアにバレる事を嫌ったのではない。純情なシンシアにこの事実は隠し通しておきたかった。現にシンシアは崩れ落ち、その場にへたり込んでしまった。

 だがそのやり取りで変化があったのは2人だけではなかった。ラルフもまた、怒りの矛先をレオナルドだけでなく、シンシアの方へも向けていた。


「お前の母親のために…母さんは犠牲になったのか?」


 その言葉がシンシアの心に突き刺さる。


「あっ…あっ…」


 許容を超えた真相に心が付いて行かず、反応が出来ない。


「お前も……殺してやる」


 ラルフはレオナルドから今すぐにでも殺せそうなシンシアへと向きを変えた。

 しかし、次の瞬間…レオナルドはシンシアの護衛をとしての役割を果たすため、ラルフに襲い掛かった。

 一瞬で間合いを詰められたラルフは思わずのけ反ろうとする…しかし遅かった。

 レオナルドは左手でラルフを払いのけると、思いっきり吹き飛ばされた。ラルフはピクリとも動かない。

 今の一撃でラルフは失神をしてしまった。


「兄ちゃん!」


 すると、少年たちがラルフに駆け寄る。少年たちは異様なまでのラルフが心配で物陰に隠れ、様子を伺っていたのだ。


「兄ちゃんに何するんだ!」


 レオナルドへ敵意を見せる少年たち。


「姫様を殺そうとしたから対処した。それだけだ」


 するとレオナルドはポーションを取り出す。


「こいつは…ポーションは先ほど飲んだんだったな。ではこれ以上は危険か」


 ポーションをしまい、代わりに回復草を少年たちに渡した。


「これを煎じて飲ませたり、傷口に濡れ。それと姫様を殺そうとしたことは不問にしてやると。もう二度と関わるな。そう伝えておけ」


 少年たちはそれでもレオナルドを睨み続けた。

 シンシアは未だに茫然とし、目の焦点が合っておらず、座り込んだままだ。


「さぁ、姫様。城へ戻りましょう」


 レオナルドはシンシアに肩を貸し、立ち上がらせスラム街を抜け出ようとする。一連のやり取りで野次馬がちらほら遠くから眺めていたが、レオナルドが人睨みするとそれらは雲散していった。


 その後、少年たちの見よう見まねの介抱で意識を取り戻すラルフ。

 それに安堵する少年たち。


「…お前ら、助けてくれたのか?」

「兄ちゃん、大丈夫?」


 ラルフはむち打ちのされたように痛む全身に無理をして立ち上がる。


「兄ちゃん?」

「…悪いが1人にしてくれ」


 少年たちは自分たちのせいでラルフが開拓者になるための金を失ってしまった事を怒っていると思っていたが、今のラルフには取るに足らない事であった。

 それよりも、母の命を奪う原因となった者たちと対峙したことで、再び母を失った悲しみに打ちひしがれていた。ラルフはいつ発狂してもおかしくなかった。いつ心が壊れてもおかしくなかった。とてもではないが、誰かと一緒にいられる気分ではなかった。

 少年たちが見守る中、ラルフはスラムの闇に消えて行った。

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