8-2

 

 「よく晴れた昼間、この医院の方角にときどき人影のようなものを見るっていう…あっちの話の幽霊の方が問題なんですか?

 でも、昼間に幽霊を目撃しているのは佐藤さんちのおばあちゃんだけなんですよ? 夜の怪しい人影の方は何人かが見ているみたいですけど」



 夜に医院のまわりをうろついている黒い人影の方がヤバそうな印象があるのに(でもその正体が、ただタバコを吸うために一人佇んでいただけの赤間さんだったなら、カッコイイから許されるんだけど)仁見先生はなぜか、やたら昼間の幽霊の方を深刻そうな顔をして気にする。



 「私の思い違いだったなら、それで済む話なんだけどね…。

 マナちゃん、月曜の予約ってもう埋まってたりする?」



 「えっ、月曜の予約ですか? たしか…午前中はもう埋まってて、午後はちょこっとだけ空きがあったような気がしますが…」



 なんでここで、月曜の予約…休み明けの医院の混み具合について気にするんだろうって、すごく不思議だったけど、首をかしげながらも私は受付担当として記憶の中にあった月曜の患者さんたちの予約状況を思い出して答える。



 「じゃーさ、マナちゃん申し訳ないんだけど、あした佐藤さんのおばあちゃんに連絡してさ、月曜の朝イチでちょっとうちに診察に来てって言っといてくんないかな? なんとかしてあと一人分、予約枠にねじ込んでさ、ちょっと眼底診たいからってさ」



 「あ…わかりました」



 仁見先生が診せてと言っている眼底検査というのは、ざっくり言っちゃうと眼球の中を覗いて眼の内側の状態を観察するものなんだけど、これが結構重要な検査なんだ。(ちなみに痛くはない)

 眼科の医師が、患者さんの眼に重大な異変を感じたりしたときなんかは絶対にする検査。


 だから私は、どうして昼間に仁見先生の医院の方で幽霊っぽいものを見たら、眼の病気を疑われることになるのかサッパリ理由は分からなかったけれど、眼科専門医である仁見先生がそう感じるなら、何かヤバイ状況に佐藤さんのおばあちゃんの眼はなっているのかもしれないと納得して、こくんとうなずいてすぐに返事をした。


 で、返事はしたものの、仁見先生はいったい、佐藤さんのおばあちゃんの眼がどういう症状であると考えているのか受付として聞いておきたくて、さっそく質問をしようとした…そのときだった。


 ピクッとまず権蔵が、大きな茶色い耳を動かしながら医院の玄関扉の方を見た。

 そして次の瞬間には、いつも患者さんたちが入ってくるときと同じようにして古い玄関扉がキイッと開き、そうして悠々と…何事もなかったように元気そうな赤間さんが、夜の化身みたいに黒いシルエットでスウッと静かに院内へと足を踏み入れ、私と仁見先生の前に立ったのだった。

 


 「赤間さん…っ!」



 よかった、無事だったんですね…。

 涼しげな眼差しで私と仁見先生を見ている赤間さんの様子には、さっき別れたときと何の変化もない。

 どこも怪我とかしてなさそうだし、元気そうだ。


 ホッとした安堵感から、赤間さんの名前を呼んだまま、感極まって上手く次の言葉が出てこない。

 幽霊男性を追っ払ってもらったあとの赤間さんとの感動の再会、…の、はずなのに仁見先生ってば相変わらずサバサバと情緒のない言葉を帰ってきた赤間さんへ向ける。



 「どーお赤間くん、首尾のほうは」



 おすわりしている権蔵の首のあたりを軽く叩きながら、かるーい口調で仁見先生はそんなことを言う。

 でも、そんな…というかいつも通りの仁見先生の軽口なんか赤間さんはまったく気にすることなく、淡々と答える。



 「問題ありません。

 もう二度と、この周辺に姿を現すことはないでしょう」



 赤間さんからの簡潔な報告を聞いて、「あっそー」とか軽い相槌をこれまたゆるーい口調で打ってから「さて」と仁見先生はソファーから立ち上がった。

 私も赤間さんも、権蔵も、いっせいにみんなが仁見先生のことを見る。



 「では、みなさん行きましょうかね。

 デブ猫ステファニーと『幽霊の右手』を回収しにさ」



 まるで、近所のコンビニまでみんなそろって散歩に行こー、くらいのノリで仁見先生はまたまたかるーく言うと、スタスタと歩き出しそのまま外へ出て行こうとするので、私はそれなりにあわてた。



 「仁見先生! どこ行くんですか? ほんとにステファニーちゃんと『幽霊の右手』がこの近くにいるんですか?」



 「いいからいいから、キミたち私と権蔵さんについてきなさい。

 あ、そうだ、二人とも念のためにマスクと手袋しなさいね、それからマナちゃん、次のストック用として置いてあった、まだ使ってない医療廃棄物用のゴミ箱あったよね、小さいサイズのやつ、それ持ってきてくれる?」



 いつもの診察中と同じ本気な調子でそう言われたら、なんでですかとか聞く前に私の体は指示通りに動いてしまう。

 バックヤードから仁見先生に指示されたものを持ってきて、使い捨てのマスクとラバーグローブ(よくドクターが手術のときなんかにしてる、ピタッとしたサイズの使い捨ての薄いゴムの手袋ね)を、仁見先生と赤間さんへ配り、そして私も身に着けて装備した。


 そうしてプラスチック製の新品の医療廃棄物用ゴミ箱を抱えると(これは普段、使い終わった注射針とかの普通のゴミ箱には入れられない医療ゴミを入れる箱。大きいサイズのもあるけど、私が抱えているのは、お中元のメロンが入るくらいの大きさ程度のやつだから、中身が空っぽってのもあるし、重くもなんともない)権蔵を連れてサッサと外へ出て行った仁見先生の後を追う。

 赤間さんは私を見守ってくれるみたいに最後尾となって、後ろから静かについてきてくれる。

 

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