8-5


 「いや、実はさ、ちょっと前にこの辺で工事をやってたんだよ。

 電柱だか電線だかの工事をね、そんでうちのビルと佐藤さんちの敷地のちょうど真ん中になるような形で道路にさ、でかい作業用の車が止まってたんだよ、よくあるじゃん、なんかこう…梯子みたいなのが車の屋根に横向きで乗っかってたりするやつ。


 マナちゃんの話を聞いて、あれのこと思い出してさ。

 そういやあの車がいたのって、ちょうどステファニーがいなくなって少し後くらいだったなって。

 あの車の屋根に横付けされてた梯子に、佐藤さんちの木の枝が触れてたような気がしたなぁ…ってさ。


 だからデブ猫ステファニーは、たまたまそのとき奇跡的に現れた一時的な脱出ロードを使って、うちの2階のベランダに入り込んだんじゃないかな。

 まさにエジプト脱出時のモーセの海割りみたいにさ、デブ猫ステファニーが通ったあとには、その道は戻通りに消えるという…だからキミたちは元通りの海に戻ったステファニー去りしあとの道を見つけられなかったわけだね、完璧な盲点として、うちの2階という真の潜伏先をキミたちは見逃した。


 それから2階のベランダから建物の中に入り込むことができたのも、ステファニーにとっては僥倖だったね。

 いやー私、今年の夏にさぁ、この部屋、換気しないと鬼のように暑くなるから、ベランダ側の窓を少しだけ開けてたんだよね、道路側の2階だし開けっ放しにしてても泥棒も入り込めないしさぁ大丈夫だろって、で…そのまま今日まで窓開けっぱにしてたの忘れてた」



 …夏から2階の窓を開けっぱにしてたまま、忘れてたとか…。


 今はもう冬で、今日までに何度も雨だって降ったのに…窓開けっぱ…てか、窓開けてたせいで動物入ってきちゃってんじゃん…。


 へへへ…みたいなカンジで仁見先生はへらへら笑っているけど、そのだらしなさに心底呆れた私は、ちらっと確認のために赤間さんの方を見てみたら、あのクールな赤間さんが、夏の終わりに庭先で倒れているセミの死骸を見るような目で仁見先生を見ていた、赤間さんもドン引きしているのだ。


 しかし図太い仁見先生は、私と赤間さんからの蔑みの視線などまったく気にすることなく、さらりと話題を変えてきた。



 「さて赤間くん、君の出番がやってきたよ。

 いまステファニーがいた場所をスタート地点として壁沿いにチェックしていって。

 権蔵さんが見ている位置がヒントだから」



 猫が飛び出してきても、人間たちがわあわあおしゃべりしていても、さっきから権蔵は同じポーズのまま同じところを見てジッとしている。

 権蔵が見ている先には、まだ何かがあるのだ。

 

 仁見先生からの指示で、さらに赤間さんはその手に、私がさっきステファニーを捕まえるために床に投げた医療廃棄物用ゴミ箱と、ゴミ拾い用のトングを装備した。

 これはもう、何かヤバイものを拾わなきゃいけないフラグ…つまり、きっと権蔵が見ている先には『幽霊の右手』が落ちてるんだろうなって想像ができる。


 ステファニーをだっこする私と、おとなしくお座りしている権蔵のリードを持ってただ突っ立っているだけの仁見先生が見守るなか、赤間さんは二つのアイテムを手に、権蔵の視線の先…壁と、ごちゃごちゃにダンボールやら謎の機材やらが置かれている隙間、その数十センチほどの暗く狭い部分を覗くようにして確認しながらゆっくりと部屋の奥へ向かって進んでいく。


 そのスムーズな赤間さんの確認作業は時間をかけることなく、少し奥へ歩いたところで足が止まり、終了することになる。



 「発見しました」



 ただそれだけを事務的にクールに述べると、壁と古ぼけたダンボールのあいだの隙間の床の一点へ赤間さんはその視線を向けたまま、持っていたゴミ箱のフタを開け(プラスチック製の医療廃棄用ゴミ箱は一般的にフタつきで、さらに不透明だから、中に入れたものも外からは見えないし、フタを締めれば中のゴミが漏れ出すこともない)トングで床に落ちているらしい何かを拾おうとした。



 「マナちゃん」



 ぎゅうっとステファニーを抱きしめながらその様子を見守っていたら、いきなり隣にいる仁見先生が声をかけてきた。



 「ステファニーが万が一にも興奮して暴れないように、しっかりデブ猫を抱えたまま、あっちの方を見てなさいマナちゃん。

 乙女がわざわざ汚いものを見る必要なんてないんだからね」



 そう言うと仁見先生は、私と赤間さんとのあいだに割り込むようなカンジで立って、私へ背中を向けた。

 つまり、これから赤間さんが拾い出そうとしている『幽霊の右手』…人間の死体の一部を、私に見せないようにしているのだ。


 ちょっと興味はあるけれど、たしかに『幽霊の右手』のビジュアルが超気持ち悪いものだったら(まあきっとそうなんだろうけど)なんか妙に記憶に残っちゃったりして下手したらトラウマになりそうな気もしなくもないし、私は仁見先生に言われたまま、だっこしているステファニーをそっとなでつつ、クルッと赤間さんや仁見先生がいる方に背中を向けて、さっき私たちが入ってきた玄関扉の方を見ていることにした。


 それでも実際の光景は見えなくとも、後ろでなんかしている音と(赤間さんが『幽霊の右手』を壁際の床からトングで拾い上げて、ゴミ箱に入れている音?)どうせ何にもしてないであろう仁見先生が、「ほお~これはこれは…」とか言ってる声が聞こえるので、淡々と作業を進める赤間さんと、その様子を眺めているだけな仁見先生の映像が、サウンドだけで脳内に浮かんでくる。

 

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