8-6

 

 「どんなカンジですか、仁見先生」



 それでも私はそれなりに『幽霊の右手』がどんなもんなのか気になって、後ろを向いたまま、仁見先生へそう質問してみた。

 そしたら仁見先生は、まじまじと見ているらしい目の前の物体の観察結果を述べてくれる。



 「紛れもなく、これは人間の手だねぇ。

 大きさや骨の特徴からして、成人男性のもので間違いないでしょう。

 一部、白骨化しているね、カラスやステファニーが食っちゃったからかな、においはほとんどしない、残っている肉はミイラ化…ていうか干物化しているね、…ったく、ステファニーのやつ、うちの2階にこんなもん持ち込みやがって…やれやれ。


 コレどうしようかなー、迷子のステファニー探しを兼ねて権蔵さんと夜の散歩をしていたら、その辺の道で偶然見つけたことにして、この左手を届け出ようかな~、処理がめんどくさいなぁ、もう」



 「えっ…左手って、どういうことです?」



 仁見先生の説明を聞きながら脳内で『幽霊の右手』のビジュアルを想像して、ちょっと背中がぞわぞわしているなかで私は、心底めんどくさそうな声で仁見先生がぽろっとつぶやいた言葉につい反応する。


 左手って、そこにあるのは『幽霊の右手』じゃないんですか?



 「他人の噂は当てにならんってことだよ、マナちゃん。

 ここにあるのは確実に、成人男性の左手だね。


 まあきっと伝言ゲームみたいにして噂が広まっていくうちに、交通事故ではね飛ばされた被害者の欠損部位が、『左手』からいつのまにか『右手』にすり替わっちゃったんじゃない?


 ほんと適当なもんだよ、噂ってやつはさ。

 ま、とにかく真実ここに存在しているのは左手ってことで。

 ちゃーんと左手の薬指に金の指輪もしているしね」



 「え…、左手の薬指に、指輪…?」



 「そうそう、金の指輪。

 たぶん純金製なんじゃない? ひょっとすると最初にコレをゲットしたカラスは、お食事のためというより、この金の指輪が欲しくて死体の手ごと事故現場付近から持って行ったのかもしれないね、カラスって光物が好きだから。

 あるいはさっきの不審人物も、この純金の指輪が目当てでこの辺をうろつきながら死体の左手を探していたのかもしれない、このサイズの純金ならばそこそこいい金額になるだろうしね」



 …なんて、そんなカンジに仁見先生は、なんだか訳知り顔でぺらぺらと色々しゃべっていたけれど、途中からそんなの私の耳には一切入ってこなかった、だってもはや…どうでもよかったから。


 そんなことよりも、もっとずっと重大なことに私は気が付いたからだ。


 やっと、わかった。


 どうして幽霊男性は、失った自分の手を…『左手』を探して、この辺りを彷徨っていたのか、その理由が私にはわかった。

 

 

 「幽霊男性は…自分の左手を、左手の薬指にはめていた指輪を探していたんですね…」



 ぽつりと思わずつぶやいた私のちいさな言葉の断片が聞こえたのか、仁見先生が「え? マナちゃん、なに?」って聞き返してきたけど無視した、ジーンと感慨深い気持ちになっているところなのに仁見先生の相手なんかしてる場合じゃないのだ。


 ああ…そうだったんだ、左手の薬指にしているということは、それは結婚指輪、事故に遭って亡くなった幽霊男性は既婚者だったんだ。


 大切なひとと愛を誓った証の思い出の指輪だもんね、そりゃ死んでしまったあとでも、それを取り返したいと思って、指輪をしたままの失くした自分の左手を探すよね…成仏することもできず幽霊になって彷徨うことになったとしても。



 「仁見先生、その『幽霊の左手』…薬指の金の指輪も、受け取るべき人のところへ返してあげられるんですよね?」



 おとなしく私の腕のなかにいるステファニーのもこもこした体をきゅっと抱きしめながら、私はそう仁見先生へたずねた。


 このあと仁見先生が、警察署なのか役所なのか分かんないけど、とにかくこの『幽霊の左手』と『金の指輪』を届け出たのならば、きっとそれらは遺族に引き取られることになるんだろう。


 つまりは…幽霊男性の『金の指輪』と、対になる指輪をはめている人のところへ。


 あるべき場所へ、幽霊男性が望む大切なひとのところへ、彼の体の一部と指輪が帰っていくことができたのならばきっと、この近辺を彷徨う理由となった、幽霊男性がこの世に残した未練はすべて断ち切れるはず。


 私たちが今夜、彼の失くしものを見つけたことで、きっと幽霊男性は成仏できる、もう仁見先生の医院の近くを彷徨うことなど二度とない…、そんな絶対的な確信が私の胸の中にあたたかく広がっていく。



 「ああ、そうだね、こいつらは収まるべきところへ収まるよ」



 今回起こったすべての問題が大団円となって終息していくフィナーレの感動に浸る私とは裏腹に仁見先生は、まったく情緒の欠けらもないあっさりとした返事をしたばかりか、「つーか、こんなの早くうちの敷地内から手放したくてしょうがないよ、知らないやつの死体の一部がずっとここにあったとか…不潔だし単純にキショイわ、最悪だよ」とかブツブツ文句を言ってくる、まったくもう。


 迷子だったステファニーもおうちに帰れる。

 『幽霊の左手』と『金の指輪』も見つかった。

 彷徨える幽霊男性も、これで成仏できる。


 すべてはパーフェクトに、あるべき正しい状態へ戻っていく。

 私のまわりの世界に、平和が戻ってきたのだ。


 …そう思っていた。


 次の瞬間までは。

 仁見先生が…あんなことを言い出すまでは。

 

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