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 赤間さんは慎重に、佐藤さんちの石塀からはみ出している枝の端々を追うようにして、懐中電灯の光を順番に当てていく、そしてしっかりと異変がないか点検している。

 無人になった深夜の美術館を巡回している、警備員のような鋭い目で。


 私たちは、上を見上げながら、佐藤さんちの石塀に沿うような形で歩く。

 このまま佐藤さんのおうちを一周することになるのかもしれない。


 だけど佐藤さんちの敷地は広いわけで、そう簡単に一周が終わることにはならなそうだけれども。

 とりあえず、仁見先生の医院と向かい合っている佐藤さんちの玄関側、つまり道路に面している方角からスタートすることにして、私と赤間さんは石塀を時計回りに巡っていく。


 当然というか、いま私たちが巡っている道路側には、佐藤さんちのお庭にある例の木の枝の先が接触している別の建物はあったりしない。

 佐藤さんちの敷地内からはみ出た枝たちは、夜空に大きく伸びているものの、たとえば道路を挟んでお向かいにある仁見先生の医院のビルの屋根に触れているとか、そこまでの遠距離を侵略するほどには達してはいないのだった。


 なので私と赤間さんは、さっさと道路を石塀に沿って進んでいくと、すぐに曲がり角に来た。

 曲がり角っていうのはつまり、佐藤さんちの敷地を囲う石塀が、今度は約九十度方向に曲がったってことね。

 佐藤さんちのお隣には別の人のおうちの敷地があるので、歩いてお隣さんちの領域に行きついた段階で、今度は佐藤さんちの石塀がお隣さんちの敷地に沿うようにしてカクッと奥へ曲がるのは、当たり前っちゃー当たり前の話なわけで。


 ちなみに佐藤さんちのお隣は、二階建てのアパートになっている。

 オレンジ色のタイルばりの、けっこうモダンなアパートだ。

 たしか、佐藤さんの家族か親戚だったか、とにかく身内の人が経営しているアパートだって前に聞いたことがある気がする。

 そんなわけで身内のよしみで放置されているのか、佐藤さんのお庭の木の枝は、ガッツリこのお隣のアパートの外壁とか屋根とかに触れまくっている。


 だから…ひょっとしたら『幽霊の右手』をくわえたステファニーちゃんが、枝つたいに、このお隣のアパートのベランダとかに入っていった可能性は高いんじゃないだろうか?


 佐藤さんちと、お隣のアパート、この間に接する木の枝をよく観察したら、さっき赤間さんが見つけてくれたみたいに、猫が移動をした際に折ってしまった枝だとか、爪で引っかいた跡なんかの、ステファニーちゃんが今お隣のアパートに隠れ潜んでいるのだという重要な証拠が発見できるかもしれない。


 これは気合を入れて要チェックしなければなるまいな! と…私は、佐藤さんちとお隣のアパートがとなりあった塀と塀のあいだの小さな道の奥に広がる闇を見つめながら考える。


 そう、この小道こそは、ステファニーちゃんが潜んでいると想像できる場所から最も近い位置にあると思われる、ちょー怪しい疑惑のスポットゾーンだ。

 しかし、この小道を辿ってこれから周囲を捜索するには、ちょっとした難点があった。

 

 その難点というのは、佐藤さんちの石塀と、お隣のアパートの敷地に設置されているステンレス製らしきおしゃれなデザインの塀、その、塀と塀、それぞれの敷地を隔て、その間に横たわる小道の幅というのが、超せまい! ってところだ。


 なんかもう、小道っていうか…隙間?

 よく東京都内のビル群なんかで見かけたりする、近距離で隣りあって建っているビルとビルのあいだのちょっとした隙間…あれぐらいの感じ。


 決して、人が通るための道ではなく、それこそ猫なんかの小動物のために用意されている獣道ってなぐらいに狭い、ただの隙間。

 でも、その隙間を進んだ先は、建物をはさんだ向こう…反対側の道路に通じている、それを見て確認することができる程度には、スペースが空いている小道…とギリギリ呼べる隙間だ。


 狭いけど…私はここ、通れると思う。


 おしりがつかえちゃいそうだから横向きのカニ歩きになっちゃうとは思うけど、仁見先生の医院があるこっち側の通りから、建物を挟んであっち側にある別の通りへと、ここを歩いて抜け切れるはず。

 塀と塀に挟まれる、窮屈な形にはなるけれど、うん、私だったら、ステファニーちゃんが逃げていった痕跡を探しながら、ここを通り抜けることができる。


 だけど問題は…この隙間を、赤間さんは通れるのか…ってところだ。


 赤間さんはすらりとしたスレンダーな体格をしているけれど、それはあくまで成人男性の中では…ということであり、女子の私と比べたらその体の大きさは歴然、背が高いのはもちろん、筋肉質にがっしりとしているその体の幅では、こんな狭いとこ通ろうとしたものなら、即つっかえてしまいそう…。


 私と赤間さんは無言のまま並んで立ち、佐藤さんちの塀とお隣のアパートの塀との隙間の小道、その闇の奥を、ジッと見つめている。


 しかし、いつまでもこうして小道の奥に広がる闇を見つめていたって、ステファニーちゃんは見つからないし、さまよえる幽霊男性は除霊できない。


 小道を見つめていた私は、ちらっと、となりに立つ赤間さんの凛々しい横顔のほうを見て、そしてこう提案した。



 「あのー、私、ここ、サクッと行ってきますね。

 ささっと見てきて、何か異変が見つかったら、すぐ赤間さんにお知らせしますから」



 ヘラッと笑いながらこの提案が何でもないことのように聞こえるよう、努めてかるく私はそう言ったのだけれど、やっぱり優しい赤間さんは困った顔をして心配そうに私を見た。

 そのチャーミングな困り顔を見てキュンキュンする私の気持ちなど当然知る由もない赤間さんは、それまでにないちょっと困惑した声で返事をする。



 「いえ…そうおっしゃっていただけるのはありがたいのですが、もし何か万が一のことがマナさんにあったら大変ですから…お一人でこのように暗い場所を歩かれるというのは、些か…」


 

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